「半沢直樹の不在」から見える霊的葛藤

(「「半沢直樹」の不在」の続き)

昨日の投稿でリンクしたブログ記事「半沢直樹の不在」の筆者が、別記事で、実際の不良債権について、分かり易く説明していました。

「不良債権って何?」

一部を抜粋します。

「半沢直樹」と現実が違うのは、このように実際の不良債権問題では、「飛ばし」といって債権をあちこちに移し、ダミー会社で多くの人がからむので、破綻したとき、だれに責任があるのかわからないことです。ドラマのように単純な詐欺や背任ならまだいいのですが、たいていは会社の破綻をとりつくろうために(本人は善意で)やったので、だれも責任をとらない。

前記事で、教会にも同じような「責任の不明瞭化」が起こるのではないか?というコメントを残しましたが、具体的に詳しく書いてみたいと思います。実際の不良債権の構図が、実は教会という舞台でも起こり得えます。一つの話を仮定して書いてみます。

教会で、ある人Aが兄弟Bとの関係がうまくいかなくなりました。その兄弟Bとは仲良くしていましたが、次第に心が離れていきました。そこでその人は、他の兄弟姉妹に話を聞いていき、兄弟Bに対して自分と同じ感情を多かれ少なかれ持っていることに気づき、それで、「これは兄弟Bの問題だ」と確認し、兄弟Bと距離を取っていきます。

そうして、Aが動いていったので、他の兄弟姉妹たちも、兄弟Bの問題ということで話を交わしていくようになり、兄弟Bに問題があるということで「一致」してしまいました。 続きを読む 「半沢直樹の不在」から見える霊的葛藤