映画「アメイジング・グレイス」

先ほど、この映画が3月5日に日本で上映されるという広告を見て驚きました。なぜなら、この映画は2006年のものであり、私はどこかで既にかなり前に見ていたからです。

公式サイト(日本語)

クリスチャンの方、またそうでない方もぜひご覧ください。これは英国の奴隷制度を廃止へと導いた政治家ウィリアム・ウィルバーフォースの物語です。

彼の奴隷制度廃止を突き動かした情熱は、彼の鮮明な回心体験によります。伝統的な英国国教会の背景の中で、彼は新生した福音的クリスチャンになりました。そして、元奴隷商人であったジョン・ニュートンとも交流を深め、彼の廃止論への確信を強めます。このニュートンこそ、あまりにも有名な聖歌「アメイジング・グレイス」の作者です(ジョン・ニュートンの伝記)。

聖書回帰運動・世界宣教・ユダヤ人パレスチナ帰還運動

そして、ウィルバーフォースのもう一つの側面をご紹介します。彼は世界宣教に熱心であり、ユダヤ人への宣教と彼らのパレスチナ帰郷運動に熱心であったことです。この話については、私が2010年イスラエル旅行でエルサレム旧市街にある「クライスト・チャーチ」でそこの所長の方から聞いた話に書いていますので、どうぞご一読ください。

http://www.logos-ministries.org/israel/israel+jordan05_26.html#7

これが私がしばしば話している、「ユダヤ・キリスト教価値観」のことです。その起源は、聖書を一般の人々が読むことができるようになった宗教改革から始まり、それによって聖書をそのまま受け止める人々が増え、ナポレオン等、当時の権力者がパレスチナへの関心を抱いていた時代の中で、時が満ち、英国に霊的復興が起こりました。世界の不安定化も相まって、聖書に記述されている世の終わりを自分自身のこととして捉え、全世界への宣教運動がその国で起こったのです。

聖書回帰運動は既存の制度に対しても影響を与え始め、奴隷廃止など、今の私たちが共有する近代的価値観が新生したキリスト者の間から起こされました。同時に、従来の迷信に基づく「キリスト殺し」を叫んだ中世ヨーロッパ・キリスト教の反ユダヤ主義から脱却していったのです。

それと共に、むしろユダヤ人を愛し、彼らの郷土帰還を後押しする人々が、英国そしてその後米国で聖書を読むキリスト者から興されていきました。政治家の中から、パレスチナのユダヤ人義勇兵と共に戦う英国将校から、様々な分野の人から積極的にシオン帰還を後押しするキリスト者が現れました。有名な人はもちろん「バルフォア宣言」のアーサー・バルフォア伯爵です。法学者ウィリアム・ブラックストンもおり、そしてシオニズムの父テオドール・ヘルツルの親友ウィリアム・ヘクラーです。

けれども、英国は次第にその動きから手を引きます。1939年の政府白書で、パレスチナに大量帰還するユダヤ人難民に制限を設け、こともあろうにナチスの最終計画が実行されているヨーロッパ本土に強制送還しました。アラブ人を宥めることによって、パレスチナにおける影響力を残すためです。

そして第二次世界大戦が終結すると、英国は影響力を残せるどころか委任統治を放棄し、結局、大英帝国の地位から凋落しました。その中で、イスラエル新生国家を支援したのが米国です。トルーマン大統領も、聖書に強い影響を受けており、ユダヤ人国家を認める国連分割決議案に対して、アラブ圏への国益を損じるとして激しく反対した国務省を押し切って、イスラエル独立宣言をいち早く認知しました。

今週LCFの学びは創世記12章に入りますが、「あなたを祝福する者は祝福され、呪う者は呪われる。」という神の言葉は、いわゆる「アメリカの宗教右翼」が使っている聖書箇所などでは決してなく、聖書そのものを読んでいく者たちによって歴史を通じ綿々と続いてきた価値観であり、それは「世界宣教」や、平等・人権・博愛主義などの「近代的価値観」と密接に連関しています(例:黒人公民権運動を指導したキング牧師は、「シオニズムを非難するとき、ユダヤ人を非難しているのだ」と言いました(手紙))。

こういった壮大な、英国近代史における神の摂理と御手を、本映画を鑑賞するとき感じ取られたらよいでしょう。

(参照資料:「イスラエルの情報」、Lovers of Zion: A Brief History of Christian ZionismBritish Support for Jewish NationAwakening in the Christian world in support of a Jewish Restoration 1830-1930

LCFの礼拝&勉強会(3月19日以降)

いつも、LCF(ロゴス・クリスチャン・フェローシップ)のためにお祈りくださりありがとうございます。おかげさまで、礼拝が始動してから四週が過ぎました。関心の持っておられる方々にたくさんお会いすることができ、大変感謝しています。

そして一番嬉しいことは、伝道者の書に「神のなさることは みなその時にかなって美しい」とあるように、私たちが12月末に日本に帰国して以来、その時期でなければお会いすることのできなかった人々や、魂の救いの刈り取りを必要としていた人々が集って来てくださっていることです。参加している一人ひとりが、主の御業を仰ぎ見て喜んでいます。他の方々も、3月以降の第一礼拝(毎土曜晩)また第二礼拝(毎日曜午後)に、ぜひご参加ください。

ところで、御茶ノ水クリスチャンセンターで小会議室を借りて行なっていましたが、手狭になってきたので、50名定員の部屋を加えて借りました。小会議室は、少し時間調整をして続けて借ります。これまでの礼拝の他に、手前で「祈り会」を持ち、説教中同時に「子供礼拝」を捧げるためです。

また、これまで自宅で行なっていた「新しい信者のための勉強会」が来週の土曜日をもって完了します。新たに「ローマ人への手紙」を勉強します。新しく信じた方が続けて学ぶための目的がありますが、他の方々にもぜひ参加していただきたいと思い、公の施設で行なうことに決めました。

すべての予定変更は「3月19日以降」に行います。

LCFバイブル・スタディ(新しい信者のための勉強会、ローマ人への手紙)
足立区 こども家庭支援センター
毎週午後2時半から4時半

祈り会
御茶ノ水クリスチャンセンター307号室 毎週土曜日6時から6時45分
(5時45分には部屋を開けます。祈り会の始まる前に食事を持ち込んで取ることもできます。)

第一礼拝
御茶ノ水クリスチャンセンター811号室 毎週土曜日7時から8時半
子供礼拝 307号室(7時20分頃から8時まで)

第二礼拝
東京足立区の自宅 毎日曜日2時から4時まで
(詳しい住所はinfo@logos-ministries.orgにお尋ねください)

※今週(3月5日)と来週(3月12日)は現状の予定です。
 新しい信者の勉強会(自宅 1時より)
 祈り会(自宅 3時より)
 第一礼拝(御茶ノ水OCC307号室 7時から8時半)
3月6日・13日
 第二礼拝(自宅 2時より)

恵比寿バイブルスタディ 3月2日

恵比寿BSの皆様、

皆様こんにちは。

寒暖の差が春の訪れとともに大きくなっております今日この頃ですが、皆さまご健勝のことお喜び申し上げます。

チュニジアに始まった民主化(?)運動が、エジプト・リビヤに飛び火し、目が離せない世界情勢となっております。恵比寿BSでは、聖書講解のみならず、きよきよさんから、これらの運動に対する聖書史観からの分析・評価なども時折コメント頂けるので、私的には大変刺激を受けます。History = His story = 神の歴史における、「今」を皆様と共感できればとも思います。是非おいで下さい。

それでは、3月2日(水)の学びを以下ご案内申し上げます。
皆様のご参集を心よりお待ち申し上げます。

日時:3月2日(水)19:00~
場所:場所:目黒区立田道住区センター三田分室 / 2階第一会議室
(恵比寿駅または目黒駅から徒歩約10分、日の丸自動車教習所の向かい)
住所:目黒区三田2丁目10-33 電話:3791-7901

内容:詩篇78篇~(学び)
持ち物:聖書

以上、宜しくお願いします。お問い合わせなどございますれば、御遠慮なく返信メール下さい。
ebisu.bs @gmail.com(@マークの前の一マスを取って送信してください)

代行発信:I兄

※ご持参の食事はメッセージ前、あるいはメッセージ終了後の分かち合いのときに召し上がっていただけます。

ナルニア国物語第三章「アスラン王と魔法の島」

前記事「アスラン王と魔法の島」の続きです。

さっそく、上映開始日である今日、朝一で当映画を観に行きました!

第一章は神の壮大な救いのご計画を一望する内容、第二章は、神がキリストにあって行なってくださった御業を、現実の過酷な状況の中でも信じ続ける教訓がテーマでしたが、第三章は一言

誘惑に打ち勝つ

です。詳しい内容は「オフィシャルサイト」の作品紹介にある「あらすじ」を見てください。また、小説の第3巻「朝びらき丸東の海へ」の解説そして、英語のできる方はWikipediaのあらすじへどうぞ。

ナルニア国は多くの領域を征服し、平定を確立しつつありました。けれども、七人の貴族を探すため、また七つの剣を探して、くらやみ島から出てくる「邪悪な霧」を打ち消すべく、カスピアン王子、エドマンド、ルーシー、そして二人の従兄弟であるユースチス、またナルニア住民の船員たちが航海します。


この邪悪な霧の背後に働いているものが、まさに悪魔の誘惑であり、今度はルーシーも含め、それぞれの心の中にある闇との闘いが始まりました。

もう一つの物語が、この主題と共に織り込まれています。彼らが向かっている東方には、創造主アスランの国のある島があります。第二弾で出てきたねずみのリーピチープは、この島に想いをはせています。そこはまさに、天の御国であり、主の御座のある所です。ナルニアが地上に確立される神の国(黙示20章)であるならば、アスランの島は神の御座のある「天」そのものであり、新しいエルサレムです(黙示21-22章)。

私がまず興味を持ったのは、ルーシーに対する誘惑です。彼女は純粋な信仰の持ち主であるはずなのに、思春期を迎えている彼女は、姉のスーザンにあこがれ、彼女のように美しくなりたいと願います。それが仇となり、夢の中でスーザンになったルーシーは、アメリカでピーターとエドマンドと正装して肩を並べて歩いているのですが、「ルーシーは誰?」「ナルニアって?」というピーターとエドマンドの言葉に恐れを感じ、我に返って目覚めました。自分の魂をあこがれの美に売り渡してしまったばかりに、自分自身を失い、そして恋い慕うナルニアまでも失うという恐怖を味わったのです。

そしてアスランがルーシーに現れ、「あなた自身にある召命と賜物を忘れてはいけない」という神の御言葉につながる内容の言葉を話します。

そしてエドマンドに対しては、彼は「兄ピーターの下にいる自分」「今はカスピアンの下にいる自分」に不満を覚えていたところを、隙を狙われます。なんと、第一弾でエドマンドを虜にした白い魔女が、その霧の中に何度も何度も現れるのです。そして「あなたを王にしてあげよう」と誘います。

現在自分が抱いている権力欲が、過去に犯した罪の痕跡の形をとって表れているのです。

そして従兄弟ユースチスは、まったく神に関わることは無関心、非常にひねくれて、不満だらけの子でしたが、金水島で財宝を貪ったために何と竜になってしまいます。けれどもそこで初めて、朝びらき丸の乗組員たちと心を一つにして協力し、一番仲の悪かったリープチープと最も仲良くなります。

罪によって懲らしめを受けるが、その訓練によってかけがえのない価値観を見出す、という教訓を与えてくれます。

そして、私が涙が出そうになったのは、最後の、アスランの島で海の波の壁が立っているところです。そこを越えるとアスランの国になります。けれども、一度入れば戻ってくることができません。カスピアンはそこに父のいることを知って行きたくなりましたが、ナルニア国の王として果たすべき任務があるとしてその願いをこらえました。

けれども、リープチープはこのために航行してきたのです。彼は小さな舟に乗り、オールを漕いで、その波を越えていきました。私も、魂の奥底に、錨のように垂れ下がっている希望は、天そのものなのだということを強く感じました。神ご自身にまみえたい、天に入りたい、その言葉に言い尽くすことのできない栄えによって我を忘れたい、という熱烈な思いがあります。

けれども同時に、カスピアンのように、この地で果たさなければいけない務めがあります。「私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。(ピリピ1:23-24)」

最後にアスランは、エドマンドとルーシーにもうナルニアには戻ってこられないことを告げました。けれども、人間の世界からでも、ナルニアを介さずにアスランの国に行く道があることを言及しました。

これは、地上にいる私たちに、キリストが天から戻ってきてくださる事を暗示し、また、今ここにいる自分がイエス・キリストに出会い、父なる神と共にいることを教えています。

わあ、何という深い神の知恵と経綸に根ざした物語でしょうか!!DVD化されたら、さらに何度も観たいと思います。

「栄えに満ちた喜び」(Joy Unspeakable)

ロゴス・ミニストリーは聖書の「言葉」を強調した働きですが、けれども福音宣教はご聖霊の働きがなければ決して成し遂げるはできないと強く信じている奉仕でもあります。

教会生活が長くなると、教会や教派によって変わってきますが、「聖霊のバプテスマ」「異言」という言葉を聞くようになります。その言葉は聖書そのものに書いてあるものであり、大事な体験であり賜物ですが、このことを知ろうとするや否や、乱雑した情報の海の中に投げ込まれてしまいます。終末についてもそうですが、こうした混乱の中で実は使徒も、「あなたがたに知らないでいてもらいたくはありません」と言って、これらの真理についてきちんと説明しています(1コリント12章1節、1テサロニケ4章13節)。

それで、お奨めするのは、チャック・スミス著の”Charisma versus Charismania“です。聖書の語っている神の麗しい油注ぎであるカリスマと、そのように見せかけて実は肉の力で行なっているカリスマニアとの違いを、聖書から解き明かしています。

ところが問題は、この翻訳が完成していないことです!妻が前半部分まで行なったのですが・・・、ごめんなさい。

もう一つは、聖霊の賜物について解きほぐしている「生ける水」(Living Water)です。これは、チャック牧師の水曜日の学びで行なわれた「聖霊シリーズ」の説教をまとめたもので、それを妻が訳したことがあります。この二つでじっくりと、ご聖霊の働きについて学ぶことができます。

それからちょっと高度の内容になるのですが、次の本を紹介します。

「栄えに満ちた喜び」ロイドジョンズ著

徹底的に聖書から、聖霊のバプテスマの体験について解きほぐしています。その他、「リバイバル」という彼による本も日本語訳で出ており、とても有益です。(ロイドジョンズのものは全ておすすめです!)

【後記】「栄えに満ちた喜び」をブログで紹介しているものがありましたので、こちらでもご紹介します。

「栄えに満ちた喜び」 D・M・ロイドジョンズ著  地引網出版
「栄えに満ちた喜び②」 D・M・ロイドジョンズ著
「栄えに満ちた喜び③」 D・M・ロイドジョンズ著
「栄えに満ちた喜び④」 D・M・ロイドジョンズ著
「栄えに満ちた喜び⑤」 D・M・ロイドジョンズ著
「栄えに満ちた喜び⑥」 D・M・ロイドジョンズ著

キリスト教書籍の復刊版

しばしば、いろいろな人にキリスト教関連の推薦図書を尋ねられます。私は、イエス様を新しく信じた人々、また信仰歴が長い人々にもお勧めするのは次の順番です。

1)聖書

私が信仰を持った頃は、聖書が何がなんだか分からずに、それに関する本や他のキリスト教関連の本をたくさん読みました。助けになったものも多かったのですが、混乱もかなり多かったのです。そうした紆余曲折も神様が用いてくださって、信仰の糧にはなっています。けれども、今はほとんど聖書そのものを読むのに費やしていて、これ以上に糧になっているものはありません。

難しいとお感じになったら、ぜひ「聖書の学び」で解説をお読みください。

2)牧者チャック・スミス著の本

聖書またキリスト者の生活に関わることを、分かりやすく教えてくれます。必ず実質的な霊的成長の手助けになるでしょう。何か本を読みたいと思われたら、まず、「翻訳メッセージ」のページを開いてみてください。

3)復刻版

何かを知りたいと思って、キリスト教書店に行ってみたり、インターネット上で探してみたりしますが、それは前者の場合、多くは、出版社や書店が販売したいもの(経営的動機)です。ですから、「教えの風」とエペソ4章に書かれているものである場合が残念ながらあります。

良い物は古典にあります。いわゆる「ロング・セラー」と呼ばれているものは、それだけ時代を超えた真実を含んでおり、多くの批判にも耐えてきたものです。すでにネット上で翻訳サイトで近代の説教者の翻訳があります。

<葡萄の実>ほん訳ミニストリー
(C・H・スポルジョンを始め、古典的名著が盛りだくさんです。)

聖書メッセージの部屋
(ウォーレン.W.ワーズビー等、こちらもすばらしい注釈書が勢ぞろいです)

そして「いのちのことば社」は、こうした必要に応えて復刊版サイトを立ち上げています。

限定復刊企画

2011年度のものを見るだけでも、このブログで紹介した「聖霊に導かれて進もう(井戸垣彰) 」、ジョージ・ミューラー、スポルジョン、バウンズ、ロイドジョンズ、「聖書パノラマ」、アンドリュー・マーレー、オズワルド・J・スミス、オズワルド・チェンバーズ等、静かに長く、そして広く読まれているものばかりです。自宅の本棚に図書を作りたいと思われるなら、これらを全部予約注文しても良いでしょうとも言えます。

アスラン王と魔法の島


ついに、ナルニア国物語第三章『アスラン王と魔法の島』が2月25日に上映開始!

オフィシャルサイト

いつも不思議に思うのですが、アメリカ発の映画が韓国など多くの国が同日上映なのに、日本だけは二ヶ月遅れです。今年始めにカルフォルニアに行った時に観ようと思いましたが、時間がなかったので、今回は日本で観ます。

この映画についてまだ内容をご存知のない方は、ぜひ第一章と第二章の拙ブログの記事をお読みください。

第一章:ライオンと魔女
第二章:カスピアン王子の角笛

アメリカの映画館で涙を流した時から、第一章も第二章も何十回と観て、また伝道にも使いました。今回の第三章も楽しみです。

後日、鑑賞後の感想を書き記したいと思います。

「キリラム教」アメリカで広がる

「キリラム教????」と思われたかもしれません。これは、次の英文記事のことです。

Chrislam Starts To Spread In America

キリスト教とイスラム教の融和を唱え、ムスリムと抱擁し、教会の中でなんとモハメットのことやコーランについて教えているのです!

昨日、モリエル・ミニストリーの東京集会に参加しましたが、以前と同じく、サドルバック教会のリック・ウォレン牧師のことが話の中で出てきました。私は英語で彼の教えていることや行なっていることの情報を得ていたので、彼がどれほど彷徨ってしまっているか聞いてもさほど驚きませんでしたが、日本語にはっきりと通訳されて聞くと、やはり新鮮に聞こえます。今やかなり有名な人になので、中にはかなり驚いている人もおられました。

モリエル日本の方が紹介されている翻訳記事もここにご紹介します。

リック・ウォレンについて

大事なのは「対話」でも「融和」でもありません。魂の「回心」です。キリスト教会の中で、例えば「同性愛をことさらに裁くのをよそう」であるとか、同性愛者の社会的位置の中で教会での対応を話している記事を日本語で読んだことがあります。

けれども、そこで見失われているのは、同性愛によって「どれだけ心に傷を負っており、多くの人がどれだけ性病によって苦しめられ、できるならばこの縄目から解き放たれたいと願っているかどうか。」なのです。人々から疎外を受けているという以上に、個人の心の奥底で救いを求めて泣き叫んでいるということです。その救いの力が福音なのです。

同じように、イスラム教徒の人たちも愛の神を知りません。「イスラム」とは服従という意味で、アッラーに服従しこそすれ、愛されているという意識はありません。けれども、キリストの愛に触れられて、どれだけ解放を受け、慰められた元ムスリムのクリスチャンたちがたくさんいることを知らなければいけません。

カトリックも同じです。自分の義を秘蹟(洗礼や聖体拝領などの礼典)を通して知ろうとして、イエス様の名前で直接、父なる神に近づくことのできる恵みを、マリヤ崇敬、司祭制度などによって知ることができていません。イエス様が個人的な主、命の主になっていないのです。こんなにすばらしい救いがあるのだよ、恵みがあるのだよ、という解放を得た、元カトリックの人たちは大勢います。

福音の力を、人間的な「対話」や「融和」によって緩めてしまうことは、この福音による解放と自由の機会を与えずに、その束縛の中でがんじがらめにするという、「愛や寛容」とは程遠い態度をその人たちに取ることに他なりません。

リック・ウォレン氏の問題については、終末論の中でも昨日、ピーターさんが話してくださいました。彼の考えは、「クリスチャンが社会と世界に対して良い働きをして、世界全体を良くしていき、それで再臨のキリストを迎えよう。」という千年王国後再臨説に基づくものだ、と話しておられました。

私も常々、彼の教えていること、行なっていることについて問題に感じているのはこの部分で、「人が救いようもない堕落した存在だ」「神の恵みこそが、私たちを救う」というを見ることができないことです。神の主権ではなく、人間の主体的な実践と努力によって物事を前進させていこうとする態度です。

私は彼が異端だとは思いません。でも彷徨ってしまった兄弟のように感じています。けれども、彼の影響力は甚大で、結果的に、教会の背教またバビロン化(黙示17章)の中の一端を担ってしまっています。

彼が、初めの愛とキリストの恵みの中に立ち戻ってくれることを願ってやみません。

(追記)
モリエル・ミニストリーについて、ロゴス・ミニストリーまたカルバリーチャペルと違う点があることを、昨日、ある姉妹が指摘してくださいました。携挙の時期についてですが、私たちは、患難期の前に主が教会のために戻ってきてくださるという聖書理解をしています。(参照「患難と教会」チャック・スミス著)モリエルの方々は患難の中期に携挙があると理解しておられるようです。

私個人は、「今すぐにでも、どんな徴候がなくても、キリストが私たちのために戻ってきてくださる。」という期待と切迫性が、日々の信仰生活の要になっているので、どうしても、すでに徴が明らかな患難期に入ってから携挙があるという時差をつけることができません。また、艱難という神の怒りから救われるというのが慰めの根幹になっているので、不信者のために蓄えておられる御怒りを信者が受けるとは考えられません(2テサロニケ1-2章)。

けれども、千年王国がキリストの再臨によって始まるという聖書的理解においては一致しており、その立場を聖書からきちんと教えておられたので理解の大きな助けになりました。

(後記)
モリエルの「だいすけ」さんが、さっそく上のキリラム教についての記事を翻訳されています。また、リック・ウォレン氏の霊的な問題を、アッシリヤの王にすがるアハズ王から指摘しておられます。ぜひご一読ください。

リック・ウォレンはアハズ王だ

私の人間理解

(これは前投稿の続きです)

なぜ、このようにムスリム同胞団を穏健と見るのか、あるいは過激で危険であるのか見方が変わるのは、その情報の差異ではなく、各人の人間理解に基づくものです。穏健と見る人々は、「人間は、社会進歩のために努力する善を持っている。」という前提があります。けれども私は、エレミヤ書17章9節にあるように「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」という理解です。

しばしば、性善説と性悪説という対立図で日本人の人は語り、キリスト教は性悪説として括りますが、そういう次元の問題ではありません。性悪説の人たちは極悪人に対する死刑賛成であるとか、常に「自分」以外の他人に向けて語っている。けれども、そのような性質の議論ではなく、「社会的に良さそうに見える人であっても、とてつもない邪悪な性質を持っており、実はこの私がこの性質を持っているのだ。」という、自分が神の前で罪人であるという理解から来ています。

だから、神の憐れみと恵みなしには私の存在は滅ぼし尽くされるのであり、ゆえに神のみ自分を委ね、この世界も神によって支配されているのだ、という理解に至ります。かつて、中期に社会運動に傾いたキリスト者内村鑑三も、後年、この真理に気づき、キリストの再臨の希望に身を投じました。

下の本には、アメリカのリベラリズムと保守主義の対比を上手に行なっています。

アメリカ保守革命 中岡望 著 (中公新書)

リベラリズムと保守主義の対比の表
              (リベラル   保守主義)
重要な存在          人間    神
道徳的な重要性       社会    個人
人間にとっての重要性   権利    責任
悪の起源    不正な社会システム 原罪

私はもちろん後者の考えで、そのような見方で人々や日本、そして世界を見ています。

かなり前に一般の掲示板で、天皇について少し否定的な意見を述べました。それは「天皇は神ではない。私は人としての王を認める」というごく当たり前のことですが、その板が炎上してしまいました。猛烈な批判と非難を受けたのです。その管理人が私がキリスト者であることを知っておられたので、こう説明されました。

「天皇制は、単に王の機能を果たしているだけでなく、日本人の仏教と神道の宗教心の根ざしている問題である。イスラム教徒の前でコーランを破るのと同じことです。」

なるほど!と思いました。一般の日本の人は、普段はご自分のことを「無宗教」と言います。けれども自分の根底に流れている信仰心やイデオロギーがあることには、他の文化や価値観に触れていないので気づいていません。私は、人間はもともと思想的あるいは宗教的な存在であると思います。

ローマ人への手紙1章後半には、人は創造にある神を認めず、感謝しないので、知者であると言いながら思いを空しくして、創造主を偶像の神々に取り替えているという言葉があります。これが私の人間理解で、全ての人が何らかの神を宿している、というものです。

しばしば「キリスト教などの唯一神信仰は厳しく排他的であり、多神教の優しさが欲しい」と言われます。そしてキリスト教の名の付く戦争を取り上げますが、実は数十年前に“神道の大祭司”である天皇の名を叫びながら、何十万人、何百万人の人々を死に追いやった、紛れもない宗教戦争であったことには気づいておられません。

自爆テロをしているアラブ人たちが、自宅に貼っているポスターが、あの「神風特攻隊」であることをご存知でしょうか?

そして、私は海外にいる若者たちに、しばしば「年末と年始の一週間で三つの宗教を信じる」ことを話します。そうすると皆が笑います。他の人々にはそのような不可能に思えるようなことが、日本人は無意識に、キリスト教も仏教も、神道的な多神教信仰の中に包括して取り入れてしまっているからであり、決して寛容だからではありません。

私はこれを「神道原理主義」「あるいはアニミズム原理主義」と呼んでもいいかもしれません。深層意識の中に神道の原理を宿しているからです。

ですから、日本の人たちがキリスト者になることは大きな決断が必要です。自分の根幹に関わる大きな変化を受け入れることに他ならないからです。けれども、可能なのです!神の恵みと御霊の働かれるところには、神の慈しみ深さが満ちます。その中で私たちは、悔い改めを行なうことができます。

以上、日本の宗教事情を書いたのは、この国民も、今世界で起こっていることの大きな濁流の中にいるのだ、ということを述べたかったからです。イスラムやキリスト教会で起こっていることは、決して私たちと無縁なことではありません。

エジプト軍最高評議会下のエジプト

先週の恵比寿バイブルスタディの中で、今のエジプトの聖書的意義についての質問を受けました。「キリスト者が考えるべき「エジプト」 - ②聖書預言」の中の内容をかいつまんでお話ししましたが、一人の姉妹が「中東で起こっていることが、これほど日本人にも関わっていると感じることはありませんでした。」と仰っていました。

Six Days of War(戦争の六日間) 」など中東戦争史の記事で言及しましたが、エジプトは四つの中東戦争においてすべて関わった国であり、その全てにおいて指揮的な役割を話してきました。その中東全域に影響力を持つエジプトが、第四次のヨム・キプール戦争によって、当時のエジプト大統領サダトがイスラエルとの和平に大きく舵取りを行ない、イスラエルはそれ以降、国と国との戦争をせずにいられるようになり、中東全域に安定をもたらしました。

そして、その路線を踏襲し、その後、イランのイスラム革命(79年)によって顕在したイスラム主義と対抗し強権的にその分子をつぶしていったのがムバラク大統領です。

かつサダト大統領は社会主義者であったカリスマ的指導者ナセルの親ソ連の外交姿勢を大幅に変え、アメリカに機軸を移しました。経済制度において自由経済制を導入し、ムバラクもそれを推進しました。ですから、経済成長の指標においてはエジプトは好調であるように見える一方、貧富の差があまりにも大きくなってしまったので、今回のデモの一因になりました。

このようにムバラク氏の中東における役割があまりにも大きかったため、彼がいなくなった今、単純に「独裁制からの民主化」という構図で簡単に語れない、新たな不穏の動きを醸し出しています。

前の「エジプトの騒乱 - 危険な振り子」の記事に「ムスリム同胞団」の存在を書きました。「キリスト者が考えるべき「エジプト」 - ①情勢分析」で、ある牧師さんのまとめられた要点の三つ目にこう書いてあります。

その反政府デモを支持しているグループの一つに、イスラム原理主義の立場を堅守し、もし政権を取るならばイスラエルとの平和条約を破棄すると言明している「ムスリム同胞団」が加わっている。 もしその通りになれば中東のパワーバランスは一気に変化し、イスラエルは窮地に立たされ、アメリカの中東政策は崩壊する。

この懸念に対して、私がある書き込みのところで言及したら、「ムスリム同胞団は過激派ではない。彼らに一度、政権を取らせて、その民主化のプロセスをやらせてみるべきだ。もし民主化の方向に向かなければエジプト国民が彼らを引きおろすであろう。」という返事が、おそらくヨーロッパの人であろう人から返ってきました。

果たしてそうなのでしょうか?日本語によるこの団体を説明している記事においても、この団体を「イスラーム的な文化・伝統を重視する民主主義を前提とした穏健保守政党」と位置づけています。

ムスリム同胞団は何を目指しているのか?その方針と政策のまとめ

そして米国政府もこの見方によってムバラク後のエジプトを歓迎しました。

ところが、さっそく不穏な動きが出ています。

Military opens Tahrir Sq. for Islamic radical to preach jihad
(軍は、タフリール広場を、イスラムの過激派のジハード説く場とした)

ここに、エジプトから追放されていた「アル・カラダウィ」という、ムスリム同胞団の人気説教者が

アル・アクサ(神殿の丘)の征服
「同胞ハマス」の為、エジプト-ガザ地区境界を啓開
イスラエルとの79年平和条約の破棄

を叫んでいました。(こちらに英語字幕付きのビデオがあります)

驚くべきは、これがエジプトを暫定統治をしているエジプト軍が行なっていることです。他の野党には演説を許さず排除した上で、彼を国営放送で高らかに説教させるようにしました。

エジプト軍最高評議会は、さらにイランの軍艦がスエズ運河を通過し、シリアへ航行する許可を与えています。(そのことも、アル・カラダウィが賞賛しています。)

これがいかに危機的状況を作り出しているかは、今、アフマディネジャド大統領が「第十二代目イマーム(イスラム版メシヤ)がエジプトの暴動を指揮しておられるのを目撃している。イスラエルとアメリカ、西洋の力が滅びる裁きの日は来ている。」と説きイランの核施設が復帰している中でイスラエルの近海を航行していくのです。