2018年カルバリーチャペル宣教会議

遅くなりましたが、新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。去年は、12月に、2011年初頭の教会開始以来、初めて自分たちの場所を持ち、教会名も「カルバリーチャペル・ロゴス東京」とした大きな節目となりました。これから、本格的な教会形成へと導かれています。お祈りを感謝します。

私たち夫婦は、年末の「行く年、来る年礼拝」を終えて、元旦に渡米し、本日11日に帰国しました。1月2日から5日までが、カルバリーチャペルの宣教大会でした。

https://calvarychapel.com/conference-archives/missions-2018

宣教大会や、修養会で大きな恵みは、一つ一つのメッセージはさることながら、そこにいる宣教者や関係者が集まっているため、その交わりが非常にすばらしいということでしょう。なにせ、文字通り地球全体を覆うように、世界中から宣教者たちが戻って来て、食事をする時は同じテーブルで交わっているのですから。

その一つ一つのメッセージが良かったので、それぞれ上のビデオを見ながら思い出していきたいと思っていますが、ブログでご紹介したいと思ったのは、今回のメイン・スピーカーであるパトリック・ジョンストンさんによるメッセージでした。

彼は、イギリス人でアフリカの数か国の宣教の働きをし、またある時から、世界宣教を統計を使い、各国の宣教事情をまとめることによって、宣教に絶対的に祈りを触発する本として定番となったOperation Worldの筆者であり続けました。彼のメッセージの三つ、特に三番目は、自分の心にもっともしっくりくる、キリスト者の世界観を提供するものでした。

御国の福音が広がって、終わりが来る

それは、一言でいうならば、「世の終わりは、宣教の拡がりと共に来る」ということです。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。(マタイ24:14)」

このイエス様の言葉は、ご自分の名のゆえに皆から憎まれる、人々が大勢つまづいて、裏切り、憎しみ合い、また偽預言も多くなり、不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるという流れの中で主がお語りになっているのです。困難な時になっているのに、しかし、いや、困難だからこそ主がそれをお用いになって、御国の福音の宣教を全世界に広げられるのです。

困難を用いられる神

キリスト教会において、宣教論と終末論が相重なっていることは気づいてはいても、同時に起こっていると言うことを大胆に語っていることは少ないと思います。

大抵、世界宣教について語るならば、かつては千年王国が福音の広がりと共に語られる程、それが明るい未来へとつながる指向性を持っているかのように話されます。そして世の終わりについて語るならば、困難な時代が来て、教会も背教の時代となり、残された者たちが忍耐して教会の携挙を待つというような偏りがあります。しかし、聖書預言や終末の預言に関心を持つことと、世界宣教が前代未聞の規模と速度で進んでいくということが同時に起こっているという見方は、イエス様の語られていたことであり、使徒たちが教えていたことであり、また黙示録の幻の中にもあります。

Missions18 – Session 07 Patrick Johnstone from Calvary Chapel on Vimeo.

パトリックさんは、大胆にも、ここのメッセージで、黙示録5章から8章前半までを現代の状況に重ね合わせて語り始めます。終末論の解釈の違いで、その議論に終始することが非常に残念だと前置きした上で、「適用」として教会と今の世界の状況を説明しています。

5章は、完成された教会
6章は、世における困難
7章は、天に集められている聖徒たち
8章は、執り成しの祈りの姿

5章:完成された教会

終わりの天の教会の姿だが、今も、天にキリストの御座と共に着いている。ゆえに、祈りによって世を影響を与えていく。

教会の拡がりは、初代教会にあったが、その後1200年もの間、特段な広がりはなかった。宣教の幻がなくなっていたからだ、宗教改革の後でさえ拡がっていなかった。

ウィリアム・ケーリーなど世界宣教運動が起こっても、大収穫はここ40年の間に見ることができる。そして場所は、アフリカ、アジア、中南米である。そして教会史において前代未聞の霊的覚醒が1990年代に起こった。福音派が顕著であり、その中でもペンテコステ派やカリスマ派が急増している。祈りはかつて熱心に西洋で捧げられていたが、今やアフリカ、アジアで捧げられて、それが宣教に直結している。

ブラザー・アンドリューは1983年に、鉄のカーテンが倒れるように祈りを世界的に呼びかけたが、89年にベルリンの壁が倒れ、91年にソ連邦が崩壊した。

世界宣教において、「国々」とは、民族であり言語なので、単なる国家の区別では足りず、民族、部族、言語に従って祈らないといけない。そして最近は、難民の移入など、新しい動きがある。

そしてもはや、「西洋」から「非西洋」に宣教師が行くのではなく、「すべての国」から、「すべての国」への宣教師派遣が起こっている。中国やインドからの宣教が目立っている。

6章:世における困難

第一の封印は「勝利から勝利」は「専制」と言ってよいだろう。専制によって、教会が拡がった。文化大革命によって、大覚醒が起こった。それ以前は困難であった。宗教的な抑圧があるが、イスラム教だ。世界征服を狙っているが、イスラム国によってイラクでは、伝統的なキリスト者が新生し、教派に分かれていた彼らがキリストにあって一致した。イランのイスラム革命によって、興覚めしたムスリムが、キリスト教に目が開かれる。

第二の封印は「戦争と暴力」である。超大国がイエス様の時代はローマであり、その時に急増。ムスリムによるキリスト者への暴力がある。そして、対外的、国内における戦争やその脅威がある所で、霊的覚醒が起こっている。

第三の封印は「経済的不安定」である。経済の格差がますます広がっている。その中で貧しくされている者たちの中で信者が増えている。

第四の封印は「飢饉と疫病」である。キリスト者が、飢饉や疫病に対して助けの手を伸べている。

第五の封印は「殉教した魂」である。迫害はここ二年で倍増した。世界の半数が、信教の自由を制限している。西側が霊的に弱体化したからだ。

第六の封印は「裁きと噴火」である。天候の異変が起こっている。もう予測不能な大異変が起こるだろう。

7章:天に集められている聖徒たち

世界中から集められている聖徒たちがいる。まだ、福音で届いていない国々がいる。言語がまだ訳されていない聖書がある。都市化によって、そこへ福音を届けないといけない。スラムにも多くが住み、難民も数多く来る。

8章:執り成しの祈りの姿

第七の封印が開かれると、聖徒たちが祈って、それが香の煙となって主に届いている。これらの困難なこと、否定的なことが、聖徒の祈りによって、人々の悔い改めへと導いているのだ。そして、第七、最後が執り成しということを覚えよう。

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