日本の福音派教会の政治的立場

ここで、日本のキリスト教の政治的立場について付記しておきましょう。まず、日本基督教団などに代表される「主流派」と、福音宣教を強調する「福音派」では温度差がかなりあります。主流派は教会として政治的見解を持っています。

一方、福音派は政治的見解は完全に個々人に任されています。選挙に行くことは、キリスト者として国民の義務を果たすという意味で奨励しますが、どの政党に入れるかについてまでは示唆することはありません。

けれども、これまでキリスト教系の新聞や、諸教団の指導者層の意見を聞くにつけ、ある定式があります。一番大きいのは「天皇制」です。戦前・戦時において、天皇崇拝を強要された教会は、このことを二度と繰り返さないという強い決意があります。そのため、天皇制への回帰、復古主義に敏感であり、また靖国神社などの争点でも強く反対します。

その他、主に中国と韓国に対して行なった過去の日本軍の行為を謝罪する、国内の社会的弱者を保護する、沖縄の人々への考慮なども多く話題にあがり、正式な会議の中でも語られています。

すると既存の政党としては「社民党」です。この前、ある福音派の牧師さんがこのことを説教の中で明言しておられました。

私も日本宣教の難しさから、かつて「天皇制」についてはたくさん勉強し、議論しました。そしてその意見はその時から変わっておらず、いつか迫害が来ることを考えて、祈り、心備えしていかなければいけないと思っています。

では社民党なのか?というとそうではないと私は考えています。「天皇制」というと、それは制度、体制としての天皇であり、政治的、体制的解決を目指す用語だからです。政治的に天皇制を排除したところで、キリストをまことの主、神として受け入れない、かたくなな心、その霊的土壌は変わることはない、と考えます。現に、反キリスト教思想を有する共産党が一党独裁支配をする中国において、既に一億の中国人が信仰を持っています。政治体制と御霊の動きは時に相矛盾するものです。

むしろ政治的解決をしようとすることによって、他の矛盾が生じると私は考えます。社民党は現在の北朝鮮労働党と最も絆を深く持っていた政党です。そして今日の拉致事件を解決する唯一の外交窓口を持っていたはずの政党が、むしろ事件を押しつぶしてしまった歴史的汚点を持っています。

ある有名な福音派教会の指導者が、過去の日本が行なった行為を謝罪するということで北朝鮮の公認教会に訪問、そして献金をしました。それがどのような用途で使われるかも精査することなく、それを行なった記事を読みました。その教会員が労働党から派遣された人々であり、資金を得るために訓練を受けた人々であることを、前もって調べなかったのでしょうか?

仮に今、北朝鮮の政治体制が崩壊したとします。そして歴史的考察が行なわれます。そして日本のキリスト教会が何を行なったのかについての総括も行なわれます。その時にこの援助事件が掘り起こされます。真の地下教会の信者たちがとてつもない迫害を受けていたにも関わらず、実は政府のダミー教会に支援していたことが暴露されます。つまり、過去の罪を謝罪するという行為を行なっているつもりが、むしろ新たな罪を造り出しているのです。こんなに空しく、愚かなことはありません!

私たちは、政治的な問題についてはキリスト者として注意しなければいけないと思います。大事なのは「心の態度」です。

一見、良さそうにに見えることでも思いっきり間違っていることがあります。ラブ・ソナタで、オンヌリ教会のハ牧師が、「日本の過去の侵略について祈っていましたが、まず私たちが今もって日本を憎んでいることを悔い改めなければいけないことを聖霊に示されました。」というようなことをおっしゃいました。「憎しみ」という、あまりにも単純な明らかな罪を犯しているのに、「謝罪せよ」という言葉をかけられると、我々日本人信者は萎縮してしまうのです。

この謝罪問題は、メシアニック・ジュー(ユダヤ人クリスチャン)の議論にも存在すると思っています。今のユダヤ人が過去のキリスト教が行なったことにより、イエス・キリストを受け入れない、という論理です。もちろんそれは事実です。けれども、不信仰という罪は免れないのです!私もこれまでメシアニック・ジューの集会で説教を聴いたり、アーノルドの著作、またアーノルド自身からもいろいろ話を聞きましたが、一番ユダヤ人の不信仰について手厳しく批判しているのは、メシアニック・ジュー本人たちです。異邦人が不信仰であるのと、ユダヤ人が不信仰であるのと差別はなく、同じ罪なのです(ローマ3章参照)。

このような霊的、神学的問題を、歴史的問題によって曇らせてはいけないと私は思っています。

初めに「付記」と書いておきながら長くなりましたが、初めの話題である天皇制の問題に戻ると、第一に、キリスト者一人ひとりが、不断な霊的成長により、キリストにあって堅く立てられていること、そして第二に、普段から偶像崇拝の問題を意識して、具体的に、知恵をもって対処するようにしていること。そして第三に、どんな強い圧力であっても、神に与えられた良心に従う習慣を身に着けておくこと。これで天皇制も、また「日の丸・君が代」問題も解決できると思います。