イスラエル旅行日記 5月29日 - シャバット

今日は安息日です。アリエルのグループも休みを取りました。といっても、ほとんど全員が近くの有名なメシアニック会衆の礼拝に参加しました。その後、現地の働き人の案内で、仲良しになった三人でオリーブ山に行ってきました。

その後、歩いてベン・イェフダ通りまで行きました。この閑散とした通りを見た後、再び10時頃にタクシーに乗っていってみたら、人々で賑わっていてシャバットが終わったことを教えてくれました。

メシアニック・ジューの墓
(当時のユダヤ人信者の墓が、オリーブ山にあります)

イスラエル旅行日記 5月28日 - ユダヤ地方(北部)

今日の旅は、主に二つに分かれます。一つは、ベニヤミン族の地で起こった聖書的出来事を辿ったことです。以下の地名を見てください。

アナトテ
ラマ
ギブア
ゲバ
ミクマス
ギブオン
キルヤテ・エアリム

エレミヤの故郷の町、ヨシュアがギブオン人にだまされたこと、サウル王の子ヨナタンがペリシテ人に対して戦い大勝利を収めたこと、サムエルの町、契約の箱が安置されていたところ等が、主な出来事です。

そしてもう一つは、独立戦争で起こったことを辿る旅です。

カステル
ハル・アダル
バブ・エル・ワド(Bal El Wad)
ビルマの道

これは、テルアビブとエルサレムの間に走る幹線道路にある要塞を巡る戦いの地点です。パレスチナ・アラブはこの補給線を遮断して、エルサレムにいるユダヤ人を絞め殺すつもりでした。

お昼は、典型的なイスラエル料理との説明を受けていましたが、行ってみたら、なんとエルビス・プレスリーのファンが経営しているお店でした。店の中が彼の写真や絵でいっぱいになっていて、本当に楽しかったです。そこで飲んだトルコ・コーヒーがとってもおいしかった!

この日は早めに終わり、メンバーはプールで泳いだり、買い物に行ったりしましたが、私は前夜、熱を出してしまい、ずっと寝ていました。今は良くなっています。

あと、講義の時間の時にアリエル・ミニストリーのイスラエル支部のご夫婦が証しをしてくださいました。ロシアからの帰還民です(旦那さんはロシア人で、奥さんがロシア系ユダヤ人です)。

ハル・アダルにて
(旅行メンバーの女の子が、六日戦争時に使用された戦車の上に立っています)

イスラエル旅行日記 5月27日 - エルサレム旧市街(ユダヤ地区)

今日は、主に以下の旅程でした。

1.最後の晩餐の部屋(ダビデの墓、メシアニックの集会所)
2.エルサレム考古学公園
3.嘆きの壁
4.アルメニア地区で食事
5.カルド
6.「ヘロデ地区」
7.神殿再建財団

ワゴン車を昨日と同じく、ダビデの町の横の駐車場に止めようとしましたが満車だったので、(現在の)シオンの山の駐車場に行きました。そのため初めに見たのが最後の晩餐の部屋です。

すでにここには二回来ていましたが、初めて確認したのはユダヤ人の信者がそこを集会所に使って、第二ユダヤ人反乱が起こるまで15人の監督者がいたことです。(彼の著書「ヘブル的キリスト教(Hebrew Christianity)にも説明されていますが、ユダヤ教の一派として数えられていた信者たちと、他のユダヤ人たちとの決定的な亀裂が走ったのは、彼らが第二ユダヤ人反乱の主導者であるバル・コクバをメシヤとして認めなかったことです。)

そして2.のエルサレム考古学公園(南壁)は本当に良かったです。2008年の旅行でも行きましたが、今回は、イスラエルで25年間も発掘を続けている考古学者がガイドをしてくれたからです。非常に分かりやすく、丁寧に説明してくれました。彼は、「ここが他のどこよりも最もヘロデ時代の神殿を感じることができる場所だ。」と言っていましたが全く同意です。イエス様が歩かれた階段、通りがそのまま発掘、保存されています。

そして嘆きの壁に行き、アルメニア地区でアルメニアの食事を取りました。

歩きながら、カルドを初めユダヤ地区にあるいろいろな遺跡、建物の説明を受けましたが、ウォール考古学博物館(別名「ヘロデ地区」)が圧巻でした。ヘロデ時代のエルサレムで上町の遺跡をそのまま残しているからです。裕福な祭司長の家の遺跡があります。

そして最後に、神殿再建財団(The Temple Institute)に行きました。これでもう三回目ですが、ガイドに質問するのが楽しみでした。彼らは正統派ユダヤ教徒ですが、正統派ユダヤ教の中でも独特な存在です。正統派は大抵、メシヤが来臨してから神殿が建てられると信じていますが、彼らは神殿を自分たちで建てて、それからメシヤが来ると信じています。

晩の講義の時にこのことについて質問しました。なぜ異邦人のクリスチャンたちを招いてくれるのか、と。アーノルドの答えは、「ユダヤ人の間からでも支援金を受け取れないから。」でした。何と福音派が最も支援しているとのこと。福音派が何を信じているかも承知しており、私たちが喜ぶようなことを語ります。残念なことですがこれが事実です。

正統派ユダヤ教の子供たち
(学校の休み時間、アイスキャンディのおやつが与えられたようです)

イスラエル旅行日記 5月26日 - エルサレム旧市街(ムスリム、キリスト教、アルメニア地区)

今日は、主に以下のところを訪ねました。

1.神殿の丘
2.ベテスダの池
3.ヴィア・ドロローサ
4.聖墳墓教会
5.キリスト教地区
6.アルメニア地区
7.クライスト・チャーチ
8.園の墓
9.ソロモンの石切り場
10.旧市街の門

私たちのワゴン車は、昨日と同じダビデの町の横にある駐車場に置いて、糞門から神殿の丘に向かいます。もう数多くの旅行者の列ができており、20-30分後に神殿の丘に入ることができました。神殿の丘に入るのに検問所を通るからです。

今回の旅行で強く感じるのは、人によって見方が違うことです。デービッドは、至聖所の場所は岩のドームの横にある「霊のドーム」に位置しているだろうと言っていましたが、アーノルドはそれを少数派の意見とし、岩のドームに位置しているだろうと言いました。

そして一番大きな違いは、イエス様が死なれた所がデービッドは園の墓ではないかと言っていましたが、アーノルドは歴史的、考古学的に聖墳墓教会に位置すると主張しています。混乱していますが、これは良い経験です。一人だけの意見を鵜呑みにして教条的になるのではなく、事実を照らし合わせて、自分の頭で考え自分で検証する必要があります。

アーノルドは、昼食もいろいろ考えてくれています。イスラエル人がよく食べるものを紹介しますが、初日はファラフェルを食べました。今日はシュワルマという、薄切りの肉を入れたものです。

今回新しかったのは、キリスト教地区とアルメニア地区も見学できたことです。特にアルメニア地区の成り立ちを知ることができて良かったです。キリスト教を国として受け入れたのは、ローマの前にアルメニアであったため他のクリスチャンとは別の地区を保っています。「壁の壁」と呼ばれる地区であり、迫害を免れるため旧市街の城壁内のこの地区をさらに壁を設けている様子も見ることができました。

そして「クライスト・チャーチ」という、エルサレムで最初のユダヤ人宣教のために建てられた教会で、今でもその建物を使って伝道の働きをしている様子を聞くことができました。

そして旧市街の、まだ訪ねていない一つ一つの門を見ながら、ダビデの町の隣にある駐車場まで歩いて行きました。黄金門の所ではムスリムの墓地の中を通りました。

ムスリム墓地から見たオリーブの山