慰安婦問題

慰安婦問題について、このブログで意見を申し上げることはありませんでした。けれども、キリスト者として、また聖書的観点から論じてみたいと思います。安倍首相の歴史認識が、韓国や中国のみならず米国からも問題視されている中で、日本維新の橋下大阪市長が、もっとつっこんだ意見を言いました。

まずは記事の紹介から。

 日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は13日夕、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を視察し同飛行場の司令官と面会した際に「もっと日本の風俗業を活用してほしい」と促していたことを明らかにした。米兵による性犯罪などの事件が後を絶たない状況を踏まえての発言だが、司令官は「米軍では禁止されている」などと取り合わなかったという。

 橋下氏は今月1日、同飛行場を視察。その際、司令官に「合法的に性的なエネルギーを解消できる場所が日本にはある。真っ正面から風俗業を活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをコントロールできない」と述べたという。

 橋下氏によると、司令官は凍り付いたような表情をみせ、「米軍では禁止の通達を出している。これ以上、この話はやめよう」と打ち切った。

 橋下氏は記者団に対して「事件が収まる因果関係があるようなものではないが、活用を真っ正面から認めないとダメ。兵士は命を落としかねない極限状況に追い込まれており、そのエネルギーを発散させることを考えないといけない」と述べた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130513-00000589-san-soci

参考:橋本氏のぶら下がり取材の全文

ここで私が注目したいのは、米軍の司令官と橋下氏の感覚のずれです。彼は当時の慰安所の設置の合法性を今の風俗の合法性に当てはめて、それが日本軍が当時行ったことへの合法性を結果的に正当化することになるような発言をしています。けれども司令官は、凍りついたような反応を見せています。

道義問題と国家責任との区分け

慰安婦問題について、かなり以前から積極的に意見を発信していた人々の中に、拉致被害者救う会の会長である西岡力氏がいます。彼は東京基督教大学で長らく教鞭も取っており、福音派教会の信者です。彼が問題視したのは、慰安婦が挺身隊として朝日新聞で報道されたことがきっかけで、それが事実に基づかないこと、そしてこの誤報に基づいて日本政府が謝罪したことです。当社の植村記者の行為を徹底的に追求しています。

西岡教授は、事実ではないことを事実として発展させていくことに怒りを発する正義感の強い人ですが、何となく慰安婦問題を取り上げている韓国政府に謝罪すればよい、と考えている方は、彼の一連の論文を読まれることをお薦めします。道義的な問題と、賠償の絡む法的手続きとは別問題だからです。西岡氏は、慰安婦の存在があったことを否定しているのではなく、そうしたことはまことに遺憾であると述べた上で、日本軍という国の機関が強制的に連行していたというのはまったくの誤解だ、という立場を取っています。

すべては朝日新聞の捏造から始まった

この誤解によって、韓国と日本の外交関係がぎくしゃくしているということを残念がっています。

ちなみに彼は巧みに韓国語を駆使し、保守性のかなり強いイデオロギーを持っていながら、韓国を愛して止まない人です。けれども、韓国の保守派との、北朝鮮に対する反共において共闘するという姿勢は、理想的過ぎて、現実には、実際の韓国の人たちには説得力に欠けているだろうとは個人的に思っています。(西岡力氏のブログ

私自身はと言いますと、国家としての責任と賠償について、法的な議論は有益だと思っています。国民の税金によって賄われている限り、国はそのお金の使い道に優先順位をつける責任があり、また責任を認める発言は国家の品格を決める骨格になるからです。ただ、西岡氏の意見と、反対論者の主張のどちらも聞くと、まだどちらだという結論には至っていません。

本当に「仕方なかった」のか?

それよりも、その議論の背後にある深刻な問題を見ています。慰安婦が民間の斡旋業者によるものだったと主張する者たちの多くの発言に、「男たちが、仕事をこなしていくなかで、ストレス発散のはけ口として女を利用する」という考えが見え隠れしていることです。この点に私は大きな懸念を抱いています。この考えがあるからこそ、米国に対しては、一連の政治家や学者の意見にはまったく説得力を持たず、国際問題にまで発展しているのです。

そのような論者は、どの国の軍隊も行ってきたことであり、米軍も例外に漏れず戦後直後に、大体的に日本の慰安所を利用したという事実も出します。ウィキペディアにも写真付きで詳細に述べられています。そして韓国では、朝鮮戦争の時に積極的に売春施設を推進したし、ベトナム戦争では米軍はもとより、参戦した韓国軍による強姦事件も暴露されました。

しかし、兵士に対して合法的であっても買春行為をすること自体が、どれだけ米国人に不快感を抱かせているのか、これらのことを主張している者たちの間に共有されていません。米国には、曲がりなりにもキリスト教の価値観が基盤にあります。同じ保守派でも、二国間では根本にある倫理観の決定的な差異があり、日本側の主張に対しては、深い不信感と疑い、突き詰めれば脅威とさえ受け止められています。

米国兵士たちの中には、「仕事をこなしていても、妻と子供を忘れずにいる。そして女は避ける。」という倫理を守っている者たちがかなりいます。聖書的に言えばバテ・シェバの夫ウリヤですが、非常に高潔な戦士で、他人の女どころか自分の妻と寝ることさえも、上司や同僚の兵士の士気を落としかねいと懸念し、それを控えたのでした。これが、男として、また兵士としてのあり方の規範となってさえいるのです。

大事なのは「価値観」であり、日本人としては、「アメリカ人だってかなり乱れているではないか、米軍内においてもそうだし」と思われますが、決定的に違うのは日本にはそうした規範がない、あっても個々人がそれを大事にしているだけだ、ということです。

ちなみに米軍内のキリスト者は、戦地においるあらゆる不安に対して、イスラエルがかつて敵と戦った時と同じように、主に拠り頼むという行為によって克服し、より信仰が深まるという過程を経ています。米軍の中で、兵士たちに福音を伝え、またバプテスマを授けるという働きも行っています。(例の記事:”Building Bridges in Afganistan“)

高潔な日本軍人

話はそれますが、私の好きな映画の一つに、イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」があります。戦闘を指揮した栗林忠道陸軍中将の手紙は、子と妻に対する愛情に満ちた言葉になっています。彼は駐米経験もあり国力の圧倒的な違いから対米開戦に否定的でしたが、任務については実に緻密な計画を立て、それは日本の精神論を脱却したものでした。そして、「戦うために生きろ!」と言ってバンザイ突撃をやめさせたという倫理観もあり、原理・原則を共有できる男に対しては、たとえ敵でも米国は高く評価するのです。(硫黄島の戦いⅡ~栗林忠道 中将~映画「硫黄島からの手紙」小論

しばしば、世界の軍関係者の間における日本軍の評価は、兵士たちの士気と戦闘力を絶賛する一方、上層の司令官らの愚劣ぶりを酷評します。今の一部の政治家の発言にも、全体を見据える視野が著しく欠けており、その下や周りで働く者たちが大変な苦労を強いられているというのは変わらないようです。

理想を引き下げない倫理観

もちろん厳格な規律がありながら、性暴力等の事件を散発的に米軍の兵士たちは引き起こします。しかし、かつてのイスラエルと同じように、たとえ堕落しても、それでも神の律法とその真実は決して変わらないのと同じように、倫理観を下げるということは一切受け付けないのです。この部分の認識が、橋下氏の発言に代表される、慰安婦問題に意見を言っている者たちの中に皆無です。

キリスト者は、理想と現実のギャップに対して、心理学者が提案することとは正反対のことを行ないます。心理学者は理想を現実に近づけるように、引き下げなさいと勧めます。キリスト者は違います、現実を理想に引き上げるように召されているのです。これはできない!というのは、そのとおりです。自分ではできません。だからこそキリストが自分のうちに生きておられるのであり、神の恵みと聖霊の力によって可能なのです。

ダビデの罪と神の懲らしめ

確かに、日本人からしてみたら、米国の二重基準に見える言動は不可解です。彼らこそ「本音」と「建前」があるのではないかと思ってしまうほど、現実には多数の性犯罪を引き起こしながら、なおかつ高尚な道徳規範と違反に対する厳罰を科しています。けれども、その姿勢には古典的教材があり、それは聖書のダビデ物語です。イスラエルの名王ダビデが、人妻バテ・シェバと寝て、その夫ウリヤを殺したというスキャンダルです。聖書はこうした人々の恥部を堂々と描くことによって、「神にしか正義がない」「人は神の憐れみによってのみ生きることができる」という真理を伝えており、世界の多くの人々に良心に刻み込まれた倫理観として基底となったのです。

だから、国際社会にある道義と法秩序において、第一に、どんな有能な人でも罪を犯しえる、という人間の根源的な罪性の直視、それゆえの監視チェック体制、第二に、その過ちを犯した場合「仕方がない」ではなく、正義の支配と秩序を保つために、しかるべき懲罰を加える義務が生じます。

やはり、日本の政治家は少なくとも聖書を一度、通読する必要があります。聖書が世界を動かしていると言っても過言ではないからです。「ダビデ」「バテ・シェバ」という言葉を聞いた時に、何を言われているかはっとする、という位でなければ、外交も何もできないということを知るべきでしょう。

次に、性の倫理観にもっと突っ込んだ議論をしたいと思います。キーワードは、「男の尊厳」です。

(続き「『風俗』と男の尊厳」)

「慰安婦問題」への3件のフィードバック

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