「イエス様を受け入れる」とは?

今朝、とてもしっくりするショート・メッセージを次のサイトで見付けました。意訳します。

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What does it mean to “accept Jesus”?
(「イエス様を受け入れる」とはどういう意味?)

あなたがたがどのように偶像から神に立ち返り・・(1テサロニケ1:9)」

あなたと私は、統合された、統一された、一人の人間ではありません。私たちの心も、同じように多数に分かれています。それは会議室のようなものです。大きなテーブルがあり、革製の椅子、コーヒー、ペットボトルの水、白板があります。そのテーブルを囲んで委員たちが座ります。「社会生活の中での自分」がいて、プライベート生活での自分、職場での自分、性の領域での自分、休暇における自分、宗教的活動の中での自分、幼少の記憶の中での自分、いろいろな自分が周りに座っています。その委員会は議論し、討論し、投票していますが、絶えず心乱され、気分を害しています。全会一致の、誠意ある決議に至ることは稀です。騒々しい会議

私たちはこんな感じなのです。私たちは「いろいろしなければいけない責任があって、とても忙しくて、そうなっている。」と言い訳しますが、真実は「ただ決めていない」ということなのです。私たちは、イエス様のことを少し考えて、かろうじて抑えられてはいます。

このような状態の人は、次の二つの方法で「イエス様を受け入れている」ことができます。一つは、その委員会にイエス様を招くことです。イエス様に一票、投票権を与えることです。しかし、イエス様は数多くの影響力の一つにしか過ぎません。・・もう一つは、イエス様にこういうことです。「私の生活がうまく行っていません。どうぞお入りになって、私の委員会を全部、解散させてください。委員をすべて辞めさせてください。この自分をあなたに今、明け渡します。私の全生活を仕切ってください。そして生活をどうすればよいかを教えてください。」こうすれば複雑にならず、救いに至らせるのです。

「イエス様を受け入れる」ということは、イエス様を付け加えることだけではないのです、偶像を引き去ることでもあるのです。
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救いは、神の恵みによって、信仰を通して与えられるものであるのですが、「イエス様だけ」になる時にその人生に救いが来ます。イエス様を受け入れたと言っても、今までの人生にイエス様が加えられたのでは、それは信仰ではなく、自分の行いによって救われようとしているので、まだ決心していないのです。

イエス様を既に信じている人も、同じようにこの方を「主」としているかどうかを吟味する必要がありますね。

二心の人たち。心を清くしなさい。(ヤコブ4:8)」

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