服従にある権威

この頃、いや、ここ数年、いつもひたすら考えている話題と課題は、「権威」というものです。福音を信じること、キリスト者として成長することはすべて、「権威にしたがう」ことに他なりません。神がキリストによって行われた救いの業が真実であると、意志をこの言葉に服従させる訳であり、ただ聞いて納得することではありません。また、キリスト者の成長は、真理の言葉にどれだけ留まれるか、なのですが、それは「自分自身を御言葉の下に置く」ことに他なりません。

そして、個人だけでなく、公の場における秩序があります。国についてもそうですが、教会において、教会の指導者に神が与えられた権威があります。信者は指導者に従うのです。そして、指導者は信者を養い、祈ることによってキリストに従います。そして、家庭においてもそうでしょう。妻は夫に従います。夫は妻を自分の体のように愛することによって、キリストに従います。先ほど、カルバリーチャペル・コスタメサの副牧師、ブライアン・ブローダソンさんの奥さん、シェリルさんが、服従することについて、実に明快な答えを与えているビデオを見ました。大雑把な意訳ですが、読んでみてください。

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