教会案内のページ

ついに来週から日暮里駅前で礼拝を持つことになります。二つのページで教会案内をしています。

ロゴス・ミニストリーのサイト内
本ブログ内(右上にある「教会(LCF)の紹介」)
下に本ブログ内にある紹介の一部を紹介します。ぜひ上のページのいずれかを使ってご自身だけでなく、他の人々にも新しい礼拝場所をご紹介ください。

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ロゴス・クリスチャン・フェローシップ(Logos Christian Fellowship)は、2011年2月に開始し、新しい信仰者や信仰歴の若い人々に恵まれ、互いにキリストにあって愛するすばらしい共同体を神が生み出してくださいました。

2012年8月より、礼拝場所が日暮里駅前(JR・京成・舎人ライナー)に与えられました。
午前礼拝:日曜日午前11時より  場所:東京日暮里国際教会
午後礼拝:日曜日午後2時より 場所:DBC(ダイナミック・ビジネス・カレッジ

紫色の印が、東京国際日暮里教会内(午前礼拝の場所)
  荒川区西日暮里2-29-6 秋山ビル四階(一階にファミリーマート
赤色の印が、DBC(ダイナミック・ビジネス・カレッジ 午後礼拝の場所)
  荒川区西日暮里2-51-8 6階
(JR日暮里駅から:北口改札を出て右(東口)。エスカレーターで一階に下り直進。
 千代田線・西日暮里駅から:2番または3番出口から出る。)

興味のある方はぜひ、こちらへご連絡ください。 → info@logos-ministries.org

LCFの聖書メッセージは「LCF内のメッセージ」に掲載しています。
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(関連投稿記事:「【特報】 LCFが東京中心部へ移動!」「日暮里移動を控えて - 牧者の瞑想 その1」「その2」)

恵比寿バイブル・スタディのお知らせ(8月1日)

おはようございます。
昨日の日曜礼拝はみなさん、いかがでしたか?

今週の学びのお知らせです。

日時:8月1日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:サムエル記第二4章以降
(その後の予定は、8月29日です。8月は東北復興支援旅行や修養会、イスラエル旅行準備会等で、三週間学びができないことをお許しください。)

先週の学びには、Iさんが出席され、また久しぶりにSさんがいらっしゃり、そして初めてKさんもいらっしゃいました!学び後の分かち合いも豊かに祝福され、改めて恵比寿バイブルスタディの継続の必要性を感じました。そして、学びには来たいけれども、仕事が入って来ることができない人々もいます。学びに来ることができるために、お祈りいただければ幸いです。

4章以降には、サウル家の支配がなくなり、ダビデによってイスラエルが統一されるところを読んでいきます。楽しみなのが、統一後のダビデの動きです。彼がすぐに行ないたかったのは、「神の箱をエルサレムに運ぶ」ことでした。礼拝王国を作ろうとしたのです。私たちの生活の中心が、自分の生活を支配される神礼拝に向かって突き進んでいるか?ということを学べると思います。

感謝。

LCFの活動予定(28日、29日)

みなさん、こんばんは。今日は本当に暑い一日ですね。お体に気をつけください。

明日と明後日の予定をお伝えします。

場所:足立区こども家庭支援センター 別館3階

28日(土)
13:00 祈り会
(聖書の学びは、祈り会の中でマタイ9章を読みます。)

29日(日)
11:00 午前礼拝: 士師記7章1-8節 「神に用いられる人々」
13:30 午後礼拝: 士師記6-8章

聖地旅行(2013年2月)のチラシ案内

2013年イスラエル旅行のチラシの内容をアップデートしました!申込は随時受け付けています。ぜひご連絡ください!

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ロゴス・ミニストリー企画の聖地旅行のご案内です。チラシをご覧ください。

聖書を体験するイスラエルの旅

2013年2月19日(火)-3月1日(金)(11日間)
旅行費用の目安: 32.8万円(燃油税5.5万円程度(2012年1月現在))
募集人数:25名(催行最小人員:15名)
申込連絡先:info@logos-ministries.org

また東京や近辺にお住まいで、ぜひ口頭で説明を聞きたいと願う方もご連絡ください。興味のある方が数人おられれば、時間が合えば伺わせていただきます。

そして、牧師や教会奉仕者で興味のある方に対しては、今回の旅行はロゴス・ミニストリー主催ですが、ぜひ協力して一つのグループとして動いていきたいと願っています。旅行する仲間の中で主にある良い交わりが生まれることを強く願っています。

日暮里移動を控えて - 牧者の瞑想 その2

その1からの続き)

イエス様という、多彩なお方

イエス様という方は、まるでたまねぎの皮のように、剥いても剥いても、また新しい側面を見出すことのでき、あらゆる働きの源である方であることに気づいています。ここ数年は、海外宣教の働きを始めたことによって新しく見えてきたイエス様がおられました。それは天から地に下るという、人々の生活の間に入られた方であることを知りました。言語はもちろんのこと、その人々の習慣や文化、社会制度に至るまで、罪ではない全てのものと一つになり、その中でキリストを自分のうちに見出してもらう、ということです。

けれども、イエス様は宣教者であられるだけでなく、大牧者でもあられます。なぜイエス様は、弱い人、苦しんでいる人、罪人の中におられたのか?そしてなぜ、あれほど、特にパリサイ派との確執があったのか、弟子たちの無知と無頓着にどうしてあれだけ忍耐されたのか、また何よりも、なぜあんなに父なる神に祈ることができたのか?これらの鍵は、「羊を世話する羊飼い」であります。「教えていることだけでなく、自分の命さえ捧げる」という愛にあります。これが牧者の思いです。

自分を変えるチャレンジ、ぎこちない愛

大きなチャレンジは、私自身です。先日、このブログでも紹介させていただいた、東松島の月浜地区の海苔産業の復興を目指す「月光グループ」の食事会が開かれました。月光の漁師さんにお会いできただけではなく、月浜を支援している他のボランティアの人々にも会えました。その一人の方が、こういう言葉を残しています。

彼らは自らを変えることと闘いながら、ここまで来た。
月浜の方々とは去年の四月以来のお付き合いをしてきました。そこは宮戸島という小島の端にあるため、自給自足精神の強い集落であり外部者に対して閉鎖的でした。津波が押し寄せ、数多くの人々が助けに来ることによって、「自分たちだけで生きていく」というところから、「他の人々との接点によって生きていく」という生活の転換を迫られました。けれども、後者の生活がいかに優れたものかを、喜びをもって体験していることを、月光の代表の方の満面の笑みから伺うことができました。

そして今、私自身も単なる聖書教師から牧師・教師への転換の喜びを味わっているのかもしれません。

そしてもう一つ、「愛」ということについてです。昨日、ある人の紹介によるビデオを観て感動しました。

なんと、これはタイ国の生命保険会社のCMなのですが、こんなに素朴な愛を短い時間で描いているのは珍しいのではないでしょうか?私がこれを見て思ったのは、このような愛を兄弟姉妹に持てるだろうか?というチャレンジもありますが、同時に、「こんな不器用な私でごめんなさい」という、口の利けない父と同じ思いがしています。

牧者という働きの中に身を置いて、不思議な体験をしました。これまでになかったことでした。それは、「神が与えられた人々を愛せる」という喜びでした。上からでなければ決して来なかった愛情です。だから、私自身が愛情深いとかそういうものでは決してなく、神がご自分の栄光のために、キリストを頭としている教会においては、愛を満ちあふれさせるようにしてくださるのだ、という実感です。

けれども、それをどう表現すればよいのかが自分に分かりません。下手くそだなって思います。とにかく御言葉を提供することに専念してきた生活を送ってきました。背後ではたくさん泣き、たくさん時間を使い、たくさん祈ってきたのですが、それをどう伝えればよいか分かりませんでした。不器用だなと思っています。でも、不器用だからといって落胆せず、愛がその欠点さえも乗り越えて押し流していくことを、切に祈りつつ奮闘していきたいと願っております。

今、教会に来られている方々は、私のことを愛し、支えてくださっていることを感謝します。またこれから教会に来てみたいと思われる方は、以上の通りですので今後とも何卒よろしくお願いします!

(参考文献:”Love: The More Excellent Way” by Chuck Smith)

日暮里移動を控えて - 牧者の瞑想 その1

あと一回を除いて足立区での礼拝は終わりです。次々回の8月一週目から日暮里駅前の東京国際日暮里教会内で礼拝を持ちます(午前礼拝のみ。午後礼拝はすぐ近くの日本語学校で行います)。(詳しい経緯はこちらの記事をお読みください。)

本格的に教会を始めたのは私個人の生活では初めてで、2011年初頭から始まったこの教会を通して大きな挑戦をイエス様から受けてきました。それは「牧者」とは何か?というチャレンジです。私は聖書教師としての働きを十五年ほど持ってきました。そして米国の教会からの宣教師として、日本国内また海外で働いてきました。

「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、・・・(エペソ4:11-12)」

ここの「牧師また教師」は、ギリシヤ語では「牧師=教師」となっています。ですから牧者の働きには教師としての働きが前面にあります。神の御言葉を教えることによって、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせます。これは大前提です。けれども牧会の中に教える働きがあるのであり、教えているからと言って自動的に牧会ではありません。その違いは何なのか?それを考えていました。

教師と牧者の違い

1)聖書教師は「教える」ことに注意するが、牧者はそれだけでなく「個々の魂」を注視する。

あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。(ヘブル13:17)」「魂を見張る」というと人を支配する監視のように聞こえますが、そうではなく「注視している」ということです。それはちょうど、公園で遊ぶ子供たちを見ている大人のようであり、プールサイドの監視員のようでもあり、危険がないかどうか見張っている、守りの働きであります。キリストの内にその人が留まっているかどうかをじっくりと見ていく働きです。

2)聖書教師は「教えている内容」によって信頼を得るが、牧者は「羊の生活全般」への関わりによって信頼を得る。

わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。(ヨハネ10:11)」「このようにあなたがたを思う心から、ただ神の福音だけではなく、私たち自身のいのちまでも、喜んであなたがたに与えたいと思ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちの愛する者となったからです。(1テサロニケ2:8)」イエス様のように、贖罪のための命の犠牲はしませんが、けれども自分の生活をかけて世話をするという面では、主のお姿を牧者は真似なければいけません。

教会を始めた時から、私は強く、教会とは「神の家族」であると思わされています。家族というのは、生活臭がするところです。御言葉を体系的に学ぶことは非常に大切ですが、教会は学校ではなく「家」の中そのものです。人格と人格がぶつかるところです。御言葉が、ノートに書き残していく文字ではなく、「自分」というものを退けて、打ち捨てていくことによって従順になる生きた言葉になります。大変なところも共有し、喜ばしいことも共有し、みなで成長し、その結果キリストをほめたたえるところです。

私は、妻はいますが子供がいません。ゆえに、次の御言葉の挑戦を受けています。「自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。・・自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう。・・(1テモテ3:4-5)」父親のような威厳とはどこから出てくるのか、これから模索していくことになるのでしょう。

3)聖書教師や説教者は「主への情熱」が試される。牧者は「主への情熱」に加えて、「人への同情」が試される。

また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。(マタイ9:36)」ここの「かわいそう」という言葉は、まさに中国から来たことわざ「断腸の思い」に似ているものが使われているそうです。まさに肝が裂かれるような思いです。人が弱っている時に、決して傍観視できない心です。祈りをもって父なる神の前に出て執り成し、また聖霊の助けを得てその人に関わっていく労力です。

4)宣教師の楽しみは、御霊の流れに乗ることである。それはあたかも、サーフィンの波乗りをしているようだ。牧者の楽しみは、「神が育ててくださる植物」を見る喜びだ。

宣教師が楽で、牧者が大変だということでは決してありません。サーファーに聞けば誰でも、波に乗ることがどれだけ大変であるかを教えてくれるでしょう。御霊の流れを知ることは、濁流のような波の流れになおかつ板に乗っていくことのできる、霊的筋力が試されます。

けれども牧者は、園芸を楽しむような喜びがあります。時間をかけて楽しむ喜びです。神が成長させてくださいます。時に台風が来て、茎が折られ、根が切れてしまうかもしれません。けれども、根気良く水を与え、肥料を与え、どうやったら枯れないようにすればよいか工夫し、実が結ばれるまで見届けるのです。

その2に続く)

恵比寿バイブル・スタディのお知らせ(7月25日)

みなさん、お元気ですか?

今週の学びのお知らせです。

日時:7月25日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:サムエル記第二1章以降
(その後の予定は、8月1日です。)

新しくサムエル記第二に入ります!サウル王の死後、主の選びと約束のとおりダビデが王となります。主が彼を引き上げられるところから、バテ・シェバの件によって主からの懲らしめを受ける取り扱いを読んでいくことになります。

お知らせ:イスラエル旅行第二回目準備会を8月24日(金)午後7時にしました。場所は日暮里駅前にある東京日暮里国際教会内です。(8月からそこが私たちの教会ロゴス・クリスチャン・フェローシップの礼拝場所となります。)申込は継続して受け付けていますので、ぜひご検討ください!

LCFの活動場所のお知らせ(14日と15日)

明日と明後日のLCFの活動場所・日時をお知らせします。

14日(土)場所:足立区こども家庭支援センター別館3階

13:00 祈り会
14:20 聖書の学び会 マタイ9章

15日(日)場所:足立区こども家庭支援センター別館3階

午前礼拝 11:00 士師記2章7,10節「信仰継承の挑戦」
午後礼拝 13:30 士師記1-3章6節

新しく士師記に入ります、ぜひおいでください!

イスラエルの天然ガス掘削と「ゴグ」預言

イスラエルと聖書預言に関心のある方には、全文必読の記事です。

天然ガスがイスラエルの歴史を変える
(ナショナルジオグラフィック・ニュースから)

こう言おう。『私は城壁のない町々の国に攻め上り、安心して住んでいる平和な国に侵入しよう。彼らはみな、城壁もかんぬきも門もない所に住んでいる。』あなたは物を分捕り、獲物をかすめ奪い、今は人の住むようになった廃墟や、国々から集められ、その国の中心に住み、家畜と財産を持っている民に向かって、あなたの腕力をふるおうとする。(エゼキエル38:11-12)」

極めて高価な「財産」の形成です。石油が中東の地政学を形作っているのは誰もが認めているところですが、イスラエルがエネルギーを隣国に依存せず、かつ輸出できるほどまでになれば、そこの地政学は根底から変化します。

アラブの春、特にエジプトでの春はムスリム同胞団の春となり、ヨム・キプール戦争以後の平和条約によるシナイ半島からの石油配給が途絶えた今、イスラエルが、今年の夏は日本と同じく計画停電を考案している中で、奇跡的にも経済的な力をさらに持つことになるでしょう。

プーチンが最近、イスラエルを訪問しました。極めて不気味な動きです。そしてオバマ政権下のアメリカがどんどんイスラエルと距離を離している今、危機の時にはアメリカは自国の国益のみを考えるしかない弱体化を見ている中で、イスラエル指導層としてはもう一つの大国、かつロシア系ユダヤ人によって歴史的なつながりのあるロシアとつながろうという向きは仕方がありません。

しかしこの天然ガスの可能性が見えてきた時の訪問は、ロシアがかつて(当時はソ連)、中東戦争で第四次に最高潮に達した、イスラエルへの関与と覇権をもくろんでいることは確かです。彼が、エゼキエルの預言した「ゴグ」であるかどうかは分かりません。けれども、イランとの軍事同盟、トルコとの友好関係、イランとトルコの反イスラエル姿勢を見るにつけ、酷似した不気味な動きをしていることは確かです。

近年、大地震、経済・金融危機もさることながら、アラブの春など、これまで中東地域を支えていた基盤がことごとく崩れていく出来事が続けざまに起こっています。注視して、私たちもますます、主の来臨を思って、霊に燃え、主に仕えていきましょう!

関連記事:「安定経済と核戦争危機」「ガザ支援船(?)拿捕事件 - トルコの怒り」「エジプトとイラン、そしてEU・アメリカ」その他、右側の検索欄に「エゼキエル」と入力すればさらに関連記事を見つけられます。

恵比寿バイブル・スタディのお知らせ(7月11日)

みなさん、お元気ですか?

今週の学びのお知らせです。

日時:7月11日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:サムエル記第一29-30章
(その後の予定は、7月25日です。)

これでサムエル記第一を完読します!神の主権と恵み深さの中で生きるダビデから、どれだけのことを学び、また皆さんの生活が変えられたでしょうか?学びの後や、メールなどでぜひお分かちください。

お知らせ:イスラエル旅行第二回目準備会を8月24日(金)午後7時で検討しています。場所は日暮里駅前にある東京日暮里国際教会内です。(8月からそこが私たちの教会ロゴス・クリスチャン・フェローシップの礼拝場所となります。)申込は継続して受け付けていますので、ぜひご検討ください!