「ナクバ」を超えて──パレスチナの未来のためにできる7つのこと

フェイスブックの投稿を一部、編集後、掲載します。)

次の記事をまずお読みください。

「ナクバ」を超えて──パレスチナの未来のためにできる7つのこと

先日、ある方から「あなたはいつもイスラエルの主張だけを紹介する」と言われて、「いや、パレスチナ人のクリスチャンからも情報をもらっているけれども、その人の安全にかかわるし、また言っても誤解されてしまう。」と答えました。

聖書を信じているから出てくる、自然な、ユダヤ人への愛

イスラエルのこと、ユダヤ人のことが、あくまでも神学上での議論の用語であったり、聖書研究に出て来るものであったり、考古学、聖地旅行に出て来るかな?という感じで、生身の本当の人々のことは、クリスチャンの間で共有されていないので、それをご紹介したいと思って、たくさんイスラエルやユダヤ人のことを書いています。しかし彼らも、イエス様によって愛されている、神に造られた人々で、父祖によれば、選びの民、愛された人々です。

生のユダヤ人に触れていないというチャレンジ

しかし米国の福音派では、ユダヤ人理解がかなり底流になるぐらい、浸透しています。第一、ディアスポラ(離散)の地として最も大きいユダヤ人人口を抱えている米国ですから、リアルにユダヤ人のことを知っています。いいことも、わるいことも。

今の米国のメシアニック・ジューの指導者やユダヤ系の教会指導者の多くは、ヒッピーたちが回心するイエス革命で救われていて、そのイエス革命でチャック・スミス、カルバリーチャペルが用いられたという経緯があり、教会の中には普通にユダヤ人の兄弟姉妹がいます。そのためか、持ち上げることも、引き下げることもしないで、等身大で付き合う。その生の付き合いが、バランス感覚を与えます。

そうしたユダヤ人との普通の触れ合いがないというのが、日本の教会において、チャレンジです。

宣教の視点を持つことのチャレンジ

このことに加え、次の段階として、パレスチナ人のことを考えるということは、相当の宣教的視点がないと難しいでしょう。日本はそもそも、世界宣教とか、他民族や他国への福音による働きかけの概念が希薄です。

しかし、以上、ユダヤ人が神に愛された選びの民であり、イスラエルに帰還したことを認めつつも、ユダヤ人のみならず周囲の中東諸国にも神は祝福を広げておられるという信仰を持って、中東のキリスト者とのつながりを持とうとしている団体があります。教育機関です。

Philos Project

冒頭に紹介した記事の筆者がこの団体の代表です。最近始まった、クリスチャン・プレスというニュースサイトが、当記事を日本語に翻訳しています。お読みになれば分かりますが、この記事で話されているのは二点。

①パレスチナ人には、れっきとした民族意識がある。

第一次中東戦争から難民化したという歴史を持っていて、民族意識があり、自民族で決定する権利もあることを知ることは大切だということ。確かにユダヤ人のエルサレムとのつながりを持った、さらに昔にはシナイ山で宝の民として選ばれた、三千年以上に及ぶ民族意識に比べて、パレスチナ人は近代、20世紀半ばから始まりました。しばしば、パレスチナ人は何千年もその土地に住んでいるという主張がされますが、それは間違いです。したがって、ユダヤ人と比べると「パレスチナ人」なんてない、という意見までがあります。けれども、それでも出来たという事実はあるのです。

私たちは日本国民という意識があり、それは空気のようになっていますが、宙ぶらりんになっていることに痛み、苦しみというのは想像を絶すると思います。彼らも神の形に造られた人あり、生身の人間として見て行く必要があるということ。これは、極端なシオニズムをそのまま受け入れてしまっているキリスト者に対する注意喚起です。

②民族意識の中に刷り込まれた、反イスラエル

しかし、パレスチナ人に同情し、助けて行こうとするキリスト者が見失っているのは、その「パレスチナ人」の歴史やアイデンティテイーの中に、イスラエルの存在やユダヤ人の尊厳を一切否定することこそが、パレスチナ人だということが刷り込まれていること。イスラエルを暴力的に抹殺することに、半数のパレスチナ人が賛成しているという現実を直視しないといけないということ。彼らを助けて行こうとするあまり、キリスト者として絶対に許してはいけない倫理観に、妥協が与えられます。

自分たちに責任を持つ将来性

パレスチナ人の中にも少数ながら、この問題点に気づいている人たちがいます。三分の一の人たちは、イスラエルの主権を認めていて、ただ同等の権利がほしいと認めている穏健な考えを持っているけれども、だいたい過激な人たちの声が大きくなり、社会的制裁を受けることを恐れて声に出せないという現状です。こういった人々に、西側のキリスト者(ここでは自由社会のキリスト者ということで、日本も含めることができます)は探し出し、その人たちと協働して、平和を求める必要があるだろう、ということです。

ちなみに、この記事を紹介したのは、パレスチナ人の福音派の兄弟です。名を明かすことはできません、危険なので。けれども、彼は実際に、パレスチナ人のテロで瀕死の状態に陥ったユダヤ人の被害者に寄り添い、親友になり、ユダヤ人の入植者たちと仲良くしたり、実質的な平和・和解の働きをしている兄弟です。パレスチナ人のクリスチャンとて、ほんとんどが反イスラエルをやめられないという現状がありますが、ごく少数でもそういった人々が起こされていて、そういった人々と外にいるクリスチャンが関係を持つことが出来ればと願い、祈ります。

関連記事:「パレスチナを愛する親イスラエル」「「親パレスチナ」の人に言いたい事」「神学的テロリズム」「「平和活動」対「キリストの平和」」「「パレスチナ人クリスチャン」の異論と希望の証し

「「ナクバ」を超えて──パレスチナの未来のためにできる7つのこと」への2件のフィードバック

  1. ユダヤ人のクリスチャンいわゆるメシア二ックジュー
    アラブ人のクリスチャン ノンクリスチャン
    イラン人のクリスチャン ノンクリスチャン
    韓国や中国のクリスチャン ノンクリスチャン
    アメリカやアフリカのクリスチャン ノンクリスチャン
    この人達が、おそらく民族として安心して付き合えるのが、日本人。
    なんとなくですが、日本人の立ち位置って、彼らに無理なく和解をもたらせる可能性を秘めているのかなと思います。

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