私の考えるガザ戦争

いつか、ガザ地区だけでなく、パレスチナ自治区全体、そしてエジプトとヨルダン、シリア、レバノンにも、安全に自由に訪問し、現地の人たちと交流できることを夢見て、以下の文章をフェイスブックに書きました。

Arab Leaders, Viewing Hamas as Worse Than Israel, Stay Silent
(アラブの指導者は、ハマスをイスラエルよりも悪いと見、沈黙を保つ)

イスラエルの軍事行動を、非難しているのは自由主義社会のマスコミだ。しかし、それは自分たちのレンズ、情報不足に拠る偏見に基づいている。いつもは、最も非難するはずのアラブ連盟が沈黙を保っていて、エジプトはハマスへの批判をあからさまにしている。

これは、これまで中東情勢を見てきている者にとっては、驚くべきことだ。彼らがイスラエル非難の先頭に立ってきた者たちである。なぜそうなったのか?彼らの多くの国々がアラブの春を経験したからだ。独裁制への反対運動であったはずのものが、イスラム原理主義過激集団の乗っ取りが起こった。ムルシ政権になってから、シナイ半島を中心に過激集団がはびこり一気に政情を悪くした。そこから過激派テロリストがイスラエルにも攻撃をしかけた。

そして、イスラエルに接する国境の町ターバで、韓国人クリスチャンの乗る、シナイ山帰りのバスを爆破したのもこれら過激派だ。

シリアとイラクで大政変が起こった。西洋列強による中東地域の恣意的な国境の線引きを無きものにするため、百年間続いたその秩序をぶっこわしたのが、ISISである。今、ガザの爆撃の渦中にいるパレスチナ人は本当に可哀想だが、シリアとイラクで起こっていることを写真をツイッターで流す者はずっと少ない。なぜか?あまりにも残虐で、どんな悪趣味な人でも簡単には掲載できないからだ。

そして今、イラクとシリアのキリスト教徒たちは逃げ、そこにキリスト教の存在が無くなってしまったのだ。

エジプト、そしてヨルダンも、前者が四度、後者は二度、イスラエルと戦争を交わした仲である。そこで、彼らはイスラエルとの共存を選び取った。エジプトとは70年代に、ヨルダンとは90年代に平和条約を結んだ。両国とも、処々の問題がありながらも繁栄の道を辿ることができた。安定と安全は、人々に安心感を与え、しっかりと経済活動をすることができ、それで繁栄できる。これが平和というものだろう。

それを脅かしている超過激派が、中東全体のアラブ諸国の、これら保守的な政治権力者を脅かしているのだ。彼らは西欧諸国と平和関係を保ちながら、また表向きはイスラエルに敵対していようと、内密には連携しながら地域全体の秩序を守ろうとしている。つまり、彼らがいくら独裁的で、強権だと言われても、国としての最低限の概念、つまり「国民の生存と安全」を考えているからだ。

これがイスラム過激派には存在しない。その中にハマスがいるのだ。「ハマスの息子」モサブ・ユーセフは、仮にたった今、彼らの願うイスラエルが消滅したとしても、仲間の殺し合い、リンチ、貪欲は際限なく続くだろうと言っている。これを彼は発見して、ハマスの大義、つまりイスラエルの残滅とイスラム国の設立の考えを一切捨てたのだ。

イスラエルは、普通に、平和に安全に暮らしたいだけだ。エゼキエル36-39章等に書かれている、平和と安全の幻こそが、彼らの救いである。そして、外国からもどんどん観光に来てほしいだろう。その安心感が取られている今、何とかして何年も続いている、ロケットが降り注ぐ状態を止めさせたいと思っていた。そして、ハマスがトンネルによってイスラエルに侵入、国内のゲリラ戦(殺害と誘拐)を展開させようと何年もかけて計画を立てていたことを、イスラエルの防諜機関が察知したのだ。これだけは、やめてほしいと思ったのだろう。今回の戦争の長期化と規模の大きさの原因はここにある。

ちなみに、アッバス議長も沈黙している。これだけ同胞がイスラエルに殺されているといつもなら、真っ先に非難するのに沈黙している。それは、犠牲者が出てもハマスの力を無くしてほしいと強く願っているからだ。彼がガザ地区も含むパレスチナ全体の議長になれば、西岸のような安定した自治をすることができるのだ。しかし、彼をしても国造りのための情熱と能力がない。ある人たちも一部にいるのだが、政治的力をまだ持っていない。しかし、ハマスの除去はパレスチナの安定と平和のためには最低限必要というのは、アラブ世界で一致した意見である。

私はこうしたアラブ諸国の意向、そしてイスラエルのしていることを支持する。なぜなら、私もキリスト者として、安全で確かな聖地旅行をしたいからだ。聖書の舞台は、イスラエルとパレスチナ自治区だけでなく、ヨルダン、エジプト、シリア、レバノンにも広がっている。これらの地域が安定すれば、そこで比較的豊かな生活、笑顔のあるアラブ人たちとユダヤ人たちの姿があればどれほどよいのに、と願う。もちろん、主が再び来られなければ実現しないが、しかし主の憐れみによって平和が造られることを切に願うばかりだ。

その日、イスラエルはエジプトとアッシリヤ(=今のイラク北部)と並んで、第三のものとなり、大地の真中で祝福を受ける。万軍の主は祝福して言われる。「わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。(イザヤ19:24‐25)」

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