「テロリズム容認」神学、日本に紹介される

以下、フェイスブックで投稿した内容を一部編集して、転載いたします。

今、あるフェイスブックページで、共産主義を容認し、日本共産党と共闘までしている福音派の指導者の問題が話題になっています(参照サイト)が、こちらも、恐ろしいと思いました。著名な福音派の神学大学院における連続講義で多くの牧師や神学生が受講していると聞いています。

③【ディスペンセーション主義キリスト教シオニズムの教えと運動の分析・評価 】

本質的には似通っています。つまり、テロリズムや暴力を容認していることです。「平和と正義」という名で人々をだますことによって、暴力を容認しているという事実を隠しながら神学の中で押し付けている問題です。改めて、ブログ記事にしたいと思いますが、少しだけ、何が問題点であるかを書き留めていきます。

反ユダヤ主義で英国聖公会から除名された元司祭

この方が資料としているスティーブ・サイザー(Stephen Sizer)氏による著作を資料源として講義をしていますが、彼は、英国聖公会(アングリカン)から、反ユダヤ主義を提唱したとして司祭職から除名されたに等しい辞職をしました。英国聖公会は、シオニズム支持でも何でもありません。そういった教派が、反ユダヤ主義を根拠に除名措置を迫ったのは、相当のことなのです。

下の記事に、スティーブ・サイザー氏が、イスラム・シーア派の原理主義テロ組織ヒズボラの指導者と会見している写真を掲載しています。この組織は、日本を含め西側諸国でテロ組織として認定されている団体です。伝道や宣教の目的であれば問題ないですが、いいえ、彼らの大義をキリスト教的に(?)支持するために言っているのです。反イスラエルで共闘しているのです。

「悪を善、善を悪とする」時代

Stephen Sizer meets Nabil Kaouk, a top Hezbollah official and militant commander, in Lebanon

キリスト教の砂糖で固めたパレスチナのテロリズム神学

そして、「パレスチナ解放の神学」でありますが、これも大きな問題を孕んでいます。パレスチナ人の置かれている立場に共感し、そこにあるキリスト者の立場を擁護する神学なのだろうと、私も初めは思っていました。

けれども、その神学を信奉する教会指導者が集まる集会での講演や説教を聞けば、そこに目的がないことが分かって来ます。「反シオニズム闘争」を神学的に正当化しているものです。「パレスチナ解放」とは、まさにPLO(パレスチナ解放機構)の意味するところの武装闘争を背景とした意味合いで語られているのであり、そこに「愛と平和」というキリスト教的装いをしていますが、結局、イスラエルとの共存ではなく、否定と悪魔化をし、クリスチャン・シオニズム神学を悪魔化することが目的となっています。

パレスチナ解放神学について、かつてブログで紹介していました。以下のブログを、コメント欄を含めてご覧ください。

「イスラエルから流れる神の愛」


パレスチナ人クリスチャンに寄り添うクリスチャン団体は、他にあります!

パレスチナ自治区が、日本のように言論の自由が保障されていないところであることを、まず知らないといけません。ですから、なかなか生の声が伝わらない。そして当然、イスラエルに対する敵対心というものは教育によって培われています。けれども、キリスト者として、当時のローマに対するユダヤ人の敵意をイエス様は認められなかったように、むしろ自分たちこそが悔い改めなければいけないとして説かれたように、我々もイエスに倣うべきだという意見を少数ですが、言っている兄弟たちがパレスチナにもいます。

「パレスチナ人クリスチャン」の異論と希望の証し

 中東地域における宗教の寛容を、キリスト者を中心にして広めていこうとしている教育機関”Philos Project“があります。

キリスト者として、その目的は平和と和解なのではないでしょうか?どうして、キリスト者たるものが、少しでも敵意を煽るような神学を教えるのでしょうか?

イスラエル・ユダヤ人に対する寛容もそこには含まれていますし、イスラエル・パレスチナを除いても、例えば、イラク人のキリスト者がイスラエルを訪問して交流するであるとか、レバノン近くのイスラエル北部の東方教会に訪問するであるとか、西方教会にいる私たちにはとても魅力的です。2020年3年に予定している、イスラエル・トルコ旅行では、ベツレヘムを訪問する時に、その一員である福音派の信者でパレスチナ人の方に証しをしてもらおうと思っています。

関連記事:「患難前携挙説への攻撃

初め紹介した連続講義ですが、前からとても気になっていました。神学論争に命をかけている姿を見て、上のブログに書いた問題と同じ問題を孕んでいます。相手が危険な教え、異端であるかのように攻撃的に論難するアプローチは、キリストの体を分裂させる、サタンの恰好の餌食です。ここで、改めてそういった議論を避けるように、私たちは気を付けたいと思います。

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