第七回目 月浜・牛網旅行 6月22日

三日目の朝は、魯先生と私の妻が牛網に行き、水餃子の具の準備をしに行きました。そして残りの男性たちは、月浜海岸に向かいました。この日は晴天で、神様に感謝しました!

そしてなんと、他の二つのチーム全員がこちら月浜海岸に向かっているとのことです!そして着き浜地区長の小野さんもいらして、私たちの午前中の活動にいっしょにおられました。後でジュースも用意してくださいました。

私は今回の旅行は人数が多いので、正直、困っていましたが、海岸の掃除のような時には人海戦術が最適です。なんと残りの三分の二が、きれいに片付きました!ハレルヤ!!

さすがハワイ人、彼らはなんと服を着たまま海に入って、泳いでしまいました!トラビスによると、まだ水は冷たいとのこと。私は、この夏にバプテスマ式をここでやったら良いのでは、という祈りをし始めています。

それから私たちは、牛網に向かいました。水餃子の準備はできており、数人の避難民の方が皮包みに参加してくださいました。その中に斎藤さんがおられます。チャックの奥さんの由美さんから聞いたのですが、宜野湾の人たちは、牛網に住んでいる斎藤さんの家の改装を手伝ったとのこと。

彼女が第一回目の私たちの旅行のとき、トラビスが津波の瓦礫から拾ったピアノを弾いているのを見て、涙を流し、私が祈らせていただき、そして「これを一回だけにしないでほしい。」と懇願された方です。彼女から「もう牛網避難所の住人になってもいいですね。」という、本当にうれしいおほめの言葉をいただきました。

水餃子も食べ終わり、すべてのチームが牛網でお昼をゆっくり過ごしました。山東さんが残りものでスパゲッティと醤油チキンを作ってくださいました。宜野湾のチームは、これからさらに数日、東松島に残っておられます。どのような活動をすればよいかをみなさんと私で話し合いました。月浜避難所担当の小野さんの連絡先を渡し、また木村さんもさらに数日いらっしゃるので、ぜひ月浜避難所での活動を勧めました。

今日、木村さんから連絡が入りましたが、彼らが避難所でスパムおにぎりを提供し、清掃など他の活動もしたかったのですが、雨だったので、室内で避難所の人たちの話を聞いたりして時間をすごしたとのことでした!ハレルヤ!

宜野湾とCCBCの人たちは、この夏、チームを交替させながら東松島を中心に東北救援旅行に来られる計画です。その第一弾がチャック・由美ご夫婦率いるチームです。どうか、続けて彼らのためにもお祈りください。

私たちは、魯先生のリクエストで、松島で温泉に入って、それから塩崎さん、私たち二人が車に乗って東京に戻ってきました。

私が救援旅行で魅力を感じるのは、伝道の機会が至る所に生じること、そして仕えるクリスチャンの麗しい姿です。不平をもらさず、小さなことでも喜びと感謝を感じ、そして一度手伝ったところにまた行きたいと願うクリスチャン。それが、被災者の方々に大きな光となっています。さらに、私たち奉仕者の間でも、その喜びを味わっている人々の間には麗しい御霊の一致があり、主をほめたたえています。

次回はぜひ、再びLCFの人たちを連れて行きたいです。何人かは既に参加していて、そのすばらしい御霊の働きを見ることができました。教会のためにもこの活動は必要と感じています。

第七回目 月浜・牛網旅行 6月21日

20日の夜、私は仲間に五時半起床、六時朝食を告げました。早いのにびっくりしていた人がいましたが、私は、「避難所の人々は通常五時前に起きて、六時には活動を開始していている。就寝が八時だ。彼らの活動に合わせないといけない。」と話しました。

朝、前々回と同じように、宿の部屋で自炊をして、それからデボーションをしました。私は、先週土曜日に説教した出エジプト記2章から、モーセが神の民の苦しみを共にして、エジプトの富や地位を捨て、永遠の報いを求めたことを話しました。救援活動によって、私たちの快適な生活は犠牲を負いますが、けれども、苦しみを共にすることが神の報いの道であることを離しました。

それから、チームを二つに分けました。女性と、運転手の魯先生は昼食の水餃子の具とフルーツの準備を、男性は月浜海岸に向かいました。

水餃子は手軽に作れる料理であり、また皮を包むときに避難所の人たちと一緒にできるという利点があります。そしてフルーツは、前日、避難所の女性たちから、「スイカが食べたい」という声が上がったからです。つまり、水気のある果物(スイカ、メロン、ブドウ等)や野菜(トマト等)に飢えていたみたいです。それで私の妻と魯先生が前日、スーパーマーケットまで車を走らせて買い物をしたのです。

もう一つ、メニューの中に「水キムチ」があります。綾瀬東部教会が作ってくださいました。これは日本の人たちにはあまり知られていませんが、冷たい汁の中に漬物があるという感じのキムチで辛くなく、さっぱりしています。暑くなってきたので、いいんじゃないかと思ったのです。

私たち男性陣が月浜海岸に到着し、そして牛網に宿泊しているカルバリー・ホノルルのマッチョの四人と、宜野湾のチャックさんが到着しました。大木など、砂浜に漂着しているごみをどんどん片付けて行きました。私は、細かいごみを拾い始めました。まだキャップの空いていない炭酸水のペットボトルがたくさん流れ着いていたのに、一本ずつ開けて中身を出したりもしました。

すると二時間ぐらいで、見事に三分の一ぐらいがきれいになりました。私はこの夏いっぱい、ここの海岸の掃除がかかるかなと思っていたので、本当に驚きました。兄弟たちも、「ぜひ残りの部分も終わらせたい。」とやる気満々でした。

11時に月浜避難所に戻り、水餃子の準備をしました。包む作業を避難されている方々にお願いしたら、女性たちがエプロンをして次々と包んでいきます!担当の小野さんが教えてくれましたが、それもそのはず、彼女たちの多くが民宿を経営していた人たちです。宮戸島の人々は民宿と漁業で生計を立てています。私も幼い頃と大人になってから二回、月浜海岸に来ています。

水餃子、水キムチ、フルーツを食べた後に、そこを片付けて、同じテーブルで見城さんと望月さんが同じくカントリー&ゴスペル・コンサートをしてくださいました。そして、さらに木村さんが自宅の掃除に来た女性のボランティアのグループも招いておられました。

私たちが二度に渡って木村宅から刀や着物を取り出した後、木村さんは、残っているものを東松島市を通してボランティアに取り出してもらっていたみたいです。一度、男性のボランティアに来てもらったら整理が雑だったので女性たちを要請したとのこと。そして木村さんは見城さんの音楽がとても気に入っていたので、昼食もゴスペル・コンサートも全部参加させたのです。

私と塩崎さんは、続けてホノルルの人たちと月浜海岸で掃除をしに行こうとしましたが、あいにく雨が降り出しました。それで再び避難所に戻りましたが、見城さんたちによると、じっくり福音を語ったとこと、神に感謝です。そして、私たちはトラビスの要請を受けて牛網避難所に移動しました。

牛網避難所には、カルバリー所沢のマイケルとチャックが醤油チキンを作っていました。山東さんが大まかなのを作り、それから下二郷でも食事を作りに行ったそうです。そして、他の人たちは20日に牛網で奉仕をしていたので、下二郷に移動し、そこで夕食とコンサートをしに行きました。料理だけ作って、私たちがそれを避難所の人たちに出します。

千葉さんが顔を見せてくれましたが、いつもと違って笑顔がありませんでした。ぜひ彼のためにお祈りください!避難所生活がすでに三ヶ月を越しています。多くの避難所で、人々が長い避難生活でいろいろな意味で疲れを覚えています。

けれども、魯先生と私は、塩崎さんと木村さんと、神の救いについての質問応答の時間を過ごし、就寝が午前1時近くになってしまいました!

第七回目 月浜・下二郷・牛網旅行 6月20日

無事に昨夜、東松島から帰ってきました。これで、LCFとしては第六回目、全体としては第七回目の旅行の報告をさせていただきます。

19日の正午は、奥松島の木村さんと福島富岡町の植田さんを交えて、昼食を取りました。新井さんが、大きな消しゴムを彫って文字のスタンプを木村さんに作りました。そして二時から礼拝です。私は、新しい人々が来ることを意識して聖書箇所を少なくしましたが、それでもたっぷり一時間かかった説教を興味深く聞いておられました。その後も濃密なお話しの時を持つことができました。

そしてそのまま木村さんは私たちの家に宿泊です。そして次の日、7時半には綾瀬東部教会の魯牧師と、ボランティアの塩崎さんが到着しました。

塩崎さんはこのブログ記事では初めての方ですが、実は、この方がおられなかったら私たちの救援旅行は全然違っていたと言っても良い重要な人です。塩崎さんは針灸をされている方ですが、武道館内でボランティア活動ができないとのことで、その場所を探していた時に魯先生と出会うことによって、その教会の中で活動場所ができるようになりました。それで武道館に避難されている人々が教会に来るようになった、という経緯です。そして、私が4月10日にその教会で説教の奉仕をしたその夕方に、その避難者の一人である木村さんに出会いました。

20日は、罹災者証明書を持っている人は高速道路が無料になる開始日でしたが、私は首都高も無料になると思っていたところ、東北道だけであったことが分かりました。車二台で行ったのですが、結局、災害救援車両許可書を取っていた魯先生の自動車は全行程が無料、木村さんの車が首都高の分だけ料金を払いました。

私たちは前々回の旅と同じく、宮城県の菅生PAで静岡チームと落ち合い、そこから宿泊する松島の湯の原温泉に向かい、荷物を降ろして、そして奥松島の宮戸島にある月浜避難所に向かいました。そこで、すでに数度、牛網などでお手伝いに来てくださっている仙台在住の武田さんと合流しました。月浜避難所で明日の予定について担当の小野さんと話し合った後、私たちは下二郷の避難所で人が足りないとの知らせをトラビスから受けたので、明日、掃除する予定の月浜海岸を見学したあと、そこに向かいました。

そこは、東松島市の北隣にある遠田郡美里町にありますが、牛網の隣町の浜市住民が避難しています。私は担当の熊谷さんと話ながら、私たちの牛網での救援活動や、浜市小学校を見ながら家の掃除をしていたことなどをお話しました。中を覗くと、かなり若い人々がいます。子供たちも多いです。

そして台所では、カルバリー西東京の山東さんと、沖縄宜野湾からチャック・ロブさん、そしてCC Bible College卒業生の松原さん、在校生の中村さんが夕食の準備をしていました。ハワイ風醤油チキンです。牛網の千葉さんがトラビスにこれを作ったら良いと勧めていたそうです。

そして静岡教会の牧師、見城さんとスケットの望月さんが、イブニング・コンサートの準備をしました。塩崎さんは針灸の奉仕をされました。

食事は、初めあまり人が来なかったのですが、一度、醤油チキンを味わった人が「おいしい!」との声を上げると、取りに行く人々が出てきました。そして台所の隣の部屋で行ったイブニング・コンサートにも、人々が入り始めました。

見城さんと望月さんは、前々回と同じように、ギターでしっとりとした歌を奏でました。望月さんは自分が引きこもりの状態から主に出会った体験を詩にして歌いましたが、みんな感動しました。そして、その部屋に聖書やトラクトも机に置いて帰りに取っていってもらうようにしました。

そして私たちは牛網避難所に向かいました。そこで、牛網で奉仕していたハワイのチームやトラビスたちがいました。なんと、彼らは避難所の駐車場に大きなテントを張っています!山東さんが、「ホノルルからのメンバーに、マッチョがいて、力仕事をしたがっているから、ぜひ月浜海岸の掃除をさせたらいい。」と教えてくださったので、私はトラビスに男たちを月浜に送ってくれるよう頼みました。

宿に帰ったら午後10時を過ぎていました。