牧者たちの交わり

以下は自分のFBで分かち合った投稿です。

今日、ある牧師さんたちと数名で、じっくり交わる時間が持てました。そこで、私たちが痛感したことは、「リアルな中での交わりの必要性」です。ネットで発信する情報というのは、裏取りをしない、匿名にするなど、無責任になる傾向があります。けれどもその発言の影響力は、とてつもなく大きくまた拡散するので、誤っていたり、偏った情報によって、リアルな中にいる人々が大きな被害を被っているという話をしていました。

そしてもう一つ、「自分の意見を率直に言うことのできる能力」とでも呼びましょうか、それが信頼関係においてとても重要になることです。もちろん、互いに理解するためには、その過程では語気が強くなったり、その表現に行き過ぎが出てくると思います。けれども、相手が何を言わんとしているのかの「真意」、そして言い方以上に「内容や事実」を見つめていくこと。これが健全な議論、実のある討論においてとても必要なことです。

そこから出てくる実は、「意見の明瞭化」です。それによって、私たちは何に同意して、そして意見に違いがあるのかを互いに知ることができ、それでもって初めて、信頼を培うことができます。

けれども、そうした率直な意見を交わせるまで到達できず、殻に閉じこもってしまう問題があります。これは特に、ディベートが苦手な日本人、また子供のように心を明かしてフラットに交わることが希薄で、孤独になりがちな我々牧師たちに顕著ではないのか?という大きな課題を見ました。傷を受けているので、自分を守るために、ヤドカリのように外部の異見を遮断してしまう傾向があるのではないか?。(関連記事:「きちんとした「牧師」の欠け」)

今、キリスト教会の中で問題や課題を見る時に、指導者の間の信頼関係の欠如が大きな原因になっているのかもしれないと感じました。困難になってきた時代、こうした信頼醸成こそが、今、前もって備えるべき霊的守りなのではないか?と思いました。

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