東松島救援旅行 8月3日

私たちの初穂

私たちLCFにとって、8月2日に続き、3日はとても重要な日です。LCFは、今年2月に礼拝が始まったばかりのほやほやの教会ですが、12月29日に私たちの家に来てくださった瀬谷さん、そして教会には通っていたものの救いの確信がないと言われる久喜さんが、イエス様を自分の心に救い主として受け入れる祈りを捧げました。そして一月に新井さんが、そしてその他、ロゴス・ミニストリーのサイトを通して来られた、互いに全く新しい間柄で始めました。

その初穂である瀬谷さんが、バプテスマ式を受けられます。教会というものが初めてなので、勇気がいるのではないかと気にしていましたが、「えっ、特に緊張していません。」とのことで、そんな心配もまったく要らないことが分かりました!

そして6月20-22日に月浜海岸の掃除をした時に、「ここでバプテスマ式をするのはどうか?」というアイデアが私の頭に浮かびまして、復旧しつつある被災地で新しい命をお祝いするという、斬新な出来事にあずかることができました。

今回は、私の両親が来てくれました。両親には第一回、第二回の救援旅行で大変お世話になっています。その時に近所の方が、不思議にも両親と同じ教会に通い始め、そして主イエス様を信じたばかりでした。その娘さんも同時に訪問してくださり、私たち(トラビス、リッチ、山東さんを含め)はその父子とも知り合いです。さらに、両親は、福島県相馬市を実家に持つご夫婦も誘ってくれました。このブログ記事にも書きましたが、私たちは三回そこに訪問し、畳出しや泥出しを手伝わせていただきました。

このようにして、続けてキリストの証しを立てる機会を与えてくださった主に感謝しています。

海岸の案内

朝のデボーションの箇所は、続けてエリシャの話で、らい病にかかったナアマン将軍の話でした。彼がヨルダン川に七度水に浸かったら、幼子のような皮膚になったところから、あらゆる誇りを捨てて、主の命令に従うなら、幼子のようになる新しい心が与えられることを分かち合いました。

この話をしているうちに、仙台から両親のグループが来てしまいました。少し待たせてしまいましたが、瀬谷さんと私で月浜海岸の紹介をし、それから月浜地区で全壊した家々をお見せしました。海水の温度が気になっていましたが、最初はひんやりするものの、十分に入ることができる程度でした。雨も降らず、だからといってかんかん照りにならず曇りで、昨日の祭りもそうでしたが主に天候のことも感謝しました。

バプテスマ式

そうこうしているうちに、松島のホテル大松荘に宿泊しているチームが到着し始めました。私は、アメリカからのチームに、市が重機で解体した木村さん宅の跡地を見せながら、主がしてくださったことの経過をお話ししました。

私は、讃美は見城さん、そしてバプテスマ式は山東さんにお手伝いをお願いしていました。セットアップも終わり、開始です。この後は、下の二つのビデオをお楽しみください。

讃美と祈り

御言葉とバプテスマ

マルコ3章31-35節から、バプテスマとは、キリストの十字架と復活にあずかる者になったことだけでなく、肉の家族から神の家族に入ったことを分かち合いました。そしてなぜ、ハワイからわざわざこの地に来て救援活動をしているのかというと、神の家族になったことの証しだから、ということを話しました。

そしてビデオでご覧になれば分かりますが、瀬谷さんが本当に喜んでいる姿を見ることができますが、彼女から後で聞くと、水から上がった瞬間に、バプテスマの大きな意味を初めて知ったとおっしゃっていました。水から上がると、砂浜には数多くの兄弟姉妹が祝福しています。自分がまさに、神の家族の中に招き入れられた祝福を感じ取られたそうです!

そして、砂浜のところでしばらく互いの交わりの時間を持ちました。昨日は奉仕で忙しかったけれども、余裕をもって交わりができたのではないかと思います。

そして、トラビスたちはおそらくその後、石巻に行き、初めて来た人たちにその被災地を見せて回ったのだと思います。私たちは、車の運転の安全のために、日が暮れる前に東京に到着したいと思っていたので、すぐに帰りました。事故もなく無事、昨日、7時頃到着できました。

全てのことを主に栄光をおかえしします!

東松島救援旅行 8月2日 その2

祭りの開始

私たちが戻ると準備はすべて終わり、すでに参加者が集っていました。昨日であった、能面作りの方も、面を持っていらしてくださいました。まったく新しい人々はもちろんのこと、牛網の人々もたくさんいました。牛網学習等のリーダーである千葉さんはこの日のために仕事を一日休んで、ずっといっしょにいてくださいました。彼は、石巻で壁紙を貼る仕事を再開していますが、車にはしっかりとハワイ祭りのちらしを貼っておられます。

食事を受け取る、途絶えることのない長い行列に、食事は足りるのか心配しましたが、案の定、4時ぐらいには、かき氷を除いてほぼすべてなくなっていました。用意していた人数を鑑みると、参加者は千人を超していたと思います。

月浜避難所の掃除

そしてLCFのメンバーは、奉仕を切り上げて月浜海岸の避難所に向かいました。ここはすでに、誰一人も残ることなくすべてが仮設住宅に移れたことを知りました。物の取り出しと、床拭きです。

そして実は、宜野湾カルバリーのチャックさんも来て、掃除しています。彼らは前回(6月20-22日)、東松島の奉仕の後、サマリタン・パースと、コミッティド・リリーフでの奉仕もして、そして帰路の途中、再び月浜に立ち寄ってスパムおむすびと、庭の掃除のお手伝いをしました。今回も似たようなスケジュールで、3日からサマリンタン・パースを手伝い、8日に月浜で何かをしたいと私に尋ねていたのです。それで、月浜避難所の担当の方に聞いたら、道の向かい側に室浜公民館があるからどうか?との提案でした。その事務室に行ったら、すぐに快諾です。チャックさんたちが用意したポスターとチラシに、日程と場所を手書きしてお渡しすることができました。

掃除が思ったよりも早く終わりましたが、皆さんが集まった時にチラシを渡しました。けれども、「小野地区のことですよね。」という言外の反応を感じ取りました。・・・この地域全体に言えることですが、地域の方々はとても暖かく私たちを迎え入れてくださるのですが、町ごと、地区ごとに地域意識が細分化しており、なかなか地区を超えたこのようなイベントに所属意識が芽生えにくいようです。けれども、月浜の方々に私たちがいつもいっしょにいますよ、というメッセージを掃除の手伝いを通してお伝えすることができたと思います。

祭りも終盤

そして私たちが戻ったら、食べ物はほとんどなくなっていました。そしてハワイの女性たちによるフラダンスが行われていました。

唯一、日本語による福音が語られる場は静岡城北教会の見城さんによるカントリー・ゴスペルとyoshiyaさんによる讃美のみです。もう終わったとのことですが、yoshiyaさんは、はっきりと神の愛、イエス・キリストの十字架も語ることができた と言っていました。ハレルヤ!

そして、時間に余裕ができたので、私たち奉仕者も他の人と語り合う時間もできました。私は牛網の千葉さんと話すことができました。彼が突然、「今がら、どうもろごし、とってくっからしゃ」と言って席を立ちました。「えっ、とうもろこしって、あの5月初めに津波の砂に覆われたところに植えた、とうもろこし?」と思ったらそのとおりで、20分ぐらいしたら戻ってきました。すごい、生でもものすごく甘くておいしいです!植えた時に千葉さんは、「あなたたちが、この実を食べるのだ。」と言っていましたが、はたしてそのとおり私たちが食べることができました。今度は、「来年は、もっどおおぎくづくるがら」と、来年までの付き合いをほのめかしていました!

他にもいろいろな人と話しましたが、時間が来たのでみなで急いで片付けを始めました。人数も多いので、時間がかからず済みました。

それから小野市民センターの担当の方が、「お礼の言葉」ということで話してくださいました。私たちのほうがこの施設をお借りすることができ大変うれしいのに、かえって来てくださり、ありがとうございましたとの言葉をいただきました。そして撮った写真を加工して印刷した紙をトラビスに贈呈しました。ブログがあるので、記事をアップしますとのこと。今見たらありました、ご覧ください!

こまちちゃんの四季物語 ①
こまちちゃんの四季物語 ②

イーオン利府で夕食

みなで主をほめたたえながら、帰途に付きました。山東さんによると、これだけ大人数が食べられる場所があるとのこと。私たちLCFは、万一にそなえて自分たちの昼食を朝に用意していましたが、彼らは余ったものを食べる予定でした。ところが足りないぐらいで、彼らは昼から何も食べていません。けれども、たまたま宣教師の一人がトイレに行きたいと言って高速から降りたところに見つけたのが、イーオン利府とのことです。

私はいつも利府町に住む姉のことを、利府を通過するたびに思い出していました。それで今回は、久しぶりに電話しました。元気そうで何よりでした!

そしてイーオンでは、寿司一パックが498円など、非常に安いものがたくさん売られていて、フードコートでは、マックなど他のお店もあって、確かに大人数が一緒にしかも安く食べられるところで助かりました!LCFの仲間もおなかが空いていて、たくさん食べてしまいました。

東松島救援旅行8月2日 その1

東松島市の当日の最低気温は摂氏20度ぐらいで、涼しい夜を過ごすことができました。私たちは六時に起床し、いっしょに持ち寄りの朝ごはんを食べ、それからデボーション(御言葉と祈りの時)を持ちました。

「空の器を持ってきなさい」

私がずっと主から示されているのは、エリシャという預言者です。彼はエリヤがこの地を離れる時に、彼の霊の二倍の分け前を欲しいという願いをしました。はたして、彼の働きは神の御霊の現れが、エリヤ以上に見ることのできるものでした。

エリヤはかつて、食べ物がなくて死にそうになっている母子の所に行き、そしてつぼの油がつきないという奇蹟を行ないましたが、エリシャは、家賃の滞納で取り立て屋に脅されていた、やもめに、近所にある空の器をかたっぱしから持ってきなさい、と命じました。子どもたちが持ってきましたが、もう器がなくなってしまった時に油も止まったのです。その油を売って、滞納金を支払いなさいとエリシャが勧めました。

同じように、御霊の働きでは、自分たちが片っ端から自分の手を伸ばして、人々に働きかける時があることを話しました。そうしたら、主がその手を、ご自分の御霊の働きで満たしてくださいます。

また私たちは、周囲に住んでいる月浜地区の住民に声をかけはじめました。歩いてみると、以前、避難所で水餃子を作った時にお会いした人たちに何人か出会うことができました。向かいの人も顔見知りの人でしたが、なんと午後二時から、その避難所の後片付けをするとのこと。すべての人が既に仮設に移動できていたのでした。私は、「ああ、月浜の方々には来ていただけないな。」とあきらめかけたところ、妻は「では、私たちも手伝います。」と申し出ました。祭りを抜け出して、お手伝いすることにしたのです!そして掃除をなるべく早めに終わらせて、祭りにお誘いしようと言う計画に変えました。

ドミノの一押し

そして私たちは、小野市民センターに向かいました。この市民センターに主が導いてくださったきっかけも不思議です。私はトラビスから、前回の旅(6月20-22日)の後に、「ハワイの祭りをしたいという思いがあるが、祈ってくれないか。」と頼まれました。それから、「今度は大きな規模で行いたいので、牛網の避難所ではなく、他の避難所の人々も来ることができるように、中立のところが良い。できたら、市にかけあってくれないか。」とのこと。

私たちはこれまで、避難所の人々に対して直に接してきて活動をしていたので、私は、役所の人がどう反応するのかちょっと不安でした。宗教団体の人たちは断られるのではなか、と思っていました。ところが、反応は「どちらの場所が良いですか?」とのこと!許可というよりも、斡旋しているような口調でもあります。それで、私はグーグルの地図で避難所の一つとして上がっていた、牛網地区の東隣、そして浜市地区の北隣にある「小野市民センター」をダメ元で言ってみました。そうしたら、「そこは大きい駐車場がありますし、残された避難民の人たちがそこに集められることになっています。」とのこと!

そして、私は11日から22日まで海外にいたのですが、カルバリー所沢とカルバリー府中のトラビスとリッチが、11日に下見に行ったところ、小野市民センターの担当の方が全面的に協力してくださり、また私自身も彼らの二度目の25日の下見に一緒に行きましたが、その立地や空き地の大きさなど、祭りをするのに最適な所でした。

思えば、牛網学習等の避難所に導かれたのも、石巻に行こうとしていたところ、「ここら辺で何か救援の必要はないのか。」と思いながら、壊れて営業停止になっていたサンクスに頭を突っ込んで聞いたところ、その店長が牛網学習等の避難者の一人でした。私がしたのは、「首を店内に突っ込む」だけだったのですが、それからドミノ倒しのように、たちまち主の素晴らしい働きを見ることができたのです。「グーグルの地図を見る」のも同じでした。

「主の御霊のあるところには自由があります。(2コリント3:17)」
「一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。(1コリント12:13)」

キリストにあってまとまったチーム

小野市民センターに9時半頃到着し、そして10時にはほぼ全員が集まりました。総勢70名ぐらいいます!まず、カルバリーチャペル所沢と府中が、教会員の多くの人々を今回、連れてきたことがあります。それから、彼らが遣わされているカルバリーチャペル・ホノルルから、また同じくオアフ島にあるカルバリーチャペル・ウィンドワードのチームが来ています。それから、山東さんのカルバリーチャペル西東京が、yoshiya君も含めて来てくれて、見城さんの静岡城北教会の仲間も四名いらっしゃいました。そして、この夏、交替で小さなチームを送り続けているカルバリーチャペル宜野湾の人々もいます。

また、今回、カルバリーチャペル沖縄から、写真撮影だけに特化して奉仕に来てくださったアメリカ人の姉妹が一人と、同じく沖縄カルバリーから、完全に引っ越して、仙台市若林区にある一軒家から主の新しい働きのために専念する、ロイさんもお手伝いにいらっしゃいました。

この姿を山東さんが、ツイッターでこのように記しておられます。

朔日の東北、東松島ハワイ祭りで見たキリストの体が主によって機能する姿は見事でした。これは主がされていると。同じ群れとは言え特に会議を重ねたわけでもなく自然に色々な所から集まって祭りをし、みんなの思いは一つ。『この愛を伝えたい』。誰一人自分を主張しないで仕える者となっていた各リーダーは友達だから。これは教団とか組織というのではなく、主にある友達。そこに利害関係も、上下も、力関係も、お金もない。そんな事を実感させらせた一日でした。私たちが互いに愛し合ってるのを見て、周りの人々は私たちがキリストの弟子である事をしるでしょう。

準備開始

2トントラックから降りて来たのはトラビスで、彼が簡単に仕事分担を割り振りました。ハワイ風かき氷、醤油チキンとホットドック、ハワイの工作、子供たちの遊び場(ボール投げゲーム、ジャンピングハウス)、フラダンスとゴスペルコンサートのためのステージ、椅子並べ、そして聖書やトラクトを置く台です。

私たちLCFはその時に、最後の聖書・トラクトの台係りになっていたのを知りました。けれども、それはただ文書を置くだけですから手が有り余っています。数人は山東さんが仕切る料理を手伝いに行きました。

牛網地区を広報車で廻る
そして私は山東さんに「広報や宣伝はどうなっていますか。」と聞いたところ、「職員の方が車を出してくださることになっている。」とのこと。そこで、西東京の若い姉妹二名が鶯嬢になり、私たち夫婦も乗り込みました。そして道を歩いている人がいれば停車してチラシを渡します。

私は運転手の方に「牛網全域をお願いします」と頼みました。牛網地区と行っても、私たちは実は仙台と気仙沼の間を走っている国道45号線の南側(海沿い)の牛網地区においてのみしか活動していませんでした。その内陸側の牛網地区も周りました。新築の一軒家が立ち並んでいます。けれどもその一部は、市営住宅だそうです。ネットでは拝見したことがありましたが、もう一つの牛網地区にある避難所も立ち寄ることができました。(この避難所のラジオ番組の取材を見つけました。)

そしてしばらく走ると、仮設住宅が見えてきました。すると、なんとそこに牛網学習等にいた、元気なショウ君がいるではありませんか!私は嬉しくて、嬉しくて、彼に抱きつき、いっしょに喜びました。

それから、45号線の海沿いに回ります。職員の運転手の方は舐めるようにして、牛網地区を廻ってくださいました。牛網学習等にいた方々にも何人か出会いました。そして午後は、市民センターのある小野地区を廻ってくださいました。ただひたすら感謝。