映画「クロッシング」日本公開

先日、米国におけるエゼキエル書の学びで聖霊に導かれて語ったのは世界宣教のことでした。「米国の中を見ると古き良き、ユダヤ・キリスト教の伝統的価値観が失われつつあり、霊的自由とともに政治的・経済的な自由も国内で制限されてきています。けれども、国内の閉塞的な状況から目を離し、世界を見てください。終わりの日である今、主は世界宣教の中におられます。」という旨でした。

このブログでも、終末の預言は世界宣教と密接に結びついていることを、ジョエル・ローゼンバーグ氏による著作EpicenterやInside the Revolutionの紹介の中でお話しました。

そこでご鑑賞をお勧めするのが、韓国映画「クロッシング」です。

http://www.crossing-movie.jp/

北朝鮮における普通の暮らしをしている家族に襲いかかる不幸、それによる脱北、母、父、息子の生き別れ、そして母と息子の死を描いています。これだけなら単なるかわいそうな話ですが、その背後に数多く、キリスト者の存在や、神の存在への問いかけの場面が出てきます。韓国の牧師さんに聞いたのですが、父親役を演じる俳優はクリスチャンだということです。

そして中東宣教においても言えることですが、世界宣教というのは、今は、「閉ざされている」と言われる国々の中で宣教の働きをすることです。自ずとその働きにおいて危険が伴います。私たちはこのようなインターネットなどの媒介で自由に発言できますが、それらの国々で生きているキリスト者、また宣教者たちは、注意力と思慮を最大限働かせながら、動いています。

そのような、表に出てくることのできない人々を自由な国に生きている私たちは、最大限の支援を送るべきです。もちろんそれは第一に祈りによってです。

そして、実は自由な国にいながらにしてそうした国々にいるように生きている人々もいます。例えば、ベトナム系米国人の友人は、以前「すぐ近所に、ベトナム〇×党員が住んでいるよ。」と教えてくれました。つまり、在米ベトナム人を米国内で監視しているということです。日本にも、自由に発言できない似たような人々がいることを・・・想像力を働かせて考えてみてください。

これらの話題について、以前、エッセイを書いていますので、よかったらお読みください。

伝えられない地で伝える宣教 「思慮深い宣教」