日本の伝道「押して駄目なら引いてみよう」

こちらも昨日書いたFBの投稿です:

今、私たちの教会にフロリダ州にあるカルバリーチャペルから、一人の短期宣教師が伝道のためにいらしています。日系の方なので、お独りでも伝道をしてくださっており、私たち教会の者たちも、時間の空いている者たちがいっしょに近所を回って、公園で声をかけながら、トラクトを配っています。

そこでの大きな課題は、いつも思いますが「強い拒絶感」です。我々日本人のクリスチャンは当たり前になってしまっている反応ですが、海外からの兄弟姉妹は極端な拒否に対して驚いています。私たちの教会は東京都荒川区にありますが、中国人を始め、いろいろな国の方々が住んでおり、公園にも数多くの人たちがいました。そういった人たちの声をかけると、普通の会話ができます。そして、中国人のママ二人は、「きっと日曜日の礼拝に行きます」と答え、ミャンマーの若者も「行きたいと思います。」と答えます。

この前の礼拝の後に、四つの法則を使って互いに未信者と信者の役を演じて、伝道の練習をしました。とりあえず、語らなければならないことを知るためにもやってみました。けれども、これをそのまま使って行うことは、無理があるかもしれません。今日、一緒に動いた姉妹は、ご自分で話しかける時、短く福音伝道できる内容を書いて、それで語っていました。感動しました、とても短く福音の話をまとめたもので、手際よく語っておられました。

その短期宣教師といろいろ、どうやって伝道すればよいか分かち合いをしていました。彼女も日本に来てから、住職さんとか、いろいろな人に話しかけましたが、質問や疑問、反発する内容は似通っています。そこから分かることは、「日本人は、イエス・キリストについての福音という抽象的なものではなく、例えば、『先祖の墓の問題はどうなるんでしょうかね。』という具体的な質問をしてくる。」ということです。

そこで、伝道する時のアプローチを考えていかねばならないと思いました。二つのキーワードを浮かんできましたが、一つは、「手引き化」です。キリスト教会というものは何か、初めは得体の知れないもののように感じてしまうだろうと思いました。例えば、私たちが今からイスラム教のモスクに行って、その礼拝に参加するということを誘われた時に、もやもやとした不安が出てくるのと同じだろうと思いました。それで、「礼拝についての手引き」みたいなのを作って、マニュアル化してしまうと安心するのではないか、その手引きの中に意味づけを書き、福音の言葉を伝えていけばよいのではないか?と思ったのです。また、「キリスト教Q&A」みたいな冊子を作って、そこに具体的な質問に回答する形で、福音の言葉を盛り込むというものです。

もう一つは、「あちらから中を見ていただく」というアプローチです。私たちが、「相手が知らないのでそれを教える」というよりも、「相手が気になっていることを、説明してあげる」というアプローチです。キリスト教って何だろう?ということを、一般の人々の気になる話題から説明していく、というものです。例えば、「キリスト教も葬儀やります」みたいな表題を付けて、反応によっては「私もお願いできますか?」なんていう反応があるかもしれない。私たち信仰者にとっては当たり前のようなことで、実は気になっていることをこちらから発題してしまう、という感じです。

例えば今日いつもの反発の中で、「キリスト教は他国を侵略するようなことをやってきた。」というものがありました。そこで私が、

「戦争好きな(?)キリスト教を信じてしまった私」

なんていう証しのトラクトを書いてしまうとか。

まあ、いろいろなアプローチを今、考えています。「押して駄目なら、引いてみろ」という感じでしょうか?何か良いアイデア、ご自身が伝道された経験でもいいです、分かち合ってみてください。:)

「日本の伝道「押して駄目なら引いてみよう」」への2件のフィードバック

  1. ある時未信者に言われました。牧師は未信者でも出来るのかな、と。
    即座に「信者だからこそ牧師を出来るのが当然ジャン?! どうしてそう思ったの?」
    そうすると僧侶(や神主)も特に信じていなくても、なれると言うのです。
    あっ、なるほど。確かに職業として聖職者としては同じかもしれないが、ここが仏教とキリスト教の違いの一つだなと思いました。宗派によっては違うかもしれないが。
    また彼らは何をも信じていないのに、(一つの)慰めとしての僧侶という職業をしているんだな、と思いました。ここはすごく似ているなと思います。

  2. もしかして、戦国時代から廃藩置県までの世界一長く酷い、「キリスト教弾圧、キリシタン迫害時代」のせいで、すっかり国民は萎縮して拒否反応が刷り込まれているのかもしれない・・・・と最近は思います。

    約100万人が殉教し、約100万人は隠れキリシタンになったと「聖書の国日本」で読みました。
    日本の殉教者は、長崎市に彫像のある26聖人だけではないんです。
    日本ほど、殉教させられた人の数が多い国は他にはないのです。

    この国の宣教は本当に難しいと思います。

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