私を贖う方は生きておられる

教会ではヨブ記の学びが進んでいます。ロゴス・ミニストリーとして、聖書通読の学びは第二周に入っているのですが、どの書物も新しい発見なしに読むことはできません。一回目にヨブ記を教えた時に、とても苦手意識を持ちながら教えていたことを覚えていますが、今は、まるで違った視点で読むことができています。

ヨブ記の学び

Job's Sufferingヨブの苦悩を読めば、人生の壮絶な苦しみを味わっている人のあらゆる声を代弁しているので、誰もが孤独にならず、またごまかすことなく神に取り組むことができます。ヨブの友人とのやり取りの中で、その慰めを受けられない痛みの中で、彼の神への愚痴は、いつの間にかキリストご自身が正しい方なのに罪に拠る苦しみを負われている、その贖いの姿を浮き彫りにしていきます。

そしてヨブは、気が狂ってしまっているのではないかと思われる程の極度の呻きの中で、突然、光に打たれたかのような大胆な信仰の言葉を出します。神の仲介者による保証を宣言しました。体のよみがえりを希望しました。ついによみがえった肉体によって、神が贖い主として地上に立っている姿をそのまま見るという、とんでもない信仰の言葉を発します。

私は知っている。私を贖う方は生きておられ、後の日に、ちりの上に立たれることを。私の皮が、このようにはぎとられて後、私は、私の肉から神を見る。(19:25-26)」

上の御言葉を歌ったのが、次のビデオです。 続きを読む 私を贖う方は生きておられる