今のカルバリーチャペルに足りないもの - 宣教の視点から

最近行なわれた、日本カルバリーチャペル・カンファレンスはとても祝福されたものでした。そこで少し、前進した、進歩したと感じられるものがありました。それは、講師がすべて日本国内のカルバリーチャペルの牧者であったこと、そして、従来の英語主体・日本語訳付きから、日本語主体・英訳付きに動いたことです。

1965年に始まったカルバリーチャペル・コスタメサから始まった主の働きは、今や、何千もの教会を国内と海外へと広がっています。私は、この群れが大好きで、この群れの一つになれていることを誇りに持っていますが、同時に、これから長い時間をかけて次世代に伝えていく課題もあります。

それを一言でいうならば「宣教」であり、「宣教地における福音と教会の定着」であります。カルバリーチャペルは、60-70年代に米国内で起こった「ヒッピー運動」の若者たちがキリストに立ち上がったという「イエス革命」と呼ばれる中で多くの指導者が出てきました。既存の伝統的な教会に、新しい世代の礼拝賛美スタイル、また若い世代を受け入れる愛と寛容を持っていました。

しかし、米国内ですでに起こっていることですが、「南カリフォルニアの郊外地域に教会が多数」あり、「他の地域に伝播していく」ためには、大きな一歩を踏まなければいけないということです。ハンティントン・ビーチのサーファーに代表されるような、極めて開放的で、形式に拘らない雰囲気が多くのカルバリーチャペルに特徴的なのですが、元々のコスタメサの教会、そして牧者チャック・スミス本人は、ヒッピーを「受け入れた」のであって、ご自身は保守的な米国人です。朝の礼拝では、牧者や案内係にはスーツを着用するようにさせています。カルバリーチャペルの運動は、「ラフで開放的」というのが原則ではなく、「異なる世代や種類の人々を受け入れる」という愛が土台でした。(参考記事

実際に、日本においてカルバリーチャペルが多いのは、「沖縄」と「東京西部」です。つまり、南カルフォルニアのビーチの文化と沖縄の島にある恵みの文化が合っていますし、東京も中心部ではなく郊外に点在します。同じ流れを感じます。

そしてその文化の延長なのでしょうか、あるいは、現代のアメリカ人の特徴なのでしょうか、「言語の習得」という海外宣教にはなくてはならないものが、ないがしろにされてきました。私たちの近しい知人の宣教師は、OMFに所属しておられますが、彼が日本や他の宣教地で奉仕しているアメリカ人が英語のみを使って活動している話を聞いて、目を点にしています。「OMFでは、アメリカ人も現地の言葉を流暢に話していますよ。」とのこと。ご本人は自分にとっての第二言語で、説教と祈りを始めとする全ての牧会をしています。

カルバリーに限らず、なぜ今のアメリカ人の多くが言語習得をなかなかできないのだろうか?と私は悩みます。戦後直後に来られた、今は老齢の宣教師の多くが流暢な日本語を話せるのに・・・。私がギリシヤ語の最初の授業で、「アルファベットを覚えるのが明日までの宿題です」と言われたので覚えたのですが、暗記した人は一握りでした。後に、宿題をこなす私を仕舞いに、仲間の学生が「天才」と呼ぶようになりました!

ですから、あまりプレッシャーを感じさせてはいけないと思いつつ、小出しに「日本語」を強調しています。

そしてもう一つは、言語以外の文化的要素です。聖書の原則を抽出して、それを現地の文化や習慣、社会に当てはめていく作業がどうしても必要です。例えば日本では、「葬儀」と言えば仏式であり、その時にキリスト者としてどのように対処すればよいのか、ということを考えなければいけません。

ところが、「福音の言葉を伝えておけば良い」という雰囲気があります。けれども、教会というのは生活全般の中に位置していなければならないわけで、世において起こるあらゆる面において世の光、地の塩になることを、教会に来ている人々は願っているわけです。

例えば、今年は米国大統領選があります。共和党候補にモルモン教徒のロムニー氏が出てくることは必至です。米国内では、キリスト者がモルモン教徒を大統領として選んでよいのかどうかが議論されています。それだけ「キリスト者と政治」についてよく考えているわけです。ならば、「宣教地にいる現地キリスト者も同じなのだ」と考えなければいけないのですが、そこまでの発想までにはなりません。イエス様は、「福音を宣べ伝えなさい」と命じられただけでなく、「弟子としなさい」とも命じられたのです。全生活において、キリスト者として生きる指針を与える義務が宣教者にはあるのです。

私の知り合いの牧師さんは、聖書学校の学生たち(多くがアメリカ人)にこう教えたそうです。「宣教師と現地の人との関係は、イラク駐在米軍と現地イラク人の関係と似ている。米軍が撤退した後も、現地イラク人はそこで生活しなければならないのだ。」宣教師が、教会生活そのものさえ知らずに、くっちゃべって去っていくのではいけないのです。残されていく人々が確かに自立して生きていくことができるように、手助けしていかねばならぬのです。

The Great Omission”という著書を書いた、日本でも宣教経験のあるロバートソン・マクルキンさんが、一度、カルバリーの宣教会議のゲスト・スピーカーだったのですが、彼は基本的に短期宣教を信じていませんでした。その役割はあるだろうけれども、聖書的には長期宣教だと断言していました。そして宣教者は、ヨハネ1章14節にある、「ことばは肉となって、私たちの間に住まわれた」とあるように、現地の人々の只中で生きることによって、自分のうちに現われるキリストによって人々に伝える、というものであると教えてくださいました。それから、今日の世界宣教界では、”Incarnation Mission(受肉宣教)”という単語が使われていることを後で知りました。

今も私は宣教の働きをするときの支柱になっている御言葉です。この前、他の国の兄弟姉妹の教会に、私たちの教会の仲間が訪問する機会があって、その一人から「明石さんは、その人たちに溶け込みすぎていて、どこにいるのか分からなくなった。」というようなお言葉をいただきました。私にとってはものすごい褒め言葉で、とても嬉しかったです。ある宣教師は、「宣教は、聖書を片手にして、あとは言語とガッツ(肝っ玉)だ」と言いました。言語習得にしても、文化を知ることについても、根性さえあればできる、ということです。

カルバリーチャペルは、まだまだ発展途上の段階にいますが、それでも少しずつ前進していることを感謝しています。私自身、未熟な面がたくさんあって成長しなければいけないと感じています。ウクライナでは、カルバリーチャペルは完全に現地化されている(つまり、現地の教会が現地の人々によって完全に営まれている)と聞きます。日本でも、少しずつその方向に進んでいることを感謝しています。