キリスト教会の反政府的活動

下のビデオについて、FBのある場所で、以下の投稿とコメントを入れました。(一部修正)

https://youtu.be/eT74N2yOkao

これは、キリスト教関係者が、特に教会指導者やマスコミが、重く受け止めなければいけない、国会で語られている内容です。特に国家公安委員長が、キリスト教会の中において反政府的活動が信仰の名によって教えられていることを、「平素から、相当関心をもって、必要な情報は集めている。」とのことです。

どの世俗国家、政府においても、このようなことは行なっています。それは、なにも戦前の一時期、特高が治安維持法の中で行なっていたこととは限らないのです。社会的破壊活動につながりかねない動きは、情報収集、監視し、そして違法行為をしているのであれば取り締まれるようにしている、ということです。それが良い悪い別にして、これは世界中の国々で行なっていることです、自由・民主主義の中でも。

これは、国が納税させているのと同じです。脱税すれば捕まります。反政府的な破壊活動をすれば捕まります。

そのような重みをもって、過激派が入り込み、騒擾罪を犯しかねない運動や活動に、安易に、信仰の名によって信者に関わりを持たせるところまで信者を導いている動きについて、このような当局の監視活動が行われているということは念頭にあるのでしょうか?例えば、既にSEALDsは公安監視対象ですが、福音派のキリスト教指導者がそこに関わる若者を逆に励ましている投稿などを見て、私は目眩が少ししました。

権力が、イエス様が主であることの告白に介入してくるのであれば、主を選び取ることの覚悟は必要です。しかし、実を否定し、形だけの「迫害」「弾圧」に成り下がらないように、切に願います。

~~~
この議論は、とても深めなければいけない内容だと思います。

まず、私は中丸氏の意見がいけないとか、その是非に焦点を当てるのではなく、公安がどのような活動をしているのか?という基本知識を、キリスト教関係者は持ち合わせているのか?という強い疑問に、焦点を合わせました。

他のことでもそうですが、キリスト教会の指導者があまりにも世の中のこと、社会的な基本知識に欠けていることを思います。そして、どうしても「世の罪や汚れの中で、それでも福音で輝かれるキリスト」ではなく、「キリストは無菌の中におられるはずだ。その菌に、抵抗、対抗すべし。」とする、理想論を掲げる傾向があるのではないか?と思います。

そして、なぜ深めなければいけないのか?というのは、日本への宣教史を見るとそうだからです。日本の為政者は、政治的感覚については高度な判断をしている反面、キリスト教内部のことについては初歩的な知識しか知らないので、「区別ができない」という問題です。そして日本の外にあるキリスト教会が、戦時中のバチカンのように、日本の複雑な状況が理解ができず、それで誤った判断を下してしまっているという問題です。

日本の宣教史の中で、結局、戦国時代や、江戸時代の始まり、徳川家康に切支丹弾圧に踏み切らせたのは、宣教師たちやキリスト教関係者が打算的になっていたり、キリストの命令の原則に立っていなかったから、といえます。

日本の為政者は、ポルトガルやスペインの宣教に伴う植民地化に非常に敏感になっていました。そこに、イエズス会の中で、政治に関わらないという会の方針に反して、政治的に貿易の収益をあげようと妥協した人が出てきて、それで秀吉が逆に疑いをもって、宣教師や切支丹への締め付けを強くしました。

日本キリスト教宣教史そして徳川家康の時代、英国人、ウィリアム・アダムズ、後の三浦按針の乗る船が漂着しました。そこで、カトリックの宣教師はプロテスタントの信者であることを恐れて、必死に対抗、彼を処刑するべくいろいろな情報を垂れます。けれども家康は三浦按針の言っていることを信じていきます。そして、今度は三浦按針がカトリックのことを悪く言って、家康の耳に入れます。これが切支丹弾圧に踏み切る大きなきっかけとなりました。(注)

(注:お薦めする本:「日本キリスト教宣教史」中村敏著 いのちのことば社

こうした教派間での競争を、敏感に感じ取った為政者の感覚を、私たちは知らないといけないと思うのです。中丸氏の意見は正しい悪い、という問題ではなく、そのような為政者たちのいる国で、主にお仕えしているだという心構えです。

私たちの打算は、信者でない人たちのほうがよく感じ取っています。信者の人たちは、表面的な言葉使いで誤魔化せてしまいますが、彼らには嘘は付けません。キリストの命令を本当に真剣に従っているのか?というところに尽きると思います。

最近の福音主義の教会の流れには、本質的なところは時流に合わせてぐらぐらさせ、どちらでもいいところで喧々諤々しているという印象を、社会問題においても、神学においても、他の領域においても、感じています。

関連記事:「格好良く見せようとする教会

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です