北大生のイスラム国参加未遂事件

ブログでは、イスラム国についての記事をあまり載せていませんでしたが、フェイスブックとツイッター上では連続して載せておりました。ここでまとめたものを載せたいと思います。
中田考
北大生のイスラム国参加未遂の事件が大きなニュースとなりましたが、そこに元大学教授が関わっているという話が入ってきました。彼は中田考という、日本では稀有のイスラム原理主義の法学者です。私は半年ぐらい前から彼のツイッターをフォローしていました。彼はサブカルチャーのような体裁をもって、その教えることはアラブにおけるイスラム過激主義そのものであり、しかし説得力と新鮮さをもって分かり易く語っていること、そしてイスラム国を支持するだけでなく人脈や接触も持っていることから、いつか若者が影響されて、彼を通して参加するのではないかと感じていました。公安が監視していなかったら、よほどの節穴だと思っていました。

その中で、このニュースが流れて驚いたのです。そして、悔い改めに迫られました。「自分も、聖書を信仰の根本と信じる根本主義者だ。彼はイスラム法によるカリフ制を待望しているが、彼のように、私がキリストの御国の福音に献身し、傾倒してきただろうか」と。その時の驚きを次のツイッターとフェイスブックで次のように書きました。

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(北大生本人について)東日本大震災の救援の時もそうだったが、クリスチャンではない団体の中には(もちろん一部だが)、「自分探し」の人が多かった。クリスチャンは、自分のために他者を愛するのではなく、キリストのゆえに愛するのであり、それしか理由があってはならない。

「元大学教授」中田考氏について、私は一種の驚きをもって眺めている。これまで英文でしか出会わなかった純粋な信仰を日本語で読めることだ。そして彼のツイートの周りには、本気でイスラムを信じている日本人が数人ではなく、もっと多くいることを知った。

中田考氏は、長年のことカリフ制再興を主張し、ISはそれであると信じている人物だ。思想的にはもちろん危険、しかしここまで純粋に信じて、犠牲を払っている人を見ると、我々クリスチャンが生半可なので、恥ずかしくなるほどだ。

参照ツイート

これまで、イスラムについては宣教会議で、現場で伝道している人々の話を聞いたり、自分なりにコーランを読んだり、イスラムへの弁証論を読んだりして学んできた。けれども、実際に伝道する機会がなかった。日本にはムスリムが少ないし、関係がないと思っていた。

けれども、何らかの形で伝えられたらと願っている。確かに、原理主義の人にも伝えられるし、そうでないムスリムは、一般の日本人以上にイエス様のことを聞いてくれると思う。彼らは純粋なのだ。

語弊を恐れずに言えば、ISに加わろうとした若者の心の空洞が伝わってくる、シリアで過激派戦闘員になった日本人青年も理解できる、今の日本には、「純粋さ」や「やる気」、そうして方向性として提供できる「理想」そうしたものがない。

誤解してはならないのは、ISはイスラムの国だ。その戦闘員は周辺アラブ諸国からが大半で、欧米諸国はごく少数だ。だから元々、穏健であってもムスリムでなければ、捕えられた湯川さんのようになってしまう。

いつか書きたい、書きたいと思いながら、けれどもたぶん大部分の人から(クリスチャンを含めて)相手にされないと思うが、「カリフ制と聖書の描く神の御国」の違いを書けていない。後者は山上の垂訓に代表される御国のことだ。

イスラムは非常にキリスト教信仰に近いところがある。しかし、イスラムに傾倒していく人々は、キリスト教のいい加減さにつまずいている。そして、それが日本人の間でもわずかながら起こっていることに、今回気づいた。そのような方々に、「きちんと福音を伝えていなくて、ごめんなさい。」と言いたい。
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池内恵氏による「中田考」について池内恵

私が当ブログでは、日本語で読める信頼できる情報として、池内恵氏のものを紹介していましたが、次の二つの記事で今回の事件について述べています。

日本人の「イスラーム国」参加未遂の報道に思う

自由主義者の「イスラーム国」論~あるいは中田考「先輩」について
(及び、池田氏のフェイスブックのコメント

池内氏は、同志社大が中田考氏を神学部の教授として受け入れたことについて、痛烈な皮肉を書いており、我々キリスト者は耳を痛くしなければいけないと思いました。

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中田氏は元同志社大学神学部教授←日本のキリスト者って、ダメだよね。彼が文章で明確にしている原理主義的な真意を読み取れずに、「中田先生は過激派を批判してくれる本当のイスラーム法学者だ。彼こそ「対話」の相手だ」と思って彼を鳴り物入りで迎えたが、彼には別のアジェンダがあるので、やがてジハードに参加するために自主的に辞任して旅立ってしまわれた。数名の改宗学生を後に残して。同志社大学神学部に子供を入れたら、先生に折伏されてイスラーム教徒になって帰ってきた、という親の気持ちはいかばかりか。
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そこで、私はフェイスブックで次のようなコメントも残しています。

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(日本にメディアでは決して読めないというコメントに応答して)そうですね、私も”常識的”に考えたら、気が狂っているのではないか?と思われることを書いていると思います。中田考氏については、数か月前からフォローしていました。そして彼の持つ信仰の一種の「魅力」から、ISに人々が集まる理由を垣間見ました。そしてイスラムになぜ、人々が引き寄せられているのか、世界レベルで考えました。

同時に、公安が彼をマークしていなければおかしいと思いました。彼の思想は、実行性のある極めて危険なものです。今晩、在米日系人の方と交わりましたが、アメリカでは過激化したムスリムが、改宗に失敗した同僚の首を文字通り「切り取る」事件が散発していますから、中田氏がアメリカにいたら、必ず数年の禁固刑です。

ここで二つの側面を考えました。一つは、元ムスリムのクリスチャンも現役ムスリムも一様に、「イスラムは思想であり、思想に対して武力では勝てない。」ということです。ですから、まるでホーラー映画のような世界が現実に起こっていることを知りました。つまり、アメリカなどがいくら空爆しようとも、ISを物理的に叩いても、「思想」という目に見えないものは武力では叩けないのです。叩いても、自然発生的にどんどん竹の子のように生えてきます。叩けるのは、思想に対しては目に見えないもの、つまり対抗する思想、あるいは霊的真理です。

そして現に、数多くのジハード主義者やテロリストが、幻や夢などで、イエス様との強烈な出会いをしています。(参照ブログ)また、その背後で彼らを愛するキリスト者の存在もあります。彼らの多くは今、熱心なキリスト教伝道者です。ユダヤ教テロリスト、サウロの回心は今でも起こっています。

第二に、今は終わりの日であることを意識しました。私たちキリスト者でさえ、信条としては霊の戦いを信じているのに、実際面では唯物論や世俗主義、相対主義に犯されているのではないか?イスラムが台頭したのは、キリスト教が堕落していた時であり、それは今も同じで、中田氏はキリスト教系の同志社大でキリスト教に触れつつイスラム教原理主義を教えた経緯があります。ですから、キリスト者として悔恨の思いがするのです。

今、本当に、生き生きと原理主義的な日本人ムスリムがいます。そんじゃそこらの、知ったかぶりをしているイスラム学者ではなく、本気で信じています。日本人のシニカルな態度、こうしたことを続けている限り、彼らが私たち近代人(?)の偽善を付いてきて、ますます活性化するでしょう。

キリスト者は本気にならんといけないと思います。
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カリフ制再興を信じる、イスラム原理主義者の頭の中がどうなっているか、次の佐藤優氏の説明はとても分かり易いです。


2014-08.21佐藤優 あさラジ 投稿者 kigurumiutyuujin

では、別に記事を改めて、イスラム教を改めて我々キリスト者の信仰の視点から検証していきたいと思います。

(「改めてイスラム教の紹介」へ続く)

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