「六日戦争」は1967年6月5-10日 その2

日々、入ってくる中東情勢ニュースのために、また私たちが生きている時代を知るためには、どうしても複雑極まりない中東事情を知る努力が必要です。1948年のイスラエル建国に伴う独立戦争、そしてエルサレム主権がイスラエルに移った1967年の六日戦争の把握は非常に重要です。

以下のサイトがおすすめです。

イスラエルの歴史 - 現代イスラエル(ミルトス)

第三次中東戦争(ウィキペディア)

五分でわかる戦史 第三次中東戦争

そして英文の分かる方は、ぜひ次の本をお読みください。

Six Days of War by Michael Oren

本書について、すでにブログ記事を書いています。
Six Days of War(戦争の六日間)」

六日戦争という非常に重要な出来事を包括的に説明している本が、なぜか和書あるいは邦訳本で実に少ないです。お奨めする本としては、「エルサレムに朝日が昇る」ウジ・ナルキス著「中東戦争全史」山崎雅弘著「イスラエル全史」マーチン・ギルバート等があります。

けれども、この第一流の六日戦争史であるSix Days of Warを紹介したく、Amazon.comにある書評を意訳してみました。(dougrhon “dougrhon”という人のレビューが原文です。)

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1967年6月の出来事は詳細に記述されてきたが、六日戦争そのものの記録のみならず、それに至る要因を記録したものは無かった。マイケル・オレン氏は、この紛争のすべての側面を包括的に回想している。

オレン氏は、この歴史を軍事・外交・政治・文化面で描き、公文書、公的報道、回顧録、まだ生存している当人たちへのインタビューなど、徹底的な調査を通して、イスラエル人からの見方のみならず、エジプト人、シリア人、ヨルダン人、そしてアメリカとソ連からの見地から、主要人物の役割を詳細に説明している。

オレン氏は、ナセルの一連の誤算が、彼が意図したよりも数年早まってエジプトを戦争に引き込んだことを描いている。シリアの好戦姿勢、また、パレスチナ・テロリストがイスラエル北部への襲撃したことを支持、また情緒不安定なアメル将軍に突かれたことが相まって、ナセルは国連を非武装地帯になっていたシナイ半島から追い出し、イスラエル船のチラン海峡封鎖を違法に行ない、事実上の宣戦布告を行った。オレン氏がはっきりと示しているように、エジプトとの戦争は、海峡が閉じられた瞬間に決定的なものとなったのだ。いかなる主権国も、航行の封鎖は座視することはできない。

さらに、イスラエルの政治指導者が、米国とソ連に対して、エジプトの挑発に対応する適切な軍事行動の許可を求める苦闘も記録している。エジプトによる明らかな戦争行為にも関わらず、時のジョンソン政権は、ベトナム戦争によって足枷をはめられており、またソ連との対立を恐れ、イスラエルに抑制を求めた。米国を疎遠にすることなく先制攻撃をどのように決定すればよいか、エシュコル首相とイスラエル政府の苦悩も描いている。あの有名な、アッバ・エバン外相とジョンソン大統領の会合にて、ジョンソン大統領は事実、第一撃を受けるよう促したのだ。あの忌まわしきシャルル・ド・ゴールが、あからさまにそれ要求したのだ。イスラエルの軍事ドクトリンによれば、敵の空軍を先制破壊することが必要だった。この緊張によって、ラビンは一時的に神経衰弱に陥り、エシュコルの寿命も何年か縮めたことだろう。

イスラエルはエジプト空軍に対する電撃攻撃を開始するや、続けてヨルダンが引き込まれ、それからシリアとイスラエルの軍事目標がしきりに変わっていく軌跡になっていく。事実、イスラエルは、直接、実際に迫っていた脅威を除去するという事以外に、特定の政治的目標は有していなかったのだ。イスラエルは、西岸に対して何ら具体的な計画を持っておらず、エルサレム旧市街でさえそうであった。皮肉にも、エルサレム旧市街を制圧する決定は、最後の最後まで、既に西岸がイスラエルの手に渡った後でさえ下されていなかったのだ。

アラブ側から、この戦争がなぜ災厄へと変わったのかも描いている。エジプト軍は、統一した司令系統の装いさえもきちんと取っていなかった。ナセルの将校らは、真実を彼に語るのを恐れていた。軍が全面撤退している時に、空軍が破壊した残骸が横たわっている時に、エジプトは、テルアビブに進軍しているという、実に浅ましいプロパガンダを流した。その間、フセイン(ヨルダン国王)は、ナセルとシリアの急進派に恐れをなし、エルサレムでイスラエルを攻撃するという罠に陥ったのだ。

さらに面白いのは、政治的・外交的配慮が、軍事戦略に影響を及ぼし、イスラエル側の被害を増加させたことである。例えば、エシュコルは、ゴラン高原を奪取する決定をあまりにも長く引き伸ばしたので、IDF(イスラエル国防軍)が、火砲砲撃、空爆、夜間攻撃などの適切な予防的措置を取ることができなかった。その代わりに、勇敢なIDFの兵士らが、殺人的なシリア軍の砲火の中に進んでいったのだ。エルサレム作戦においても、同じであった。

とどのつまり、本書の価値は、この戦争の文脈を提示したことにある。歴史修正主義者らは、イスラエルのゴラン高原と西岸の征服は必要ではなかったと言う。オレン氏は、エルサレムの場合を除き、イスラエルの攻勢はイスラエルの領土拡大が目的ではなく、純粋に地政学・外交的目的であったことを示している。一度、戦うことを強いられたら、イスラエルは、1948年の防衛不可能な休戦ラインに留まることを強いられないように決意した。イスラエルの戦争における基本的な目的は、敵側の攻勢能力を排除し、相手を交渉の席に着かせることであったことは疑いがない。不幸にも、その時のアラブの政権が平和的解決を不可能にさせ、さらなる流血をもたらしたのだ。

オレン氏は、エジプトとシリアの全体主義的政体と、イスラエルの耳障りな民主制を対比させている。イスラエルでは、あの有名な「穴(地下室)」にて、基本的戦略の決定が総意の下で採用された。将軍は、エシュコルの(ソ連とアメリカを敵に回すことへの恐れから生まれた)抑制に失望し、あからさまに嫌悪感を表したにも関わらず、一度たりとも首相の命令を軽視することはなかった。真の民主主義の特徴は、軍部が文民の司令に従属することである。これに対しナセルは、絶えず軍事クーデターを恐れていた。

オレン氏の私情を入れない分析によって、このドラマに出てくる主演者の肯定的・消極的役割を明らかにした。機知に富むモーシェ・ダヤンは、一般的に良く評価されるようには出てこない。彼の不可解な気質は、1973年(ヨム・キプール戦争)でイスラエルを危険に晒した。エシュコルはその責任が全く追及されていない。事実、全貌が明らかにされたら、無数の競合する懸案事項を取り組むのに相応しいイスラエルの指導者は、彼以外には見つけるのが難しいだろう。ナセルは、悪者というよりも、惑わされ、打ちのめされた者として出てくる。フセインは、自分で制御できない勢力の被害者のようだ。本書は、まさに「第一級作品」になる運命を持っている。「おお!エルサレム」が独立戦争の名作であれば、本書は六日戦争の名作だ。イスラエル史に興味をお持ちの方は、これは必須図書である。
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「六日戦争」は1967年6月5-10日 その1

今日は、土曜日と日曜日の説教の準備をしていました。それで、合間に息抜きをしている時にふと、「そういえば、6月5日から10日までは、1967年の六日戦争ではなかったか。」と思い出しました。

今のイスラエルと周辺状況を報告します。先日、オバマ大統領がイ・パ和平交渉として「67年への境界線まで」と話して、ネタニヤフ首相が拒否した話をしました。(「イスラエルが67年の境界線から撤退できない訳」「ネタニヤフ首相の米議会演説」)これは、もちろんオバマ大統領がビン・ラディン殺害の成功の勢いとして、それを中東安定につながったのだから・・・という思惑で行っていました(ハーベストタイム)。

そして、中東全域で起こっているデモとその鎮圧があります(産経記事・解説)。シリアでは、自政府から目をそらさせるために、この6月5日に政府は、一人につき千ドルを与え、数百人のパレスチナ人をゴラン高原でイスラエル領に侵入させ、デモ隊とイスラエル国防軍が衝突しました(debka)。

シリアはレバノンの保護者であり、そしてそのさらなる保護者にはイランがいます。イランは、シリアに対してさらなる「デモ」による挑発をするよう圧力をかけています(WND)。そのイランが、二か月で核保有できるとの不穏なニュースも入っています(ynet news)。

そして、アフマディネジャドは、第12イマーム(イスラムシーア派版メシヤの到来を、これまで以上に声を上げています(pajamasmedia)。以前もお話ししたように、核開発と彼の狂信は一体になっています。

(ちなみにシリアは、既にイスラエルが原子炉を空爆したことによって、北朝鮮が協力した核開発は頓挫していますが、IAEAがその計画の可能性が大であると明らかにしました(産経記事)。

さらにイランは、紅海に潜水艦を派遣しました(ラジオイラン)。

そして、目をパレスチナ自治政府に移しますと、こともあろうに2000年の第二次インティファーダ(民衆蜂起?)のように、ファタハがシリア、レバノン国境、ガザ地区で起こった蜂起を利用してその規模を拡大させようと画策しています(WND)。

(私が2000年に、このインティファーダのことを書きました時(「きよきよの部屋」)、当時は掲示板を持っていたのですが、板に荒らし投稿が続きました。何かちょうど、イラク反戦や今の反原発の雰囲気と似ていまして、「平和」「不正義」と唱える人々がむしろ攻撃的であり陰湿でした。けれども、ハマス創始者の息子のモサブ氏が明かしているように、パレスチナ指導部で意図的に作り出されたものであることが確認されています。)

これが、六日戦争の記念日を起点にした中東情勢です。詩篇83篇をお読みください。ここには4-5節を引用します。

彼らは言っています。「さあ、彼らの国を消し去って、イスラエルの名がもはや覚えられないようにしよう。」彼らは心を一つにして悪だくみをし、あなたに逆らって、契約を結んでいます。

昔の人たちの知恵

今日(昨日?)は、久しぶりにプールに行って泳いできました。そして、ブログで個人的にコメントをしてきてくださった方と有意義な対話をすることができました。

それで、いろいろ原発に関わるいろいろな意見をネットで読みましたが、今日気付いたのは、「日本も北朝鮮と変わらないじゃないか。」ということです。北朝鮮では、「将軍様マンセー」というお題目を必ず自分の意見を発表する時に付けるのですが、日本は「菅政権はどうしようもない」と、どんな問題のことを話していても、出てくるのです!何の関係があるんだ?と思ってしまいます。これは反原発の人たちだけでなく、推進していたり、保守層の人々の口からも連呼のように出てきます。

そんな中で、実にうならされる良い記事を見つけました。

「最悪時」前提に設計見直せ 原発事故に学ぶ  畑村洋一郎 東京大学名誉教授

(上は日経の記事で登録会員にならないと読めないので、この記事を全文引用した福島県民の方のブログをリンクします。事故調トップ・畑村氏の「原発失敗学」【1】  事故調トップ・畑村氏の「原発失敗学」【2】)

また産経にも同氏に対するインタビュー記事があり、内容は似ています。

原発事故考(上)失敗学会理事長・畑村洋太郎

こうして感心して読んでいたら、なんと、福島第一原発を巡る政府の「事故調査・検証委員会」の委員長になった方なんですね、驚きました。

初めの日経のサイトの記事ですが、そこには宮古市の防潮堤についての話です。

 被災地を回って気付かされることは多い。岩手県宮古市田老地区では、新しい防潮堤は津波で破壊されたが、昭和8年(1933年)の大津波直後に設計された防潮堤は原形をとどめている。
 どういうことか。地形を見てみると分かる。新しい堤防は湾口に対して直角に、真正面を向いて建設されている。だから津波の勢いをまともに受けて破壊された。これに対し、古い堤防は湾口に対して斜めを向いている。津波の圧力を真正面から受け止めるのではなく、山の方向へ逃がす設計になっているのだ。
 昭和8年には高さ15メートルの大津波が田老地区を襲った。先人はどれだけ巨大な防潮堤を建設したところで、津波を完全に押し返すことはできないと悟ったのだろう。水が入ってきたとしても、退避のための時間稼ぎができればいいという発想だ。古い防潮堤の内側は高台から放射線状に道が延びるなど町全体が高台に逃げやすいようにできている。
・・・
 今回の復興でも高台に町を移転するというだけでいいのか。すぐに逃げられない高齢者は高台に住むとしても、むしろ防潮堤はあまり高くせず、いつでも逃げられるように適度な警戒感を持って生活した方がいいのではないか。

昔の人たちの方が、今の科学万能主義の考えよりもはるかに知恵を持っていたのです。「自然の驚異に対して人間の力が対抗できるわけがない、だからその勢いをある程度受け、それをかわすようにする」という発想です。そして「適度な警戒感を持って生活する」ほうが、よっぽど健全で理にかなっています。そして極めつけは次です。

 もう一つ、田老地区の古い防潮堤の水門の事例を紹介しよう。筆者が1996年ごろに訪れた際、手動で水門を開閉していることに興味を持った。「なぜ手動なのか」「電動では、電気が来なくなると閉められないでしょう」。案内人は答えた。今回再度訪れたところ、津波が来る前に水門は閉められ、被害を小さくするのに役立ったという。

あまりにも当たり前ですね!電気がなくなるのは。でも、これは頭脳明晰な東電の人たちも「想定」していなかったすぐれた知恵です。

私も常々思うのですが、昔の人たちのほうが今の私たちよりも明晰であったのではないかと思います。キリスト教の中でも言えるのですが、比較的昔の人々の言葉のほうがずっと残ります。「もっと改良しなければならない。」と考える最近の人たちの話のほうが、かえって洗練されておらず、瓦解することが多いです。

東電を責めない

そしてこの方の議論で優れているのは、これを「東電を責める」ことにしていないことです。

しかし最悪の事態を想定しなかったとして、東電ばかりを責めるのはどうかと思う。「あいつが悪い」と指摘するのは「別の人ならばうまくできた」という問題のすり替えにつながり、物事の本質を分からなくしてしまう。

その物事の本質とは何かと言いますと、「日本的企業の体質」であると言います。国の基準を守っているから問題ないという東電の考え方は、緊急事態では機能しない。」とのことです。けれども、これは企業に限らず、個々人の私たちがそういう体質を持っており、災害対策で重要なこととして、「(1)自分の目で見る(2)自分で考える(3)自分で決める(4)自分で行動する。この4つが重要で、第三者が決めたことに従って失敗すると、「自分は悪くない」と言い訳をする。」とのこと。

そう、つまり東電の問題だけでなく、私たち自身が問題なのです。何か問題が起こるとすぐに政府のせいにする、行政のせいにする、学校でも会社でも少しでも不都合なことが起こるとすぐに文句を言う、という「問題の摩り替え」を行っているのです。自分自身が、物事に果敢に対処する、頭を使って状況判断をする、クリスチャンであればそれが「御霊に導かれる」ことである、ということです。

続けて三陸海岸の話をしておられます。

三陸海岸では小学校で津波に対する教育や訓練を日ごろから実施していた。しかし、あらかじめ町や村が決めた避難所に逃げたのに津波にのみ込まれてしまった惨事がある一方で、決められた避難所よりもっと高い場所に逃げないと危険だと自分たちで早く判断して逃げて助かった小学校もあった。

私たちがしばしば行く東松島の被災地においても、仙石線で石巻と仙台を結ぶ列車がそれぞれ上り、下りの二つが走っていて、片方は地震後、マニュアルに沿って避難してその避難所が津波で流されたのに対し、もう片方は車掌らが避難所に誘導しようとしたところ、地元の人がとっさに、「ここは高台だから車内にいた方が安全だ」と叫び、皆、その言葉に従ったそうです。そしたら、津波がまさにその列車の周りに襲って、その高台だけが冠水しなかったとのこと。(運命の2時46分発 駅で交差した「生と死」 JR仙石線野蒜駅

この咄嗟の状況判断が、東電はまるでできていなかったこと、けれども当人たちは「真面目に」現行通りのシナリオで動こうとしていたのです。(それでも例えば、現場の吉田所長が官邸や本部の指示ではなく、一時間注入をし続けたという面もあります。)

御霊に従うのは「もどかしい」

ぜひ、使徒の働き27章を読んでください。そこにローマに向かう船の中に、パウロを含む囚人が乗っている場面が出てきます。パウロは人々に注意して、「皆さん。この航海では、きっと、積荷や船体だけではなく、私たちの生命にも、危害と大きな損失が及ぶと、私は考えます。(10節)」と言いました。けれども、「百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した。(11節)」とあります。パウロは状況を見て御霊によって語ったのに対して、百人隊長はいわば「マニュアル」を信じたのです。

けれども嵐の中で死ぬ思いをしていた彼らは、パウロが次に神から語られた言葉はようやく聞く耳をもって、彼の指示に一つ一つ従いました。それで一人も命を失う者はありませんでした。

この前のローマ人への学びは8章前半で、「御霊に従う」ことでした。これが、捉えどころがなく難しいという感想が出てきましたが、その通りで御霊の導きはまさに「捉えどころ」がありません。マニュアル化できないのです。他の人が行っていると言って、それを行ってもうまくいかないのです。そしてある時にうまくいったことも、次にうまくいくかわからないのです。そして、パウロのように信用されなかったりすることもあるし、批判されることもあります。けれども、「これだ」と御霊に示されたことを果敢に行っていくことが必要なのです。

神の御声を聞くことは、たった独りでしかすることができません。他の人が代わりにすることができないのです。けれども、これを行わない限り信仰が芽生えません。これはもどかしいです、けれども聞き従った時に、これまで体験しなかった、不思議で新鮮な御霊の働きを体験できるようになります。

恵比寿バイブルスタディ6月8日のお知らせ

お元気に過ごしておられますか?

私は、前回の東北救援旅行からもう二週間経ち、少し体の疲れを取ることができています。そして2005年の今頃はもう韓国にいたので、日本の梅雨は7年ぶりになります。すべてのことが感謝で、雨が降っている時もそのしっとり感が心地よく、今日のように晴れて涼しくなるのも、とても爽やかで気持ち良いです。

次回の恵比寿バイブルスタディのお知らせです。

日時:6月8日(水)19:00~
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第二会議室
聖書箇所:詩篇92篇以降
※ 食事は学びの前と後で持参ですることもできます。

ぜひいらしてください。

原発危機と日本

昨日、午後の第二礼拝の後、その疲れを取るようにチェンネルサーフィンをしていたところ、次の番組に釘づけになりました。

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NHKスペシャル シリーズ 原発危機 第1回 事故はなぜ深刻化したのか

いまだに危機的な状況が続き予断を許さない原発事故。当初の想定を超え、水素爆発やメルトダウンなどが進行し、後手後手の対応の中で、汚染は拡大していった。
なぜ、ここまで事故は深刻化したのか。事故対応にあたった官邸、保安院、原子力安全委員会、そして東京電力はどう動いたのか。
当事者たちの証言と内部資料をもとに徹底検証する。
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非常に衝撃的な内容でした。先日の記事「政府や東電を信用するな?」に書きましたが、私は、「いわゆる意図的な隠蔽工作はしていないだろうが、それぞれが目の前にある問題に対処するのに精いっぱいで、全体像を見ていないために、その実直さが裏目に出たのだろう」と思っていましたが、まさにその通り、いやそれ以上でした。

詳しいことはぜひこの番組を見ていただきたいのですが、再放送が「6月13日(月)午前1時30分~2時28分 総合 (12日深夜) ※近畿ブロックは午前1時43分~2時41分)」にあります。

情報の錯乱と連絡系統の破綻

東電は、予備電源不能、ベントなど「もうこれで終わりだ」という絶望に近い声を上げ、保安院そして官邸までの連携が取れず、官邸では各党の党首と会う菅首相が会っているので待っている状態。原子力委員会は「水素爆発は起こらない」と判断したこと。あまりにも情報が官邸に上がってこず、官邸と保安院と原子力委員会の連携が破綻したため、菅首相は有識者らの集まりを別に設定、そこで「二号機も爆発する」と言った人がいたにも関わらず、それが知らされず自衛隊が出動し、ちょうど到着して車両のドアを開けた時爆発し、自衛隊員が被爆したこと、避難民への指示も「マスクを口に当てて」ということしか言っておらず、そして風向きの情報が官邸にあったにもかかわらず、その指示を出さず風向きに避難してしまったなど・・・情報錯乱と混乱の連続の姿を見ることができました。

けれども同時に、分刻みの記録は東電も保安院も克明に記しています。官邸も、届いた情報に基づき、国権で全力挙げて東電を手助けしている様子も伺え、菅首相も与えられた情報と混乱収拾のために、常識ある行動をしていたことも見ることができます。

しかし、「不確かな情報を流すことはできない(官邸)」「官邸はどう見ているのだろう(保安院)」など、慎重さと相手への配慮(?)が大きな仇となりました。また、東電の現場を指揮する吉田所長は下請けの作業員に被害を負わせてはいけないと判断し「撤退」と言った言葉が、東電社員は残っているにも関わらず、官邸の首相を激昂させ、東電本社に乗り込み、「撤退は絶対に許されない」という怒号を上げたことなど、それぞれが真剣であるがゆえに、その混乱も拡大されていった様子も伺うこともできます。

問題は現政府にあるのではない

ところで、私はちなみに、原発推進論者でないことを前もって言っておきます。けれども、「想定外という東電の言い分は間違っている」というのは、はたしてその通りなのでしょうか?反原発の人たちは、今回の未曾有の津波を想定したのでしょうか?けれども、核分裂というとてつもない危険な作業をしている発電所は、あらゆるシナリオを想定しなければならず、千年に一度と言われる地震が完全に予想できなかったわけではないことも踏まえると当然責任はあり、このような混乱をもたらした危機管理の不備は菅政権にその責任を問われてしかるべきだと思います。

しかし菅首相を退陣させることによって、問題は解決するのでしょうか?菅直人という個人の判断ミスというよりも、むしろその危機体制を整備していないことこそが問題であり、今後誰が首相の座に就こうとも、全く同じ問題が起こると思っています。これは、小泉政権以後、次々と首相が変わる日本全体がおかしくなっていることにも関わっています。

私がいつも思い出すのは、アッシリヤによって滅びる前の北イスラエルの後期の姿です。新たに王が立てられるや、その家臣が引きずりおろし、自らが王となり、それが繰り返されてころころ変わっていく姿です。

「彼の侍従、レマルヤの子ペカは、彼に対して謀反を企て、サマリヤの王宮の高殿で、ペカフヤとアルゴブとアルエとを打ち殺した。ペカには五十人のギルアデ人が加わっていた。ペカは彼を殺し、彼に代わって王となった。(2列王記15:25)」
「そのとき、エラの子ホセアは、レマルヤの子ペカに対して謀反を企て、彼を打って、彼を殺し、ウジヤの子ヨタムの第二十年に、彼に代わって王となった。(同30節)」

北イスラエルは、「主の目の前に悪を行った」という根っこの問題があったために、王を摩り替えてもアッシリヤに滅ぼされたと同じように、日本にも現政権よりももっと深い、根っこにある問題があるように思われます。

太平洋戦争の教訓

私は東電・保安部・官邸にある意思決定のありさまを見るにつけ、太平洋戦争を決定せしめた指導部の意思決定を思い出しました。同じくNHKスペシャルがかつて、「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」というシリーズで、「第4回 開戦・リーダーたちの迷走」という題名で取材をしています。

日本の国策決定の場は、全ての組織の代表者が対等な権限を持つ集団指導体制で、全会一致が建前。常に、曖昧で、玉虫色の決定が繰り返された。各組織のリーダーたちは、戦争に勝ち目がないことを知りつつも、戦争できないと言うことが自らの組織に不利益を与えると考え、言い出すことができない。海軍、企画院、陸軍、首相、それぞれが互いに責任を押しつけ合い、重大案件は先送りとなっていく。しかし、日米交渉が暗礁に乗り上げ、妥結の見通しがみえない中、首脳部は、国力判断、すなわち国家の生産力・戦争遂行能力のデータを総動員して、譲歩か、戦争かの合議を行う。結論は、各組織の自壊を招く「戦争回避」より、3年間の時間を稼ぐことのできる「開戦」の方に運命を賭ける。
日本のリーダーたちは、国家の大局的な視野に立つことなく、組織利害の調整に終始し、最後まで勇気をもった決断を下すことはなかったのである。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110306.html

彼らは、冒険主義ではありませんでした。それぞれの組織の中で誠実であり、むしろ慎重な姿勢を貫きました。しかし、だれもが「責任」いいかえると「指導権」を取ることを避けました。そして、彼らが最も気にしていたのは、実は「国民」でした。「戦争できないということが自らの組織に不利益を与えると考え、言い出すことができない。」がそれです。

これは第4回ですが、第3回には、「”熱狂”はこうして作られた」という題で、こう要約しています。

日本が戦争へと突き進む中で、新聞やラジオはどのような役割を果たしたのか。新聞記者やメディア対策にあたった軍幹部が戦後、開戦に至る時代を振り返った大量の肉声テープが残されていた。そこには、世界大恐慌で部数を減らした新聞が満州事変で拡販競争に転じた実態、次第に紙面を軍の主張に沿うように合わせていく社内の空気、紙面やラジオに影響されてナショナリズムに熱狂していく庶民、そして庶民の支持を得ようと自らの言動を縛られていく政府・軍の幹部たちの様子が赤裸々に語られていた。
時には政府や軍以上に対外強硬論に染まり、戦争への道を進む主役の一つとなった日本を覆った“空気”の正体とは何だったのだろうか。日本人はなぜ戦争へと向かったのか、の大きな要素と言われてきたメディアと庶民の知られざる側面を、新たな研究と新資料に基づいて探っていく。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110227.html

実はファシズムと言われていた戦時中の日本と今の日本は同じであり、指導層は、マスコミによって煽られた人々の空気に縛られていました。小泉以後の自民党政権にしろ、現民主党政権にしろ、いや日本だけでなく、実はブッシュ大統領以後の米国の政権にも見ます。

要は、「相手が気になる」「全体を調整しなければいけない」という、実際は「リーダーシップの回避」という問題があります。「実直さ」「慎重さ」によってさらに増幅されて、制御できない原子炉のように全体がどんでもない方向に突入していくのです。

大局のない人々

とどのつまり、これは私たち一人一人の課題です。それは大局から計画し行動する、ということです。政府や東電を批判する前に、私自身それができているのか?と思うことがあります。

今回、被災地に行き、特に初動段階では、リーダーシップの必要性を切実に思いました。先がどうなっているのか情報が入ってきません。ですから、常識で考えたらすべてが「やらないほうがいい」ということになります。けれども、祈りつつ、「これではないか」と感じることを次々と自分で判断して、決定して行わなければいけません。それを行なうと、自分がもっとそのことに時間と労力を費やさないといけません。その過程で、批判や誤解が生じても、勇気をもって行動に移す時に、事が進んでいきました。

それを別の言い方をすると、「御霊に導かれる」ことです。御霊に導かれるときには、相手がどう思うかとか、全体の調整を見て判断することはできず、ただ自分の意志を独りで働かせることしかできません。指導者とは、つまり全体に与えられている姿を見て、信仰者であれば神から示された幻として受け止めて、それに信仰をもって反応し、行動に移すことです。「この人はどう思うだろうか。」「これをやったら、自分が労苦しなければいけない」などの懸念を振り払って行っていきます。

以前、「ロゴス・ミニストリーと日本の教会」という論考を書かせていただきましたが、そこに「内から外へ向く御力」という部分がありますが、神が与えてくださるのは大局なのです。そして小さな事柄は、その大局に付いてくるものです。小事を調整するあまり、大きな方向性が誤ったところに向いていることに気づかないのです。

私の住んでいるマンションの総会に妻が参加しましたが、ほとんどの人が発言を控えていました。一人だけが延々と話していたとのことです。けれども、これが太平洋戦争前の日本の縮図であり、原発事故の危機管理の縮図でもあります。「どうしようもないな菅政権」と人差し指を差している時、三本の指は自分自身に向いているのです。リーダーシップを取ろうとしない姿、全体の和を崩したくない姿、自分の生活を乱したくない姿、すべてを静かに丸く収めようとする姿、それゆえ何が実際に起こっているのか真相をつかめない姿、けれども、文句だけは人一倍言っている姿です。

6月以降のLCF活動のお知らせ

みなさん、こんにちは。

6月以降のLCF活動のお知らせを致します。先ほど教会案内のカレンダーを修正しましたが、こちらにも簡単に記したいと思います。

毎週土曜日
14:00からの「ローマ人への手紙の学び」は続けて、「足立区こども家庭支援センター」別館にて行います。そのあと活発な質問と話し合いの場となっており、カウンセリング的な雰囲気もあります。ぜひおいでください。

17:45-18:30に「祈り会」をOCC307号室で行います。17:30から部屋を空けていますので、どうぞお入りください。

そして「第一礼拝」を同じく307号室で行います。時間は変わらず19:00-20:30です。ぜひ礼拝にご参加ください!

毎週日曜日
第二礼拝のみとなります。6月は続けて足立区綾瀬の自宅にて、詳しい住所はinfo@logos-ministries.orgにお尋ねください。

そして7月以降は基本的に、「足立区こども家庭支援センター」別館にて行います。(予約の取れない場合は足立区綾瀬の自宅にて行います。)これまで人家での礼拝にはとまどいを感じておられた方も、ぜひ、おいてください!

※ 7月16日(土)ローマ人への学びと、7月17日(日)の第二礼拝は、私が不在のためLCFはお休みになります。16日の祈り会は行い、また第一礼拝は他の者が説教をするので続行します。