ここが変だよ!池上彰さん (その1)

今週火曜日に、他のカルバリーの牧師や宣教師たちとの聖書の学び&朝食会に行きました。そこで出てきた話題が「マスコミ」についてですが、私が日頃感じていたこと、「マスコミは嘘をつく」ということをアメリカ人の牧師も話していました。状況は日本だけでなくアメリカでもそうらしいです。
学べるニュース

今日は、今人気のニュース解説者である池上彰さんのことを取り上げてみたいと思います。この前の総選挙の速報で、政党代表への直接質問で挑発また虚偽発言があったので、気になっていました。私個人はこの人に対しては好感を持っていますし、影響力を持つ政治家に対して、挑発的になっても鋭い質問はすべきだと考えていますので、その姿勢には共感できました。

ですから彼のことを殊更に取り上げたくはないのですが、彼を通して今のマスコミの潮流を如実に見ることができるので、そこで、あえて挑発的な題名「ここが変だよ!池上彰さん」にしました。(さん付けにしているのは、彼個人に対する悪い感情は抱いていないという敬意の表れです。)

池上さんの特徴は三つあるでしょう。

「中立」
「ニュースを分かりやすく伝える」
「上手にまとめる」

彼の番組や著作物には、宗教関連のこと、また中東関連のものが多く含まれます。宗教また中東情勢は決して無視できない存在であり、それをお茶の間に伝えて啓蒙したい、という情熱は感じられます。そして今や中東情勢について政治家にも意見や助言をするぐらいの影響力を持つ存在になりました。だからこそ取り上げなければいけないと感じています。

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キリスト者として、自民党の改憲草案に反対する

日本のキリスト者の方々へ

総選挙が近づいていますが、以下の記事にある情報は、キリスト者やキリスト教関係者の方々にとっては、最大の懸念事項になると思います。ぜひご一読ください。

キリスト者として、自民党の改憲草案に反対する

改憲案、第二十条にこうあります。

(信教の自由)
第二十条 信教の自由は、保障する。国は、いかなる宗教団体に対しても、特権を与えてはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。

最後の文「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない。」とあるところが致命的です。この社会的儀礼と習俗的行為がほとんどが宗教行為であるにも関わらず、2項と完全に矛盾していることに気づいていません。

まさにダニエル3章に出てくる、ネブカデネザルの造った像を儀礼として拝ませていたところ、宗教的確信と良心からそれを拒んだダニエルの友人三人の話しと全く同じ挑戦を突きつけられていることになります。

ここで大事なのは、これは右か左か、どの政党を支持し、どのような思想を持っているかに関わりなく、信仰の問題なのだということです。日本に横たわる多神教的精神土壌と権力が絡み合い、かつ大衆受けなども狙って、悪魔はこのような形で牙を剥きます。同じように与党を狙った当時野党であった民主党が、このようなことを行ないました。

「創憲」提案で「一神教」批判--民主党憲法調査会中間報告

私は比較的保守的な見方をする人物ですが、自民党改憲案第二十条を見て、完全にアウトだと思いました。

しなければいけないこと。まず祈ります。上のブログ記事の牧師さんの言われるとおり、熱心に日本のために祈る必要があります。

次に、自民党に訴える必要があります。主の配剤でしょうか、自民党の幹事長は今、クリスチャン議員の石破さんです。彼また、他のクリスチャンの自民党議員に直接訴えるのが良いでしょう。

石破茂オフィシャルサイト 問い合わせ

谷垣禎一元総裁
(クリスチャン議員の祈祷会等に参加している)

そして、それぞれの教会の教団や指導者の方に、上の記事の情報を伝えて、教会や教団からの懸念・反対表明をされると良いと思います。先の以前の民主党創憲案も、民主党クリスチャン議員の働きかけで一神教批判の文言が削除されました。

最後に大事なのは、私たちの信仰の自由は国家権力によっても勝利する、ということです。つまり、このような宗教行事に参加しなければいけない圧力があっても、なおのこと主を選び取る自由をしっかりと守る、ということです。それを普段からしているでしょうか?家庭の仏壇や神棚において、職場における宗教の絡んだ公の行事において、仏式の葬儀において、されているでしょうか?知恵を主からいただきながら、私たちの信仰と証しが、これらの悪に高らかに勝利していることを覚えていきましょう。

To my loving American Christian brothers

I’m an outsider of America, but as a believer who spent spiritually significant several years in the country, I also want to lament for sharp decline of her spiritual strength. But the below sentence caught my attention.

God is shaking our nation to get our attention, to get Christians — first and foremost — to wake up and focus on Him, not on Washington.
http://flashtrafficblog.wordpress.com/2012/11/07/so-what-now-7-sets-of-questions-to-ask-after-president-obamas-reelection/

Although politics have its place in God’s plan, biblical view of governments is that God is sovereign and does His will in spite of low moral state of the government and its leaders. Nebuchadnezzar is a classic example. Daniel was a faithful witness to him in spite that the king was a pagan and merciless tyrant.

I am a missionary who experienced a few countries, including one that limits exercise of religious freedom. From the experience, I know an anti-Christian government and regime doesn’t mean Satan is on its throne; but rather God actively uses the government for His glory and advancement of His spiritual kingdom.

Although the country implements abortion in order to restrict the polulation growth; but Christian churches do not follow the rule and rather enhance orphanage and fostering. I don’t know about homosexuals, but I assume they preach against the sin and help homosexuals get free from the bondage through preaching of the gospel. They do not cry out nor try to draw attention through media when somebody gets put into prison, but they gladly receive the persecution knowing it is God’s will to suffer as Christ suffered.

They already have premise that it is not the government that saves them but God of the Christ who does save them. And it is not the government who implements biblical values but the Church of Christ who implements them and the Church is victorious over the government because she is given power to overcome the gate of Hades.

Can you think and imagine a future that while America and her political leadership will get even worse than now, more ungodly, immoral, and even satanic, the number of Christians will grow and they make further commitments to Jesus Christ? The two trends are not dichotomy, rather they can mutually co-exist with eath other, because the light (Church) shines in the darkenss (corrupt, political government).

In a certain country, Christians “walk” six hours to get to church, and they have six hours of worship service. If a pastor ends with 45 min. message, they will complain because they made the sacrifice of 6 hour walk to hear God’s word. Do we have the thirst? Which church does Jesus commend and bless, the persecuted, poor church, or successful, wealthy church (Revelation 2-3)? The answer is obvious.

Therefore we should not regret; but rahter we must have strong hope in God. I love America even though I’m not an American. But I love God more than the dream of America, and I’m sure He will bless the country in spite of her decline.

殉教者の叫び (北朝鮮)

以前「金日成とキリスト教」という題名で、朝鮮半島のキリスト教と北朝鮮が強く結びついていて、北朝鮮には地下教会が今でも存在する話をしました。今、ここで改めて、飛行機で東京から飛んだら二時間で到着する近い隣国、北朝鮮のことをお話したいと思います。

金正恩は政権を掌握してから、対外宣伝政策を取りました。数多くの外国人を平壌に招きました。そのことによって、対外的に北朝鮮が開放政策へと向かっているという印象を与えるのに成功しました。訪問した人々の口から、「北朝鮮は変わった」という声がどんどん聞こえてきました。特に知識人と言われている人々が、ころころ騙されています。

北朝鮮は金日成死後、金正日支配体制の中で1990年代に大規模な飢餓が発生しました(ウィキペディア)。なんと三百万人ぐらいが死んだと言われています。「苦難の行軍」というスローガンを掲げた時期です。その苦難の時期は過ぎ去ったという偽りの印象を、平壌に訪問した人々に植え付けることに成功したのです。

しかし現状は正反対です。まず、中朝国境地域はこれまで以上に統制と管理が厳しくなっています。そして、これまでとは違う地方で、90年代と等しい飢餓が大発生しています。

特集[2012黄海道飢饉]穀倉地帯で発生した大量餓死(1) (2) (3) (4)

そして強制収容所の実態は何ら変わっていません。ぜひウィキペディアの「強制収容所(北朝鮮)」を一読してください。そして「元収容者・元警備兵の著作」を一冊でも読まれるとよいと思います。(私は「収容所に生まれた僕は愛を知らない」申東赫著を読みました。)今は15万人から20万人収容されていると言われています。

そして次からが大切です。こうした悲惨な状況の中で、必ず出てくるのが「キリスト者」の存在です。脱北者を描いた最高傑作の映画「クロッシング」には、キリスト教との関係が撚糸のように折り込まれています。

そしてこのような人々が、連れていかれるのが強制収容所であり、その中でも一度入ったら二度と出ていくことのできない完全統制区域の中に一部が入れられます。その一つ、「耀徳強制収容所」についての説明の中で、罪状の一つにしっかりと「キリスト教信者。その中で他の人にキリスト教を信じるように勧誘した者は銃殺に処せられる。」とあります。そして最近、韓国で出版された、強制収容所から脱出した人々によるスケッチ集が出版されました。そこにある一つが下です。

宗教活動を行ったとして絞首刑となった女性」という説明があります。これはもちろん福音伝道をした人のことです。

そして次の記事をお読みください。

北朝鮮のキリスト教信者たちは今

この中に北朝鮮のキリスト者がどのような日常生活を送っているかの詳細な証言が記されています。その中に、北朝鮮の公認教会への言及もあります。中国の公認教会については多くの方が聞いたことがあると思います。そこにはイエス様を本当に信じる人々もおり、最近の中国は少しずつ変わっており、しっかりとした教会も多くなっています。ですから必ずしも偽物ということではありません。しかし北朝鮮は、まるっきり違います。

思いっきり騙されて、インターネット上で人気のあるジャーナリストの記事「北朝鮮で考えた(3) 田中宇」があります。まるで北朝鮮の宣伝塔のようです、完全に騙されています。(田中宇氏の情勢ニュースについてははじめから陰謀論で結論を決めていて、「それに見合う情報をテキトーにネットサーフィンして見つけだして切り貼りしているだけ」という、評価を受けています。中東情勢は、初めから結論が分かるドラマのように必ず「アメリカ」そして「イスラエル」の陰謀になっています。)

ここが大事なのですが、「当局はキリスト者のふりをすることができるのだ。」ということです。彼らはプロです。信者であっても騙すことのできるほど上手であります。それによって内部にまで浸透して、情報を収集するのです。北朝鮮の場合はもちろん全てがダミーで、目的は外国の教会への浸透であり、日本にある教会にも浸透しています。

決して北朝鮮を特定して叫びたくはありません。日韓関係、日中関係に関してマスコミのニュースが湧き上がり、このように隣国がとんでもない飢餓状態、そしてキリスト者が大迫害を受けているのに無関心を装っている雰囲気、そしてその背後にある悪魔の策略に対して、私は以下の殉教者たちの叫びが聞こえてきます。

小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」(黙示録6:9-10)」主は必ず、ご自分の激しい怒りをこの地上に下されます。地上には必ず大患難が来ます。

最後に紹介したい映像が、東京基督教大学での模擬授業です。「北朝鮮のキリスト教」という題名で、西岡力教授が講義されています。

イスラムとカルビン主義「予定説」

前記事「米大使館襲撃事件とイスラム信仰」の補足になります。

ある小冊子に、カルビン主義の「予定説」は、清教徒に見られるように、今のイスラム教と似たようなことを行なってきたことを指摘している文章がありました。秘密警察を置いてみたり、異端者を公に燃やしたり、オランダ改革教会における南アフリカでの人種隔離政策、カルビン主義者同士の殺し合い、そして南部バプテストやメソジストによる奴隷制支持などがありました。なるほど!です。

イスラムでは、「インシャ・アッラー(=アッラーの意志のままに)」という言葉がそれに当ります。

プロテスタント教会史の汚点

神が一方的に憐れみをもってある人を救いに呼ばれたということを、「予定説」では、「ある人を天国に、またある人を地獄で永遠に苦しませるために意図的に創造した」と教えています(=「無条件的選択」)。これは聖書的に間違っているだけでなく(1テモテ2:4、エゼキエル33:11等)、福音伝道の必要性と大宣教命令に矛盾します。これをいくら論理的な説明を試みたところで、神の予定ならず「運命」あるいは「宿命」の神という、聖書とは異なる決定論的な神を予定説は浮き彫りにしていきます。

したがって、霊的救いだけでなく社会的にも敷衍して、例えば黒人が奴隷であることが神から決定されているものとみなし、それを変えることに躊躇したのが当時の人々でした。そして、極端になるとそれを変えることが神の決定を妨げることになるから排除しなければならないと考えます。予定説を唱えている人は否定しますが、「神の意志」というものを哲学的な決定論の中で捉えているために、こうした過ちが起こっているのです。(今はさすがに奴隷制支持者はいませんが、大衆伝道集会に一部の過激カルビン主義者らが、イエス様を受け入れる決断をするため説教壇の所まで行こうとするところを、「選択はできない(No Choice!)」と書いてあるTシャツを来て、それを阻もうとしています。)

予定は、神との、愛の中での自由な営みの中にある

神は計画を持っています。予め初めから全てのことを知っておられて、予めすべてを計画しておられます。しかし、神は同時に、人のすべての営みに介入しておられます。人の細かい一つ一つの心の動きさえ、それを知り、痛みがあるならば共に痛み、喜ぶならば共に喜んでくださり、制限のある人間と一つになっていてくださいます。

その被造物との関わりが究極の形で現れたのが「十字架」です。神が一見、弱者に思われるようなところまで、一つになってくださったのです。

真理とは決定論の中の真理ではありません。「真実」と訳したほうが良いでしょうか、人の自由な営みがあって、なおのこと不変で不動の存在があり、それが真理なのです。

神はひとりなのですが、三つのの位格(父・子・聖霊)があるからこそ、このことができるのです。「全ての主権者」であると同時に「人の弱さ」に一体化することが可能になるのです。イスラム教は、御子を否定することによって、人の弱さに同情できない神を造り上げました。けれどもカルビン主義の予定説は、キリストが全人類のために血を流し、あらゆる人の所まで溢れ流れたという恵み深さを、「選定された者だけ」という決定論の中に押し込めました。

したがって、私が聞くのが好きではない祈りが、「どうか、あの人を、あなたの御心であれば、お救いください。」であります。そして、まだ生きている時に、救われたのかそうでないのかを、その人の歩みを見て決めていこうすることです。そうではありません!こう祈るべきです。「あの人のために、あなたはキリストを十字架の上で死に渡されました。ですから、救ってください、お願いします!(涙)」であります。そしてその人が死ぬまで、最後の最後まで、しつこく祈り続けることです。その執拗さの中に、主はご自身の予め決められていた御心を現してくださるのです。

自由意志を用いた愛の交わりの中に「真理」が存在するのであり、そして、その真理はすなわちキリストご自身なのです。

参照文献:カルヴァン主義、アルミニウス主義、神のみことば チャック・スミス著

米大使館襲撃事件とイスラム信仰

よりによって911の日に・・・「またしでかしたな!」と思いました。

領事館襲撃で駐リビア米大使らが死亡 「預言者侮辱」にイスラム教徒が抗議

改めて、イスラムについて考えなければいけません。以前、紹介した池内恵著「中東 危機の震源を読む」にリンクしている書評から引用します。

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イスラーム原理主義者によるテロ事件の報道などを見ると、私たちはどうしても「西洋(キリスト教)対イスラーム」という図式を頭に浮かべてしまう。しかしイスラームが対面している相手は、実は西洋でもキリスト教でもなく、「近代社会」だ。これが最も顕在化するのが、改宗をめぐる問題である。

池内恵によれば、イスラーム諸国が西洋諸国と向き合うとき争わざるをえないのは、キリスト教的価値とイスラーム的価値の優劣なのではなく、「信教の自由」ということ自体の意味なのだという。

イスラーム教では、イスラーム教から他宗教への改宗は絶対的な罪であり、認められない。「背教」の最たるものとされ、死罪にあたる。……改宗が「許されない」という次元の話ではなく、普遍真理であるイスラーム教から離脱することなど「ありえない」という共通認識が根本にある。(2007年8月、217項)

近代社会では、キリスト教以外の宗教を信仰すること、また双方への改宗も当然の権利とみなされる。ところが、イスラーム教ではそうではない。

近代に確立されてきた基本的人権において、「信仰の自由」は最重要項目である。各個人がある宗教を信仰する自由を保障するとともに、その宗教から離れる自由も、宗教も信じない自由も同時にある。むしろ宗教的な制約からの解放こそが思想・信条の自由の推進の原動力であった。イスラーム教の規範においては、宗教に関する限り、人間の自由には制限が大きい。また全ての宗教は平等ではなく、イスラーム教徒が「離教」することは、神に対する最大限の罪となる。(同上、219項)

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普遍真理であるイスラーム教から離脱することなど「ありえない」」の部分がとても大切です。

私たちキリスト者の考える真理は「キリスト」ご自身です。キリストなる人格ある存在に接することが永遠の命であり、真理は自由意志の行き交う交わりの中に存在します。

しかしイスラム教では、物が地面に落ちる重力の法則と同様に真理を考えます。つまり、「物が宙に浮くことがありえない」と同じように、「イスラームからの離脱もありえない」と考えるのです。他の生命のない被造物と同じように人もアッラーに服するのであり、ゆえにイスラーム(=服従)なのです。人格的交わりも、自由意志も一切ありません。

もし服さない者(また物)があれば、普通なら思考を生かして「なぜ服さないのだろう?」と考えるでしょう。しかし、そのような思考経路はありません。もし服さないのであれば、抹殺あるのみです。このような経路で、ユーチューブのムハンマドを描く映画に反応しています。

さらに言わせていただくなら、アッラー自体に、聖書の神の人格がありません。彼には愛の交わりがありません。孤独なのです、たった独りなのです。自己は自分の意思を動かす中枢でしかありません。しかし、聖書の神は唯一でありながら、かつ交わりがあります。父がおられ、子がおられ、また霊がおられます。父が子を愛し、子は父に対してその愛において服従します。対して、イスラームの信仰告白の支柱に「アッラーには子がいない」というのがあります。こうやってアッラーは自ら愛の人格を剥奪し、運命と宿命の渦に成り果てました。ゆえに人に対しても、有無を言わせない服従しか要求できないのです。

偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。(1ヨハネ2:22-23)」(参照記事:ダニエル書8章のエッセイ

今回の事件について未だに、一部の人がいう「文明の対話を怠ってきたからだ」という分析に固執するのでしょうか?そもそも、対話などできるのでしょうか?また、「アメリカの中東政策のつけだ」ということなのでしょうか?いつになったら、アメリカとイスラエルのせいにする思考回路から脱却できるのでしょうか?同じようにアメリカの政策に手なずけられたと言われる他の独裁国(韓国やフィリピンなど)は、とっくの昔に民主化し、政治的に成熟しています。

「イスラム」に問題は内在しているのです。米国政府の失策ではなく、これは霊の戦いなのです。だからキリスト者がもっと祈るのです。中東キリスト者への祈りと、福音と御霊の力による解放を願うことこそ、平和をつくる人になれます。

【追記】
知人の方から、この記事を読んで「独裁制からの自由を求める市民のために、その民主化のために祈り支えることが必要」、また「キリスト者に原理主義者がいるように、イスラムにもいる。コーランを焼くような牧師は、最も愚劣な存在だと思う。そして、やはり対話は必要。」との貴重なコメントをいただきました。次が私が書いた返答です。

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世界一評判の良い国 ― 日本 その3

(「その2」からの続き)

「外を見る」ことは「愛すること」

BBCの調査の話に戻しますと、日本人がしなければいけないことの一つは「感謝する」ことがありましたが、もう一つは「外を見る」ことです。日本人は内省が好きなのですが、内省してばかりいるので、周りの人に貢献すべきことができなくなっている、という問題があります。私がカンセリングをしていた人が、一度、次のようなことを仰っていました。「自分の内にある問題に取り組んでいたばかりに、それが思い煩いとなって、数多くの意義ある活動をする機会を見失っていた。」内村鑑三も、回心の経験をしたのは、学長による次の諭しでした。

自らの内なる罪に日夜、懊悩(おうのう)する内村に、シーリーはある日、やさしく次のように諭した。「鑑三、君は君の衷(うち)のみを見るから可(いけ)ない。君は君の外を見なければいけない。何故己に省みることを止めて十字架の上に君の罪を贖(あがな)い給いしイエスを仰ぎ瞻(み)ないのか。君の為す所は、子供が植木を鉢に植えて其(その)成長を確定(たしか)めんと欲して、毎日其根を抜いて見るのと同然である。何故に之を神と日光とに委ね奉り、安心して君の成長を待たぬのか」と。
worldtimes.co.jp/special/mida/md001001.htm

内を見ることによって、神ご自身を見つめることを忘れています。そして神ご自身を見つめることを忘れているので、神が抱いておられる計画を見る時間が削がれています。神がこの全世界を愛しておられて、それで御子をお与えになったのに、自分のこと、自分の周りのこと、自分の国のことだけを見ていて、それで世界で何が起こっているか、そこに神がどのような情熱を注いでおられるのかを見失っていることがあるのです。

そして、自分を見つめることは美徳に見えます。しかし、「あの人に迷惑をかけてしまったのではないか」という心の苦悩は、ある意味でその人を愛していないことと等しいです。心の責めを神の赦しによって取り除いてもらったというところから出発し、それで相手がどのような状態でいるのかと、キリストの目で見つめることのできる愛が与えられるのです。

日本人には極めて多くの可能性があります。ちょっと笑えない冗談がありますが、日中韓の世界における影響を、こう言っています。「日本は世界中に会社を持っている。中国は世界中に中華料理店を持っている。韓国は世界中に教会を持っている。」日本の世界における会社の影響は甚大です。日本人はこれを否定的に捉える人がいるのですが、海外進出をしているときの日本企業の評価は現地で極めて高いのです。現地法人を作るときに、上の人は日本人ですが、他は現地採用なのに対して、韓国はすべて韓国から持ち込んで、下働きを現地人にさせるという方法を取っています。それでも韓国も世界の評価は上がっていますが、長い年月をかけて日本はそれをし続けていますから、その底力が肯定的評価につながっているのです。

そして私が中東に行った時は、イスラエル人からもアラブ人からも好意的に見られる経験をしました。イスラエル人はなぜ日本にあこがれるかと言いますと、「反ユダヤ主義フリー」の世界を見るからです。もちろんマスコミや言論界では反ユダヤ主義は現存していますが、実際のユダヤ人に対しては極めて中庸です。私はある正統派ユダヤ教徒の人に、「君たちには、誇るべき東条がいたではないか。」といわれて、非常にとまどいました!彼らにとっては、その時代、敵はドイツであり、そして帰還を阻んだ英国でした。そして長い歴史をユダヤ人の流血で塗っているヨーロッパ大陸から離れています。同時にアラブ人も、日本企業による極めてすぐれた投資と企業誘致を見ていますから、アラブ諸国への多大な貢献がありますから、日本のことを悪く思っていません。

もし日本人がイスラエルへ、また周辺アラブ諸国に宣教へ行ったら、どんなによいことだろうかと思います。他の国の人々ができないことがわんさとあります!

けれども、どうしても日本は内向きなのです。私の知り合いの韓国の宣教師の方々は、共通の悩みを持っています。日本の教会の人たちに、共同の宣教の働きをしたいと願っても、振り向いてくれないという悩みです。日本で留学している中国人の兄弟にもこう言われました。「私が通っている教会の人たちは、とくに私が中国人であることに興味を示してくれなかった。」私は返答しました、「差別しているということではなく、ただ内向きなんですよ。」

私も今年の元旦、「東アジアキリスト青年大会」で説教の奉仕にあずかりましたが、主催者も私も積極的に日本のキリスト者に声をかけましたが、結局、私の教会の人が二人いっただけで、他に誰もいませんでした!日中韓のキリスト者の集まりであるはずが、中韓だけになったのです。(しかも、日本の東京中心部において!)先に挙げた中国人の兄弟は、はるばる九州から東京まで来られたのに・・・。

韓国の宣教師たちは、たとえ反日感情という韓国人共通の感情を持っていたとしても、世界宣教に熱心な韓国ですから、日本がいかに可能性の秘めた国であるかを重々知っています。世界を見てそして日本を見たら、BBCの調査が示している通りなのです。なのに、日本人本人が自分たちばかり見て、反省ばかりしているのです!私は内村鑑三の学長と同じ言葉をもって諭させていただきます。

「あなたは、子供が植木を鉢に植えてその成長を確めようと願って、毎日その根を抜いているのと同じことをしていますよ。なぜ自分を神と天とに委ねきり、安心して自分の成長を待たないのですか?」

「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世界を愛された。・・・」神はあなたを愛しておられます。そして、世界を愛しておられます。この神を愛し、礼拝するときに、自ずと自分自身も世界に対する愛を抱くはずです。神はこんなに大きな方なのです!天に教会が引き上げられたら、そこには日本語を話す、日本人の集まりではないのです!あらゆる国語、民族、国々がキリストの血潮という理由だけで贖われた人々が集まって、同じ小羊をほめたたえています(黙示5:9‐10)。

世界一評判の良い国 ― 日本 その2

(「その1」からの続き)

1パーセント未満は神の御心

そして日本のキリスト者、キリスト教会が陥っている「否定的認識」があります。それは、「人口の一パーセント未満しか信仰を持っていない」ということを、自分たちのせいにすることです。どうして人々が信仰を持つことができないのだろう?ということを、自分たちの祈りが足りないのだとか、伝道が足りないのだとか、決め付けるのでしょうか?はたまた以前は、「天皇制を積極的に受け入れていないからだ」またその反対に「天皇制を否定していなかった」「偶像を捨てていないからだ」とか、言っていました。

私は、祈ることも、伝道することも、また偶像を捨てることもみなしなければいけないことだと思っています。しかし、それをしていないから「1パーセント未満」ではないのです。これを言ったら、私はほとんどのキリスト者を敵に回すでしょう、けれども誤解を恐れずに言います。「1パーセント未満なのは、神の御心である。」パロは、自分の心を強情にして、神の命令を聞き入れませんでした。しかしそのパロに対して、「神はパロの心をかたくなにされた」とあるのです。同じように、1パーセント未満という状態に、神の主権を認めなければいけません。

神の主権について、キリスト者の認識が非常に甘すぎます。神がかたくなにされるというのは、「私たちが心を開きたいのに、神が無理強いして心を閉ざすようにしむけておられる。」という類のものではないのです。「神の御心」と聞くときに、それを宿命や運命として捉えるのは間違っているのです。ヨナは、アッシリヤの首都ニネベに対して、「もう四十日もすると、ニネベは滅ぼされる。」と宣告しました。けれども王を始め、国民が彼らなりに必死になって悔い改めました。すると、神は「思い直してあわれみ」、四十日が過ぎても災いはその町に下らなかったのです。

エゼキエル書18章が、神の御心の性質を知ることのできる極めて重要な章です。ぜひその章全体を読んでみてください。(良ければメッセージ原稿を参照してください。)私たちの神の御心についての認識が、「父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。(2節)」と同じになっている場合が多いです。そうではありません、神がどれほどはっきりと、「わたしは裁く」と宣告されても、もし悔い改めて主に立ち上がるなら、その瞬間に裁きの手を引かれるのです。「わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。・・神である主の御告げ。・・彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。(23節)」その反対に、正しいとされた者でも、宿命的に義とされるのではありません。これまでどんなに正しいことを行なっても、今、悪の中にとどまっているのならば、その悪のゆえにその人は滅びるのです。

神の御心や主権は、占いのような宿命的なものではありません。では何なのか?それは、「分からない」という定義なのです!私たちの理解を超えたところにある神のご計画、摂理と定義できるのです。「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(ローマ11:33-36)」

私たちは、1パーセント未満という少ない信仰率だから、一生懸命祈るのではありません。少ないから伝道するのではありません。そうではなく、「愛しているから」祈るのです。「愛しているから」伝道するのです。神に愛されて、それで神を愛しているから祈ります。そして、その愛に満たされ、あふれるから伝道するのです。ただキリストの愛によって、私たちは熱心になることができます。祈りが足りない、伝道が足りないのは、その愛が欠如しているからであっても、1パーセント未満のクリスチャン人口を増せていない原因ではないのです。ここに神の主権があります。

ですから、1パーセント未満という実態によって私たちは卑下する必要が全くありません。むしろ、これを幸いに思ってください。喜んでください!こんな過激な発言をしていいのか、と思われる方はマタイによる福音書5章12節を読んでください。日本は基本的に、信仰の自由が認められていない国としての歴史を持っています。キリシタンの時代から今に至るまで、信教の自由が認められたのは戦後のわずかな期間ですが、それでもキリシタン撲滅のために作られた檀家制度によって、未だに日本の人たちは縛られています。政治的に、法的には自由を持っていますが、社会的には極めて制約の多い日本において、それでも信仰を持つことが許されているというのは幸いなのです。

清教徒から始まり、ユダヤ・キリスト教価値観によって成り立っている米国と、共産党による一党独裁の中国では、その中にいるキリスト者はどちらが幸せでしょうか?後者が持っていない大きな制約を前者は持っています。「自由」を乱用してしまう危険、「物質」の豊かさによる霊的危機、それらに屈してはいけないという意思決定を絶えず行わなければいけないという制約です。それに対して、神の主権によって、これらのことから中国のキリスト者はある程度守られているのです(このごろの経済発展によって、同じ危険は怒涛のごとく押し寄せはいますが)。

半分近くがクリスチャンになったのではないかと言われている韓国と、日本はいかがでしょうか?韓国のキリスト者のほうから声があがるでしょう、「私たちの国の教会には深刻な問題が山積している。」私も韓国にはよく訪れるほうですが、キリスト教会がたくさんあるからかえって、福音や御言葉を伝えることのできないという制約があります。人々の心にすでにキリスト教会のイメージが定着しており、その多くが否定的なイメージなのです。日本人に福音を伝えても、白紙のところにイエス・キリストの話を聞いてもらえるという「自由」があります。なかなか伝わらないという苦悩はありますが、すでに出来上がっている既成概念を打ち壊すのは並大抵のことではありません。

その3に続く)

世界一評判の良い国 ― 日本 その1

昨日、極めて興味深い情報を読みました。

世界の中での日本の評判まとめ(BBC Country Rating Poll)

BBCでは毎年「BBC Country Rating Poll」というものをやっています。これは、ある国が、「世界に対して積極的な影響を与えている」と思われているか、「世界に対して否定的な影響を与えている」と思われているか、の割合を調査したものです。そして、日本はこの調査で積極的な影響を与えていると思われる国の上位を占めています。

そして、今年の調査では、なんと日本は第一位なのです。今年出てきた調査ですから、2011年の国を見てとのことですが、いかがでしょうか、日本は東日本大震災があり、その後の原発事故によって世界に大迷惑をかけました。ところがむしろ第一位なのです。そして上のブログ記事が触れていますが、日本人は自国に対してそれほど良い評価をしていないということです。

私は、ずっとここのブログで日本がいかに良い国であるかを話してきました。海外経験が多くあるので、日本が世界的に住みよい国の上位に入るのではないかというのが実感でした。特に、地震と津波以後の対策、また原発事故の処理でさえ、私は一国としては良く乗り越えていると思っていました。(例:「政府や東電を信頼するな?」)けれどもこのような意見や感想は、日本では遊離します。批判も受けます。私はこの頃、自分のことを「変な日本人」と呼んでいます。けれども、やはり外国における客観的な世界的調査が、数字として私の実感は奇異ではなかったことを証明してくれました。

一国は一人間の表れ

ここから私は、一つの国を一人の人間に縮小して考えることもできると考えました。つまり、「無私の心で他者に仕える人」と言ったらよいでしょう。実にできている人です。そして、自分に与えられている義務をしっかりと果たしている人ともいうことができるでしょう。と、同時に、「それだけ、内に悩みを抱えている人」と言って良いと思います。外側にある責任をしっかり負っていくことによって、自分の能力以上のものを背負い込み、内側で崩壊していく人、と言ったらよいでしょうか。それが、日本人が自国の評価をかなり低く見ているところに表れていると思います。

私は日本の人たちのことを考えるときに、いつも「金持ちの青年」を思い出します。

イエスが道に出て行かれると、ひとりの人が走り寄って、御前にひざまずいて、尋ねた。「尊い先生。永遠のいのちを自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいでしょうか。」イエスは彼に言われた。「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか。尊い方は、神おひとりのほかには、だれもありません。戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え。』」すると、その人はイエスに言った。「先生。私はそのようなことをみな、小さい時から守っております。」イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた。「あなたには、欠けたことが一つあります。帰って、あなたの持ち物をみな売り払い、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」すると彼は、このことばに顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。なぜなら、この人は多くの財産を持っていたからである。(マルコ10:17-22)

青年は、「何をしたらよいでしょうか」と尋ねました。けれども、イエス様は、何かを追加して行なうのではなく、反対に、手放すことを命じられました。それは自分がしっかり握りしめていた財産です。しかし、「自分が何かを行うことによって事を成し遂げる」という人生しか歩んでこなかったので、その自我を捨てることができずに、「顔を曇らせ、悲しみながら立ち去」りました。ここに、自分に対して否定的な認識しか持てない日本人の姿を見ます。

私は、日本人は総じて「究極的に、神の恵みを悟ることが困難な人たち」と感じています。では、どうすればよいのかでしょうか?

一つは、「感謝する」ことです。日本がこれほど美しい国、優れた国であることを神に感謝することです。また自分の周囲の環境が、当たり前ではなく、神の御心と守りがあって存在していることを感謝することです。

聖書には、「一般啓示」と「特別啓示」のどちらもがあります。一般啓示というのは、自然や人のありさま、良心など、神が普遍的に人に示しておられるご自身の事柄です。そして特別啓示というのは、キリストを神がこの地に遣わし、十字架と復活によって救いの計画を示した、聖書によってのみ知りうることのできる神の事柄です。同じように、「一般恩寵」と「特別恩寵」があります。神のキリストによる救いにある恵み以外にも、人々に与えておられる恵みを「一般恩寵」と名づけたらよいでしょう。

天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。(マタイ5:45)」

私は、クリスチャンが人口の1パーセント未満と言われている日本国は、一般恩寵については神からとてつもない豊かさを与えられている国だと思っています。それが、世界の人々が認めている「積極的な影響」であると思っています。「日本人はなんでこんなに福音を拒んでいるのか。」と私たちキリスト者が不満を並べている時に、実はそのように拒んでいる人と同じ過ちを犯していないか吟味しなければいけないでしょう。

というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。(ローマ1:21)」

その2に続く)

バレンタインなので夫婦で中華料理食べます

またもや、過激というか、訳の分からない題名を付けてしまいました。昨日はすばらしい礼拝を持つことができました。いつも、LCFを自分の教会だと思っている兄弟姉妹がみな集まった、という感じです。礼拝を始めたのが去年の二月初め、主に感謝しています。

昨日のメッセージ民数記26-31章(原稿音声)の中で、30章の中に「女性が誓いを立てること」について書いてあるところがありました。古い世代もシナイ山から旅を始める直前に主が、夫婦関係について教えられ(5章)、ここでも新しい世代が約束の地に入る直前に教えられています。それだけイスラエル共同体について、男女関係や夫婦関係が土台になっているということ。イスラエルの国の存亡に関わる事柄と言っても過言ではありません。キリスト教会においては、夫と妻はまさにキリストと教会を表す、神がこの世に立てられた制度。これほど神聖なものはありません。

その男女関係が、何だか訳の分からない「恋愛」と称するもので埋もれている世間を見ますと実に嘆かわしいという、ちょっと過激な発言をしてしまいました。

明日バレンタインなのですが、私は日本のバレンタインの習慣が好きではありません。女の人がチョコレートを男の人にあげる?義理まであって、実に煩わしいのではないでしょうか?そしてホワイトデーを作り、韓国では両日に外れてしまった人のためのブラックデーまで存在するとか。アメリカにおいては、結婚前だけでなく、むしろ夫婦が互いの愛を確認するために時間を取って、レストランに行ったりプレゼントを買ったりするのが習慣です。教会でもこの時期に、夫婦のための集会が持たれたりします。

私たちはアメリカ型バレンタインの方が好きで、そしてちょっと高級な中華料理を結婚記念日にも食べたので、今回もランチメニューですが中華にしようということになりました。

元々のバレンタイン、これはローマ皇帝が兵士に対して士気が下がらないようにという目的で結婚を禁じていたけれども、聖バレンタインがそれでも兵士のために結婚式を執り行ったところ、処刑されたというものです。神が立てられた結婚の重要性を知っていたために、殉教したというのが由来です。

以前、来日して好評を博した”I Kissed Dating Goodbye”(僕はデートにさよならのキスをした)の著者が、次のような内容を述べているそうです。

ジョシュアがデートをやめた理由には、他に以下のものがある。

 ・肉体的な関係と愛とを勘違いする
 ・デートに夢中の二人は、自分たち以外の人間関係を大切にしない
 ・将来への備えから心がそれ、今の楽しみに夢中になる
 ・相手を正しく評価できない不自然な状況を作り出す
 ・結婚ではなく、恋愛そのものが目的となりやすい

 では、結婚に備えるには、何が必要なのか? 創世記24章に出てくるリベカが一つの模範だ。彼女はラクダに水を与えるという目の前の責任を忠実に果たしていたので、神が与えようとしていた特別な選びに応じることができた。
 現代の若者にとって「水を与えるべきラクダ」とは何か? それは家族同士の親密なコミュニケーションであり、神との交わりであり、貯金や献金の実践であり、弟妹の面倒を見ることであり、教会での奉仕、家の買い物、献立作り、炊事、洗濯などの家事を、親に教えられながらやってみることだ。
 結婚を真剣に目指す、きよい交わりを「コートシップ」と呼ぶ。著者が自分の信念通り安易な恋愛関係を断ち切ってから5年目に、今の奥さんシャノンと出会い、愛を確かめて結婚した。
http://www.ffj.gr.jp/new/bookspdf/renai.pdfから引用)

すばらしいコメントです。どうか恋愛を第一に求めて大切な人生を無駄にしないでください!(ちなみに、この著書は「聖書が教える恋愛講座」の邦訳で出版されていますし、日本でのご本人による講座をCGNTVでビデオで鑑賞することもできます。)

その他、聖書と恋愛について良いサイトを紹介します。

ブログ「命と性の日記~日々是命、日々是性」の「聖書的恋愛論」のカテゴリー

Mark & Maki with Jesus(国際結婚の夫婦のブログ)