福音の立体的骨格を伝えるには? その2

その1からの続き)

行ないによって

そして伝道の強力な武器は「良い行ない」です。神が愛であるのと口で言うのと、困っている人に実際に必要にかなう物を分け与えるのとでは全然違います。後者によって神が愛であることを伝えるほうが極めて効果的です。東北震災の被災地において、大勢の人がキリストを実感できました。「なぜクリスチャンのボランティアは、見返りを期待せずに喜んで働いているのだろうか?既存の神道や仏教の人々より、圧倒的な差でなぜ教会が動いているのか?」という問いかけが、現地では多くなされています。実際に目で見えるものによって、目に見えない神のご性質をおぼろげに知ることができたのです。

そして、このように生活の証しによって、実際に伝道集会において、福音の言葉を聞いて信じる人が起こされています。その場でただ福音の言葉を聞いたのでは決して知ることのなかった、輪郭のある証言を与えられていたからです。

弟子作りによって

そして私は、弟子作りそのものが伝道になると思っています。つまり、時間をいっしょに過ごし、聖書の言葉をじっくり、時間をかけて教えていくことです。イエス様はマタイ伝では、弟子たちに「弟子にしなさい」という命令を与えられました。マルコ伝では福音を宣べ伝えなさいと命じられましたが、弟子にしていくことは、単に福音を口で伝えること以上の過程が必要です。

旧約の時代から、神は人に対して時間をかけて接しておられました。アブラハムが神を知るのは、その何十年もかけた人生においてでした。ヤコブも体験も一足飛びではありません。ヨセフも、兄が自分を売ったことについての神の救いの計画を知るには、時間がかかりました。モーセも神に召されるまでは八十年かかっていますし、誰一人として四つの福音の冊子にある、即効的な神との出会いはしていないのです。

多神教を信じる者に対する伝道は本当に時間を要しました。ダニエルのことを思います。ネブカデネザルは、ダニエルの忠実な証しによって、晩年に天におられる神、主を認めるに至りました(ダニエル4章)。彼の発言には段階があります。初めはダニエルの神をほめたたえました。けれども、4章では自分自身の神としてほめたたえています。

そしてイエス様は、弟子たちと三年間、いっしょに時間を過ごされました。寝食を共にして、そして教えを弟子たちは聞きました。イエスの行なわれるわざを間近で見ました。それでもイエス様の本当のところについては悟ることができませんでした。全貌はご復活後に明らかにされるのです。

「骨格」が与えられるのは、やはり聖書にある神の教えを伝えながら、じっくりと時間を共に過ごすことにあるのではないかと思います。もちろん、救いは信仰を持つことによって瞬時に与えられます。御霊による新生が徐々に、漸次的に与えられるものではありません。新生しているか、いないかのどちらかです。けれども、それが必ずしも、四つの法則をいっしょに見ていったことによって、その人の人生に明らかにされるわけではないのです。クリスチャンの家庭に育った子弟が、自分の信仰が明らかになるまで時間がかかることがよくあるように、時間がかかって良いと思っています。大事なのは、信じたと告白する前から時間を共に過ごし、告白した後も同じように時間を共に過ごし、一貫した、変わらぬキリストの姿を見せていくことであります。

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