映画「ネファリアス」

昨日、以下の映画を鑑賞しました。

「ネファリアス」
売られる少女たちの叫び

(公式日本語サイト)

この映画について水谷潔さんのブログで知りました。「売春」という名の下で行われている人身売買のドキュメンタリー映画です。(DVDには日本語訳も含めて20か国語の字幕があります。)

この映画のあらすじは、クリスチャン新聞のサイトで読むことができます。
◎“現代の奴隷制” 性的人身売買--実態描くドキュメント映画「ネファリアス 売られる少女たちの叫び」

そして水谷潔さんの一連のブログ記事はこちら

企業と性(4)~キリスト者としてできること

対女性暴力支配と性的利用~ネフェリアスに学ぶ(1)

公娼制度の虚構 「ネファリアスに学ぶ」(2)

変ることなきキリストの姿~ 「ネファリアスに学ぶ」(3)

ネファリアス肉体の商品化とキリスト者の殉教

私は、この映画に非常に興味を持ったのは、初めにこの映画の副題です。日本語には出てきませんが、Merchant of Souls(魂の商人)であります。この副題を見て、私はこの監督はクリスチャンであることを直感しました。調べていくと、監督は福音的クリスチャンで、その出演者、被害者だけでなく加害者も、また被害者の支援者の多くがクリスチャンであることが分かり、映画の結論は、「イエス・キリストのみがこの奴隷状態の解放をもたらす」という証しになっていることです。(しかし、その映画のドキュメンタリー性は非常に優れていて、数々の賞を取っているそうです。)

なぜ、「魂の証人」の副題でクリスチャン的であることに気づいたのか?私はちょうど、黙示録の学びを恵比寿バイブルスタディでしていて、18章にある商業主義を表象するバビロンを教えていたからです。

商品とは、金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、また、肉桂、香料、香、香油、乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、それに馬、車、奴隷、また人のいのちです。(12‐13節)」

最後の、「奴隷、また人のいのちです」のところは、「肉体、また人のいのちです」と訳すこともできます。商業主義とは、「必要ではないものを欲するように仕向ける」制度です。必要ないものを購入する、流行を追う時は必ずこの餌食になっています。そして何よりも、生活に大した問題を感じていない、だから神は要らないと言っている時は、まさにこの制度の餌食になっています。

そしてその貪欲を追及し行き着くところは、人の肉体の商品化です。そして現に世界で、そしてこの日本でそれが現在進行形で行われています。この行為は人の魂を奪い取ることです。これこそが終わりの日の究極の世の姿であり、主が再臨される前に神がこれを滅ぼされて、天で大歓声が起こるのです(黙示19:1‐3)。

ローマの時代もその富の中における奴隷制度は、酷いものでした。以前、「大淫婦バビロンとキリスト教殉教者」という記事で紹介しましたが、ローマの有名な遺跡コロセウムでは、エンターテイメントのために、人の殺し合い、生きたままの火あぶり、獅子による食いちぎりを見ていたのですが、その中にキリスト者がいました。人の命までが人の欲望の商品となり、その犠牲者にキリスト者がいたのです。

したがって、私はこの性奴隷制度をキリスト者として見逃すことはできない、と思いました。彼女たちに対する過酷な扱いは、いずれ私たちキリスト者にも向けられる扱いなのだ、ということです。

この映画は、日本では今、下のNGO団体が上映権を持っていて、啓蒙活動を行われています。→ Not For Sale Japan

ここの方に問い合わせて、教会の人たちなどに紹介するかどうかを検討するために、DVDを送付していただき、それで鑑賞した次第です。

風俗はタブーの対象ではなく、伝道対象

「キリスト者と風俗」と並べて書けば、そこに行かない、そういうものを見ないように戒める(1コリント5章15‐20節)、ということだけしか考えられませんでしたが、このDVDには映画に出演した元売春婦の全インタビューもあり、そこでその姉妹が、「神は売春婦を愛していられる」と自信をもって語っておられるところで、はっと気づきました。旧約と新約で一貫して、神は彼女たちを愛しておられます。ユダの嫁タマル、ラハブ、そして新約では、サマリヤの女、姦淫の現場で捕えられた女、そしてイエスの足を涙で拭った不道徳な女など、こうもたくさん彼女たちに目を留めて神は語っておられるのです!

最も虐げられ、最も遠くにいるような存在にイエス様が近づかれ、愛されたことによって、神の恵みが大胆に明らかにされました。そして、私たち肉の弱さを持っている男たちは、ポルノ等によって女性を肉体の塊と見ることがいかに恐ろしいことか、神の怒りを招くことなのかを、戦慄をもって受けとめ、イエス様と同じように人格をもって愛する決断をしたいと思います。

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