「預言」の言葉

「預言」と言ってもいつもの終末に関する聖書預言のことではなく、御霊の賜物である預言の言葉のことです。

今朝、心の芯から慰められるメールを受け取りました。

Just a short note to let you know we are praying for your ministry in Tokyo. Our God is an awesome God and He loves to bless His children. Keep asking Him for your needs and for His wisdom and He will suppy you with His abundant love. He will surpass your expectations in amazing ways. God has planned to bless your ministry. I find the prophet Isaiah instructing us concerning God’s promises. He encourages us saying:
“Search from the book of the Lord, and read: Not one of these shall fail;Not one shall lack her mate. For My mouth has commanded it, and His Spirit has gathered them.” Isaiah 34:16

I encourage you to keep a journal of the many ways God is leading you and blessing your ministry–the everyday answers to your prayers. It will serve as a continuing reminder of His love for you.

Your sister in Christ,

下が意訳です。

東京における、あなた方の奉仕の働きためにお祈りしていることをちょっと伝えたくて、メールを出しました。私たちの神は大いなる方で、ご自分の子供を愛しておられます。自分の必要のこと、神からの知恵を求めつづけてください。神は、その豊かな愛をもってそれらを満たしてくださいます。あなたの期待をはるかに超えるように、驚くべき方法で祈りに答えてくださいます。神は、あなたの働きを祝福するようにご計画されているのです。神の約束について預言者イザヤがこのように私たちを教え導いています。こう私たちを励ましています。

主の書物を調べて読め。これらのもののうちどれも失われていない。それぞれ自分の連れ合いを欠くものはいない。それは、主の口がこれを命じ、主の御霊が、これらを集めたからである。(イザヤ書34:16)

神が導かれていること、あなたの奉仕を祝福してくださっているいろいろな事、日毎の祈りの答えを書き留めておかれると良いでしょう。そのことで、あなたへの神の愛をいつまでも思い出すことができるでしょう。

私が12月に日本に戻ってきてから、期待をはるかに超えて驚くべき速さで事が進んでいます。そして祈りの課題をメールで配信するや、すぐにその答えが神から与えられています。ただただ、神の真実をほめたたえざるを得ませんでした。

ところが、ある人から、押しつげがましく感じるという趣旨のメールをいただきました。メールのやり取りで、善意から書いてくださったことは理解でき安堵しましたが、人間とは弱いもの、続けて神の恵みを報告する気力が弱まっていました。そこで受け取ったのが上のメールです。この方はおそらくカルバリーチャペル・コスタメサの方だと思いますが、初めて聞くお名前でした。けれども、まるで私の心の内面を全て知っているかのように的確な励ましの言葉を与えておられるのです。

実は少し前にも、同じように的確な内容の励ましの言葉をいただいていました。(その時は、「あなたの主にある喜びを主が保っていてくださいますように。」という内容でした。)

聖書では、これを「知識の言葉」と言います。コリント第一12章に出てくる御霊の賜物の一つです。超自然的にある人の状況についての知識が与えられます。そして、それを言葉に出して話すと「預言の言葉」になります。「預言」というと、「主は仰せられる!あなたは大きな試練に遭うことになる。」など、神がかり(?)的な悪いイメージを抱く方がおられるかもしれませんが、実は上のように一般的な言葉や行動の中に超自然的に御霊が働かれることが多いのです。

「ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、人に向かって話します。(1コリント14:3)」

2011年カルバリーチャペル宣教会議①

ずっとこのブログに書こうと思って、できないことがありました。今年1月3-6日に南カルフォルニアのミュリエッタ(Murrieta)の会議センター行なわれた、2011年カルバリーチャペル宣教会議のことです。

さまざまな牧師や宣教師が御言葉を分かち合ってくださったのですが、それの要約と私が主から教えられたことをここに書き記そうと思っていました。私自身が、初心を忘れずに、主から与えられた幻を新たにするためです。

今回の会議のテーマは、”Let the Nations Be Glad.”です。訳すと、「諸国が喜びますように」で、詩篇67:4の「国民が喜び、また喜び歌いますように」から来ています。福音に触れて変えられた人々を見る喜び、私たち宣教師がキリストの使節である特権などについての話をたくさん聞きました。(宣教会議の内容は、mp3のCDまたはDVDにて視聴できます。)

初めの説教者は、この会議の主催のカルバリーチャペル・コスタメサの副牧師ブライアン・ブローダソン(Brian Brodersen)です。彼はカルバリーチャペル・ヴィスタで牧会した後に、妻のシェリル(Cheryl)と子供たちと共にイギリスでの宣教の働きに携わりました。(その時、私たちはコスタメサの教会に通っていましたが、チャックが大きな試練を受けていると説教で話していたのが、実は娘のシェリルと孫たちがイギリスに行ってしまうことだったのです!)

ベルリンの壁崩壊後のヨーロッパにて、霊的餓え渇きの強い若い世代にカルバリーチャペルが神に用いられましたが、彼もその御業を見てきた人です。今もコスタメサの教会で、牧会だけでなく宣教に関わる奉仕に熱心に関わっておられます。

題名:「主の臨在(Presence of the Lord)」出エジプト記33:12-15

「さて、モーセは主に申し上げた。「ご覧ください。あなたは私に、『この民を連れて上れ。』と仰せになります。しかし、だれを私といっしょに遣わすかを知らせてくださいません。しかも、あなたご自身で、『わたしは、あなたを名ざして選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている。』と仰せになりました。今、もしも、私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあなたを知ることができ、あなたのお心にかなうようになれるでしょう。この国民があなたの民であることをお心に留めてください。」すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」それでモーセは申し上げた。「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。」

第一回目の説教ということで、彼はこの会議に期待していることを分かち合いました。彼は、教会の指導者として人々を主のご臨在の中に導きいれる責任を感じています。

主の臨在は、さまざまな影響力があります。

一つは、私たちに力を与えます(詩篇68:8)。例えばイエス様が弟子たちとおられたとき、嵐をしかりつけられました。長血を患った女は癒されました。二つ目に、人の生活に変化をもたらします。三つ目に、見方を変えてくれます(詩篇73篇)。ペテロもイエス様がおられることによって、「私は罪深い者です」という告白をしました。四つ目に、主の臨在は私たちに喜びをもたらします!(これが会議のテーマです。)詩篇16:11,30:11,105:3をお読みください。五つ目に、清新(refreshment)の時を与えてくれます(使徒3:19)。もう一度、新たに主の働きを始める活力のことです。

このご臨在のある所に、人々は集まってきます。「ここに神がおられる」ことを感じることができるからです。

では、主のご臨在にまで人々を導く手助けをどのようにすれば良いのでしょうか?
1)ご臨在を願うことです。ダビデは、世における楽しさの千年よりも、主の庭の一日のほうがまさることを話しました。2)少し礼拝に変化を与えます。お決まりに型にはまらないようにするため。3)神に尋ね求めます。4)主のご臨在を期待します。

(感想)
宣教会議の基本を聞いたな、と思いました。会議で主に出会い、臨在に触れて、神の御声を聞くのは私たちがいつも期待していたことです。

そして、今回のテーマの「国民は喜びます」というのは、私たちが海外から日本に帰ってきてから、いや海外にいたときから続いている心の状態です。なぜ、こんなにも福音によって変えられる人々に出会わせてくださるのか、という喜びです。今も、LCFや恵比寿バイブルスタディを通して味わっています。

そして、主のご臨在は礼拝における課題です。信者の交わりの中に、そして御言葉の学びの中にご臨在があることを願っていますが、何よりも讃美の中で主の臨在に導きいれられることを今、強く願っています。先週の土曜日、讃美の奉仕者の方が与えられ非常に感謝しました。これからも祈り求めていきたいです。

恵比寿バイブル・スタディ 2月16日

恵比寿BSの皆様、

ようやく帰国の途についており、現在は米国のダラスからメールしています。昨日まで滞在したベネズエラは初めて伺った国だったのですが、首都カラカスは高原に位置する首都なので、空気がからっとしており、かつ美しい山々が迫っており、草木や花が咲き乱れ、鳥が歌い、本当に自然がとても美しい場所でした。しかし、一方、山の斜面に住む、ゲリラ組織?貧困層?犯罪組織?の崩れかけた家々、市内の治安の悪さ(市内で毎日50人が殺されている。警察が機能していない)、デコボコだらけの道、インフラの未整備、公害汚染など神様の創造物と人間の愚かさが、残酷なまでのコントラストを描いていました。

一方、現在トランジット途上にいる米国・ダラスは、土漠に近いカラカスより劣化した自然環境にも関わらず、インフラに優れ、治安も良いので安心して生活できます。いろいろ考えさせられる出張となりました。尚、カラカスの出張先で、現地での仕事や人間関係で悩んでいる時、ロゴスミニストリーの箴言をホテルの部屋で聞いたことで心が慰められました。インターネットは世界中どこにいてもメッセージを聞けるので助かりますね。ロゴスミニストリーの働き、感謝しています。

それでは、2月16日(水)の学びを以下ご案内申し上げます。
皆様のご参集を心よりお待ち申し上げます。

日時:2月16日(水)19:00~
場所:場所:目黒区立田道住区センター三田分室 / 2階桜の間
(恵比寿駅または目黒駅から徒歩約10分、日の丸自動車教習所の向かい)
住所:目黒区三田2丁目10-33 電話:3791-7901

内容:詩篇71篇~(学び)
持ち物:聖書

※ご持参の食事はメッセージ前、あるいはメッセージ終了後の分かち合いのときに召し上がっていただけます。

(I兄弟執筆)

モリエル・ミニストリー伝道アウトリーチ

去年、紹介させていただいた「モリエル・ミニストリー」の方々が再び東京に来られます。(2月20日(日) 午後5:30~8:30 場所:東京都文京区 勤労福祉会館にて)

実際は今日から兵庫県の西宮からスタートされるようです。下のリンク先のお知らせをご覧ください。

2月の伝道アウトリーチについて

チラシもダウンロードできますが、そこで興味深い文面がありますのでここに紹介します。

考えてみよう。。。
Q 弥生時代に誰が次のようなことを予測できたか?
・世界各地を結ぶ生中継放送
・世界的なテクノロジーの急発展、移動技術の進歩
・環境破壊
・20世紀における地震の急増
・ヨーロッパ各国の連合
・19世紀を経た後のイスラエル国家の再建国
・核技術と核兵器とその恐ろしい結果
・国連・世界銀行などの世界的権威をもつ機関の台頭

前知識のない人々にも分かりやすそうですね。私は20日の晩に行ってみたいと思います。

(後記)
モリエルの通訳者「だいすけ」さんが、ピーターさんのメッセージの一部を要約されました。ぜひご一読ください。

終わりの日と核戦争

LCF礼拝 2月12,13日

明日と明後日のロゴス・クリスチャン・フェローシップの活動をご紹介します。

第一礼拝
2月12日(土)午後7時から8時半
御茶ノ水クリスチャンセンター(地図)307号室

その他、以下の活動があります。
12日 午後1-3時 新しい信者のための勉強会
       3-5時 祈り会
13日 午後2-4時 第二礼拝
(いずれも東京足立区。詳しくはメールinfo@logos-ministries.orgにてご連絡ください)

礼拝は第二礼拝において、次回は創世記3-4章を一節ずつ学びます。そして土曜日夕方の第一礼拝において、第二で取り扱う箇所から、一部を、比較的初心者の人が聞いても分かりやすいようにお話しします。(なので、どちらもいらしていただくと、通読の学びをより効果的に行なうことができます。)

そして今回の第一礼拝では、カルバリーチャペル所沢で奉仕されている宣教師の方が来て、讃美を導いてくださいます。

本当に何の教会設備もない赤ちゃんのような集まりですが、その代わりに救われた喜びに満ち、御言葉を愛している兄弟姉妹がいます。この共同体の仲間に加わりたいと願われる方は、ぜひ祈り始めてください。主がこれからなされる恵みの御業を初めから見る特権にあずかることになるでしょう!

イラニウム(Iranium)

すばらしいドキュメンタリーをご紹介します。

この題名は、「イラン」と「ウラニウム」をかけた言葉で、イランの核開発のことを指しています。この問題を、1979年のイスラム革命から世界へのイスラム・テロの輸出、イラン一般市民に対する蹂躙、核兵器開発を突き動かすマーディ(イスラム版メシヤ)待望信仰、歴代の米政権の失敗、一般市民による政権への反対運動を取り上げています。

これまでのイラン問題を取り扱ったブログ記事をリンクします。

エジプトとイラン、そしてEU・アメリカ

Inside the Revolution(革命の内幕)

エゼキエルの見た幻(36-39章)

2010年に核戦争の可能性

安定経済と核戦争危機

【補足】「感謝」の力 - ③アメリカに感謝している訳

(補足)アメリカという国は、言わば「文化戦争(Cultural War)」とも言われる、社会的、倫理的価値観の激しい衝突が起こっている所です。(Facebookのプロフィールに、「宗教」「政治観」そして「恋愛対象」と書いてありますね?これは友達を作るときに、必ず知っておかなければいけない背景であり、作成者はその衝突をよく理解しています。)

アメリカがベトナム戦争を起こした時に、反戦運動が学生の間で荒れましたが、それは自然発生的なものではなく、麻薬や東洋神秘、フリーセックスなどを標榜する「ビート・ジェネレーション」と呼ばれる人々の強い影響があります。政治的には極左であり、非常に思想的な人々です。

ちなみに、そうした運動からヒッピーと呼ばれる青年たちが現れ、さらにそのヒッピーたちから「ジーザス・ムーブメント」と呼ばれる、新生したクリスチャンの誕生があり、今、アメリカ福音派教会の指導者の多くがその世代の人たちです。

そしてそうしたビートニック(ビート世代の人々)の影響を受けた人々が今、社会的地位を得ており、大学教授、政治家、マスコミなどでアメリカ全体に影響を与えるようになりました。その結実がバラク・オバマ氏の大統領当選です。

私たちは、彼が演説をしているのを見たときに、「私たちが知っているアメリカのイメージとどうしても合わない。」と感じていました。彼から出てくるものが「暗い」のです。私たちの知っているアメリカ人が持っている、底力のような明るさがないのです。

けれども私たちが知らなかったのは、こうしたリベラルの人々の存在でした。彼らはリベラル(自由主義)と言っても、アメリカの建国精神の基盤であるキリスト教への対抗としてのリベラルを位置づけており、キリスト教的伝統価値観からの自由を強調します。

そして教育や知性を強調します。したがって、意識的にキリスト教の神を否定して、自らを知者であると誇る傾向があります。まさにロマ書1章21節にある、「彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いは暗くなり、その無知な心は暗くなったのです。」という描写が当てはまるのです。

この箇所の後に、パウロは偶像礼拝と同性愛を挙げていますが、まさにそれをこの流れにいる人々は、そのことをも東洋神秘と同性愛行為によって実現させてしまっているのです。

したがって、アメリカの保守的な人々、特に福音派の人々を、イラク戦争を契機に批判し、日本のキリスト教界までが批判していたとき、私は非常に危惧したのです。彼らを批判するということは、つまり、反キリスト教傾向の強い米国自由主義の台頭を許すことに他ならなかったからです。

これが私が、「アメリカの世界への関与自体を否定すると、もっと大変なことになる。」と言った所以です。

感謝を知らないというのは恐ろしいことです。残されているのは無機質な暗闇と、知識によって高慢になった人々による精神的蹂躙です。そして、愛や平安とは裏腹の、激しい敵愾心と憎悪です。

そして既存のもの、先代のものを尊重しないのは、後に全世界を支配する反キリストを迎え入れることに他なりません。

「彼は、先祖の神々を心にかけず、女たちの慕うものも、どんな神々も心にかけない。すべてにまさって自分を大きいものとするからだ。(ダニエル11:37)」

私たちは終わりの日に生きています。感謝することは、もはや、してもしなくてもいいような選択ではなく、意識的に決断しなければいけない時代に入っています。

「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は自分を愛する者、・・・感謝することを知らない者(になり)(2テモテ3:1,2)」

「感謝の力」 - ④たとえ敵であっても

アメリカとは正反対の共産主義国は、私たちの国の近くにもあります。言わずとしれた中国です。これまでの話だと、私が中国に激しく反対する意見を言うと思われるかもしれません。矛盾するようですが、私は中国にも感謝しています。30年間の開放政策のおかげで、人々に制限付きですが自由が与えられ、とてつもない問題を抱えながらも、神の御業がものすごい勢いで進んでいるのですから。福音を信じる自由を少しでも与える国は、神が祝福してくださいます。今の経済発展も、神の祝福があるからだと私は信じています。

そしてその制限がかえって、自由民主主義国に生きる私たちにはない純化を与えてくれます。そこには実質的な集会の自由がありません。その代わり、教会は大集会を開いて、商業的に人々を招きいれようなんていう発想をしません。また、情報が制限されていますから、アメリカや韓国で発生するあらゆる教えの風も、そこで遮断されます。また、既存の宗教(キリスト教、イスラム教、仏教、カトリック、道教)以外は「迷信」として禁じています。ですから、変な異端を持ち込む余地も少なくなっています。

イスラム教の国も同じでしょう。そこで回心したキリスト者は、私たちと違って、献身というものをよく知っておられます。神に服従することを彼らはもともと教わってきたので、キリストを主とするということも容易に理解できるのです。彼らに足りなかったものは、アッラーに存在しなかった「愛」です。けれども、キリストの愛を知り、それで激しく主を愛し、仕えるのです。

だいたい、こんな感じです。個人的生活でも、社会的生活でも、そして国民的、世界的情勢でも、「感謝」こそが、私たちを強める力であることを思わされているこの頃です。

「感謝」の力 - ③アメリカに感謝している訳

数年アメリカに住んだ者として、私は、アメリカの世界における関与は、非常にその国民性を表したものであり、面倒くさい面もあるが、それ自体を否定すると、もっと大変なことになると感じています。

アメリカは曲がりなりにも、ユダヤ・キリスト教価値観を有する建国精神によって成り立っています。そして、個々人の責任において働くという「自由」の精神を強固に持っている人たちです。それゆえ、彼らが関与するところに小さな規模で不条理や不正義があったとしても、全体的に見ると良い物が生まれています。

例えば、お近くの韓国をご覧ください。今では信じられないかもしれませんが、20年数年前までそこは軍事政権であり、独裁でした。当時の世論は「独裁の韓国、そしてそれを後押しする米国」というものが主流でした。キリスト教会もおそらくそうだったでしょう。でも、アメリカが見据えていたのは、反共への防波堤であり、同じく自由民主主義を掲げる韓国を支援することでした。

たとえ独裁が間違っていたとしても、そこで指導者らは現実的な経済開発を推進し、植民地支配を最近まで受けていたのにも関わらず、日本からの経済協力を惜しみなく受けていた彼らがいたからこそ、今の豊かな韓国があるのです。したがって、独裁制よりも、もっともっと恐ろしい、共産主義・全体主義に対する歯止めを、アメリカは自ら意識しているか、していないかにしろ、実際上行なっていったのです。

そして幸いなことに、韓国民たちが、自らの力で民主化を成し遂げ、かつアメリカとの関係も断ち切ることなくその国を守り続けているのですから、大したものです。

そして日本に、膨大な数の韓国人が来て、交流を深め、日本の教会も多大の恩恵を受けています。もし韓国軍があの朝鮮戦争で血を流していなかったら、米兵が命を捨てていなかったら、どうなっていたか想像してみてください。今、北朝鮮は数年に渡って、世界で信仰の自由が蹂躙されている国として第一位なのです。そこでは信仰者が強制収容所に入れられ、言語に絶する仕打ちを受け、死んでいっているのです。

日本のキリスト教会では「平和論」を掲げ、あらゆる形の戦争を不正義だと断じる傾向がありますが、アメリカ人に聞かなくてよいでしょう、年配の韓国の人々に同じように朝鮮戦争にも適用させて語ってください。顔を真っ赤にして怒られるでしょう。彼らこそ、共産主義の恐ろしさを身をもって味わった人たちですから。

私は戦争は、決して軽々しく起こすものではないと思っています。最大限回避すべきものです。戦争は負けるほうはもちろんのこと、勝つ側にも深い傷を残す悲惨なものだからです。けれども、実際に戦争が起こるときに、それを悪だと断じることは私にはできません。なぜなら、その背景に戦争と同じぐらい、継続的に苦しみを受けている人々が大勢いることが多いからです。

ですから、今の時代にアメリカという国が存在していることを、神に感謝しています。今となってはリベラル左派が幅を利かせていますが、それでも保守派が抵抗して、拮抗している状態です。カナダや欧州では、公共の電波機関を使ったキリスト教放送が禁じられているのです。なぜなら、「同性愛者の権利を守っていない」という根拠です!(ある意味、日本より自由がないのです。)ですから、西洋で唯一、そのユダヤ・キリスト教伝統を残存させているのはアメリカであり、それゆえ私は貴重な国だと思っています。

そして良く考えてみれば(「はげ」がどうして感謝できるのかを良く考えるのと同じように!)、アメリカが私たちを助けこそすれ、何か敵対したでしょうか?多大の経済支援をしてくれました。また思想的にも自由や民主主義の概念を日本の敗戦後教えてくれました。そして一般市民のキリスト者は、何とかして福音を伝えたいと思い、世界中に宣教師を送り出しています。

彼らの世界的視野や「人々に無償で分け与える」という精神的基盤がなければ、今の世界は、そして日本はどうなっていたでしょうか?今の日本人のキリスト者に、経済的に、そして霊的に世界に貢献したいという情熱を持っている人々がどれだけいるでしょうか?「受ける側」で考えずに「与える側」で考えてみたらどうでしょうか?

あれだけ世界が批判したイラク戦争も、民主化された政権下で宣教師が国内に入ることができるようになりました。それでも絶対的に悪であったと断じることができるのでしょうか?その戦争が正しくなかったとしても、神がすべてを善に変えてくださる、という信仰でどうして見ないのでしょうか?

「アメリカが正しいか、間違っているか」という視点ではなく、「神がこの状況を通して、何を行なっておられるのか」「神が、世界に対して魂の救いをどのようにして行なわれるのか」という視点でご覧になられたらいかがでしょうか?

アメリカ人の宣教に、また韓国人の宣教もそうですが、問題がないということではありません。いや、数多くあります。けれども、「もし彼らが情熱をもって福音を伝えてくれなかったら、いったい日本は、世界はどうなっていたのか?」と問い直せばよいのです。どれだけ感謝すべきか分かりません!

アメリカについて神に感謝すべきことは、まだまだあります。

ですから、アメリカの諸問題は問題として捉えますが「感謝しています」という前提をもって発言するのです。

「感謝」の力 - ②私が保守的な訳

そして政治的な見方についてですが、私は日本キリスト教会では少数派の保守的な考えを持っています。米国でその多くを学びましたが、キリスト教的価値観に基づく保守主義です。

それは、本質は「政府」という機関にあるのではない、という考えです。何か社会的な問題が起こると、必ず「政府がいけない」「このような教育を行なっているからだ」という話になっていきます。そして政府や公的機関にさらに積極的な関与を求める考えを多くの人が持ちます。おそらく日本のキリスト教の関係者も大半がそうでしょう。

けれども、私は本質は「神と個人の関係にある」と信じています。政府は神ではありません。政府が何かしてくれるのではありません。神が政府を置いてくださり、その政府が果たすべき役割はありますが、政府にできることはごく限られたものだと考えています。

政府に対して過度に非を訴えることは、言い換えると政府にそれだけ大きな役割を期待しているということです。政府が人を治めるという考えです。けれども、神ではなく「人」が他の人を治める時に、そこには神が生来与えておられる自由と人権を蹂躙するようになる、と感じています。

ですから私は、まず第一に、今の政府、また行政に感謝する立場を取りたいと思います。以前、民主党政権について一連の批判記事を書きましたが、それでも、彼らがマスコミには出てこない地道な努力をされているのだろう、という思いを決して忘れることなく、感謝の気持ちを表したいと思います。

それでもって、政治家に訴え、意見を投稿し、選挙時には深く考えて投票するという姿勢が正しいのだと思います。

そして第二に、問題を専ら政府のせいにしないことです。「自分たちが変わらないで、どうしてその自分を代表する国が変わりえるのか?」という考えです。この個人的責務において自由が与えられたら、それこそ真の民主主義であり、またその国の一市民となることができる、という考えです。

この考えを大きく拡げますと、世界情勢にも同じことが言えます。9・11の米同時多発テロ以降、世界に軍事的・経済的関与を行なっているアメリカに対する世界中からも猛烈な反発が起こりました。イラク戦争においては、堰を切ったように米国を憎む空気が流れました。これは日本のキリスト教会においても同じでした。

けれども、ここにも大きな矛盾があります。それは、世界で起こっている多くの事象をすべてアメリカに結びつけるということは、逆に言うと、世界の中心はアメリカであることを認めていることになります。そして、世界を動かしているのは神ではなく、アメリカなのだと暗に宣言しているに過ぎません。

違います、世界の中心は神ご自身であられ、その神に私たちが礼拝を捧げているのです。アメリカは所詮、世界の一国にしか過ぎず、その果たせる役割はごく一部に限られているのです。そして世界で起こっている問題は、本質的に、それを起こしている当事者の責任であり、彼らがその問題を克服することこそが、真の解決につながります。

今回のエジプトの問題に当てはめるなら、エジプトの次期政権を誰に委ねるかをエジプト人国民が決めることによって、民主化になるかイスラム化されるかが決まるのです。