控えめな服装

隠すことこそが、現すこと

これは、女性にも、男性にも少し違った意味で、それぞれに必要な言葉であります。

控えめな服装は、あなたの体を隠すことではなく、あなたの威厳を現すことです。

目の欲から守られる

先週でしょうか、ネットで時事に関する記事を読もうとしてクリックしたら、右端に上半身裸のお姉さんの写真の掲載の広告が出てきました。すぐ閉じたのですが、それでも、しばらく、思いの中でその画像が瞬時に出てきました。御霊の中で祈って、思いが汚されることのないようにしました。

ヨブは、「私は自分の目と契約を結んだ。どうしておとめに目を留めよう。(31:1)」と言いました。そして主ご自身が、「だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫の罪を犯したのです。(マタイ5:28)」と言われました。ここで主が使われている「見る」は、じっくりと見るような意味合いのもので、「見えてくる」「見てしまった」ことについての戒めではありません。けれども、好奇心をもって、自ら意志をもって見るのであれば、姦淫の罪を犯したことになります。マルチン・ルターは、ある人が言った言葉を紹介していますが、「あなたの頭の上を鳥が飛んでくるのを止めさせることはできない。けれども、あなたの髪に巣を作らせないようにしなさい。」と言いました。

罪を犯したら、主の十字架のところにいき、悔い改め、その血と神の御霊で洗い流していただいたことを受け入れます。そして、誘惑を受けたら、御霊に導かれて肉の行ないを殺します。こうやって、私たちキリスト者は、思いも清められ、そして自分の体を聖く、尊ぶ保つことができます(1テサロニケ4:4)。

女性にある神の美しさと栄光

しかし、控えめな服装は、そうした男の好奇な目から自分を守るという消極的な目的より、はるかに大きな積極的意味があります。パウロは教えました。「同じように、女も、慎ましいみなりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。(1テモテ2:9)

ここで大事なのは、「むしろ」以降です。服装によって自分を隠すだけならば、それは何か抑圧された気持ちになるかもしれませんが、そうではなく、「良い行ない」が表れ、内側の美しさが輝き出てくるための防壁となっているのです。水の入った袋のどこからから水を勢いよく飛ばしたいなら、他に穴が開いていては、そこから出ていってしまいます。他に出てくるところを無くすことによって、むしろ自分の性を美しく引きだすことができ、それがそのまま神の栄光につながります。

キリストにある満足

これまでの教会生活での観察では、出会ってきたキリスト者の女性の服装の多くは、慎み深いものでした。それは、無理に控えめにするという努力の結果ではなく、「あまり流行や身だしなみが気にならなくなった」ということなのだと思います。これまでは着飾ることに命をかけていた部分があったかもしれないけれども、キリストにある自分を発見した時に、そこに満足を見いだし、服装や化粧については、そこそこにしておけば大丈夫、という程度になったのだと思います。これは、まさにテモテ第二2章でパウロが指導していることです。イエス様によって満足しているということによって、服装や化粧、飾り物に必要以上に気にしないということでしょう。

反対に、これを服装の規定のような形で意識してしまうと、律法主義に陥ってしまいます。教会の中に目に見えない同調圧力が働いて、自分の服装は非難を受けやしないのか?という恐れを抱いてしまって、主への礼拝にかえって集中できないということはあるかもしれません。何よりも外面ではなく、内面の心の状態が大事ですね。

水は大切に

話を戻すと、控えめな服装は、神から与えられた性を、その最も私的で、親密な部分を、神に与えられた結ばれている男にのみ見せることで、とてつもない楽しみと悦びを相手に、また自分自身にもたらすことができます。雅歌において、シュラムの女が愛するソロモンに対してそれを行なっており、また女の兄たちも、彼女を結婚まで守ってあげていました。

その男女の結びつき、私的な親密さこそが、私たちが神に対して、キリストに対して持っている、深い交わりを示しているもので、肉体に関わることですが実はとても霊的なのです。聖書では夫婦の性の営みは、多くの子をもって祝福を定められた神から与えられた賜物であり、神聖なものだと考えています。ユダヤ教の正統派の人たちは子だくさんが多いですが、その営みについて、アブラハムの子孫としての誇りを持っています。

ですから、その反対の行為、すなわち、その私的な部分を他者に渡してしまうことは、尊厳を失うことになります。箴言では、それを「水ため」や「泉」に例えています。「あなたの水ためから、水を飲め。豊かな水をあなたの井戸から。あなたの泉を外に散らし、通りを水路にしてよいものか。それを自分だけのものにせよ。あなたのところにいる他国人のものにするな。あなたの泉を祝福されたものとし、あなたの若い時の妻と喜び楽しめ。・・(5:15‐18)」妻の性は「水溜め」であり、夫の性は「泉」です。泉から水ためへ。夫の性は、妻の性によってこのようにして喜びと充足と、何よりも尊厳を与えます。

関連メッセージ:「男女の結びつき」雅歌1‐4章(音声原稿

裸についての価値観

ところで最近、フランスにおいて、ムスリムの女性が海水浴のため全身を覆った水着「ブルキニ」を着用したところ、それが禁止されるという事態が起こりました。とてもリベラルな人々も多いイスラエルでさえ、ビキニの人とブルキニの人が隣り合わせて海水浴を楽しんでいるテルアビブのビーチの光景を見ることができるのに、変な論争です。また日本人の私たちから見ても、変でしょう。

これには、フランスの自由の概念や価値観があるようなのです。なんとフランス首相は、ブルキニ論争でこう言ったそうです。「マリアンヌが胸を露わにしているのは、国民に授乳しているからなのです!・・マリアンヌはヴェールで覆われてはいません。マリアンヌは自由だからです。それが共和国の精神です!」(記事

記事に飛べば、あの有名な「民衆を導く自由の女神」の絵画がリンクされています。フランス革命の時に、民衆を導く果敢な女性として描かれているのですが、彼女の胸は、はだけています。いやらしさは全然ありませんが、フランスの人たちにとって「女性が覆いをつける」ということは、女性を奴隷化するという意味があるようなのです。

私がいつも気になっているのは、肌を見せることについての西洋と東洋の感覚の違いです。聖地旅行をこれまで私は何度となく行き、アメリカ人、華人、また日本人などと行きました。非常に興味深かったのは、中東の強い日差しで暑くなってくると、アメリカ人はどんどん脱いでいきます。タンクトップにショートパンツです。華人や日本人は、どんどん覆っていきます。もちろん日差しから守られるためなのですが、それでもついに、周囲のムスリムの人たちと同じようになってしまうのです!

フェイスブックなどを見ても分かりますが、アメリカ人はほんと、フィットネスが好きで、男性は自慢するかのように、自分の筋肉質の上半身を自撮りしているものが出たりします。さすがに女性は少ないですが、女性が肌を覆うことについては、否定的な意見が目立ちます。やはり男尊女卑の文脈で語るのです。Discobolus

かつて古代ギリシヤまたローマは、「人の肉体」に究極の価値観を持っていたと言われています。彫刻や絵画においては、女性のみならず、むしろ男性の全裸像があり、その肉体美が描かれています。そして古代オリンピックは、まさに肉体美の宗教行事でした。競技選手の大部分は男性で、女人禁制の下、全裸で競技に臨んでいたのです!その肉体美そのものが、ゼウスに対する供え物であったとのことでした。そして、「スパルタ教育」という言葉ができた、強靭な精鋭部隊スパルタ軍は、子供の時から男女とも裸にされて、鍛えられました。裸こそ、高貴なこととされてきましたね。

女性に持ってほしい勇ましさ

こうした肉体美を最高の価値とする西洋には付いていけないのですが、しかし、特に日本人女性にある「身を慎む」ということ、その控えめさは、外見だけでなく、内面にまで及んでおり、これは非常に良くないことです。主にあって、良い行ないという積極面が内側から出てくるからこその女性であって、受動的なことが控えめではありません。むしろ聖書には、神に用いられている女性の姿は、その多くが「大胆」であり、一種の「勇ましさ」さえあります。

失敗もしましたがアブラハムに積極的に従い、また意見も言うサラがいました。女士師デボラは、勇ましいの一言です。モアブ人ルツはどうでしょうか、姑ナオミが故郷に戻りなさいと言ってもしがみつき、「あなたの神は私の神です」と言ったのです。エステルは、ペルシヤの王の前に出ていきました。そしてマリヤは、ガブリエルが彼女に現れ、イエス様を身ごもる主の言葉が告げられたら、「そのお言葉通りになるように。」と大胆に受け入れたのです。どんな時であっても、男がリーダーでしたが(注:デボラの場合は、男バラクがリーダーになっていなかった時の失敗例)、私たちが女性に押し付けるような、「何も考えるな、ただ付いてきなさい。」というものでは全くないのです。

むしろ、そのような受動性はエバにこそあり、蛇に惑わされました。

箴言において最後に、ほめたたえられる優れた女性の姿があります。そこにある女性が、いかに勤勉で、知的であり、勇ましいか。ここに、彼女の尊厳があります。

関連メッセージ:「神に造られた男女」(音声 ・ 原稿

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です