Arabic Vs. Hebrew(アラブ語 対 ヘブル語)

面白いYoutube Videoを見つけました。

このお二人さんは姉妹のようで、左後ろにいる人は主にアラブ語の先生のようです。アラブ語とヘブル語がどれだけ似ているかを面白く説明してくれています。どちらもセム系の言語ですから、とても似ています。(セムと言ったら、ノアの息子の一人ですね。アラブ人は、イシュマエルを父祖としていますから、イサクを父祖とするユダヤ人の言葉と似ているのは当然のことです。)

この若い先生のサイトをちょっとサーフィングしてみましたが、アラブ系イスラエル人のようです。民族的にはアラブ人ですがイスラエルの国籍を持っているため、学校でもアラブ語と同じぐらいの比重でヘブライ語を習ったのでしょうし、イスラエルにいるので使う機会が非常に多いのでしょう。

そして興味深いのは、イスラム教徒女性のしている頭の覆いはしていません。アラブ系イスラエル人の多くはキリスト教の文化圏の中にいる人たちが多いです(あと女性も高学歴だとも聞いています)。だから最近のこの先生のYoutubeビデオでは、イースターの卵の作り方の説明が載っています。

パレスチナ自治区の首都であるラマラのビデオもあったりして、去年のイスラエル旅行の時に少しだけ訪ねたラマラを思い出しました。

文化と民族、国が交差する中で生きている人々の姿を見るのは興味深いです。彼らは彼らなりの問題、特にアイデンティティーの問題はあるでしょうが、同時に、いろいろな文化、習慣、言語、国を綱渡りできる利点を持っているような気がします。

4月30日、5月1日のLCF礼拝

昨年末に日本に帰国して、LCFが立ち上がり、目まぐるしくいろいろな出来事が過ぎていきましたが、3月11日の東日本大地震以後はさらに加速しました。けれども、昨年末に信仰を持たれた方や、比較的最近救われた人々が、こんなにも早く、御言葉に親しみ、信仰面でも行動面でも、主に忠実にお仕えしている姿を見るにつけ、自分自身新米の牧者も幸せです。

4月29日と30日に、日本全体のカルバリーチャペル・カンファレンスが行なわれます(残念ながら、申込は締切日を過ぎました)。30日のカンファレンスは午後5時近くまで続くため、次回の「ローマ人への手紙の学び」は中止となります。予定は次の通りです。

4月30日(土)
18:00 祈り会(OCC 307号室)
19:00 第一礼拝(OCC 811号室)

(貸室811号室は50名の席があります。お子さんをお持ちの方は、礼拝説教中に307号室で「お世話 兼 教会学校」をさせていただきます。ぜひおいでください。)

御茶ノ水クリスチャンセンター(OCC)の場所

5月1日
14:00 第二礼拝(足立区綾瀬の自宅)

お祈りのお願い
5月3-5日に、再び東北救援旅行に行ってきます。今回はLCFのメンバーといっしょに行きます。そして何と、東京在住の被災者の方も二名加わりました!さらに、札幌で教会を開拓しているカルバリーの宣教師トレバーさんもいらっしゃいます。

現地・東松島で、CC府中のリッチのグループと合流します。どうか、再び主の愛を伝えることができるようお祈りください。

次回の恵比寿バイブルスタディ: 5月11日

次回の恵比寿バイブルスタディは、5月11日(水)になります。また日が近づいてから、改めてお知らせします。

その後は5月18日、25日と予約していますが、極力どちらの日も学びを行ないたいと願っていますが、万が一救援旅行と重なった場合は、一回だけお休みさせていただくかもしれません。

そして6月は8日と22日を予約しました。以前は一ヶ月に一回だけのお休みを考えていましたが、これから長期的な救援活動を考えていますので、隔週にさせていただきます。

感謝。

「礼儀と敬意」伝道者ビリー・グラハム氏

以下のインタビュー映像は、ABCの記者が伝道者ビリー・グラハム氏の息子フランクリン氏に対して行なったものです。

主題は「神と政府」というもので、イースター(復活祭)の時にフランクリン氏の信仰を尋ね、また今の米国の政治的状況や、次期大統領選の候補者、オバマ現大統領に対する意見などが盛り込まれています。フランクリンさんは、父ビリーと同じく、単純明快で、大胆な福音伝道の熱意がこのインタビューでも感じ取れました。私も未信者の人たちには、こんな感じで接することができれば、と願いました。

話が、「お父様は、今のアメリカをどのように見ておられますか?」と政治面において尋ねられた時、最近の会話で出てきた言葉を紹介しました。

私が生まれた世界は、今や認知することができない。」つまり、「当時は、一般の人々は互いに礼儀があった。政治家は、たとえ同意できないとしても、互いに敬意を払い、共に働いた。今日の国では、これらが全て変わってしまった。」とのこと。

私も、これを感じています。アメリカもさることながら、日本でも相手に対する敬意と礼儀が失われているように感じます。確かに私たちは、民主主義国家に生きている中で権威のある人々に対して監視を行なわなければいけません。それ相当の批判を加えねばなりません。けれども、もはや二項対立(英語ではpolarization)になるざるを得ないほど、相手をけなし、こき下ろすという雰囲気が満ちています。

私は今回の地震・津波はある意味、幸いに感じます。これまでの豊かな日本、けれども何かを失い、向かうべき方向を失って閉塞的になっていた時に、突然、生活基盤が崩れたことにより、これまで埋もれていた協働の精神や助け合いの精神が生まれてきたからです。物がなくなったからこそ発揮できるようになったのです。このことによって、これまでは自分自身に壁を作り、相手と距離を置いていた人々、重箱の隅をつつくようにして相手の短所をあげつらう態度が、少なくなってきました。

申し訳ありませんが、私は民主党の中に相変わらずその悪い部分がたくさんあるのを見ます。私は政権としての民主党、この有事に際して果敢に取り組んでいる政府には応援したいと思いますが、党内で起こっている引きずり降ろそうとしている姿を見るに付け、「この災難をもってしてもまだ気づかないのか。」とあきれてしまいます。以前「民意の恐ろしさ」についての一連のブログ記事を書きましたが、今の民主党がまさに、最近の日本全体の悪しき部分の縮図であったのではないかと感じています。

私は、「感謝の力」という話題でも一連のブログ記事を書きました。普段なら、在日米軍と自衛隊のことを批判的に見ていた人も、また警察の不祥事などよく思っていなかった人々も、彼らの犠牲的な救援活動に敬意を払わない人がどれだけいるでしょうか?「平和」や「正義」という名を借りた権威や権力に対する謗りを私は以前から感じていましたが、それが少なくなってきました。

行政に対しても、私も昨日足立区役所に赴きましたが、今の危機に際して、最大限、柔軟な対応をしてくださいました。道路会社や鉄道会社の活躍ぶりも世界では賞賛の的になっています。「税金の無駄遣い」とマスコミで非難されていた人々による、その復旧工事のすばやさには誰もが驚いています。

そして今、ものすごく袋叩きにされている東電ですが、私は必要以上に批判したくありません。この災難で彼らは十分に懲らしめられています。まず、千年に一度の未曾有の地震に対して、福島第一以外の太平洋側の原発がきちんと冷却等の機能が働いたことに対して、神に感謝しています。そして「第一」においてでさえ、チェルノブイリのような全面拡散に陥ることなく、東北自動車道を通行止めにする必要の無いほど放射線量が抑えられていることを、神に感謝したいと思います。

そして現に、このようにインターネットを使って意思疎通ができるような電力を今も供給し続けてくれている、大勢の東電職員と下請けの会社の人々に感謝しています。もちろん彼らは営利活動で行なっているわけですが、その労働に対する感謝をなくして、ただ文句ばかり言っているのでは、「モンスター・カスタマー」の何者でもありません。

その上で、これからの原発政策をどのようにすべきか、エネルギー政策はどうすべきか、具体的な、展望的な構想の議論をすべきでしょう。建設的な批判はどんどんすべきでしょう。

この前、近所の武道館の福島原発の被災者への働きかけをしていたボランティアの方々と食事を共にすることができました。いろいろな“変な”人がいたようです。ある市民団体は、被災者の人たちの事はそっちのけで、武道館の前で政府批判を繰り返していたそうです。またあるマスコミの人たちは、ボランティアの人に「被災者の人たちで、何か行政に対する非難、苦情はないですか?」とインタビューします。初めから「行政批判」の記事を書くための裏取りをしているだけです(誠実なマスコミの人もおられたそうです)。

私たちは、二項対立になりそうになったとき、へりくだって、歩み寄りをする努力が必要だと思います。ピリピ人への手紙を思い出すのですが、一致すること、相手を自分より尊いと思う態度、これらが自分自身ではなくキリストを求めることに等しいことを使徒パウロは教えました。

「私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。(ピリピ2:2-3)」

この時期に忘れてはいけない中東

一つ、ブログ記事をご紹介します。

「今、中東で何が起こっているのか」

中川健一師のエジプトの民主革命についての評論です。ぜひご一読を。私が同感だったのは、この言葉です。

さて、東日本大震災(3/11)以降、私たちの関心は被災地と原発事故のその後の状況に向けられてきた。いわば、今日に至るまでのおよそひと月間、「海外情報の空白期間」が生じているのである(本稿を4/15に執筆している)。久しぶりに中東情勢に目を転じてみると、余りの変化に仰天せざるを得ない。かつて10年かかったことが、たったひと月、あるいは数日で起こってしまう。これが今の中東情勢である。

東日本大震災は、空襲、原爆投下、敗戦という歴史的転換を余儀なくされた出来事に匹敵するぐらいの、現在進行中の大きな出来事です。したがって、多くの関心と祈りが注ぎ込まれてしかるべきですが、かつて日本が通ったところを繰り返してはならないと思います。

日本が終戦した1945年の3年後にイスラエル国が成立しました。それは、中東において十数世紀以来の大きな出来事、聖書預言的に極めて重要な出来事であり、まさに激変です。ところが、日本自身はその戦争の加担者であり、その戦後処理の真っ最中だったため「空白期間」になってしましました。

そのため、イスラエルを取り囲む中東情勢において、最も基本的な共通認識において日本は欠けて出発し、ハンディを負っています。

同じように、今、中東で激変が起こっています。日本の復興も大事ですが、世界情勢の枠組みの中での日本をわきまえ、その視野での復興を願うばかりです。

後記:ちょうどタイムリーに、NHK BS1番組で中東の民衆革命の特集番組のお知らせを見ました。

Project Wisdom(プロジェクト ウィズダム)

中東革命2回シリーズ
第一回 5月1日 20:00-21:50 チュニジア
第二回 5月8日 20:00-21:50 エジプト

「私たちはよみがえります」

福島第一バプテスト教会といえば、ご存知の方も多いかと思います。福島原発のそばにある教会で、地震と津波に襲われただけでなく、放射能漏れによって中に入ることさえできなくなった教会です。その牧師、佐藤彰さんは地震のときちょうど千葉県の神学校の卒業式に参加されていたとのこと。

クラッシュ・ジャパンの情報からは、そこに通う教会の中から、今、作業員として原発で働いている人たちがいること、また教会に初めて来て、イエス様を信じ、それから今度は福音を伝えに仲間の作業員の所に原発に戻った人の証しを聞いていました。

そして下に、CGNTVのビデオにある牧師さんの証しを見ることができます。これが日本の教会の証しか!と感動する、まさに初代教会と同じ証し、迫害されて困難の中にある教会の証しと同じ、命にあふれたキリストの御霊の軌跡です。

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東日本大震災により被災され、地震・津波・放射能漏れの3重苦の中で一時閉鎖となった福島第一聖書バプテスト教会。 ― しかし教会は生きていた― 壮絶な痛みを通され、牧会の最後かと思い絶望された中で見出された真の教会の姿を、佐藤彰牧師が証して下さいました。 この受難日と復活祭、大きな痛みの中におられる被災地の諸教会および地域の人々を覚えてとりなして祈りつつ、イエス・キリストの死と復活を深く黙想する時になりますように。

自衛隊の避難所フラダンス!

下の、4月18-20日のトラビス率いる東松島救援旅行で、自衛隊の人たちがフラダンスを踊ったという記事があります。(もう三回目なので、自衛隊の人たちともだんだん溶け合っていたのですが、そこまで溶け合うとは・・・。)CC西東京の山東さんがYoutubeにアップしました!

前代未聞です、世界ニュースになるかも!そして、こんなに楽しい避難所生活、救援活動で良いんでしょうか?主に栄光をお返ししたします。

仙台から戻ってきました 4月18-20日③

水曜日 4月20日

早朝、再び御言葉の分かち合いから始まりました。リッチがテサロニケ第一2章から話してくれました。
「私たちは、あなたがたからも、ほかの人々からも、人からの名誉を受けようとはしませんでした。それどころか、あなたがたの間で、母がその子どもたちを養い育てるように、優しくふるまいました。このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。(6-8節)」

私は、「ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。」が好きでした。イエス様の良い知らせを与えたいです。そのために私たちは存在しています。もし私たちが救われるためだけに存在しているなら、とっくに天国にいることでしょう。けれども、分かち合う機会を求めることで、「私自身のいのちまでも与える」機会を見逃さないようにしたいと思います。

朝9時に避難所に到着しました。すぐに山東さん、私、婦人たちがバーベキューの支度を始めました。リッチと他の人たちは千葉さんの家の掃除に行きました。山東さんはすごいです、女性たちもすごいです。一人ひとりが、主に与えられた能力で同時に行動している姿はすばらしいものです。

今日のメニューは、和風ハンバーグ、大根とポン酢のタレ、ソーセージ、トストグリーン、そしてご飯です。前回購入したグリルを使って焼きました。前回は日本の炭とガソリンでしたが、今回はアメリカ式のブリケットを持ってきました。

面白かったのは、山東さんと私が料理しているとき、医療隊が診療にやってきましたが、私たちが避難民だと思っていたのです。無料の健康診断を受けられるのですが、誘惑はあったのですがやめました。

清掃隊も戻ってきて、お祈りをしてから昼食を取りました。同じ人たちがやってきました。もっと顔も分かってきました。神はすばらしいです。

昼食の後にまた千葉さんの家に行って最後の仕上げをしました。ルイス、リッチ、アレックス、ザック、山東さんです。またみなが汚くなりました。まるでダーティージョッブのようです(注:ディスカバリー・チャンネルの番組)。アレックスが、充満していた変てこな臭いで吐きそうになっても何も出てこない姿を見て、笑いをこらえるのができませんでした。

でもかなりきれいになりました。次に来た時にここで寝泊りできるんじゃないかと思われるほどきれいになりました。千葉さんはできる、と言いました。どうなるかは次回を待ちます。水道も電気もないですが、寝袋を敷くには適切な部屋と木製の床があります。終わった後すぐ、千葉さんのお姉さんとご両親が来ました。千葉さんは三人に片付いてから見せたかったようです。すばらしい人々です。イエス様を必要とする人々です。

(掃除前の千葉宅:先週、清正が撮影)

(掃除後の千葉宅:今週、トラビスが撮影)

でももう4時近くになりましたで、所沢に戻らないといけません。私たちは千葉さんとそのほかの人たちのために祈って良いかを聞きました。帰路は順調でした、この前ビルさんが持ってきた無線トランシーバーで遊びながら車内の時間を過ごしました。かなり疲れましたが、共に出来た時間を感謝しています。

私たちは続けて行き、そこでお仕えすることを願っています。二週間後には、清正もリッチも自分の教会の人たちと私たちの教会の人を連れて行きます。そこで数多くの戸が開かれることを願っています。

例えば、千葉さんがぜひ会ってほしいと言っていた若い女の子に会うことができました。火曜日の夕食前、山東さん、リッチ、そして私が会いました。伊藤ひとみさんと言いますが、シングル・マザーです。胸の痛い話でした。私は聞きたくありませんでした、なぜなら、彼女がその出来事を言葉に出すことによって記憶をよみがえらせてしまうのではないかと思ったからです。とどのつまり、彼女は話し始めました。両親は溺死しました。一歳の息子さんも溺死しました。彼女のたった独りの子供です。一・二週間後に、その子を見つけました。なぜそんなに時間がかかったのか?それより早く行ったら、身の危険があったからです。彼女にかけてあげられる言葉を失いました。ただ聞いていました。

東京や所沢に来て、東松島から少し離れて時間を過ごしてもいいよ、と招きました。いっしょに祈りました。彼女は祈られることに拒否はしませんでしたが、どうやって祈ればいいのか分からなかったので、たかこさんがただ目をつむって、聞いていればいいよ、と言いました。これらのことがたった一ヶ月の間で起こったのです。絶句です。主が彼女をどれだけ愛されているか知れません。彼女のために続けて祈りたいと思います。彼女に敵が混乱や怒り、苦味をもたらさないように祈ります。皆さんもお祈りください。

このような話はどこに行ってもあります。涙を流さずにいられないことがあります。感情がこみ上げて、なんとかこの世を救いたいという気持ちにさせられます。けれども、私たちは、造り主の中における道具でしかないことを知っています。神の導きと時を求めていきたいと思います。

何らかの形で、多くの方がここで奉仕したいと思っておられると思います。悪いことでは決してありません。これからも最新情報を伝えていきます。これは短期的なことではありません。もっと多くの機会が出てくるでしょう。事実、千葉さんは、どんなに早くても、老齢の方々が仮設住宅に8月か9月に入れるようになるかなあ、と言っていました。ですから、夏に何かすることがあると期待します。主は、人が閉じることが決して出来ない多くの戸を開いておられます。祈り続けます。聞き続けます。主は確かに真実な方です。

主の祝福があるように、アロハ
牧師 トラビス

仙台から戻ってきました 4月18-20日②

月曜日 (4月18日)

救援部隊は一度所沢に集まり、午後4時ごろ出発しました。避難所の責任者の千葉さんは、救援物資はもう必要ないし、また清正のグループがすでに、仙台のサマリタン・パースから手押し車やシャベルをそこに置いていっていたので、私たちは食事を出す材料と子供用具を車二台に入れて出発しました。

所沢から現地まで、混雑にはまることもなくスムーズに来ることができました。松島の大松荘に午後9時半頃到着しました。規模は小さい旅館ですが、満室状態でした。駐車場も満車です。救援車両のような気がします。医療チーム、建築会社など、援助団体がここやこの一帯のホテルに泊まっていることを知りました。お風呂に入って、就寝。明日は早朝出発です。

5時に、朝食の調達で外に出ました。夜に到着していたので、ここの景色が分かりませんでしたが、海岸に非常に近くて、日本三景の松島湾がすぐそこでした。その岩の小さな島と松の生えている姿は、すごく美しかったです。

コンビニでおにぎり等を買って、6時半のデボーションに戻ってきました。列王記第二4章から分かち合いました。エリシャがシュネムの女と時間を過ごしました、関係づくりのために。そして大変なことが起こりました。ゲハジが彼女に大丈夫かと聞いたら、すぐに大丈夫だと答えました。実際はそうでなかったのに。なぜでしょう?彼女はエリシャとの信頼関係があったからです。彼女はエリシャのほうに行きました。息子が死んでしまった、というあの話です。

エリシャは祈りました。そしてその子の上に載りました。口と口、目と目、手と手を合わせて。彼は等身大で接したのです。ここにも「関係」の法則が見えます。神が奇跡を行なわれました。新しい命です。これこそ私たちが願っていることです。ここにある緊急時であっても、所沢であっても、どこでも、人々のそばにいてあげる、ということです。私たちが彼らの生活の一部になる時に、主が事を行なわれます。もちろん、私の言葉や行動によって、人々が救われればと願います。けれども神のみがお救いになります。私たちはその御業の中に入り、栄光が神に帰すことを願っています。デボーションは賛美もとても良かったです。交わりも良かったです。良い一日の始まりを切ることができました。

7時半ごろに出発しました。沖縄チームは今回が初めてなので、石巻を見せに行きました。正直なところ、災害地を少し見ていると無感覚になってくる変な気持ちがします。すべてが同じように見えてくるのです。初めのショックや感情はまだ残っているのですが、少し離れてしまったような気がするのです。ニュースで何度も何度も見ていると経験するようなものです。もちろん祈ってあげる必要があります。

15分しか石巻にはとどまらず、東松島牛網の避難所に引き返してきました。9時頃に到着し、千葉さんが迎えてくれました。子供たちは私たちの名前まで覚えています。そして他の人々にも挨拶しました。

千葉さんは、昼食より夕食がいいだろうとのことで、私たちはおしゃべりで時間を過ごしました。10時ごろに20人の子供たちが集まってきて、先生がそこで教えるためにやってきました。雨が降ってきたので、そこで私たちも時間を過ごしていました。

10-15分後に雨がやみ、千葉さんは私たちのうち5人を招集して、軍手、シェベル、手押し車をもって、千葉さんの家の清掃をするため歩いていきました。彼は他の人の手助けで精一杯で、自分自身のお世話をする暇がなかったのです。家の中はめちゃくちゃでした。ごみ、家具、真っ黒な塩分の含む泥を取り出していきました。津波が押し寄せた痕が残っていましたが、2メートル弱まで浸かったようです。

時間はすぐに過ぎて昼食になりました。私たちはお店にいって何かを買うつもりだったのですが、千葉さんが、ここにあるものを食べなさいとのことでした。ご飯、味噌汁、こんぶ、そしてにんにくの漬物です。避難所の方々の食べ物を食べてしまうのにためらいましたが、でもとても感謝でした。私たちが清掃をしている時は、ジョアナとたかこさんと、たりやさん、そしてアレックスが、子供たちが勉強が終わった後にいっしょに遊んであげました。

お昼は子供たちと遊んでいました。沖縄の人たちが自分たちの用意していた工作を作りました。でももう夕食の準備の時間です。雨がまた降ってきたので、バーベキューではなく、自衛隊の人たちと千葉さんが、巨大な、ガス付き鍋を貸してくれました。すごいいいです!26キロの鶏肉をつっこみ料理を始めました。今夜のメニューは、「醤油チキン、ソーセージ、トストグリーン、そしてご飯です。デザートに、アイスクリームも後でお店に行って買って来ました。

山東さんは、台所のチームを指揮しました。彼はプロです。牧師になる前に10年料理人をしていました。その手さばきは強烈です。キャベツを機械にかけたように切っていきます。台所に私が立ち寄ってみると、鉄腕シェフがここにいるとみなが言いました。料理番組みたいになりました。

夕食を出せるようになりました。雨が降っていたので室内での食事です。自衛隊の人たちも来ました。みんなが食べている時に、私はギターとカホンを手に取って演奏しはじめました。何人かが、ハワイの音楽やフラを願ってきました。私は、自分がフラを踊ったら、また地震が起こるぞ!と冗談を言いました。それで、たりやさんにお願いしたのです。彼女は沖縄出身ですが、お母さんがハワイから来た人でフラの先生です。でも、たりやさんがフラが嫌いだったのは知りませんでした。ヒップホップのほうがお好きなようです。けれども、彼女はなんとかOKしてくれました。

たりやさんは、知っているのは「真珠のような貝」という歌だけだと言いました。よく踊ってくださいました。そして私は、ずっと昔はフラは男だけで踊られていたのだと説明して、リッチに助けを求めました。部屋全体が、「リッチ!リッチ!リッチ!」と掛け声をかけるので、彼は出てきました。そして女の人たちの一人も出てきました。そして自衛隊の6人が出てきて、いっしょに踊りました。まさに真珠のような貝です。なんという光景でしょうか。部屋は大爆笑に包まれました。

千葉さんは後で、これがこの旅のハイライトだったと教えてくれました。ものすごく大笑いされていました。私たちにとっては当たり前に行なっていることなのですが、このような喜びをもたらすように主がしてくださり、大変光栄です。動画はたくさん撮られたと思いますので、掲載したいと思います。自衛隊の人たちには、君たちユーチューブで有名になるよと冗談を言いました。

午後8時にホテルに戻り、次の日に備えました。