ここが変だよ!池上彰さん (その3)

その2からの続き)

それでは、パレスチナ紛争についてお話したいと思います。

神を信じない「ユダヤ人」

まずは、パレスチナ紛争はユダヤ教徒とイスラム教の間であると言いながら、次の比率を出していました。

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争いは、ユダヤ教と、イスラム教です。イスラエル国民の宗教比率は、
ユダヤ教・・・・・・75.4%
イスラム教・・・・・17.2%
キリスト教・・・・・・2.0%
その他・・・・・・・・5.4%

で、ユダヤ教徒によって造られた国です。
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しかし大きな間違いがあります。それは「ユダヤ人」と「ユダヤ教徒」は違うからです。イスラエルでは、パレスチナとの溝よりも、もっと深刻ではないかと言われているのが「宗教派」と「世俗派」の溝です。世俗派は八割、宗教を信じている人は二割ぐらいだと言われます。シオニズムの父テオドールも、イスラエル建国の父ベングリオンも、ユダヤ教を実践する人ではありませんでした。シオニズムの構想は、神を信仰している人ではなく、むしろヨーロッパの啓蒙思想とロシアの社会主義の理想を掲げていた人々が主に造り上げていきました。イスラエルの主要政党は建国後ずっと労働党でしたが、彼らは左派でありユダヤ教は実践していません。

その番組の中では、これが一緒くたにされており誤解を生み出しています。イスラエルがユダヤ教徒によって作られたとする説明の後に、安息日を厳密に守っている正統派のお宅に立ち寄っています。これでは、嘆きの壁で祈っている黒ずくめの人たちがイスラエル建国を行なった、と必ず視聴者の頭の中では関連付けるはずです。ところが事実はその反対です。政治的シオニズム運動の発足時は、ユダヤ教のラビ(教師)は、一様に国家建設に反対でした。メシヤ(救世主、キリストと同じ意味)が来なければイスラエルの回復はないと信じているからです。今も、超正統派の人々の多くが世俗国家としてのイスラエルは認めていないか消極的であり、敵意をむき出しにする人もいる程です。

けれども、シオニズム(約束の地への帰還)を強力に推進した人々は、神を信じていた訳でなかったけれども、ユダヤ民族の成り立ちが聖書にあることを知っていました。たとえ無神論者であっても、DNAのように全てのユダヤ人の中にシオン(エルサレム、広義ではイスラエル)への想いは組み込まれていたのです。したがって、迫害に対する解決法としての移住先を他の地の案もありましたが、パレスチナの地にしたのです。彼らは聖書に最大の敬意を払いましたが、それを自分の実践する信仰とはしていませんでした。

建国の父祖たちは、実践するユダヤ教徒を国づくりの中でも重視しなければいけないとし、イスラエル国籍取得や結婚などにラビによる認証の権威を与えました。また、安息日も国として実施し、例えば、ベギン元首相時には、イスラエルのエル・アル航空を安息日に飛ばさないということさえしました。そして、超正統派の人たちには兵役の免除と生活保護を与えることにしました。

現在、イスラエルの学校では聖書の時間がありますが、それはあくまでも教養知識です。今、その聖書の知識でさえ若者の間で薄れてきているという問題が出ています。

何をもって「共存」か?

次の発言は、当事者の人々にはとても不親切だと思いました。

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パレスチナの地を巡って争う・・・。かつては、お互いに敬意をはらい仲良く生活していました。
共存していたのに、激しく対立するようになったのは、60年ほど前のこと・・・。
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ここで何をもって「共存」なのか?と思いました。次の在イスラエルの日本の方の記事をお読みください。

「ノープラン」

最後の部分を引用します。

よく、日本の新聞などで「XX新聞のエルサレム特派員」という全く信用ならない怪しげな人達が、どこかで誰かからたまたま聞いた「イスラエルとパレスチナの美談」を取り上げ、「こういう交流がもっともっとあれば、仲良く共存できるのに」とお決まりのフレーズで締めくくっている。

だったら言っとく。その手の話はイスラエルに溢れかえっている。美談でもなんでもない。イスラエルで普通に生活していたらよくある話だ。いちいち書かないだけで、こんな山奥の田舎で暮らしている私でも頻繁に身近で聞く話であり、また、仕事上でも頻繁に取り扱う当たり前の事柄である。そしてその共存は、全てイスラエルの法律に則ったものである。

つまり、もう「仲良く共存」しているのだ。現状維持をしていたら、これ以下になることはない。

個人レベルでは、目を合わせたら喧嘩するような、敵意を抱きながら生きているのでは全然ありません。互いに干渉しない、という程度でさらりと流しているというのが実際です。もちろん人それぞれですから、喧嘩もするし、悪いこともするし・・・でしょうが、基本的には既に「共存」しているのです。

では、社会レベルの共存は?「60年前」と言っていますが、2012年の60年前と言えば、1948年、つまりイスラエルの建国とその直後の独立戦争ということですね?けれどもその前から衝突が起こっていました。

参照:アミーン・フサイニー(エルサレムの大ムフティ)

この人物が、アラブ暴動の主導者でした。フサイニーがたきつけたあらゆる扇動と暴動によって、ヘブロン虐殺(1929年)を始めとするユダヤ人殺害が多数起こっていました。彼は亡命を繰り返し、ナチスにも協力した真正の反ユダヤ主義者です。

パレスチナがイギリスの委任統治領になると、農奴的生活を嫌い、アラブ人地主(エフェンディ)の小作人(フェラヒン)が新しいユダヤ人の入植地に移住するという事が起こり始めていた。パレスチナのアラブ人は多くが非識字で、わずかな情報にも煽動されやすかったという。
・・・
パレスチナ・アラブ人(のちに「パレスチナ人」とされる)の大部分はユダヤ人との平和な生活を望んでいたにもかかわらず、暴力団によって反フサイニー派のアラブ人を殺害し、フサイニー家のライバルのアラブ人136人を虐殺した(ヘブロン市長、エルサレム元市長を含む)。
(上のフサイニーのウィキペディアから)

イスラエルとの戦争によって仲たがいになったということ、またユダヤ人の入植によって仲たがいになったということは、ここの記述から間違っていることがよく分かるでしょう。入植地はアラブ人には貴重な働き口になっていたのです。そしてそれは、パレスチナ先住ではない他地域からのアラブ人をも引き寄せた程でした。(今も昔も変わらず、あれだけパレスチナ自治政府や国際世論がユダヤ人入植地に怒りを見せていますが、実は自治政府が雇用を創出させていないので、入植地建設はパレスチナ人の働き口になっているのです。)

歴史に「もし」はない、と言われますが、フサイニーがいなければ、ユダヤ人との共存を受け入れたファイサル一世などによって、今のパレスチナ紛争も大きく違っていただろうに、と思います。近代に入り、ユダヤ人だけでなくアラブ人にも民族意識が強くなりました。それは他者への寛容という土台さえあれば健全なものであり、ファイサル一世は、あの「アラビアのロレンス」に出てきたアラブ人反乱の主導者であり、私はすぐれた指導者だと思っています。けれども同じ民族主義と言っても、フサイニーのそれは害毒でしかありません。

現在でも同じです。パレスチナ人がパレスチナ人としての誇りを持つことはごく自然だし、すばらしいと思います。けれども一部の者たちが扇動して - 今は主にテレビ番組などで - ユダヤ人殺戮を子供にさえ平気で教えており、彼らを極端な反イスラエル主義に向かわしめている、という問題があります。

ですからパレスチナ紛争における「共存」の必要性というのは、あくまでも国家レベルの定義です。大きく四つの中東戦争がありましたが、国同士のぶつかり合いは政治家同士の仕事であり、一般の人々の共存は彼らなりに行なっているのです。この違いをすべて一緒くたにすることで、当事者のイスラエル人とパレスチナ人に対する偏見を植え付けていることになっています。

原因を欧米列強にするという単純化

そして気になったのは、この争いをイギリスの三枚舌外交のみに帰しているということです。

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直接のきかっけは、イギリスの三枚舌の外交にありました。

第一次世界大戦時・・・。エルサレムは、オスマン帝国が支配していました。イギリスは、世界中に植民地を持っていました。オスマン帝国を倒して、交通の要を欲しいと考えます。オスマン帝国と戦う勢力を増やしたほうがいいのでは?ということで、

①勝ったら、アラブ人たちに、アラブの独立国家を建設できるように・・・。
②ユダヤ人には、ユダヤ人のナショナルホームの建設ができるように・・・。(あくまでも国家とは言わない)
③フランスとは、秘密協約で分割、半分こにしよう。。。
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そんな単純なものではありません。イギリスの主張通りに、①の協定(フサイン=マクマホン)にはアラブ独立の境界線が書いており、そこにはパレスチナは含まれていません。したがって②と矛盾しないのです。しかしアラブ側はパレスチナは当然アラブのものだ、と思い込んでいました。この誤解が後でアラブ側に大きな失望をもたらすことになります。(参照:The McMahon Agreement

参照:三枚舌外交(ウィキペディア)

①の協定が出来た後に、フサインの息子ファイサル一世はシオニズムの指導者ヴァイツマンと合意に達し、ユダヤ人のナショナルホーム(民族郷土)を宣言したバルフォア宣言(②)を受けいれた協定を結んでいます。このことからも①の協定を誤解せずに理解していたアラブ人がいたことが証明されています。

そしてユダヤ人にとって民族郷土(②)は、当時は、国家建設までの見通しは、シオニストたちでさえほとんどが持っていませんでした。けれども、テオドールは内部から猛烈な反対を受けながらも、その夢を伝えていきました。彼の死後、英国委任統治の中でユダヤ人は自治組織をしっかりと作り上げました。ホロコーストを通して戦後、英国が国際連合に委託、国連がパレスチナの分割案によってユダヤ人国家の決議を出したのです。

池上さんの説明は、問題をあまりにも単純化させ、その原因を外部(イギリス)に押し付けることによって、内部(ユダヤとアラブ)の確執を和らげようとする手法です。同じ学級で二人の子供が喧嘩していて、その喧嘩の原因を椅子替えをした先生のせいにすると似ています。けれどもそうした単純化は、事実に基づいていないので不健全であり、問題解決どころかさらに複雑にさせていきます。

地図が違うぞ!

池上さんは、次の地図を見せながらイギリスの三枚舌外交を説明しました。

ikegami_triple_tongue

これを見れば、地中海とヨルダン川の間にある今のイスラエルの中で展開された話だと思わせます。ここで三枚舌外交をしたように思われるでしょう。いいえ、バルフォア宣言で意図していたのは次の地図です。

BritishMandatePalestine1920

これがユダヤ人民族郷土だったのです!

参照:イギリス委任統治領パレスチナ(ウィキペディア)

けれども1922年に国際連盟によって英国にパレスチナが委任統治として与えられた時に、英国はアラブ側とユダヤ側を次のように分割したのです。

PalestineAndTransjordan

今のヨルダンが実はアラブ・パレスチナでした。今の「パレスチナ」と呼ばれているところは、「ユダヤ・パレスチナ」であります。けれども、そのユダヤ・パレスチナの中でアラブ暴動など、大きな衝突が起こるようになり、戦後、英国が国連に委託、そして国連が直接、「ユダヤ・パレスチナ」の中にさらにユダヤ人国家とアラブ人国家の分割案を出したのです。

328px-UN_Partition_Plan_For_Palestine_1947_svg

そして池上さんの解説どおり、アラブ側は国連の分割案を拒否、ユダヤ側は自分たちの国家が国際的に認知されるということでこの案を承諾しました。ユダヤ人側からすれば、国を持ちたいという一心から、譲歩に譲歩を重ねてここまで来ました。

ですから、最初の地図を使っての三枚舌外交の説明は、曲解もいいところです。公式文書の中で確認されるものとあまりにもかけ離れています。

あるいは少なくとも、「アラブ側は元々、ヨルダン川と地中海の間のパレスチナを意味していた。」という説明が必要でした。二人の人が同じものを見ていても解釈が正反対、ということがよくありますね?それがまさにパレスチナ紛争の大きな一因なのですから、ユダヤ側の見方を提示しなければ、なぜ問題がこじれたか見えてこないでしょう。

ネゲブはウランがあったから?

そして独立戦争(第一次中東戦争)の説明があまりにもお粗末です。まずは戦争前と戦争後の比較の地図から。

palestine-senso-1

池上さんは、国連分割案にしたがって、ユダヤ人居住の多いところとアラブ人居住の多いところで分けて、そして南のネゲブ沙漠のところはだれも住んでいないから、問題にならずユダヤ人が受け取った、という説明をし、その理由は、

「ネゲブにウランがあったから」

としていました。その次に出てきたのはイスラエルが核製造したと断定していたことです。私は唖然となりました。ウランがあった、という先見性と戦略はあったのかもしれません。けれども、それが主な理由ではないです。時の指導者はベングリオン。彼の強い信条は、ユダヤ人の開拓と入植によってこそ、ユダヤ人の主権を確保することができる、というものでした。そして彼はいつもネゲブへの思いを強くしていました。

参照:ダヴィド・ベン=グリオン(ウィキペディア)

そこの一部を引用しますと、こうあります。

ネゲヴへの隠棲

ベン=グリオンが移り住んだキブツ(Sde Boker)の彼の家1970年に政界引退しキブツに隠棲した。

ベン=グリオンは閑疎とした不毛のネゲヴ砂漠に入植地を作ることがパレスチナのアラブ人たちの反発を最も抑えられる方法だと考え、身を以って範を垂れるためネゲヴの中心のスデ・ボケル(Sde Boker)というキブツに移ることを選び、水を送るために国立の貯水池を建てた。彼はユダヤの人々が人類に大きく貢献することができる場所として、砂漠を開発する挑戦に努めた。

私は彼の生家にも行ったことがあります。沙漠のネゲブの一部は今、農地と居住地となっており、彼の夢は実現しつづけているのです。

その「ウランがあることを知っていたから」という情報はどこから来たのかな?と思って調べると、左翼活動家たちの情報です。こういう非常に偏った情報をなぜお茶の間の人たちに、分かりやすく解説する内容として披露するのでしょうか?

そして核兵器については、イスラエル側の公式発表も言及してほしいです。核兵器は「あるとも、ないともしていない」という立場です。このどちらでもないという立場を貫くことによって、周囲に対して最も効果的な抑止を働かせていると考えています。事実「ある」と言っても、「ない」と言っても、あの地域は軍事バランスが崩れて、核兵器競争など大変なことになるでしょう。

こういうことも考えて、慎重に話を進めるべきです。核兵器は間違いなく持っていると池上さんが断言するのは構いませんが、それはまた別途に取り扱うべきではないでしょうか?これもきちんとした文脈の中で話さないと大きな誤解を生みます。気をつけていただきたいものです。

おい、戦車はほとんどなかったぞ!

そして、実にお粗末だと思ったのは次の発言です。

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というのも、ユダヤ人の中には、第二次世界大戦でイギリスと一緒に戦った人たちがたくさんいました。つまり、戦争のベテランで、戦争になることを予測して、ヨーロッパから大量の武器を買って準備していました。アラブ人は、馬にまたがって攻め込んだとき、それに対抗したのは戦車でした。
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ユダヤ人は、移住を制限する「白書」については英国と戦い、独との戦いにおいては英国と共に戦うという、矛盾していますが、彼らの信条では一貫した姿勢を取りました。そのため、池上さんのおっしゃるとおりに有能な軍人たちがいました。そして、ベングリオンは、47年11月の国連決議の分割案が可決された時に通りではユダヤ人皆が喜び踊っているところで、非常に気が重くなっていたと言われています。確実に独立時に戦争が起こる、そしてこの戦争で多くの若者が犠牲になることを知っていたからです。

そして、ヨーロッパからの武器大量購入もその通りです。しかし、まだイスラエルは主権国家でなかった時のことです。そんな取り引きをほとんどの国や武器商人は拒んでいました。そこを厳しく管理している英国の目を上手にかいくぐりながら準備していました。極めつけは、アメリカで戦後に売り出された戦車をなんとスクラップにして、その部品すべてに秘密の番号をつけ、パレスチナ内に入ってから組み立てなおす、という芸当までしてみせました。

参照:第一次中東戦争(ウィキペディア)

けれども、「馬 対 戦車」という非対称は、あまりにもお粗末な説明です。アラブにも多くの近代兵器がありました。特にトランス・ヨルダンには、イスラエルと同じように英軍から訓練を受けたアラブ軍団がいました。彼らこそが、イスラエルとの戦いでエルサレム旧市街を奪取した(アラブ側からすると)英雄たちです。

そして戦いはほとんど歩兵の戦いです。戦車は微々たるもの、しかもイスラエルは15両に対して、アラブ側は45両でアラブ側のほうが多かったのです(参照)。兵力はアラブ側が15万人、ユダヤ側が民兵3万人という圧倒的なアラブ側の優勢で始まりました。

近代戦とは思えない、どれだけの軽装備であったのか、以下のサイトにたくさん写真が載っていますでご参照になると良いでしょう。

www.Israeli.Weapons.com

なぜアラブが負けたのか?各国が勝手なことをやっていて連携が取れていなかった、ということ。そして第一次休戦がなければ、イスラエルは全滅していたことでしょう、九死に一生を得たのです。その間に購入していた武器が海岸に到着してきたこと、などが後の勝因であると言われています。なにしろ綱渡りのような戦いで、どちらにも転がりそうな激戦でありました。ベングリオンは、「イスラエルでは、奇跡を信じない者は現実主義者ではない。」とまで言いました。それだけ奇跡から奇跡の連続だったのです。

こちらに日本語による、第一中東戦争についての良質な記事があります。

ReoCities 「第一次中東戦争 イスラエル独立戦争」

価値観の押し付け

池上さんの中東解説、いや当テレビ番組の最後は、一般の日本のマスコミ、いや日本人の中東への思いの典型が表れていました。

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ここが全員「聖地」だという思いが強くなっている。だからそういう対立も生じてしまう。日本人から見れば平和に暮らせないの?と思ってしまう。平和に暮らすことを、みんなで知恵を出し合って、道を探っていかなければならない。それがこれから私たちにとっての、あるいは世界にとっての課題だということだ。
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ここには、日本人の傲慢な態度が見えます。「それぞれが聖地だと思っているから対立している」がこれは良くないこと、日本人にはその知恵があるから平和に暮らしている。そして日本も世界も、その知恵をその地域に出し合っていく必要がある、ということ。日本人はしばしば、欧米に対して「価値観の押し付け」という反発をしますが、この考えこそまさに中東地域の当事者に対する日本式価値観の押し付けです。

むしろ、こう考えるべきです。そこが三つの宗教が聖地だと思うほど、そこには一つの真理が隠されているはず。まず、それが何なのかを追及してみること。そして、その対立を見るにつけ、実は自分も真実と偽りとの対立あるいは葛藤の中に生かされている存在なのだ、ということに気づくことです。

日本人は本当に過去の反省をしているのでしょうか?日本の軍人たちがなぜあのような残虐行為をしてしまったのか(日本だけでなく他の国の人たちもそうですが)?それは、平時には行なわないけれども、ある特定の状況下の中では出てきて、人間が本来それだけの邪悪さを持っているのだ、という直視にまで至りつかないといけません。ナチスの全体主義を研究するのに、現代においても心理学的な実験で、平時でも普通の人たちがあのような狂気の沙汰に陥ることを証明しています。こうやって、徹底的に自己凝視をしなければいけないのです。

それにも関わらず、まるで自分はそのような過ちを繰り返すことはないかのように、「戦争をしている人たち、またしようとしている人たちがいるから、戦争が起こるのだ。これに反対しよう。」と、いつまでも他人を見ています。日本語に「人のふり見て我が身をふりかえる」という諺があるのに、いつまでも自分が上位についていると思っている。これこそが傲慢なのです。

日本のように表現の自由が許されている国は世界の中では数少ないです。イスラエルとパレスチナの平和について、日本式の解決方法に怒りを燃やしている在イスラエルの日本人の意見投稿があります。私も、自由が制限されている国に住んでいたことがありますからよく理解できます。日本においては、安全圏から語られる、独善的な態度をしばしば見ます。

ヒネマトヴ

パレスチナの子供たちのことをもっと考えてほしい。平和を与えているつもりが、かえってその子たちの将来をぶち壊していることになりかねないことをしているのです。私たちの考える「善意」が、その子たちをつぶしているのです。

最後に、マスコミの方々へ

ちょっと熱してしまいましたが、以上が池上彰さんの番組を見ての感想でした。マスコミもまた現場で働く人々であり、当事者の方々です。ですから、日々の報道を流してくださっていることに感謝しています。もちろん営利目的で行なわれていることなのですが、皆さんの取材なくして私たちのお茶の間に情報は入ってきません。

マスコミ関係者でこのブログを読まれた方がおられたら、本当に幸いです。一般の人々は、もっと中身に迫った報道を期待していると思います。インターネット上にも流れていますが、デマも出ていてその真偽の程が分からないことが多いです。日本人は多かれ少なかれマスコミ信仰があると思います。危機に瀕した時に、アメリカでは教会に人が多くなると言われていますが、日本人は主要新聞の紙面の情報を頼りにするそうです。

だからこそ、マスコミの方々には期待するのです。もっと考えさせる報道、視聴者に判断を委ねる報道、取材の現場で、ご自身でも悩んでいることをそのまま視聴者にも提起しても良いと思います。そしていっしょに考えて、悩んで、その話題に取り組むようにすれば良いのではないでしょうか?

【後記】(2013年1月5日)

ニュースソースとして私も重宝している「アゴラ」の代表取締役である池田信夫氏が、池上彰さんについて二つの記事を書いています。

テレビの終わりの始まり
池上彰というイノベーション

ここに書かれていることに従えば、「そうか、悩ませることはできないのかな?」と思いました。NHKスペシャルの一部など、良質なドキュメンタリーは悩ませてくれているのですが、そうした番組をもっと作ってほしいですね。でないと、二つの記事のコメントに書かれていますが、もっともっとインターネットによる情報収集に頼らざるを得なくなります。