LCFの活動場所(2月4,5日)

次回の教会の活動場所のお知らせです。

2月4日(土)場所:足立区こども家庭支援センター別館3階
 14:00 聖書の学び(使徒の働き21章)
 16:00 祈り会

2月5日(日)場所: 足立区勤労福祉会館2階「工作室」
 11:00 午前礼拝 民数記23章10節 「正しい者の死」
 14:00 午後礼拝 民数記22-25章

ぜひ礼拝にお越しください。次の聖書箇所である「バラム」の話はとても教訓に満ちています。午後礼拝の後は交わりも充実しています!

初めから物語る歴史 - イスラエル その5

その4からの続き)

参照図書:
イスラエル近現代史:「イスラエル全史

イスラエル建国:「イスラエル建国物語」「イスラエル建国の歴史物語

独立戦争:「おお エルサレム!

六日戦争:”Six Days of War
英書しかないのが残念ですが、「エルサレムに朝日が昇る」という邦訳本があります。(注:2012年12月24日後記:なんと邦訳が今年の始めに出ていました!!!「第三次中東戦争全史」ぜひ、次の日本語の書評をお読みください。内容と概要がよく分かります。「日本経済新聞」「弁護士会の読書」)

ヨム・キプール戦争:「ヨムキプール戦争全史

アラブによる反イスラエル主義:「アラブはなぜユダヤを嫌うのか

最後に、Youtubeからのビデオを紹介しましょう。(シリーズなので、続きがあります。それを見るにはYoutubeのページを開いてみれば、続きが「関連動画」の中で見つけることができます。)

イスラエルの誕生(BBCドキュメンタリー)

イスラエル:国の誕生 パートⅠ(在米イスラエル元大使のナレーション)

50年戦争 イスラエルとアラブ(PBSドキュメンタリー)

(注:これは、NHK BSドキュメンタリーで放映されたようですのでそのビデオを入手できれば日本語で視聴できそうです。)

独立戦争(「イスラエル全史」の著者マーティン・ギルバートによる)

六日戦争(全史)

六日戦争(戦闘 History Channel)

六日戦争(戦線)

ヨム・キプール戦争

後記

今年、イスラエルがイランを先制攻撃だろうという米国防長官の発言がニュースになっています。事態は緊張していますが、これでイスラエル旅行を考えていたのを断念しないようにお願いします。私自身2010年にイランとイスラエルの間で戦争があるというニュースが流れても、旅行に行きました。実に、チャック・スミス牧師は1973年にイスラエル旅行を導いている最中にヨム・キプール戦争が勃発しました。それでも旅行は続けられたのです。

2010年の旅行の団長であるアーノルド・フルクテンバウム師は、東日本大震災による原発事故後、周囲からの反対があったにも関わらずセミナーの講師として来日しています。彼は世界中を旅行していながら、しばしばマスコミの情報と現地で起こっていることは異なっていて、前者は誇張しすぎることが多いということを話したそうです。主催者からの要請がない限り行く、と答えたそうです。私もその姿勢で準備を進めていきたいと思っています。現地旅行社から来るのは危険であるという連絡を受けないうちは、表面的な情勢の変化で計画を変えるつもりはありません。

初めから物語る歴史 - イスラエル その4

その3からの続き)

シオニズム運動の背後にある、福音的クリスチャン

話は少しずれますが、興味深いことに、宗教と化したキリスト教会の中で霊的復興が起こり、聖書を神の御言葉として信じる人々が熱心に世界宣教へ行きました。大英帝国の時代、その中にいるクリスチャンは世界に宣教師を送り出しただけでなく、ユダヤ人のパレスチナ帰還を聖書預言の通り起こるのだと信じる人々が出てきました。その英国が国際連盟からパレスチナを委任統治するようにされ、そして外務大臣で熱心なキリスト者であったバルフォア伯爵が、ユダヤ人のパレスチナ郷土を宣言した「バルフォア宣言」というものがあるのです。

興味深いことに、時代が少しずれて同じことを米国が行なったのですが、イスラエル建国の国連承認で活躍したのがトルーマンですが、彼の母が熱心なキリスト者であり、ユダヤ人に対する約束の地への帰還が自分の良心にあったため、国務省の反対を押し切っていち早く承認した、という経緯があります。けれども、今のオバマ大統領のように親イスラエル路線の根幹を揺るがすような発言を繰り返しているように、かつての英国も親ユダヤから反ユダヤへと変換し、1939年の「白書」ではユダヤ人移民の制限を設けました。その後の英国の没落はすばやかったですが、今の米国の没落も、聖書信仰に基づく霊的な力がなくなってきたことと無関係ではありません。

イシュマエルの子孫、アラブとの確執

近現代のイスラエルの歴史は、イスラムという宗教との確執だけではありません。ユダヤ人の親戚であるアラブ人との確執があります。先日、「今、モアブ人やアモン人は存在しているのですか?」という質問を受けました。どちらもヨルダン領にあった国ですが、「いません」と答えました。聖書時代の諸民族で残っているのは、イスラエル周辺地域ですとアラブ人です。そして、アラブ人の父祖はイシュマエルだと言われています。

主がイサクを約束の子とされましたが、アブラハムのもう一人の息子イシュマエルにも祝福の約束をされたことを思い出してください。「イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。確かに、わたしは彼を祝福し、彼の子孫をふやし、非常に多く増し加えよう。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民としよう。 (創世記17:20)」けれども、イシュマエルは兄弟に敵対するようになるとも主は予告されました。「彼は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう。(創世記16:12)」

事実、それが今、起こっているのです。アラブ人はユダヤ人との間だけでなく、自分たちの間でも争いが絶えません。映画「アラビアのロレンス」に出てくる部族間の争いは、ヨルダンのフセイン国王も「これは事実である」と言わしめる現実であり、反イスラエルで一致しているように見えるアラブ諸国は、一枚岩どころか、自らの利益の主張によって滅茶苦茶になっています。それが独立戦争の敗戦の大きな一因であったとも言えるでしょう。けれども、アラブ民族は広大な土地、そしてその中にある石油資源によって恵まれているのです。聖書時代から生き残っている民であり、確かに神は彼らを祝福されています。

したがって、ユダヤ人が約束の地に大量帰還している中で、アラブ人の中で民族意識が芽生え、それがアラブ民族運動と発展していきました。それが一連の中東戦争の背後にあります。

(注:しばしば、イスラエル・パレスチナ紛争の根っこに、「イギリスの二枚舌(あるいは三枚舌)外交」があると言われます。「バルフォア宣言」をユダヤ人に行なったのに対して、アラブ側には「フサイン=マクマホン協定」「サイクス・ピコ協定」を結んだのがいけないのだ、と言います。けれども、その地図を見ますと、バルフォア宣言で約束されたところとおおむね重なっているわけではなく、矛盾していません。)

四回の中東戦争

それで、イスラエルが独立宣言をした翌日に一斉に周辺アラブ国が攻め入ってきた独立戦争を第一回とし、シナイ作戦、六日戦争、ヨム・キプール(贖罪日)戦争と四度の中東戦争がありました。

これで重要なのは、独立戦争と六日戦争です。独立戦争はもちろん、イスラエルという国の確保という重要な意味合いがあり、そして六日戦争は「エルサレムの奪取」という大きな意味合いがあります。イエス様が、異邦人の時代が終わるまではエルサレムは荒らされたままになる、と言われましたが、そのエルサレムをイスラエル軍は、トランス・ヨルダン(当時のヨルダン)との戦いで攻め取ることができました。しかし、当時の指揮者である国防大臣モシェ・ダヤンが、ムスリム宗教局にすぐに神殿の丘の管轄を任せたことによって、厳密には異邦人の支配はまだ続いていると言えるでしょう。

そしてイスラエルはいつも戦争ばかりしていると思われがちですが、ヨム・キプール戦争後は、国家間の戦争はなくなりました。敵国エジプトがこの戦後処理を梃子にして、平和条約をイスラエルと結んだためであり、ヨルダンとも平和条約を結びました。したがって、今、イスラエル旅行をする時に、同時にエジプト領にあるシナイ山観光や、ヨルダン領にあるネボ山やペトラ観光を計画することもできるのです。聖書遺跡がたくさん残っているレバノンやシリアには、イスラエル出入国のスタンプ(そして、陸路のエジプトやヨルダンのスタンプも)がある時には、入国できないのです。彼らは「イスラエル」という国自体の存在を認めていないのが正式立場だからです。

そしてその後の紛争は、テロリスト組織との戦いになります。PLOはヨルダンにおいても「黒い九月」という内乱を起こしましたが、イスラエル軍によるレバノン侵攻を彼らのせいで招きました。けれどもラビン首相とアラファト議長が結んだオスロ合意により、PLOがパレスチナを代表する機関として認められ、大幅な自治権が与えられているのです。

テロリストにはPLOのような世俗組織と、イスラム原理主義の二種類があります。ガザ地区を実質支配しているハマスはムスリム同胞団の枝分かれであり、レバノンのシーア派ヒズボラもイスラム原理主義です。その背後には、1979年に起こったイランのイスラム革命の波及があることを忘れてはなりません。

これらイスラエル近現代史を少し理解すれば、単なる聖地旅行以上の、「今現在も神がこの地に心を留めてくださっている」という情熱をイスラエル旅行で感じ取ることができるでしょう。

その5に続く)

初めから物語る歴史 - イスラエル その3

その2からの続き)

シオニズム運動の誕生

その2では、離散の歴史まで話しましたが、次に帰還の歴史が始まります。これは、聖書全体に貫かれている神の回復の物語であり、イスラエルの民が約束の地から引き抜かれても、神は地の果てから彼らを集め、彼らをご自身に立ち返らせるという約束をくださっています。

私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことが、あなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを心に留め、あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、あなたの神、主は、あなたを捕われの身から帰らせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。(申命記30:1-3)」

イスラエルに対する神の契約は、イエス様の再臨によって実現するのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。(マタイ24:31)」

したがって、離散の時代から帰還へ、そしてイスラエル建国という、私たちに最も近い時代は、聖書物語そのものに入っているのです。「歴史」といえば過去のことですが、永遠の神が語られた歴史は、現在も未来も含んでいるのです!

「その2」で紹介した二つのサイトを、読み直してください。「シオンの架け橋」サイトでは、「ディアスポラ後のユダヤ人」の「シオニズム運動の誕生」から、そして「ミルトス」のサイトでは、「外国の占領下」の「オスマン・トルコ時代」あたりからの話です。

ユダヤ人の離散は全世界にまたがりますが、ヨーロッパ北部のアシュケナジ、イスラム支配下時のスペインから始まったセファラディ、そして中東地域のミズラヒなどいますが、現代イスラエル国の中核を作り上げたのは、ヨーロッパ系のアシュケナジ・ユダヤ人です。

離散の地にある迫害から、「離散ということ自体がユダヤ人迫害の問題点である。ユダヤ人国家を作らなければいけない。」というヨーロッパ型の啓蒙思想が、神がもともとユダヤ人に与えられていた郷土帰還への想い(詩篇137篇参照)と相まって始まったのが、「シオン主義」つまり「シオニズム」です。そして、その時ヨーロッパは社会主義が勃興しており、社会主義的共同体を農耕によって形成するという「キブツ」の夢を掲げた人たちが、オスマン・トルコ時代に荒廃化した土地を緑化したという経緯があります。それがエゼキエル36章にある土地の回復です。

非ユダヤ人だけでなく、ユダヤ人の間でさえも、シオニズムに懐疑的な人たちが少なくありませんでした。先に挙げた申命記30章の約束には、神に立ち返るというしるしが帰還に伴っているのですが、そうして霊的復興もなくただ帰還するのは人間の恣意的な行動であると、特に宗教的なユダヤ人は考えたのです。けれども、実は神はこのこともご自分の御思いに入れておられ、イスラエルの帰還には二段階があり、メシヤが到来する前にすでに国が復興していなければいけないことをエゼキエル書37章は告げています。

そして、ホロコーストが帰還に拍車をかけ、その残虐さに国際社会も驚愕し、国連がイスラエル国家認知を1947年に行ないました。

興味深いことに、中東系の離散ユダヤ人が怒涛のごとく押し寄せたのは、その後です。しばしば「パレスチナ難民」のことは取り上げられますが、「ユダヤ難民」については全く取り上げられません。1948年に勃発した第一次中東戦争(独立戦争)によって、自分の家を離れて避難したアラブ人がパレスチナ難民の起源ですが、同じ時にアラブ諸国にいたユダヤ人も強制退去を命じられました。その大量の難民を誕生したばかりのイスラエル国は「吸収」したのです。パレスチナ難民をある程度吸収したのに成功したのは「ヨルダン国」ですが、大部分のアラブ諸国は政治的意図をもって彼らを吸収せず、難民の位置のままに留めているのです。

そして、あの巨大国ソ連が崩壊しました。その後、そこで迫害下に置かれていたロシア系ユダヤ人が怒涛のごとくイスラエル国に押し寄せました。そのため、今のイスラエルではヘブル語、アラブ語、英語の他にロシア語も使用言語の一つとなっています。

宗教(イスラム)との確執

ヨーロッパに歴史を通じてあった根強い反ユダヤ主義は、「キリスト教」がその背景にありました。イスラエル旅行に行かれるクリスチャンは、そこで言われている「キリスト教」が自分の信じているものと異質であることに、すぐに気づかれることでしょう。極めつけは主が十字架につけられた「聖墳墓教会」ですが、そこにはプロテスタントを除く様々な教派が縄張り争いをしていて、聖職者が文字通りの喧嘩をする事件も散見されます。イエス・キリストに対する信仰が「宗教」に成り下がるのです。

その宗教としてのキリスト教の中では、ユダヤ人が「キリスト殺し」とされました。「ちょっと待って!それは当時の腐敗したユダヤ教指導者が行なったことで、それよりも私の罪のためにキリストがご自分の命を捨ててくださったのでは?」となるのは、福音的な、御霊の新生を経験しているクリスチャンであり、宗教としてのキリスト教は違うのです。イスラエルは呪われた民であり、侮蔑の対象として扱ってきました。

それに対して、イスラム教の中ではどうだったかと言いますと、生存権まで脅かされることはありませんでした。二流市民であるかぎり、その生活を否定することはなかったのです。イスラムには、「征服神学」があります。ユダヤ教はキリスト教に発展し、イエス・キリストはその中の偉大な預言者であるが、最後の使徒ムハンマドにアッラーが啓示を与え、それがコーランであると信じています。ユダヤ教もキリスト教もイスラムによって完成するのだ、と考えているため、イスラムが支配していること自体が大切なのです。ですから、イスラエルに行くと、ユダヤ教とキリスト教のゆかりの地にモスクが立てられています。極めつけは「神殿の丘」に「岩のドーム」が建てられていることです。イスラム教徒は、そのドームに背を向けてメッカに向かって拝礼しています。そこを敬っているのではなく、ユダヤ・キリスト教に対する征服自体が大切なのです。

ところが、近代に入り、彼らの神学体系を根底から覆す歴史が始まりました。ユダヤ人が大挙してパレスチナの地に押し寄せてきたのです。しかも、彼らは土地を買い取り、そこを開墾し、町々を建て、そしてなんと国造りまでしていました。イスラム主権ならず、ユダヤ人主権が広がっていくということは、彼らにとって屈辱以上の、絶対にあってはならない出来事なのです。

そこで近現代の歴史が「ヨーロッパ中心の反ユダヤ主義」から、「イスラム圏の反イスラエル主義」へと変わっていったのです。

その4に続く)