牧者チャック・スミスから受けたもの

Pastor Chuck Smith

昨晩から一日、どうしても泣いて、泣いて、涙が止まりません。この日が来ること、そして間近であることは知っていました。けれども、こんなにも、Pastor Chuckが自分の信仰生活に大きな存在だったのかと、彼が主のところに行ったことによって、気づきました。思えば19歳の時イエス様を信じて、そして大学四年の時にチャックが来日して、お茶の水のOCCと御殿場で彼のメッセージを聞きました。今は40を越えていますので、私の信仰生活の大部分が彼の影響下にいたのです。

チャックとの出会い

卒業旅行が、ある教会が主催するメキシコ宣教旅行で、その途中で立ち寄ったのがコスタメサの教会でした。そこでスクール・オブ・ミニストリーの紹介の小冊子を受け取りました。その教会は会堂を見るだけで気に入りました。大きな教会であるにも関わらず、作りが質素で、アットホームだったからです。(今思うと、ヒッピーたちが主の愛の中で御言葉を聞く、その雰囲気に合わせた作りになっています。)

そして新しい結婚生活が始まりました。ビリーグラハムが伝道大会で東京に来ました。その時に私の妻は不思議にも、「Pastor Chuckのところで教えを受けなさい」という御声を聞いていました。私は何か気のせいではないか?と思っていました。

けれどもその時に、彼のテープをアメリカから取り寄せ始めました。どんどん引き込まれていきました。私自身、ぜひ行きたいと思うようになりました。1994年の9月に、下見のためにアメリカ西海岸に飛んで行きました。

そして仕事を1995年の一月に辞めました。二人で、全く新しい、知り合いもだれもいない中で、コスタメサの教会の、向かいにある住宅街のアパートに住み始めたのです。そして、スクール・オブ・ミニストリーに通い始めました。当時、これが存続しなくなるのではないかという噂が立っていて、実は日本を立つ直前に、あなたは入学できないという手紙を受け取っていたのです。代わりにバイブルカレッジに行きなさい、という内容でした。けれども、主から聞いていたのは、「Pastor Chuckのところ(教会)で教えを受けなさい。」ということでした。それでアパートも借りて、そうした噂も無視して住み始めたのです。学校は続くことになりました!

私は英語がまだできないので英会話学校を探しましたが、良いのが見つからず、どうせだから直接聴いて耳を養おう、と思って、校長のPastor Carl(カール)に、聴講をしてもよいか尋ねたところ、OKとのことでした。それから私は、ほとんど全ての授業に出席して、ほぼフルタイムの学生と同じ生活を始めました。

チャックのテープ(MP3が出てくる前の話です)を、創世記から順番に聞き始めました。卒業までには黙示録まで聞かなければいけませんから、私はまだ入学していませんがノートを取り始めて行ないました。これがどれだけ、上からの恵みと油注ぎに満ちていたことでしょうか!私は97年に卒業して、そのアパートの家を出ていくとき、テープを聞いていたのは勉強部屋の机でしたから、そこで涙を流して、「主よ、ありがとうございます」と祈ったのを思い出します。

たくさんの主の愛を受けて、恵みを受けて、二年半が経ちました。私の妻も、これまでの信仰は長かったのですが、根本的に、主との歩みを変えられました。私たちには日本には母教会がなかったので、ここが霊的な故郷、第二の故郷となりました。

主の現地指導

そして日本に1997年に戻って、すぐに東京都足立区で聖書を教える働きを始めました。授業で教わったこと、必ず出席していた礼拝、そして教会での数々の奉仕を行い、チャック本人も授業で教えてくれていたのですから、私はもう教わったことさえすれば何かが起こると思っていました。

ところが、2005年に第三の国に宣教に行く時まで、子供伝道は英会話教室を通して行っていたものの、大人で聞いていたのは、妻以外になんとたった一人でした!私は完全に打ちひしがれました。牧師になることなど、夢のまた夢だと思いました。チャックに起こった働きは、彼だけのもので、またアメリカにいる人々だけのもので、私とは関わりがないのか、とも思いました。

けれども、不思議なことが起こります。その第三の国に行く直前に、恵比寿バイブルスタディをやめることを参加者に告げました。その中で最近いらした方がおられて、彼女は絶対に続けたいと他のメンバーに話したそうです。それで、私が不在の時は録音テープを聞いて行って、短期的に帰国した時は私が直接教える、ということになったのです。驚いたのは、私がいた時よりも、もっと人が増えたことです!そして不在中に、ロゴス・ミニストリーを発見して、それを使って家庭礼拝を始めたという人々が出てきて、そこに短期的に戻ってきた時に訪問するようになりました。

そこで知ったのです。主が語られました。「わたしは、わたしの言葉を空しく帰らせることはしない。

そうです、私ではないのです、主がご自分の言葉で人を変えるのです。例えば、その恵比寿バイブルスタディを続けると決めた方は、御言葉の学びで、パニック症候群が直り、それまで電車にも乗れなかったのに、海外旅行を複数回できるほどになったのです。

そして私たちの海外宣教の地でも、全く未知の世界だったので、言葉のみならず、文化や社会もさっぱり分からず、何もできませんでした。ところが、「棚ぼたの恵み」が始まりました。自分では何もできないのに、若者たちと出会うようになりました。ついに最後の二年間程は、毎週、ほぼ毎日、若者に聖書を教え、ある兄弟にはほとんどの預言書、黙示録、福音書の一部を教えました。また他の兄弟は、新しく信じたばかりで教会に来なくなっていたのですが、聖書の学びで礼拝讃美をリードするようになりました。そして、教会の牧師さんから学生部を任されて、次に新しく奉仕者が与えられるまでには、一つのグループができていたのです。

ここで主は、「お前がするのではない。わたしが、恵みの御霊によって行うのだ。」と語られました。

そして2010年末に日本に完全に戻ってきました。到着した次の日に恵比寿バイブルスタディがありました。そこには何と、教会が初めてという女性がいらっしゃいました。ホームページをたどっていらしていたのです。そして二か月前ぐらいから来はじめている女性もおられて、教会には通っていたものの、救われた確信がありませんでした。お二人を自宅にお招きし、12月29日、イエス様を受け入れるお祈りをされました。そして米国に行き、そこの知人の姪さんが近くに住んでいるとのことなので、その人を誘ったら来始めました。そして、人々が次々にやってきて、しかも他に行く教会がない人ばかりだったので、2011年二月にロゴス・クリスチャン・フェローシップの礼拝を始めたのです。

私は、1997年から2005年までの経験によって、完全に牧師になることなどできないと思っていたので、その海外生活での恵みの体験はあまりにもすばらしくて離れたくなかったのですが、次第に、「日本に戻って教会を始めなければならない」という主の呼びかけを聞き、しばらくはヤコブのように主と格闘して、「いやだ!」と言っていました。けれども、従ってみたところ、その次の日に初穂になる人が起こされたのですから、預言者エゼキエルに何度も語られたように、「このことによって、わたしが主なる神であることを知る」という語りかけを受けました。

そして、不思議なことが起こりました。牧会など絶対にできないと思っていましたが、なぜか不思議にどこからか、愛が湧き出てきました。自分のものではないことが、はっきり分かりました。子どもが生まれた時に親が、もしかしたらこんな愛情を抱くのかもしれません、ここにいる人々はイエス様が連れてこられた羊で、愛して養う人々なのだ、という導きが強く与えらえました。

わたしが、わたしの愛をあなたに注ぐのだ」という御声を聞きました。

そして、私は2003年から2005年までは、カルバリーチャペル所沢の開拓に携わっていました。本当に私は幸いでした、それまでカルバリーチャペルの宣教師は短期の人たちばかりでしたがが、カルバリーチャペル・ホノルルから遣わされた二人の宣教師は、ずっと日本に住む覚悟で来た兄弟たちです。今の所沢の牧師トラビスと、府中の牧師リッチです。私は、日曜日に行っていた聖書の学びを平日に移して、礼拝はそこに通おうと思いました。ところが、通訳の奉仕が必要だ、とのことでした。私はトラビスの英語の説教を通訳し始めました。そして水曜日にはスタッフ・ミーティングだ、と言われました。それで行きましたが、温泉に行ったり、食い放題のランチに行ったりと、「ミーティング??」と思って不思議になる日々が続きました。(大笑)

自分で何をしているか、分からなかったのです。ただ付いていくのに必死でした。・・なんか、アメリカのカルバリーの牧師や宣教師は、そんな証しばかりが多かったよな、と自分もそうなっていることに気づきました。(笑)そして今年の二月、所沢も十周年を迎え、その記念会に行きましたが何十人の人がいたでしょうか、最初は数人の礼拝でしたが、そこには所沢関連の霊の家族がたくさんいて、「主は命そのものであられる」と感慨深くなりました。今はトラビスを始め、カルバリーチャペル西東京の山東さんなど、牧者同士の付き合いと友情が育まれています。そして、そこで牧会について、熱心に議論を交わします。御言葉を深く考えて、どうすれば主の御心にかなうのかを討論します。また、「チャックだったらどうするか?」と、やはり彼がキリストに従う模範になっています。

そして振り返ると、コスタメサの教会で教わったこと、言葉で聞いていたこと、スクール・オブ・ミニストリーでチャックが話していたこと、これらが、16年間ぐらいの期間をかけて、主が一つ一つ、実は私に教えてくださっていたことを知ったのです。主がはっきりと私に語られた一つ一つの御言葉は、カルバリーチャペルで聞いたこと、チャックが直接教えていたことでした。主のことばは空しくかえらない。能力でも、権勢でもなく、主の御霊によって。神の恵み、そして愛の至上性、これらはすべて聞いていたことなのですが、主はそれを一つ一つ、体験によって教えてくださっているのです。

チャック・スミスの遺産と偉業

蓋を開いてみると、チャック・スミスは数限りない人々に全く同じような影響を与えていたのです。まるで彼が家庭教師のように、親身に個人的に教えてくれたという感覚を持っています。それはチャック本人ではなく、彼を通して働かれる聖霊の愛なのです。アメリカの中で、そしてアメリカを越えて世界に、命の御霊の流れの中に、圧倒的な神の恵みをもって人々を飲み込んでいきました。

チャックが召天し、分かったことがあります。彼は僕(しもべ)でした。モーセのような僕でした。彼は最後の最後まで、肺がんにかかっていたのに、精力的に主に仕えていました。「モーセが死んだときは120歳だったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。(申命記34:7)」そしてエリシャのような人でした。人に対して恵み深く、人を生かす働きに用いられていました。そして死ぬ直前まで、いや死んだ後でさえ、その偉業によって人々を生かし続けます。「人々が、ひとりの人を葬ろうとしていたちょうどその時、略奪隊を見たので、その人をエリシャの墓に触れるや、その人は生き返り、自分の足で立ち上がった。(2列王13:21)」

はかない命

昨晩、私は、強いイエス様のご臨在を感じました。はっきりと語られました。「チャックは、わたしの僕だったのだ。わたしがあなたを天に引き入れるまで、まだまだやるべきことがある。」チャックではなく、イエス様が私の主です。この主人に仕えなければいけません。残る人生、あるいは携挙が先かもしれませんが、とにかく時は短いです。無駄にしてはいけない、と思いました。

人の命ははかないです。すぐに過ぎ去ります。私は19歳でイエス様を信じた時に、「もうこれで死ねる」と思いました。天の門が近くに感じました。もう自分の人生のいきがいを求めて、何か他に求める必要はないと分かったのでしょう。それが基となって、「私は死ぬ前に、後悔しない人生を歩みたい、ならば神の御言葉を伝えるために尽くしたい。」と思って献身の決意となりました。そして、同じような感覚は2003年に両親が救われた時にもやってきました。父が救われた時は、「これで父の葬儀で、大きな喜びと祝いをもって主を賛美できる。」と思ったものでした。早く死なせてしまってはいけないのですが(笑)、昨日も両親が電話をかけてきてくれて、健在です。

そして昨夜、チャックが召天されたことを聞いた時に、同じように天と自分の霊が直結しているように感じました。間もなく自分も引き上げられるのだ、私の主イエス様が迎えに来られるのだ、と思いました。今の生活は、本当にはかないです、短いです。ただ、主の御心だけを行うために使っていきたいと、ますます思いました。

チャックに触れる

牧者チャック・スミスの資料を提供します。

「翻訳メッセージ」
特に私を変えたのは、チャックを通しての「神の恵み」の説き明かしでした。なので、初めに「なぜ恵みはすべてを変えるのか?」を読まれるとよいと思います。

チャック・スミスについて
彼の生涯、そして私がコスタメサで教わったことをまとめました

わが牧師 カルバリー・チャペル(Calvary Chapel)の創立者チャック・スミス(Chuck Smith)について
こちらはMGFのカズさんの書いたもの。私が1994年に下見に行った時、バイブルカレッジも訪問したのですが、その時に会ってくださった一人がカズさんでした。

チャック・スミス - 恵みの回顧録

英語のできる方はおすすめします。チャックの息子さんが書いているので、とても細かく、これまで知られていなかった彼の生涯の各コマを描いていてくれます。

牧師会議での牧者チャック(2013年6月)

【後記】
「命と性の日記~日々是命、日々是性」のブログで、拙記事をご紹介にあずかりました。

チャック・スミス師、召天

確かに、チャックがいなければ、このロゴス・ミニストリーはおろか、自分自身がクリスチャンとして生きられていたのか、はなはだ疑問です。召天によって、自分がチャックのことを師として仰いでいる以上に、愛された息子のように、信仰の父として慕っていたことが分かりました。神に栄光あれ!

関連記事:「牧者チャック・スミス召天
チャックの笑顔

「牧者チャック・スミスから受けたもの」への3件のフィードバック

  1. チャックスミスが来日した時にお茶の水キリスト教会館でメッセージを聞きました。

  2. 最後のチャック氏の動画、観ました。

    彼がしばし絶句する所で、自分も絶句してしまいました…

    大いなる恵み、ですね…
    キリストの義認一つとっても、本当にありえない

    パウロをあそこまで(世の中から見れば)狂わせた、強烈な福音
    自分ももっと、理解したいです。
    そして、福音に生きていきたい、生かされていきたいです。

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