世界一評判の良い国 ― 日本 その3

(「その2」からの続き)

「外を見る」ことは「愛すること」

BBCの調査の話に戻しますと、日本人がしなければいけないことの一つは「感謝する」ことがありましたが、もう一つは「外を見る」ことです。日本人は内省が好きなのですが、内省してばかりいるので、周りの人に貢献すべきことができなくなっている、という問題があります。私がカンセリングをしていた人が、一度、次のようなことを仰っていました。「自分の内にある問題に取り組んでいたばかりに、それが思い煩いとなって、数多くの意義ある活動をする機会を見失っていた。」内村鑑三も、回心の経験をしたのは、学長による次の諭しでした。

自らの内なる罪に日夜、懊悩(おうのう)する内村に、シーリーはある日、やさしく次のように諭した。「鑑三、君は君の衷(うち)のみを見るから可(いけ)ない。君は君の外を見なければいけない。何故己に省みることを止めて十字架の上に君の罪を贖(あがな)い給いしイエスを仰ぎ瞻(み)ないのか。君の為す所は、子供が植木を鉢に植えて其(その)成長を確定(たしか)めんと欲して、毎日其根を抜いて見るのと同然である。何故に之を神と日光とに委ね奉り、安心して君の成長を待たぬのか」と。
worldtimes.co.jp/special/mida/md001001.htm

内を見ることによって、神ご自身を見つめることを忘れています。そして神ご自身を見つめることを忘れているので、神が抱いておられる計画を見る時間が削がれています。神がこの全世界を愛しておられて、それで御子をお与えになったのに、自分のこと、自分の周りのこと、自分の国のことだけを見ていて、それで世界で何が起こっているか、そこに神がどのような情熱を注いでおられるのかを見失っていることがあるのです。

そして、自分を見つめることは美徳に見えます。しかし、「あの人に迷惑をかけてしまったのではないか」という心の苦悩は、ある意味でその人を愛していないことと等しいです。心の責めを神の赦しによって取り除いてもらったというところから出発し、それで相手がどのような状態でいるのかと、キリストの目で見つめることのできる愛が与えられるのです。

日本人には極めて多くの可能性があります。ちょっと笑えない冗談がありますが、日中韓の世界における影響を、こう言っています。「日本は世界中に会社を持っている。中国は世界中に中華料理店を持っている。韓国は世界中に教会を持っている。」日本の世界における会社の影響は甚大です。日本人はこれを否定的に捉える人がいるのですが、海外進出をしているときの日本企業の評価は現地で極めて高いのです。現地法人を作るときに、上の人は日本人ですが、他は現地採用なのに対して、韓国はすべて韓国から持ち込んで、下働きを現地人にさせるという方法を取っています。それでも韓国も世界の評価は上がっていますが、長い年月をかけて日本はそれをし続けていますから、その底力が肯定的評価につながっているのです。

そして私が中東に行った時は、イスラエル人からもアラブ人からも好意的に見られる経験をしました。イスラエル人はなぜ日本にあこがれるかと言いますと、「反ユダヤ主義フリー」の世界を見るからです。もちろんマスコミや言論界では反ユダヤ主義は現存していますが、実際のユダヤ人に対しては極めて中庸です。私はある正統派ユダヤ教徒の人に、「君たちには、誇るべき東条がいたではないか。」といわれて、非常にとまどいました!彼らにとっては、その時代、敵はドイツであり、そして帰還を阻んだ英国でした。そして長い歴史をユダヤ人の流血で塗っているヨーロッパ大陸から離れています。同時にアラブ人も、日本企業による極めてすぐれた投資と企業誘致を見ていますから、アラブ諸国への多大な貢献がありますから、日本のことを悪く思っていません。

もし日本人がイスラエルへ、また周辺アラブ諸国に宣教へ行ったら、どんなによいことだろうかと思います。他の国の人々ができないことがわんさとあります!

けれども、どうしても日本は内向きなのです。私の知り合いの韓国の宣教師の方々は、共通の悩みを持っています。日本の教会の人たちに、共同の宣教の働きをしたいと願っても、振り向いてくれないという悩みです。日本で留学している中国人の兄弟にもこう言われました。「私が通っている教会の人たちは、とくに私が中国人であることに興味を示してくれなかった。」私は返答しました、「差別しているということではなく、ただ内向きなんですよ。」

私も今年の元旦、「東アジアキリスト青年大会」で説教の奉仕にあずかりましたが、主催者も私も積極的に日本のキリスト者に声をかけましたが、結局、私の教会の人が二人いっただけで、他に誰もいませんでした!日中韓のキリスト者の集まりであるはずが、中韓だけになったのです。(しかも、日本の東京中心部において!)先に挙げた中国人の兄弟は、はるばる九州から東京まで来られたのに・・・。

韓国の宣教師たちは、たとえ反日感情という韓国人共通の感情を持っていたとしても、世界宣教に熱心な韓国ですから、日本がいかに可能性の秘めた国であるかを重々知っています。世界を見てそして日本を見たら、BBCの調査が示している通りなのです。なのに、日本人本人が自分たちばかり見て、反省ばかりしているのです!私は内村鑑三の学長と同じ言葉をもって諭させていただきます。

「あなたは、子供が植木を鉢に植えてその成長を確めようと願って、毎日その根を抜いているのと同じことをしていますよ。なぜ自分を神と天とに委ねきり、安心して自分の成長を待たないのですか?」

「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世界を愛された。・・・」神はあなたを愛しておられます。そして、世界を愛しておられます。この神を愛し、礼拝するときに、自ずと自分自身も世界に対する愛を抱くはずです。神はこんなに大きな方なのです!天に教会が引き上げられたら、そこには日本語を話す、日本人の集まりではないのです!あらゆる国語、民族、国々がキリストの血潮という理由だけで贖われた人々が集まって、同じ小羊をほめたたえています(黙示5:9‐10)。

「世界一評判の良い国 ― 日本 その3」への3件のフィードバック

  1. 明石先生のブログを初めて拝見しました。その多くにとても共感するところがあり、コメントさせていただきます。ウェブ上で書けない事が多いのが残念ですが、私もある中東の、日本人からは「危険」と言われている地域で短期間だけ伝道活動に携わったことがありますが、日本人クリスチャンがテントメーキングしたら可能なことが一杯あります。ただ一つだけ言えるのは、日本人クリスチャンとして、「命を賭けてイエスに従う」ことの意味を十二分に理解する必要があることでしょうか。こういう場所では、どれだけ霊的・物質的に準備しようが、来るべき時の備えがなければ、結局逃げ帰るだけ、になってしまうでしょう。そうなれば、現地の人からも「結局クリスチャンとはその程度か」と見られるだけでしょう。
    もっと、こういう情報が日本人クリスチャンにも伝わり、そういう場所で、また身近にいるそういう場所から来た人たちに福音を分かち合って欲しいと願います。

  2. ご投稿、本当にありがとうございます!実際に体験された方の書き込みはとても嬉しいです。本当にできることは、たくさんありますよね。なかなか、宣教地における神の喜びを周囲の人々に共有できないという、じれったさってありますよね。そして、日本でもそうだったのですが、原発事故によって何と日本を逃げていった宣教師たちがいたのですが、「苦しみの時にこそ友」という内容の箴言の言葉があるように、真価が試されると思います。反対に、むしろ海外から助けに来たクリスチャンがたくさんいて、東北の人々はキリスト教の知識がなくても、クリスチャンって何なのか、キリスト教の神は誰なのか、なんとなく分かっています。中東の場合、苦しみを共有することが物理的な身の危険も伴うものでしょうから、文字通り命をかけて主に従う、ということになるのだと思います。

    今、アラブの春による中東諸国からの難民が確か四十万人以上になり、この前NHKの番組では、日本への難民(アジアが多い)は一年に1800人ぐらいになるとのことでした。神の目から見た「世界の中の日本」をどれだけ私たち信仰者が見ることができるのか、そして福音をそのような人々に伝える機会があることをぜひ知ってほしいですね。

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