突然変異したウイルス:反ユダヤ主義を理解する

イギリスのユダヤ教チーフ・ラビ、ジョナサン・サックス氏が、2016年9月27日に、欧州連合議会において、新しい形の反ユダヤ主義について雄弁に語っています。下は、原稿の英文を意訳したものです。

これまで、ロゴス・ミニストリーのサイトでは数多く反ユダヤ主義について取り扱ってきました。下の日本語の意訳の後に、関連記事をリンクします。

The Mutating Virus: Understanding Antisemitism(突然変異したウイルス:反ユダヤ主義を理解する)

ユダヤ人憎悪はユダヤ人で終わりません。ヒトラーによって苦しみを受けたのはユダヤ人だけではありませんでした。スターリンによって苦しめられたのはユダヤ人だけではありませんでした。イスラム国やアルカイダ、イスラム聖戦によって苦しんだのはユダヤ人だけではありません。反ユダヤ主義がユダヤ人だけに向けられたものであると考えたら大間違いです。これは、ヨーロッパに対する最大の危機であり、何世紀にも渡って達成した自由に対する脅威なのです。 続きを読む 突然変異したウイルス:反ユダヤ主義を理解する

「寛容」「謙遜」を装った聖書の否定

聖書の権威を巧妙に捨てていっている方法について、D.A.カーソン教授が語っています。英語が少し難しかったのですが、以下にまとめがありました。

D.A. Carson’s “Subtle Ways to Abandon the Authority of Scripture”

1.聖書を権威をもって教えている「福音派」とされている教会であっても、「これは、かなり否定的に聞こえる表現だ」というものであったり、「これを語れば、賛否両論が出てしまう」とか恐れたりして、敢えて語らないという傾向があるとのこと。例えば、癒しや異言など、聖霊の賜物の現代の有用性について。

私は、今の新改訳第三版の翻訳に大いに不満な部分がありますが、「らい病」の訳語を変えたその動機、また「(ユダヤ人の)捕われ人を帰す」がなぜか全て、「繁栄を元通りにする」とか、聖書翻訳の中にさえ、その書かれてある部分をぼかしています。聖書を教えている時は尚更です。(出版社のサイト続きを読む 「寛容」「謙遜」を装った聖書の否定

米大統領選を終えて

11月8日(日本は9日)に、アメリカの大統領選でドナルド・トランプ氏が当確しました。このことについて、フェイスブックで祈りの思いを込めてかいた投稿がありますが、フェイスブックをやっていない方のために、こちらにも公開します。米国内としては、これほどキリスト者にとって、また一般の人々にとって、辛い選挙はなかったと思いますが、祈りの力を感じるものはありませんでした。そして世界的には、大きなうねりが国々に起こっているのを感じます。

わたしは、すべての国々を揺り動かす。(ハガイ書2:7)」

whitehousetrump

「トランプ氏、大統領に選ばれる」

先ほど、ライブで彼のスピーチを聞きました。アメリカの大統領選っていいなあと思うのは、どちらから決まったら、必ず対抗相手と話をします。そして敗けたほうがその選出を祝します。ヒラリーさんと話して、トランプ陣営をねぎらったそうです。それから、トランプさんもヒラリーさんの業績をほめました。そして、「私たちは分裂の傷を癒す時を経ないといけない」と言って、「私たちは一致団結した(合衆United)民なのです。」と言って、反対陣営にいた人も含めて、自分が大統領になり、そしてアメリカは一つなのだ、と語ります。このスポーツマン精神が、私はアメリカの好きなところ、強さだと思っています。 続きを読む 米大統領選を終えて

教会での会話にある霊の戦い

友人の牧者が、毎年の秋の合同修養会で話すことは、「修養会の中での言葉のやり取りなどでも、誤解や意見の違いなどで、試みを受けることがある。そういったことも含めて、霊の戦いの側面があることを知って祈ろう。」ということです。

教会においては、何気ない言葉のやり取りで、思いもよらない誤解があります。例えば、興味深いのは、関西出身の人たちの表現が気が利いたもので、関東の人が文字通り受けとめて、傷を受けたり、憤慨したりするとか。その他、本人がちょっと気が逸れて、挨拶することができなかったり、また、その人が一週間、信仰の戦いがあって、それで疲れていたとか、いろいろあるでしょう。

conversationそこから出てくる言動で、自分の気分が害されても、大事なのは次です。

①裁かない

だって、その言葉を正しく自分が理解しているか、大方分からないからです。「こんなこと言われて傷ついた」という言葉をしばしば聞きますが、そう言っている時に「自分が、早まった判断をしてしまっていることはないか?」と心の中で戒めてみませんか。

あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。(1コリント4:5)」 続きを読む 教会での会話にある霊の戦い