ヨルダン旅行日記 6月9日 - ヨルダン南部

今日は次の旅程でした。

ペトラ
ワディ・ラム自然保護区
アカバ

朝7時にホテルを出発、徒歩でペトラの入り口に着きました。その岩の自然と遺跡の群像は、圧倒されるばかりでした。一生忘れることはないでしょう。

今見ることのできるペトラは、紀元前後に活躍したアラブ系遊牧民であるナバテア人が建てたものが主体です。ペトラは聖書的にはエドムの「ボツラ」であり、ナバテア人が来てから彼らは追い出されました。

ペトラは、中東とエジプトや西洋をつなぐ中継の貿易都市として栄えました。砂漠と岩の絶壁の地であり、とても住めるとは思えないところですが、ナバテア人は遊牧民でかつ貿易商人です。今で言うならドバイやシンガポールと言ったところでしょう。さまざまな文明と文化、宗教が入り乱れる、莫大な富が集積されたところでした。ダムや水道もきわめて高度な技術をもっと整備されており、この乾燥した土地にいても問題はなかったようです。

岩を切り刻んだそれらの彫刻は、エジプト、ギリシヤ、ローマの宗教の影響が色濃く残っています。そしてビザンチン時代の教会のモザイクもあります。

岩に鉄分が含まれているため、バラ色を主体として、その角度や太陽の位置によって色彩が見事に変化します。あまりにも美しいです。

ちなみに、聖書預言にしたがえば、ここにイスラエルの残りの民が艱難記にここに逃れ、反キリストがユダヤ人を全滅すべくやってくる所に私たちの主がまず再臨される所です。

そして私たちはその南部にある、ワディ・ラム自然保護区に行きました。色濃い砂漠の地域ですが、ここが現代のヨルダンを造った、オスマン・トルコへのアラブ遊牧民の反乱を手助けした、「アラビアのロレンス」の活躍した場であります。この砂漠を渡ったことによって、アカバにあるトルコの要塞を打ち破ることができました。

そこで私たちはジープに乗って砂漠の中を走りました!実に爽快で、楽しかったです。

そしてアカバに着きました。すぐ隣は、イスラエルのエイラットです。エイラットには私はすでに三度、訪れています。こちらも雰囲気がとても似ており、エンターテイメントの地です。最後の夜をアーノルドと囲んで、コーヒー店で談話を楽しみました。

明日はお昼をこちらで取って、越境し、エルサレムに向かいます。真夜中でベングリオン空港を発ちます。

ペトラにあるハツネ(宝庫)

ヨルダン旅行日記 6月8日 - ヨルダン中部

ヨルダン旅行の最高峰はペトラですが、アンマンからペトラはかなり距離があります。

ですから移動日でありますが、その途中に見学する場所はいろいろありました。次が旅程です。

ネボ山
マダバ
マカエラス
アルノン川
カラク城
ゼレデ川
ダーナ国立公園

ネボ山はもちろん、モーセが約束の地を主によって見せていただき、そして死んだところです。あいにく霞がかっていて遠くまで見られませんでしたが、モーセの偉大さを思わされました。

そしてあまり考えていませんでしたが、ヨルダン渓谷は水面下の陸地なので、ネボ山自体は高い山ではありません。別にバスが高く登ることはありませんでした。むしろヨルダン全体が高地と山地の国であり、ヨルダン川周囲だけが非常に低くなっている地形なので、アンマンから20分ぐらいで簡単に到着しました。

それからマダバがすぐ近くにあります。ここはビザンチン時代からクリスチャンの町として栄えました。そこの教会内にあるイスラエル、ヨルダン、エジプト全体のモザイクが、当時の地域を知るのにとても大事な文献になっています。

そこでおいしいヨルダン料理を食べました。ヨルダン料理はイスラエルのととても似ていますが、野菜類はイスラエルのほうが多いです。カレー味の炒めライスにチキンを載せたものとか、とてもおいしいです。

そしてさらに南下して「マカエラス」という所に行きました。死海のそばにあり、ちょどミニ・マサダという感じでした。そこでヘロデ・アンティパスがバプテスマのヨハネを斬首の形に処したと言われています。

それから大事なのは、アモンとモアブの国境になっていたアルノン川と、モアブとエドムの境になっていたゼレデ川を渡ったことです。川と言ってもワジ(涸れ川)になっており、ちょうどグランド・キャニオンのように川の部分だけが抉られているような壮大で雄大な光景でした。

そしてダーナ国立公園という所を通って、ついにペトラに到着しました!ペトラ遺跡のすぐそばにあるホテルに泊まりました。

マデバにあるモザイク(中央部分から少し右上にあるのがエルサレムです)

ヨルダン旅行日記 - 北部 6月7日

ついにヨルダンの旅行が始まりました。旅程は次の通りでした。

タバカット・ファアル(ペラ)
ウンム・カイス(ガダラ)
ジェラシュ(ゲラサ)

括弧が聖書時代の地名です。すべてデカポリスの町です。

ベイト・シェアンからヨルダンに陸路で国境を越えてから、まずペラに行きました。ペラはベテ・シェアンの少し南にあるデカポリスの町ですが、数日前に言ったベイト・シェアンがはっきり見えます。ずっとイスラエル側からヨルダンを見ていたのですが、今回はその反対を行なうことができています。

ガダラも同じく、ガリラヤ湖とゴラン高原にきわめて近いところにある遺跡群です。自分たちが昨日まで宿泊していたマアガンを見つけることができました。

そして圧巻はジェラシュ(ゲラサ)です。ヨルダンといえばペトラですが、それに次ぐ遺跡群です。ベイト・シェアンに少し似ていますが、規模がまるで違います。ローマ式の柱廊が千本あるとガイドは言っていましたが、はたして行けども行けども通りの両脇に柱廊が立っています。巨大なショッピングモールと、異教の神々への宮と、そして教会の遺跡もあります。円形劇場、競馬場もあります。ここら辺は、カイザリヤなどヘロデ時代のローマ都市と同じですね。

そしてヨルダンの首都アンマンに到着しました。ヨルダンは山地の国です。ものすごい急な山を上がったり下がったりします。けれども高地になってずっと平坦にもなります。けれども、イスラエルに比べると水の確保がなおさら難しそうです。

ジェラシュの町(北門に向かう通り)

イスラエル旅行記 6月6日 - シャロン平原

今日はガリラヤ湖を経ってエルサレムに戻る移動日です。次の旅程になりました。

マアガン・キブツの見学
カイザリヤ
サムエルの墓
スコパス山など

マアガン・ホテルに泊まっていましたが、それはキブツが経営するホテルです。キブツについてはたくさん聞いてきたし、また勉強も少ししましたが、実際に中を見せてもらったのは初めてです。極めて整えられた、平和的な共同生活が営まれていました。

そしてカイザリヤです。以前見なかったカイザリヤの町の北の部分をじっくり見ることができ、うれしかったのです。

そしてエルサレムに向かいましたが、テルアビブとエルサレムを結ぶ一号線ではなくその北を走る443号線を走りました。サムエルの墓に行くためです。西岸の中を通るようにしてユダの山地の北のところにこの墓があります。けれども本当の墓は、今のパレスチナ自治区にあるラマの町にあるはずであり、いけなくなったのでギブオン人の町ケフェラ(ヨシュア9:17)の遺跡のところに建てたところを新たに墓としたそうです。そこの屋上から360度のパノラマの景色を眺めることができます。

そしてエルサレムについたら、全体を眺めることができる三つの地点に行きました。一つ目はスコパス山、二つ目はスコパス山の裏手にあるユダの荒野が見えるところです。そして三つ目は、旧市街の南に位置する悪い企み(Evel Counsel)の山から見るエルサレムの町です。

そして私たちははじめに滞在したMount Zion Hotelに到着しました。明日からヨルダン旅行です!

ユダの山地(北部)

イスラエル旅行日記 6月5日 - 二回目のシャバット

今日は土曜日、すなわちイスラエル全体が正月みたいに休みに入る日です。前回と前々回の旅と違って困るのは、この日に休みを取るので、ホテルでは朝食のみで後は自分たちで食べるところを探さなければいけません。また自由時間ですから他の地域に行きたいと思っても、公共の交通はすべて休みです。

それでも今回は、初めてイスラエル旅行に来た人々の中に、上ガリラヤにある所に行きたいと言った人が出ました。それで、経験のある私と、もう一人の経験者がナビゲーターになって、ピリポ・カイザリヤとテル・ダンに行きました。

ピリポ・カイザリヤは今はバニヤスと呼ばれています。神「パン」が拝まれていたところで「パニヤス」がアラブ語訛りの「バニヤス」となりました。前回来たことのあるメンバーが、バニヤスの宮のみならず、その周囲にあるヘロデ・アグリッパ二世の建てた町の遺跡にも連れて行ってくれました。

そしてテル・ダンですが、ここもヨルダン川の水源になっているところで緑がたくさんありきれいなところです。ダン族がカナン人のこの町を攻め取り、またヤロブアムがベテルと共にここに金の子牛を立て、祭壇をきずいたところです。ここはものすごく感動しました!遺跡がそのままそっくり残っているからです。

そして帰りに、イエスの舟(Jesus Boat)の展示館に立ち寄りました。

そして今日のクライマックスは家庭夕拝です。1999年に会った、カルバリーチャペルからの宣教師がこの地域で続けて働きを行なっています。参加したいとメールを出したら、御言葉を分かち合ってくださいと頼まれ、奉仕させていただきました。雰囲気がとてもよく、深い休みを得ることができました。霊的にも、私が用意していた聖書箇所を彼も考えていて、きれいな御霊の流れが出来ていました。

テル・ダンにある祭壇と聖所

イスラエル旅行日記 6月4日 - 下ガリラヤ(西部)

今日は下ガリラヤの西部です。

ハティンの角(Horns of Hattin)
ナザレ
キション川
ベイト・シェアリム(Beit Shearim)
カルメル山
メギド

聞きなれない場所が二つ出てきたと思います。一つはハティンの角ですが、聖書では「マドン(ヨシュア11:1)」という地名で出てきます。ガリラヤ湖の南東部分に位置しますが、十字軍がサラディンとの戦いに負けた場所です。けれどももっと大事なことは、ここがプロテスタントの「八福の丘」だそうです。普通はガリラヤ湖畔の北にある、カ
トリックの教会があるところにプロテスタントの教会もほとんどが連れて行きます。道なき道をワゴン車に揺られながら行ったので、誰がこんなところに来るのか?と旅行メンバーの誰もが思いました。

もう一つは、ベイト・シェアリムです。カルメル山のふもと近くにあります。ここはデービッドの旅行で訪ねたツィポリに似ています。ユダヤ人の反乱によってエルサレムとユダヤ地方から追い出されたユダヤ人が、このローマの町にサンヘドリンを建て、ユダヤ教の中心地となりました。ここにある洞窟の墓は驚くべきものがあります。

昨日に比べて霞みも少なく、カルメル山から東を見て、昨日訪れた、タボル山、モレ山、ギルボア山、そして先ほど訪ねたナザレを一望できました。

このように、下ガリラヤはイズレエル平原を中心として、山と峠で囲んでいる所です。

カルメル山から見たイズレエル平原

イスラエル旅行日記 6月3日 - 下ガリラヤ(東部)

ガリラヤ湖周辺を見た後、6月3日には下ガリラヤの東部を見ました。旅程は次の通りです。

ベルヴォア(Belvoir)要塞
オフラ
ハロデの泉
モレ山
シュネム
ナイン
エン・ドル
タボル山
ギルボア山
ガン・ハシュロシャ(Gan Hashlosha)国立公園(サネSahne)

これまでになく、山を登って下っての繰り返しで、全体の地形を把握させようとする意図を見ました。ところがあいにく霞がかかっていて、はっきり見ることができませんでした。

ベルヴォア要塞は十字軍によって建てられたものですが、その高地からヨルダン渓谷を眺めることができます。ちょうどベテ・シェアンのテルから見たのと似ていました。

そしてワゴン車は、道ならぬ道を走りました。キブツの畑の中を突っ走っています。そしてあるアラブ人の町が見えてきましたが、そこがギデオンの町「オフラ」です。

それから車をさらに走らせると、ギデオンが三百人にまで軍隊を減らされた「ハロデの泉」に着きました。そこはギブオン山のふもとにあり国立公園になっています。

そして北側にモレ山があります。モレ山の南側にはシュネムがあり北側にはナインがあります。前者は、エリシャがシュネムの女の息子を生き返らせた町です。そしてナインはイエス様はやもめの息子を生き返らせた町です。この山が神の復活の力をあかししています。

お昼はモレ山のふもとにある町で、アラブ系イスラエル人の人のお店でイスラエルの簡単な料理を食べ、それから私たちはエン・ドルを見ました。サウルが魔女に伺いを立てたところです。

そしてタボル山に上りました。そこからナザレの町も見ることができます。

それから、ギルボア山を走り、そして最後はサネと呼ばれる国立公園に行きました。それは見るためではなく、水遊びを楽しむためです。なっ、なんと泉によるプールがあるのです。三つのプールに分かれていますが、独立戦争時に殉死した三人にちなんでいるそうです。

泉の水によるプールを生まれて初めて楽しみました。

イスラエル旅行日記6月2日 - ガリラヤ湖周辺

今日の旅程は次の通りでした。

ゲルガサ
ベツサイダ
ヨルダン川→ガリラヤ湖
カペナウム
八福の山
コラジン
ティベリヤ
湖上遊覧
アルベル山
ガリラヤ湖→ヨルダン川

南端にあるマアガン・ホテルを出て右回りで北上しました。ガリラヤ湖周辺は異邦人側の地域とユダヤ人側の地域に分かれます。ティベリヤから時計の反対周りで、豚に悪霊が乗り移った出来事が起こったゲルガサまでが異邦人の地域、北東にあるベツサイダからミグドル(マグダラ)辺りまでがユダヤ人の地域です。私たちはまず、異邦人のゲル
ガサに行きました。

そこにビザンチン時代の教会の遺跡があります。それを見ましたが、当時のひき臼とオリーブ圧搾機がありました。

そしてベツサイダの遺跡に行きました。ベツサイダの可能性のある地域は北東と、そして伝統的な北西があります。カトリックなどの教会は北西にあります。けれども遺跡として今、北東で盛んに行なわれており、どんどん発掘されています。

そしてカペナウムに行きました。そこで見ることのできるシナゴーグ(ユダヤ教会堂)は、数世紀後のものですが、基盤の部分が当時のものを使っていて、それが主が教えを垂れた所です。

さらにコラジンに行きました。この町と上の二つの町をイエス様が呪われましたね。コラジンは北東の丘の上にあります。カペナウムよりもここのほうが、シナゴーグをはじめそのまま残っているので、当時のユダヤ人の町を想像しやすかったです。とくに「モーセの座」と呼ばれるマタイ23章に出てくる椅子も見つかっています。

そしてティベリヤで聖ペテロの魚を食べ、それから湖上遊覧をしました。デービッドは必ずそこで説教をするのですが、アーノルドは運転や説明、すべてのことを起こっている疲れのせいか、船の真ん中の椅子に座ったまま眠ってしまいました!

舟はティベリヤに戻り、今度はアルベル(Arbel)に向かいました。ガリラヤ湖東端にある大きくそそり立つ丘です。ところが、公園に着いたらまだ30分ぐらい残っていたのに「もう閉門だ」と言われて引き返さなければいけませんでした。けれども途中で見えるガリラヤ湖全体の風景は圧巻でした。

6月1日の分で書くのを忘れましたが、6月1日の講義にアーノルドと古くからの親友で、ノアム&ジョアン・ヘンドレンさんが証しに来てくださいました。後でお二人も最近来日されていたことを知りました。ハーベストタイムの再臨待望聖会に四月に招かれていたのです。

アーノルドも五月に日本に来ていたので、「私たちのは前座だ」と冗談を言っておられましたが、ジョアンさんが日本人の信者とユダヤ人の信者の通る葛藤に類似点を見つけておられました。「クリスチャンになったら、日本人であることを失ってしまうのではないか。」というアイデンティティーの問題です。

そして、お二人は日本がとても気に入っておられていました(これは外国生活が多い私はよく聞く話ですが、きれいで、人々に親切で、秩序がある・・・などです。)そしてついでにアーノルドにも、「なぜ、日本に何度も行き続けるのですか?」と聞きましたが、「この国が好きで、その民も好きだから。」とにこにこしながら答えました。

私は冗談ぽく、「イスラエル人が東洋神秘に走る傾向があるが非常に驚く。私は神社や寺に囲まれて育って、もう嫌気がさしてイエスをメシヤとして信じたのに。」と言ったら三人とも笑っておられました。

コラジンのシナゴーグにあるモーセの座にすわる、お茶目な(?)アーノルド

イスラエル旅行日記 6月1日 - ヨルダン渓谷

今日はエルサレムからガリラヤ湖への移動日です。

ベツレヘム(聖誕教会、羊飼いの丘)
ヨルダン渓谷
エリコ
ギルアデ
アベル・メホラ
ベテ・シェアン
ヤムルク川 

荷物を整えてまずアラブ旅行社のバスに乗り、ベツレヘムに行きました。観光バスに乗り、初めて観光客になった気分になりました(いつもはかなり中古のワゴン車で、揺れがかなりひどい!)。

羊飼いの丘の教会は初めて行きましたが、当時の洞窟の中での一般の人々の暮らしが分かり、また主がお生まれになったときの様子を想像することができました。

あとガイドの人が、新生したパレスチナ人クリスチャンでした。いわゆる伝統的なキリスト教の共同体からの迫害があることを話してくれました。

そしてヨルダン渓谷ですが、少しずつ北上しながら、道端で止まってヨルダン川の向こう側を見ながら、その聖書的位置を確認しました。アモン、アダムの町、ヤボク川、ギルアデ、そしてヤムルク川を挟んでバシャンです。特にヤムルク川とヨルダン川が合流する、ヨルダン領とイスラエル領のすれすれまで行きました。

ヤボクの渡しではヤコブが神の使いと格闘し、そしてまた以前はアブラハムがここから来てヨルダン川を渡り、シェケムに行きました。(私が5月24日に行ったナブルスです。ちょうど道路が西向きにナブルス行きのがありました。)

あと、途中でエリシャの町であるアベル・メホラ(1列王19:16)のテルも確認し、エリヤからエリシャに主の働きが移行した時のことを想像できました。

かつてのデカポリスの町ベテ・シェアンにも訪問しました。その前はカナン人の町であり、サウルがここでペリシテ人によってさらし者にされたのはご存知だと思います。そのテルの上にあがると、イズレエル平原の東端を眺めることができます。

そしてマアガン・ホテルに到着です。ガリラヤ湖の南端にあります。普通、ティベリヤにホテルが集中しているのですが、そこにあるホテルだと湖畔まで距離があるとのことで、このホテルを選んでいるそうです。

外では孔雀が放し飼いになっていて、鳴いています!

ヤムルク川(左上に、イスラエルとヨルダンの国旗がなびいています。)

イスラエル旅行日記 5月31日 - シェフェラ

今日は、朝7時に西壁トンネルに行った後、「シェフェラ」というユダヤ山地とペリシテ人の地中海沿岸の間にある低地に行ってきました。旅程は次の通りです。

西壁トンネル
ラトルン(Latrun)
五つの谷
1)アヤロンの谷(ゲゼル、アヤロン、ベテ・ホロン)
2)ソレクの谷(ツォルア、ティムナ)
3)エラの谷(ソコ、アゼカ)
4)ツェファサ(Zephathah)の谷(モレシェテ・ガテ、マレシャ)
5)ラキシュの谷(ラキシュ)

「ラトルン」は聖書の地ではなく、独立戦争と六日戦争の戦地で有名なところです。そしてシェファラですが、ヨシュアの軍が五人の王を追いかけたところ、サムソンが行動したところ、ダビデとゴリヤテが対峙したところ、そしてアッシリヤ、バビロンがエルサレムを攻める時に通った要塞の町々(ラキシュなど)です。

シェフェラには五つの谷がありますが、その一つ一つを見ました。盛りだくさんの情報なので、改めて旅行記を書くときにご紹介したいと思います。

一つだけ、ヨシュアが五人の王と戦って、他の戦いが完了するまで彼らを洞窟の中に入れておきましたね。その洞窟がどのようなものであったかを教えてくれるような場所がシェフェラにはたくさんあります。その一つが下の写真です。