「キリラム教」アメリカで広がる

「キリラム教????」と思われたかもしれません。これは、次の英文記事のことです。

Chrislam Starts To Spread In America

キリスト教とイスラム教の融和を唱え、ムスリムと抱擁し、教会の中でなんとモハメットのことやコーランについて教えているのです!

昨日、モリエル・ミニストリーの東京集会に参加しましたが、以前と同じく、サドルバック教会のリック・ウォレン牧師のことが話の中で出てきました。私は英語で彼の教えていることや行なっていることの情報を得ていたので、彼がどれほど彷徨ってしまっているか聞いてもさほど驚きませんでしたが、日本語にはっきりと通訳されて聞くと、やはり新鮮に聞こえます。今やかなり有名な人になので、中にはかなり驚いている人もおられました。

モリエル日本の方が紹介されている翻訳記事もここにご紹介します。

リック・ウォレンについて

大事なのは「対話」でも「融和」でもありません。魂の「回心」です。キリスト教会の中で、例えば「同性愛をことさらに裁くのをよそう」であるとか、同性愛者の社会的位置の中で教会での対応を話している記事を日本語で読んだことがあります。

けれども、そこで見失われているのは、同性愛によって「どれだけ心に傷を負っており、多くの人がどれだけ性病によって苦しめられ、できるならばこの縄目から解き放たれたいと願っているかどうか。」なのです。人々から疎外を受けているという以上に、個人の心の奥底で救いを求めて泣き叫んでいるということです。その救いの力が福音なのです。

同じように、イスラム教徒の人たちも愛の神を知りません。「イスラム」とは服従という意味で、アッラーに服従しこそすれ、愛されているという意識はありません。けれども、キリストの愛に触れられて、どれだけ解放を受け、慰められた元ムスリムのクリスチャンたちがたくさんいることを知らなければいけません。

カトリックも同じです。自分の義を秘蹟(洗礼や聖体拝領などの礼典)を通して知ろうとして、イエス様の名前で直接、父なる神に近づくことのできる恵みを、マリヤ崇敬、司祭制度などによって知ることができていません。イエス様が個人的な主、命の主になっていないのです。こんなにすばらしい救いがあるのだよ、恵みがあるのだよ、という解放を得た、元カトリックの人たちは大勢います。

福音の力を、人間的な「対話」や「融和」によって緩めてしまうことは、この福音による解放と自由の機会を与えずに、その束縛の中でがんじがらめにするという、「愛や寛容」とは程遠い態度をその人たちに取ることに他なりません。

リック・ウォレン氏の問題については、終末論の中でも昨日、ピーターさんが話してくださいました。彼の考えは、「クリスチャンが社会と世界に対して良い働きをして、世界全体を良くしていき、それで再臨のキリストを迎えよう。」という千年王国後再臨説に基づくものだ、と話しておられました。

私も常々、彼の教えていること、行なっていることについて問題に感じているのはこの部分で、「人が救いようもない堕落した存在だ」「神の恵みこそが、私たちを救う」というを見ることができないことです。神の主権ではなく、人間の主体的な実践と努力によって物事を前進させていこうとする態度です。

私は彼が異端だとは思いません。でも彷徨ってしまった兄弟のように感じています。けれども、彼の影響力は甚大で、結果的に、教会の背教またバビロン化(黙示17章)の中の一端を担ってしまっています。

彼が、初めの愛とキリストの恵みの中に立ち戻ってくれることを願ってやみません。

(追記)
モリエル・ミニストリーについて、ロゴス・ミニストリーまたカルバリーチャペルと違う点があることを、昨日、ある姉妹が指摘してくださいました。携挙の時期についてですが、私たちは、患難期の前に主が教会のために戻ってきてくださるという聖書理解をしています。(参照「患難と教会」チャック・スミス著)モリエルの方々は患難の中期に携挙があると理解しておられるようです。

私個人は、「今すぐにでも、どんな徴候がなくても、キリストが私たちのために戻ってきてくださる。」という期待と切迫性が、日々の信仰生活の要になっているので、どうしても、すでに徴が明らかな患難期に入ってから携挙があるという時差をつけることができません。また、艱難という神の怒りから救われるというのが慰めの根幹になっているので、不信者のために蓄えておられる御怒りを信者が受けるとは考えられません(2テサロニケ1-2章)。

けれども、千年王国がキリストの再臨によって始まるという聖書的理解においては一致しており、その立場を聖書からきちんと教えておられたので理解の大きな助けになりました。

(後記)
モリエルの「だいすけ」さんが、さっそく上のキリラム教についての記事を翻訳されています。また、リック・ウォレン氏の霊的な問題を、アッシリヤの王にすがるアハズ王から指摘しておられます。ぜひご一読ください。

リック・ウォレンはアハズ王だ

私の人間理解

(これは前投稿の続きです)

なぜ、このようにムスリム同胞団を穏健と見るのか、あるいは過激で危険であるのか見方が変わるのは、その情報の差異ではなく、各人の人間理解に基づくものです。穏健と見る人々は、「人間は、社会進歩のために努力する善を持っている。」という前提があります。けれども私は、エレミヤ書17章9節にあるように「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」という理解です。

しばしば、性善説と性悪説という対立図で日本人の人は語り、キリスト教は性悪説として括りますが、そういう次元の問題ではありません。性悪説の人たちは極悪人に対する死刑賛成であるとか、常に「自分」以外の他人に向けて語っている。けれども、そのような性質の議論ではなく、「社会的に良さそうに見える人であっても、とてつもない邪悪な性質を持っており、実はこの私がこの性質を持っているのだ。」という、自分が神の前で罪人であるという理解から来ています。

だから、神の憐れみと恵みなしには私の存在は滅ぼし尽くされるのであり、ゆえに神のみ自分を委ね、この世界も神によって支配されているのだ、という理解に至ります。かつて、中期に社会運動に傾いたキリスト者内村鑑三も、後年、この真理に気づき、キリストの再臨の希望に身を投じました。

下の本には、アメリカのリベラリズムと保守主義の対比を上手に行なっています。

アメリカ保守革命 中岡望 著 (中公新書)

リベラリズムと保守主義の対比の表
              (リベラル   保守主義)
重要な存在          人間    神
道徳的な重要性       社会    個人
人間にとっての重要性   権利    責任
悪の起源    不正な社会システム 原罪

私はもちろん後者の考えで、そのような見方で人々や日本、そして世界を見ています。

かなり前に一般の掲示板で、天皇について少し否定的な意見を述べました。それは「天皇は神ではない。私は人としての王を認める」というごく当たり前のことですが、その板が炎上してしまいました。猛烈な批判と非難を受けたのです。その管理人が私がキリスト者であることを知っておられたので、こう説明されました。

「天皇制は、単に王の機能を果たしているだけでなく、日本人の仏教と神道の宗教心の根ざしている問題である。イスラム教徒の前でコーランを破るのと同じことです。」

なるほど!と思いました。一般の日本の人は、普段はご自分のことを「無宗教」と言います。けれども自分の根底に流れている信仰心やイデオロギーがあることには、他の文化や価値観に触れていないので気づいていません。私は、人間はもともと思想的あるいは宗教的な存在であると思います。

ローマ人への手紙1章後半には、人は創造にある神を認めず、感謝しないので、知者であると言いながら思いを空しくして、創造主を偶像の神々に取り替えているという言葉があります。これが私の人間理解で、全ての人が何らかの神を宿している、というものです。

しばしば「キリスト教などの唯一神信仰は厳しく排他的であり、多神教の優しさが欲しい」と言われます。そしてキリスト教の名の付く戦争を取り上げますが、実は数十年前に“神道の大祭司”である天皇の名を叫びながら、何十万人、何百万人の人々を死に追いやった、紛れもない宗教戦争であったことには気づいておられません。

自爆テロをしているアラブ人たちが、自宅に貼っているポスターが、あの「神風特攻隊」であることをご存知でしょうか?

そして、私は海外にいる若者たちに、しばしば「年末と年始の一週間で三つの宗教を信じる」ことを話します。そうすると皆が笑います。他の人々にはそのような不可能に思えるようなことが、日本人は無意識に、キリスト教も仏教も、神道的な多神教信仰の中に包括して取り入れてしまっているからであり、決して寛容だからではありません。

私はこれを「神道原理主義」「あるいはアニミズム原理主義」と呼んでもいいかもしれません。深層意識の中に神道の原理を宿しているからです。

ですから、日本の人たちがキリスト者になることは大きな決断が必要です。自分の根幹に関わる大きな変化を受け入れることに他ならないからです。けれども、可能なのです!神の恵みと御霊の働かれるところには、神の慈しみ深さが満ちます。その中で私たちは、悔い改めを行なうことができます。

以上、日本の宗教事情を書いたのは、この国民も、今世界で起こっていることの大きな濁流の中にいるのだ、ということを述べたかったからです。イスラムやキリスト教会で起こっていることは、決して私たちと無縁なことではありません。

エジプト軍最高評議会下のエジプト

先週の恵比寿バイブルスタディの中で、今のエジプトの聖書的意義についての質問を受けました。「キリスト者が考えるべき「エジプト」 - ②聖書預言」の中の内容をかいつまんでお話ししましたが、一人の姉妹が「中東で起こっていることが、これほど日本人にも関わっていると感じることはありませんでした。」と仰っていました。

Six Days of War(戦争の六日間) 」など中東戦争史の記事で言及しましたが、エジプトは四つの中東戦争においてすべて関わった国であり、その全てにおいて指揮的な役割を話してきました。その中東全域に影響力を持つエジプトが、第四次のヨム・キプール戦争によって、当時のエジプト大統領サダトがイスラエルとの和平に大きく舵取りを行ない、イスラエルはそれ以降、国と国との戦争をせずにいられるようになり、中東全域に安定をもたらしました。

そして、その路線を踏襲し、その後、イランのイスラム革命(79年)によって顕在したイスラム主義と対抗し強権的にその分子をつぶしていったのがムバラク大統領です。

かつサダト大統領は社会主義者であったカリスマ的指導者ナセルの親ソ連の外交姿勢を大幅に変え、アメリカに機軸を移しました。経済制度において自由経済制を導入し、ムバラクもそれを推進しました。ですから、経済成長の指標においてはエジプトは好調であるように見える一方、貧富の差があまりにも大きくなってしまったので、今回のデモの一因になりました。

このようにムバラク氏の中東における役割があまりにも大きかったため、彼がいなくなった今、単純に「独裁制からの民主化」という構図で簡単に語れない、新たな不穏の動きを醸し出しています。

前の「エジプトの騒乱 - 危険な振り子」の記事に「ムスリム同胞団」の存在を書きました。「キリスト者が考えるべき「エジプト」 - ①情勢分析」で、ある牧師さんのまとめられた要点の三つ目にこう書いてあります。

その反政府デモを支持しているグループの一つに、イスラム原理主義の立場を堅守し、もし政権を取るならばイスラエルとの平和条約を破棄すると言明している「ムスリム同胞団」が加わっている。 もしその通りになれば中東のパワーバランスは一気に変化し、イスラエルは窮地に立たされ、アメリカの中東政策は崩壊する。

この懸念に対して、私がある書き込みのところで言及したら、「ムスリム同胞団は過激派ではない。彼らに一度、政権を取らせて、その民主化のプロセスをやらせてみるべきだ。もし民主化の方向に向かなければエジプト国民が彼らを引きおろすであろう。」という返事が、おそらくヨーロッパの人であろう人から返ってきました。

果たしてそうなのでしょうか?日本語によるこの団体を説明している記事においても、この団体を「イスラーム的な文化・伝統を重視する民主主義を前提とした穏健保守政党」と位置づけています。

ムスリム同胞団は何を目指しているのか?その方針と政策のまとめ

そして米国政府もこの見方によってムバラク後のエジプトを歓迎しました。

ところが、さっそく不穏な動きが出ています。

Military opens Tahrir Sq. for Islamic radical to preach jihad
(軍は、タフリール広場を、イスラムの過激派のジハード説く場とした)

ここに、エジプトから追放されていた「アル・カラダウィ」という、ムスリム同胞団の人気説教者が

アル・アクサ(神殿の丘)の征服
「同胞ハマス」の為、エジプト-ガザ地区境界を啓開
イスラエルとの79年平和条約の破棄

を叫んでいました。(こちらに英語字幕付きのビデオがあります)

驚くべきは、これがエジプトを暫定統治をしているエジプト軍が行なっていることです。他の野党には演説を許さず排除した上で、彼を国営放送で高らかに説教させるようにしました。

エジプト軍最高評議会は、さらにイランの軍艦がスエズ運河を通過し、シリアへ航行する許可を与えています。(そのことも、アル・カラダウィが賞賛しています。)

これがいかに危機的状況を作り出しているかは、今、アフマディネジャド大統領が「第十二代目イマーム(イスラム版メシヤ)がエジプトの暴動を指揮しておられるのを目撃している。イスラエルとアメリカ、西洋の力が滅びる裁きの日は来ている。」と説きイランの核施設が復帰している中でイスラエルの近海を航行していくのです。

恵比寿バイブル・スタディ 2月23日

恵比寿BSの皆様、

皆様こんにちは。春の訪れとともに?毎回、新しい人が加わりとても嬉しく思います。

それでは、2月23日(水)の学びを以下ご案内申し上げます。
皆様のご参集を心よりお待ち申し上げます。

日時:2月23日(水)19:00~
場所:場所:目黒区立田道住区センター三田分室 / 2階桜の間
(恵比寿駅または目黒駅から徒歩約10分、日の丸自動車教習所の向かい)
住所:目黒区三田2丁目10-33 電話:3791-7901

内容:詩篇74篇~(学び)
持ち物:聖書

以上、宜しくお願いします。
(I兄弟執筆)

※ご持参の食事はメッセージ前、あるいはメッセージ終了後の分かち合いのときに召し上がっていただけます。