「愛-さらにまさる道」がCalvary翻訳サイトに掲載!

先日お知らせしていた、チャック・スミス著「愛 - さらにまさる道」の日本語訳が、カルバリーチャペルのホームページに掲載されました!お祈りありがとうございます。

Calvary Chapel | Japanese  (“Love”のDownloadをクリック)

ロゴス・ミニストリーの「翻訳メッセージ」にも紹介を追加しました。ぜひ、じっくり時間を作って熟読してください!

「イスラエル人/ユダヤ人」「パレスチナ」の定義

先週金曜日に、無事にイスラエル旅行準備会第二回を終えることができました。第一回目は「イスラエルの地形と地域区分」をお話しましたが、今回は「イスラエル全史」をアブラハムの族長時代から現代に至るまで鳥瞰しました。これは偶然の歴史でもなく、マルクスの唱えた唯物史観でもなく、まぎれもなく前もって神がモーセを通して予め伝えられた神の預言の歴史であることを確かめることができました。

旅行に興味のある方は、info @logos-ministries.orgまでご連絡ください。映像、音声、パワーポイント、資料などのリンク先をお送りいたします。

そこで、いくつかの質問を受けましたので、それを分かち合いたいと思います。

1.「ヘブル人」「イスラエル人」「ユダヤ人」は何が違うのか?

聖書の中ではこの三つはすべて同じ人々を指します。どの側面からその人たちを話しているかで、異なっています。

ヘブル人は「エブル」という名から来ており、「越える」という意味を持ちます。アブラハムが偶像の町からユーフラテス川を越えて、カナンの地に入りました。ですから、呼称としては一番古いものです。族長時代から使われていた名です。

イスラエル人は、ヤコブに対して神の御使いが付けた名から来ています。「神の勝利」であるとか「神に支配されている」という意味合いがあります。ヤコブの十二人の息子から部族が出てきて民族となっていった人々を「イスラエル人」と言います。

ユダヤ人は、最も新しい呼称です。ユダ族が割り当て地が与えられ、後にソロモンの死後、南北に王国が分かれました。ユダ族は最も大きく強い国だったので、「ユダの人々」と言われ始めます。そして北イスラエルがアッシリヤに捕え移された後に、少数の十部族の人々もユダのほうに移り住みました。それでバビロンに捕え移され帰還しましたら、多数がユダ族出身の人々であることから「ユダヤ人」と呼ばれるようになります。

現在は、若干使い方が異なります。なぜなら、イスラエルという国際的に認知された国家が設立したからです。「ユダヤ人」と言えば世界中に離散している人々も含みますが、「イスラエル人」と言えば、イスラエル国籍を持っている人々のことです。英語ではその違いがあり、聖書のイスラエル人はIsraeliteであり、現代のイスラエル人はIsraeliです。(厳密に言えば、アラブ人でもイスラエル国籍を持っている人がいるので、「イスラエル人」=「ユダヤ人」ではないですが、アラブ人は自分と現代イスラエル国を結び付けたくない人が結構おり、「イスラエル系アラブ人」であるとか、もっと嫌な人は「国籍はイスラエルだがパレスチナ人」と言ったりします。どこに帰属しているか、その意識の差であります。)

2.「パレスチナ」「パレスチナ人」「パレスチナ自治区」の定義は?

「パレスチナ」は、古来は「カナンの地」そして神がアブラハムに約束された地、そして「イスラエルの地」と呼ばれたところであります。ローマがユダヤ人をイスラエルの地から追放した後に、その地を「シリア・パレスチナ」と変更したのがその始まりです。ちなみにパレスチナは「ペリシテ人」から来ていますが、当時のペリシテとパレスチナは関係はありません。

そして「パレスチナ人」でありますが、時代によってその使われ方が変わっていきました。ローマが付けた「パレスチナ」が、イスラエル国が1948年に建てられるまで一般に使われていました。したがって帰還したユダヤ人も「パレスチナ系ユダヤ人」と呼ばれ、「パレスチナ人」の中に入っていました。アラブ人も同じように他の地域のアラブ人と区別するために「パレスチナ系アラブ人」と呼ばれていました。

けれどもイスラエルが建国しました。イスラエルに帰還したユダヤ人たちは、自分の民族に神が約束の地としてそこを「イスラエル」と名づけました。その時から、その地域に住むアラブ人がそれを受け入れる事はできず、自分たちの土地であることを主張するために、「ここはパレスチナだ」といい始めました。したがって今は「パレスチナ人」というと、そこに住むアラブ人を指すようになりました。

国際政治の中では、イスラエルとパレスチナの二国家構想が語られていますが、それは確かにイスラエル人の多くも認識していて独立するならしてほしいと思っていますが、そこに住むアラブ人の中にはそうではありません。私も東エルサレムで通りにいる若者から、「ここはイスラエルではなくパレスチナだ!」と叫ばれたことがあります。ナブルスからエルサレムへのバスの中でも、「パレスチナに来たのは何回目ですか?」と尋ねられたことがありますが、そのときもその若者は、今のイスラエルを含めてパレスチナと呼んでいました。かつては単純にローマによるその地の改称だったのですが、今はアラブ人がその地が我々のものであるという政治的主張を多分に含んでいます。

これはちょうど、お隣の国と似ています。韓国に行けば、地図の中では中国との国境の豆満江まで「大韓民国」になっています。また「北朝鮮」と呼ばず「北韓」と呼びます。そして言葉は同じなのに「朝鮮語」と「韓国語」を分けています。そして在日の人々も、故郷は地理的に韓国にあっても、北朝鮮政権に属しているならば「在日朝鮮人」となるのであり、必ずしも地理的なことを意味していません。イデオロギー的、政治的な呼称であります。

そしてパレスチナ自治区について説明しますと、1948年の独立戦争後の休戦ラインを基にして、ヨルダン川西岸地区とガザ地区において自治政府を置くことが、オスロ合意によって定められました。検問所等でイスラエル軍が駐屯していますが、基本的に警察も含め、行政機関はパレスナ自治政府に移譲しています。私たちが旅行に行くときに訪問するであろう、エリコとベツレヘムはどちらもパレスチナ自治区内にあります。

3.入植地の人々は誰ですか?

もともと、わずかにいたユダヤ人を除きほとんどが帰還した民でイスラエル全体が入植地なのですが、今使われている「入植地」という言葉は、1967年の六日戦争以降に、ヨルダン川西岸地区とガザ地区に入植のことを指しています。(ガザ地区は、シャロン政権時に完全撤退)

そこは、独立戦争の後はガザはエジプト領、西岸はヨルダン領だったのですが、六日戦争によってイスラエル管理下に置かれました。(ただ東エルサレムとゴラン高原は、少し後で併合しています。)その地は、特に西岸は、聖書の「ユダヤ・サマリヤ」地方であります。ヘブロン、ベツレヘムなどがあるユダの山地、またシェケムなどがあるサマリヤ山地であります。六日戦争によって、神が確かに約束の地をユダヤ人の中に入れてくださったという宗教的覚醒が、ユダヤ人の中、特に宗教的な人々の中に芽生えて、それでそこに住み始めたのが入植地です。

4.ゴラン高原における自衛隊は今、どうなっているの?

今の様子を伝えるよい記事を見つけました。

イスラエルで自衛隊員を元気づける日本の民間人
ゴラン高原派遣部隊にとって欠かせない存在に

この中で、今のイスラエルの安全保障の成り立ちを、旅行者の観点から具体的に説明している部分があります。私たちが訪ねるベツレヘムやまたエリコのことも出て来ます。とても参考になる内容です。

日本人クリスチャン・ヒップホップ (Mamiya / Shin)

皆さんも、ご自分の好きなゴスペル・ミュージック、ワーシップ、プレイズがあると思いますが、私はこの頃、何度も聞いていて、ちょっと応援したいなと思っているアーティストがいます。

Mamiya(松浦真実也 オフィシャルサイト)

Bioによると「平成生まれのアーバン、R&B、ヒップホップアーティスト。圧倒的な個性で人々を魅了する。幼少期より7年間アメリカ西海岸で育ち、ネイティブ英語、日本語、タガログ語を操るマルチリンガル。

10歳でドラムとエレキギターを始め、抜群なリズム感を持つ。この頃、図書館貯蔵音楽CDを棚から棚へとオールジャンル聴きあさり、自身の音楽センスを磨く。中学校・高校時代はオリジナル曲をMDレコーダーを2つ用いて多重録音する。青山学院大学中退後、本格的にDAWソフトをもちいて作詞作曲を始める。個人でアルバムを3枚製作する(2009年、2010年、2011年)ほか、作詞作曲などのプロデュースも手がける。」とのことです。

最近知ったアーティストなので、どのような方が分からなかったのですが、いろいろな歌の歌詞に証しが盛り込まれているのですが、そこから分かってきたのは一度信仰から離れたけれども主に立ち返り、今はフィリピンを拠点に、音楽活動を通して熱心に主に仕える兄弟です。

技術的にはプロです、生半可ではありません。最近、福音に日本人の人をつなげたいとのことで、以下のビデオを作ったそうです。

Discographyは”Kari-Tai”(2009) → JESUS(2010) → Revelation (2011)となります。(この題名からして「(主のもとに)帰りたい」→「イエス様!」→「黙示録」という暗示があるのは明らかです。)

Youtubeチャンネル “MamiyaMusic’s channel

Facebookページ “Mamiya

Twitter “MamiyaMatsuura

そして同じMamiyaさんですが、自身をクリスチャン・アーティストとしてShinという新しい名で活動を始めました!

Youtube “TheShinTV

Facebookページ “Shin

新しく出した”Jesus Beat Vol.1″が・・これが、凄い!!!!

これは無料でダウンロードできます。→ ここからダウンロード
(.rarという拡張子の圧縮ファイルですが、解凍ソフトを使えばよいです。)

全部気に入ったのですが、特に良かったのは”The Salvation Story”(救いの物語)です。下がその歌の一部ですが、Youtube(右下のボタン)を開けば下に歌詞も出て来ます。実際は、今の世界の問題から人の罪を語り、そして創世記の話に入っていき、そして下のビデオにあるイエス様の話になっていきます。


(私個人はただ歌詞だけ聞いて、思いを巡らしたほうが良かったですが、初心者の人には映像があったほうが助かるでしょう。)

次は「復活、昇天、聖霊降臨、それから再臨」までの壮大な神の救いの完成を歌ってほしいなと思いました。

私の家の近所に公園がありますが、若者たちがいつも、ラジカセを使いながらヒップホップ・ダンスの練習をしています。ぜひMamiya / Shinの音楽を若者に紹介してみてください!

恵比寿バイブル・スタディのお知らせ(8月29日)

ご無沙汰しております。みなさんお元気でしたか?恵比寿BSも長い夏休みを終え、学びを再会したいと思います。

日時:8月29日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:サムエル記第二7章以降
(その後の予定は9月5日で来週水曜日になります。お間違えのないよう、よろしくお願いします。)

話はダビデがエルサレムに自分の町を作り、神の箱を動かしたところから始まります。礼拝を第一にする彼の姿には多くを学びます。そして次回は、神ご自身が彼のために家、いや家系を立ててくださることを学びます。これが、まさにキリストによる神の国の約束であり、これゆえに新約聖書の言葉が、「ダビデの子、アブラハムの子孫、イエス・キリストの系図」で始まっている所以です。

イスラエル人も罪人

今朝の妻とのデボーションは黙示録11章でしたが、そこにこう書いてあります。「彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである。(黙示11:8)」この「ソドムやエジプト」と呼ばれているのは、もちろんエルサレムのことです。イザヤ書から引用した言葉であり、イスラエルが贖われたはずのソドムやエジプトと霊的には同じぐらいになっている、堕落している状態になることを、聖書は終わりの日に起こることとして預言しています。

次のニュースが興味深いことに、日本語のニュースサイトには一切報道されていませんでした。以下はイスラエル・ニュース翻訳サイトからの引用です。

8月20日(月)
*先週の木曜の夜にエルサレムで、ユダヤ人少年らが集団でアラブ人を暴行する事件が発生。今日までに5人の容疑者が逮捕されているが、警察は現在も捜査を続けており、逮捕者は増える見込み

8月21日(火)
*エルサレムで発生したアラブ人に対する暴行容疑で逮捕されたユダヤ人少年が「もう一度、あいつをつかまえたら、殴り殺す」と発言。他にも7人の未成年の男女が逮捕され取り調べを受けている。(P,Y,H)
http://www.zion-jpn.or.jp/news/jd0821.htm

いつもは、イスラエル国防軍がハマスのロケットによる攻撃への報復として、ガザにいるテロリストを標的に攻撃したりすると、日本語では、どんどんニュース記事がその出来事で埋まるのですが、あまりにも不公平な報道であると思って読み流していることが多いですが、これは絶対に見逃せない記事です。

私は「三つのPro」というエッセイ記事の中で、イスラエル・パレスチナ紛争の本質は「領土」ではなく、「在留異国人へのいたわり」へと焦点を当てるべきであると述べました。ジョエル・ローゼンバーグ氏もその律法の言葉を引用して、今回の犯罪を強く非難しています。ネタニヤフ首相も、このリンチになりかねなかった恐ろしい暴行を強い言葉で非難し、容疑者を厳罰に処することを発表しています

ここでやはり、私たちが神の愛で人を愛するということは、どういうことかを考えなければいけません。イスラエルは神に選ばれた民です。(その選びを基盤として、異邦人信者をも選びの器としてくださったことをローマ9章は教えています。)それはイスラエル人が正しいことを行なっているからでしょうか?いいえ、彼らはたくさんの不正と悪を行なってきました。私たちの教会の学びは士師記を終わりましたが、ベニヤミン人はソドム人と変わりない集団同性愛レイプを行なおうとしたのです(結局、一人の婦人を集団レイプ、死に至らせる)。

それらの悪にふさわしい裁きを神はイスラエルに下されます。流血や暴力について、忌まわしい行ないや汚れについて、神は預言者によって何度も警告されましたが、言うことを聞きませんでした。それでバビロンによって捕え移されます。それでも、神はイスラエルをあきらめませんでした。ここに愛があります。愛は真実に基づくものであり、人間的には絶対に好きになれない相手を、それでも愛していくのです。そしてそれは悪を容認する愛ではなく、その悪を裁き、懲らしめ、その悪から離れることを願うところにある愛です。

私はこの事件を見て、イスラエル人も終わり日に起こる困難な時代の例外を免れないと思いました。米国における当り構わずの乱射。日本における、あまりにも陳腐な動機による通り魔。そして諸外国における“愛国心”“公平な社会”等、もっともらしい名を使っての暴徒。「そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、・・・」(2テモテ3:2‐4)

「怒り」「憎しみ」「非寛容」という空気がこの世を立ち込めています。また、「恐れ」「不安」という敵にも目を向けるべきです。私たちは恐れると、自己防衛反応から、本当は愛するべき人から離れたり、避けたり、時には被害意識によって攻撃的にさえなります。

イスラエルが清められますように。そして私たちキリスト者も世の汚れから守られますように。

【追記】
私がこのニュースで衝撃を受けたのは、私も旅行中は必ず通ったエルサレムの繁華街「シオン広場(Zion Square)」で起こったことです。パレスチナ人による自爆テロが・・・というのが第二次インティファーダの時にはありましたが、まさかその反対のことが少しでも起ころうとするなんて・・・という衝撃です。

ある記事では被害者は「アラブ人」と書かれており、また「パレスチナ人」と書かれているのもあります。1967年にイスラエルがヨルダンから東エルサレムを奪取しました。イスラエルはそこを併合したのですが、そこのアラブ人住民には無条件でイスラエル国籍を提供する準備をしました。けれども拒むこともでき、ほとんどが拒んでいます。

彼らはエルサレム在住ビザが与えられており、エルサレムを自由に行き来できます。旅行に行けば、西エルサレムがとてもユダヤ的で東は昔からの町、アラブ人の多い地区であることをすぐに感じ取ることができるでしょう。けれども、西エルサレムではユダヤ人もアラブ人も互いに通りかかることはあっても、職場以外は共に何かすることは希薄になっている、という現状です。(参照:New York Times

2010年の聖地旅行では、そのシオン広場の近くにある教会の礼拝に参加しましたが、東エルサレムからのアラブ人兄弟が奉仕していて、ユダヤ人兄弟と肩を組んで代表の祈りを捧げていました。

「イスラエル旅行準備会第二回」のお知らせ

こんにちは、お元気にしておられますか?
聖地旅行準備会、第二回目のご案内をしたいと思います。

8月24日(金)午後7時から9時頃まで
場所:東京日暮里国際教会 内
東京都荒川区西日暮里2丁目29-6 秋山ビル4階
(一階にファミリーマート(西日暮里二丁目店)があります。)

地図と行き方:LCFの教会案内のページをご参照ください。
(LCFの午前礼拝の場所になります)

今回の学びは、「イスラエルの時代史の概観」になります。聖書時代にある歴史は、聖書通読をされている方は理解しておられると思います。

1)アブラハム等の族長時代
 (注:出エジプト時代はイスラエルはカナンの地にいなかった)
2)ヨシュアから士師記まで
3)ダビデによる王国イスラエルの始まり
4)バビロン捕囚による離散とその後の帰還
5)中間期(ハスモン朝)
6)ローマ支配下のイスラエル(新約時代)
 (唯一、5)はダニエル書などの預言にしかありません。)

そして紀元70年にローマがエルサレムの神殿を破壊して、世界に離散してからの歴史は、信仰者は教会でほとんど学ぶ機会がありません。けれども、聖地旅行をする時には必ず出てくる時代区分なので、ぜひ覚えておく必要があります。そして近代における帰還運動、現代のイスラエル建国へと続きます。

以上、「シオンの架け橋」にあるイスラエル史をご一読ください。

お話しする内容としては、すでに当ブログに連載して一部を書き記していました。こちらも時間があればご一読ください。

初めから物語る歴史 - イスラエル その1

【旅行参加を随時募集中】
旅行参加は、今も募集しております。ぜひご参加ください!まだ申し込まれていない方も、興味があればこの準備会への参加可能です。詳しくは案内ページを見てください。

イスラエル旅行2013年2月

「愛 - さらにまさる道」チャック・スミス著

以前、「チャック・スミスの日本語訳サイト」を本ブログ紹介させていただきました。実は、私の妻と教会の何人かで、次の本を翻訳・校正してきていました。

Love: The More Excellent Way

私たち夫婦が、アメリカにいたときから、「Pastor Chuckから何を教わっているのか?」ということを考えるときに、これぞと思われる本がいくつかあるのですが、一番大きいものの一つは「恵み」です。「恵みはなぜすべてを変えるのか」という本がサイトに出ています。

そしてもう一つは「愛」です。当時の若いヒッピーの世代に、どうして保守伝統を重んじるクリスチャン家庭で育った彼が、福音をもって彼らに届くことができたのか?現代の流行っている考えであれば、「今の時代に合わせていかなければいけない」という答えでしょうが、彼は云わば「ふり」をしませんでした。けれども、愛を持っていました。これは元ヒッピーのクリスチャンが口を揃えて証言することです。ヒッピーは反権力的で、年上の権威的存在に反発心を抱いていましたが、その壁を通り抜けることができたのは、他でもない、彼から流れる神の愛でした。

今、アメリカの若い世代のクリスチャンに広まっているのが、「人々を愛していこう」という動きです。その急先鋒に立つ本が、物義を醸した”Love Wins”という本だそうです。福音を受け入れなければ地獄に行く、という教えに対する反発が色濃い本になっており、そこで「正義」なのか「愛」なのか、という問いかけを、多かれ少なかれ、アメリカにいるクリスチャンはしているのだと思います。(参照サイト:ブライアン・ブローダソン(Brian Brodersen)牧師による”Love Wins”の検証

そして、私が日本で奉仕の働きをしていて、「人」に触れるということは、「愛する」っていうことを絶えず自問自答していくことなのだ、ということに気づきました。Loveの紹介サイトの副題にも、こういう言葉があります。

every person craves it, only God can supply it.
(誰もがこれに飢えている。神のみが満たすことができる。)

そこで、calvarychapel.comで紹介されていた本書の一部抜粋の記事を、そこだけすでに翻訳した部分を紹介します。一見矛盾する「正義」と「愛」が、実はその正義の中に愛があることを上手に説明しています。

これから、そのサイトの日本語訳のところに翻訳を掲載してもらうようお願いをしていきますので、どうか無事に掲載できるようお祈りください。よろしくお願いします。

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神の正義の中の愛(原題:Love in Justice)

正義においてでさえ、神は愛を示してくださることを言わずにはおかれません。愛をもって、危害が及ぶような決定や行動に対し、神は警告をお与えになります。自分を破滅させる方向へと導く私たちの堕落した性質から、私たちを守ろうとされます。

行動の中には、それに伴う裁きをもたらすものがあります。もし何か邪悪なことをするなら、当然の帰結として、それがもたらすひどい影響に苦しむことになります。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります(ガラテヤ六章七節)。行動や行為は、自動的にそれに見合った結果をもたらします。

聖書の中で与えられている神の律法を学ぶと、結局神は、破壊的な選択をすることを禁じておられることがわかります。その選択とは、健康、配偶者や家族、友人との関係を破壊するもの、そして神との関係を破壊するものです。当然ながら、あなたをだめにしてしまうものを神は不法とされました。一方で、神はあなたの徳を高めるもの、よりよい人にするもの、他の人との関係を良くするもの、神との関係をほめたたえることを命じておられます。

ですから、神の律法を咎めることはできません。聖書はこのように言っています。「主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。」(詩篇十九篇七節)。神の律法を咎めることはできません。それなのに私たちはとかくそれに反抗します。私の肉は神の律法が禁じていること、それ自体の性質のゆえに、自分をだめにしてしまうことをしたがります。神が私に命じておられるにもかかわらず私がそれをするなら、必然的に自分の反抗の結果に苦しむことになります。ですから、神はみことばの中で、もし私たちがそれをするなら、しかじかのことが起こると警告しておられるのです。神はご自分の律法を犯した結果をはっきりと私たちに警告しておられます。しかもそれは神が恵み深くないからではなく、恵み深い方だからです。

私はとかく、自分をだめにするようなことをします。それなのに、神は続けてあわれみをかけてくださいます。神は奮闘の渦中にいる私をご覧になります。私が悲しみのうちにいるのをご覧になります。悲嘆のうちにいる私をご覧になります。私が自分を破滅させるようなことを避けてほしいと神は願われました。そして、それを私が回避するのを手伝ってさえくださいました。しかし私は反抗したのです。結局、私はそのようなことをする選択をします。それで、私はその結果に苦しむのです。

しかし、そうであっても神は恵み深く、あわれみ深く、同情心に満ちておられます。「ああ、かわいそうに。なんでそんなことをしたんだい。」と神はおっしゃっているようです。そして、手を差し伸べて、私を穴から引き揚げ、再び私が自分の足で立つようにしてくださるのです。

これまでに、自分の子が深刻な間違いを犯すのに指をくわえて見ていなければならなかったことがあったでしょうか。それは両親が直面する苛立ちの中で、最たるものだと思うのです。 青年が自分で物事を決めていかなければいけない年齢に達したとき、その青年が取ろうとしている選択が間違っていて、その子をだめにしてしまうとわかっているなら、胸が張り裂けます。その子の決断が痛みや傷をもたらすことがわかっています。ですから、できる限りのことをして、その子がそうしないようにします。法律が許す目いっぱい、できる限りあらゆることをします。けがや破滅を未然に防ぎたいのです。来るべき恐ろしい痛みや悲しみから、その子を逃れさせたいのです。そのようなすべてのものから、その子を必死になって守りたいのです。しかし、ときに子どもは強情を張ります。意固地になり反抗して、あなたのよい判断に反する、あなたの願いに反する、あなたの忠告や助言、脅しにさえも反する行為をします。自分の計画を実行し、その子を止めることができるものは、何一つないのです。

ただその恐ろしい悪循環がひとりでに完了するのを傍観し、待つしかないのです。

計画が全くだめになり、その子がひどい痛みの中にあるのを見るときは、それはまさに避けてやりたいと思っていた苦悩です。介入して、バラバラになった人生を拾い上げ、回復するのを助けます。人の話を聞いてさえいれば、そのようなことはすべて避けることができただろうに!

독도와 일본선교

만일 이 기사를 읽는 한국 분이 예수님을 믿지 않으면 무시하셔도 됩니다. 아니면, 일본 친구나 동료가 있을 때는 더움이 될지도 모르는데 기본적으로는 믿는 사람 대상으로 쓸 글입니다. 내영이 아주 도전적인 것 같을 것인데 하나님의 권속안에 일어난 과재 하나이기 때문에 용기를 내서 기록하겠습니다.

저는 선교사이고 이제 동경에서 교회를 개척하는 목사입니다. 미국에서 교육을 받았고 일본선교로 먼저 파송을 받았습니다. 그리고 한국에서 언어를 공부하다가 다른 나라에서 5년동안 이상 봉사 활동을 했습니다. 한국사람 그리고 조선족 친구들이 많이 있습니다. 동양에 대해 하나님께서 큰 계획을 갖고 있다고 생각하는 사람 하나입니다.

뉴스에 나온 독도 그리고 중국과 있는 영토문제 때문에 요즘 일본 성도들이 큰 무서움이 마음속에 들었습니다. 뉴스에서는 일본정부가 강하게 대하는 모습을 보면 일반 사람들도 그렇다고 착각할 수 있습니다. 사실 대부분 관심이 없고 역사적인 지식도 없습니다. 하지만 한국과 중국에서 나온 반일행동들을 영상으로 보니까 일본 사람들도 일반 사람들이 그렇다고 오해합니다. 평소에 서로 교재나 사귐이 있는 사람이야 그런 일이 있어도 특별하게 여기지 않은데, 한류 유행에 익숙해진 일본사람들은 평소에는 상냥한 한국 사람들이 어째서 갑자기 표변된냐고 당황합니다.

믿는 사람들이 특히 일본사람앞에 독도가 우리땅이라고 하면 안된다고 하겠습니다. 이유가 몇게 있습니다.

1. 일본 선교에게 큰 방해가 됨

먼저 성경 말씀을 나눠 드리겠습니다.

만일 음식으로 말미암아 네 형제가 근심하게 되면 이는 네가 사랑으로 행하지 아니함이라 그리스도께서 대신하여 죽으신 형제를 네 음식으로 망하게 하지 말라 그러므로 너희의 선한 것이 비방을 받지 않게 하라 하나님의 나라는 먹는 것과 마시는 것이 아니요 오직 성령 안에 있는 의와 평강과 희락이라 이로써 그리스도를 섬기는 자는 하나님을 기쁘시게 하며 사람에게도 칭찬을 받느니라 그러므로 우리가 화평의 일과 서로 덕을 세우는 일을 힘쓰나니 (롬14장15-19절)

내가 모든 사람에게서 자유로우나 스스로 모든 사람에게 종이 된 것은 더 많은 사람을 얻고자 함이라 유대인들에게 내가 유대인과 같이 된 것은 유대인들을 얻고자 함이요 율법 아래에 있는 자들에게는 내가 율법 아래에 있지 아니하나 율법 아래에 있는 자 같이 된 것은 율법 아래에 있는 자들을 얻고자 함이요 율법 없는 자에게는 내가 하나님께는 율법 없는 자가 아니요 도리어 그리스도의 율법 아래에 있는 자이나 율법 없는 자와 같이 된 것은 율법 없는 자들을 얻고자 함이라 약한 자들에게 내가 약한 자와 같이 된 것은 약한 자들을 얻고자 함이요 내가 여러 사람에게 여러 모습이 된 것은 아무쪼록 몇 사람이라도 구원하고자 함이니 (고전9장19-22절)

영적으로 말하면 독도가 우리땅이란 주장이 아무리 옳다 해도 그 주장 때문에 선교의 대상인 일본 사람들이 복음을 전하는 사람이 한국인라면 그 말씀을 받아들이지 않게 됩니다. 역사적으로 아무리 한국이 일본에 종이었다, 일본이 사과 해야 한다 해도 기독교인들의 인구가 1%이하인 일본이 20-30%있는 한국에게는 역시 선교지입니다. 하나님께서 일본을 사랑하신다 믿는다면 복음 전파를 위해 자기 것을 버려야 합니다.

하나님께 감사드리는 것이 여기 계시는 장기 선교사님들이 위에 있는 것들을 제가 안 말해도 늘 이해하시고 실행하십니다. 요즘 쓰나미 피해지에 한국 단기선교 팀이 가셨는데 역사적인 문제나 방사능 문제를 넘어가서 영혼 구원을 위해 예순님의 명령을 순존하시는 모습을 볼 수 있었습니다. 그 모습이 너무너무 아름다웠습니다!

2. 신학적인 문제

영토는 하나님께서 각 나라에 주시는 선물입니다. 국가의 경계선도 하나님께서 주신 것입니다. “인류의 모든 족속을 한 혈통으로 만드사 온 땅에 살게 하시고 그들의 연대를 정하시며 거주의 경계를 한정하셨으니” (사17장26절) 그래서 그 나라의 지도자와 국민들이 영토를 지켜야 할때도 있습니다.

그러나 이것이 하나님께서 주신 자연적인 은사입니다. 자연적인 은사는 다시 말하면 안 믿는 사람들에게도 일반적으로 하나님께서 베풀어 주시는 은혜입니다. 하지만 하나님께로 구원을 받아들인자들에게 사실 영토가 예비됩니다.

온유한 자는 복이 있나니 그들이 땅을 기업으로 받을 것임이요 (마5-5)

온유한 사람이 예수님의 복음을 영접하고 자기 죄를 께달았고 마음이 겸손해진 사람의 말입니다. 그런 사람들에게 나라들를 기업으로 나눠 주시는 약속이 성경안에 있습니다.

예수님을 영접하면 국적이 천국으로 바뀝니다. 하나님의 나라의 시민권을 얻었습니다. 예수님이 천국에서 다시 이 땅에 오시면 이미 하나님의 아들이 된 성도들이 그리스도와 함께 땅을 다스립니다. 그 때는 일본, 한국, 상관 없이 성도들의 땅이 될 것입니다.

물론 그리스도인들도 이 세상에서 국적을 한국이나 일본이나 갖고 있기 때문에 영토에 대한 관심도 저절로 생깁니다. 하지만 하나님의 나라가 임하기를 기대하는 사람에게는 이 기대가 헐씬 더 크기 때문에 비교하면 두 나라사이에 있는 영토문제가 아주 작다고 생각합니다. 그 것보다 예수님이 다시 왕들의 왕으로 오시고 나라들에게 심판을 주실 때 믿지 않는 한국사람이 독도커녕 한반도도 상속하지 못해 지억에 들어가야 하는 진리를 잘 기억해야 합니다(마25장31-46절). 가장 한국을 사랑하는 수단이 한국 사람한테 예수님을 소개하는 것입니다!

3. 영적인 문제

너희는 유대인이나 헬라인이나 종이나 자유인이나 남자나 여자나 다 그리스도 예수 안에서 하나이니라 (갈3장28절)

하나라고 하는 것이 민족의 차이가 없어지는 말이 아닙니다. 남자와 여자차이가 그리수도인이 되도 계숙 있는 거처럼, 저는 일본사람이고 여러분은 한국사람입니다.

하지만 사도 바울이 그 편지에서 유대주의자를 대하고 그리수도인의 정체성을 분명히 가리켰습니다. 유대인이 이방인들에게 할례나 유대인만이 하는 의식을 지켜야 복을 얻겠다고 하니까 그 것이 저주를 받을 이질한 복음이라고 주장했습니다. 바울이 다른 편지에서 그런 자랑수러운 유대성이 해라고 불렀습니다. (빌3장7절) 왜냐면 유대인이 갖고 있는 율법이 이방인을 방해하는 벽이 되었기 때문입니다.

만일 독도 문제를 하도 말하고 인본인 형제 자매들과 있는 교재를 일어 버리면 똑같은 문제가 생깁니다. 여러분은 한국 그리수도인(Korean Christian)이 되고 싶어요? 아니면 기독교 한국주의자 (Christian Koreanizer)가 되고 싶어요? 정체성이 어느 편에 있습니까?

예수님주의 열두 제자안에서 세리 마태가 있고 열심당 시몬도 있었습니다. 세리는 로마의 게라고 할 수 있습니다. 유대인들이 로마가 억압을 주고 세금도 많이 내야 했습니다. 유대인인 세리가 로마를 위해 일하고 게다가 자기 것으로 일부를 훔칠 때가 일상이었습니다. 열심당이 유대 민족주의자이었습니다. 군사적인 수단으로 로마를 쓰러뜨려야 메시아가 오실 거라고 믿었습니다. 그래서 열심당이 배신자를 보면 칼로 죽일 때가 많았습니다.

어째서 시몬과 마태가 같이 살 수 있었어요? 예수님이 가운데 계셨기 때문에! 그리스도의 제자는 예수님을 주님으로 삼아 자기를 버리는 존재입니다. 예수님을 너무 사랑하고 예수님으로 마음이 가득하기 때문에 서러의 있는 차이가 너무 작게 보입니다.

이 것이 자기 특징을 버리는 것이 아닙니다. 하나님께서 주신 자연적인 은사는 거듭난 사람이야 하나님의 영광을 반영해서 빛나는 도구가 되는 것입니다. 저는 한인 교회로 영적인 원리를 많이 배웠습니다. 일본 사람들이 음식 먹을 때 서러 나눠 주는 습관이 없습니다. 하지만 성경적으로 말하면 음식은 교재를 표시합니다. 성찬식에서 그리스도안에 서러가 하나가 뒨 신비를 경험할 수 있습니다. 한국 민족에 이미 있는 공동체의식이 거듭난 사람들 사이에 하나님의 영광을 나타냅니다.

4. 마지막날의 황상

민족이 민족을, 나라가 나라를 대적하여 일어나겠고 곳곳에 기근과 지진이 있으리니(마태24장7절)

그들이 새 노래를 불러 이르되 두루마리를 가지시고 그 인봉을 떼기에 합당하시도다 일찍이 죽임을 당하사 각 족속과 방언과 백성과 나라 가운데에서 사람들을 피로 사서 하나님께 드리시고 그들로 우리 하나님 앞에서 나라와 제사장들을 삼으셨으니 그들이 땅에서 왕 노릇 하리로다 하더라 (개9장9-10절)

마지막날에 이 땅에서는 민족과 국가간에 싸움이 심해집니다. 반면에 모든 족속과 언어와 백성과 나라가 하나님의 백성이 되고 천국에서 찬양을 드리는 일도 생깁니다. 나라사이에 있는 갈등이 인간 죄때문에 심하게 되는 반면에 그 흐름을 무시하고 대항하는 것처럼 다른 나라에 속한 사람들이 예수님이 흘리신 비로 하나가 되는, 널라운 성령님의 역사가 일어납니다.

중동에서 전대미문(前代未聞)의 대부흥이 일어났는데 믿게 되는 사람들이 예수님의 황상을 보고 완전한 회심을 했습니다. 팔레스타인 테러리스트였던 그리스도인이 이제 유대인인데 예수님을 믿게 된 형제와 친한 친구가 되었습니다. 미움이 사라지고 대신에 사랑이 넘친 것입니다. 정치가도 외교관도 학자들도 활동가도 하지 못했던 화목이 그리스도안에서 순간에 이루어지는 것입니다.

종요한 것은 대화보다 더 성령님께서 역사하시는 가운데 자기를 넣고 나서 하나님께 헌신하는 것입니다.

저희가 하야 하는 일

밑에 있는 영상을 보세요. 그 젊은 인본 사람이 믿는 사람이 아닌 것 같은데 그래도 올바른 행동을 했습니다. 작년에 일본에서 텔레비 방송국앞에 한류를 반대하는 데모가 있었는데 한국에서도 그 뉴스가 나왔다고 합니다. 그 때 용기를 내서 한 것입니다.

하물며 그리스도인들이 서러사이에 이런 시대라서 할 수 있는 교재와 연합이 많이 있는 것이 아니예요? 저는 올해 1월초에 있었던 동아시아 청녕회에 일부분 참석했습니다. 강의도 하나 했습니다. 중국, 한국, 그리고 일본인들이 서로 교재하는 시간이었습니다.

동아시아 기독청년대회
내년도 2월에 제주도에서 하겠습니다!

2012年マラナサ・バイブル・フェローシップ その2

その1からの続き)

二日目の晩の私のメッセージは、マタイ13章1-50節から「天の御国の奥義の喩え」という題名で話させていただきました。

リンク先: 原稿 ・ 音声

下界(??)に降りたら再びストレスのある生活に戻る。けれども、そこにおいて御言葉を聞き、心を開くところに天の御国が展開していく。そして、御言葉を受け入れた人々の中にもサタンの働きがある偽物がはびこるが、広い心をもって忍耐していかなければいけない。最後は、必ず清算の時が来る。隠れたことがすべて明らかにされるので、私たちの周りにある不条理について、真理的・霊的圧迫について、主が解決してくださるという信仰を持つことができる。そして、主がこの世界に清算の日をもたらす前に、宝のように大切にされている主が私たちを贖ってくださる、という内容でした。

ところで今回のキャンプは、雨がたくさん降りました。けれども、不思議に何か活動をする時には晴れて、すべてを行うことができました!二日目の昼は、いつものように一部の人たちは広場でスポーツです。ソフトボールとサッカーをしました。

そして何よりも三日目の午後に行なったバプテスマ式は豊かに祝福されました!三日目の午前中は富士山二合目の現地は雨降りでしたが、午後にバプテスマ式を予定していた富士川の上流に近づくにつれ晴れてきて、川も冷たかったですが、濁流にもなっておらず最高の状態でした。

三日目の朝の感謝会で、バプテスマを受ける予定の三人から救いの証しを聞きました。その中の一人は私たちLCFの教会にいらして約三ヶ月の姉妹で今年正月に救いを受けました。彼女に与えられた赤ちゃんがキャンプの中でも可愛いスターでしたが、その子にまつわる話で、赦せなかった人を赦す心が与えられた、という内容です。

そしてもう一人の方はハワイに留学していたけれどもそこで救われ、日本に戻ってきたら決してイエス様から離れたくなかったけれども、ご出身が静岡市で帰国後すぐに静岡城北教会に導かれ、そしてそこの牧師さんで私の友人でもある見城和人さんがカルバリーチャペル所沢を紹介し、そしてそこで、これまた私たちの友人の宣教師が、職場に近い恵比寿バイブル・スタディを紹介し、私たちとも知り合いになりました。お二人とも、主に救われた喜びでいっぱいです!

2012年マラナサ・バイブル・フェローシップ その1

毎夏恒例のマラナサ・バイブル・フェローシップのファミリー・キャンプが、8月13‐15日に富士山麓山の村で行なわれました。昨年と同じところです。(2011年の様子はこちらのブログ記事でどうぞ。)

「米田ひろしミニストリー」の紹介

今年は、伝道にもっと力を入れた集会でした。ゴスペル・シンガーの米田ひろしさんが一日目晩の集会を担当され、ロゴスの私が二日目のバイブル・タイムを担当致しました。米田さんとは初めての出会いでしたが、たくさんの共通項があり、一気にいろいろなことを分かち合い、親しく交わることができ、とても嬉しかったです。

ご自身の教会生活ルーツがワシントン州のカルバリー・フェローシップを始めとし、遣わされている教会が私もよく耳にしている南加州にある日系教会、そして共通の友人や知人が数人おり、おまけに私の大学時代のクリスチャン先輩がご自身の所属される教団の牧師だった、などありますが、霊的には、ご自身が引きこもりとそれに伴う鬱との闘いから救いを受けた、というところに大きな共感を得ました。私も救いのきっかけは、高校の後期から大学初期に悩んでいた抑うつでした。

彼が今年出したアルバム「あなたに逢えてよかった」の同題の歌は、まさに私が霊の救いを受けたことによって得られた癒しにおける神の真実ですが、このような歌詞になっています。

涙流してよかった。心痛んでよかった。
傷ついたけどよかった。傷つけるよりよかった。

風が強くてよかった。雨が冷たくてよかった。
険しい道でよかった。遥か遠くてよかった。

すべての営みは、定められた時がある。
今がどんなに苦しくても、あなたがくれる意味がある。

あなたに逢えてよかった。心開いてよかった。
勇気を出してよかった。今すべてがよかった。
・・・・

これは伝道者の書3章1節の「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」から来ている言葉ですが、ここに流れている真理は、神がいかなる物事や出来事にも主権を持っておられることです。この世界は、クリスチャンの世界でさえ、悪いことについては蓋をして、それがあたかも神の領域から離れているかのように話します。これは非聖書的な神学であり、主は、すべてのことを、たとえそれが悪であってもご自分の主権の中に入れておられ、それをすべてご自身の栄光にされます。この真理によって、私も深い魂の癒しを受けました。

米田ひろしミニストリー

上のウェブサイトに、米田さんの証しも、また「あなたに逢えてよかった」の試聴もできます。

今回もノアの石原さんご夫妻がいらっしゃいましたが、静岡の牧師さんたち自身もフォークのバンドも組んでおられるほどの面々ですから、賛美に豊かな集会となりました。いろいろな人に教会賛美について質問をしましたが、みなが同様に「技術ではなく個々のクリスチャンの霊的成熟」を条件に挙げておられました。

下に、一日目の様子の一部を紹介します。

その2に続く)