A Time to Betray (裏切る時)

先ほど、この本を一気に読み終わりました。妻から「昼は暑かったのに、よく我慢できたわね。」と言われたぐらい、のめり込みました。

A Time to Betrayのサイト

イラン革命防衛軍内部のCIAスパイの驚くべき二重生活を送った、レザ・カーリリ(Reza Kahlili)氏による自伝です。現在進行中のイランの動き、つまり、イスラム過激派と世界テロリズムを裏で操っているという背景を踏まえれば、この本は多くの人に読まれるべきでしょう。

ブログでは何度となく、1979年に起こったイラン・イスラム革命を言及しましたが、この自伝によって、国内で起こっていたその空気を肌で感じ取ることができました。パーレビ国王下の独裁制から始まり、ホメイニ師のカリスマ性によって達成した革命は、すぐにこれらムッラー(イスラム宗教家)による乗っ取りによって、とてつもない専制が敷かれます。そして、この自伝に出てくる悲劇は、レザともう二人の間にある友情が、この革命によって引きちぎられていくことです。その一人カゼムはイラン革命防衛軍の中枢に入り、もう一人ナセルはイスラム革命の幻滅し、その反対派に属したためエビン刑務所で拷問を受け死亡します。

十代の女の子たちは、兄や彼氏が反対派にいたからという理由で同じように拷問を受け、処女は天国に入ることができるというイスラムの教えがあるため、処刑の前に強姦するというおぞましい仕打ちをします。

レザは、アメリカでコンピューター工学を専攻したため、カゼムの誘いで革命防衛軍に入りましたが、ナセルの死とその残虐な行為を目撃し、心の中でこの体制に反逆することを、自分の信じている神に誓います。彼は在米のおばの病の世話をするという機会を捉えて再び渡米し、そこでCIAに接触しました。CIAが彼に再び革命防衛軍に入って情報を提供し続けてくれという願いに応えて、それからスパイ活動の生活が長年のこと続きます。

けれどもその二重生活は、自分の友人、自分の最愛の妻や両親、そして祖国を裏切っているのではないかという重圧との格闘であり、けれどもイランが再び自由を取り戻さなければいけないという切望は途切れることなく続き、家族でアメリカに亡命し、十数年後、妻が乳癌を患うときに始めてその心の苦しみを打ち明けました。今は家族で幸せに暮らしていますが、妻の励ましの言葉にも支えられて、偽名を使い、顔も声も隠しながらでありますが、数多くのニュースに登場し、イランの自由のために内部情報を提供しています。

そして幸いなことに、この長年の良心の葛藤の中で、彼はイスラムを捨て、キリストに従う決断をしました!(ブログ記事)本書にはキリスト信仰についての直接の内容は出てきませんが、彼がなぜキリスト者になったのかが分かる、彼の心の飢え渇きの姿も垣間見ることができます。そしてリンク先のブログによると、おばあさんからイスラムについて教わり、愛や正義、平和を信じていましたが、イスラムの名を借りて行っている残虐行為に幻滅した一方で、コーランに書かれている教えと、イエス様の教えを比較して、後者の言葉に魂が捉えられていったそうです。

イスラム革命後のイランをその中枢から見ている姿を、肌で感じ取ることができるのですが、レザが働いていたとき、イラン・イラク戦争が起っていました。
そして革命防衛隊は、シリアはもちろんのこと、レバノン、パレスチナ過激派など、世界テロリズムを後ろで操作するまでに膨張していきます。
ベイルート・アメリカ海兵隊兵舎爆破事件パンアメリカン航空103便爆破事件を含め、その裏でイランが関わっていたのが手によるようにして分かります。

それから、レザは欧米諸国、特に米国が強く介入することによって、イランの自由化が達成できると信じていたけれども、歴代の米政権がイランに対して強い姿勢で臨まなかったために、その「ごろつき政体(thugocracy)」がますます力を増していったことを暴いています。それは民主党や共和党、保守やリベラルを問わず、カーター大統領から歴代の政権が犯した過ちでした(レーガン政権時のイラン・コントラ事件の内情も明かしています)。オバマ現政権に対してもその融和の姿勢に警鐘を鳴らしています。

最近のイランを米国のクリスチャン番組から紹介したハーベストタイムを見れば、その雰囲気とさらにイランという国のために祈る思いが与えられるかと思います。

「イランの今」

イランについて取り扱っているのが、次のブログ記事です。

イラニウム(Iranium)
エジプトとイラン、そしてEU・アメリカ
Inside the Revolution(革命の内幕)
エゼキエルの見た幻(36-39章)
2010年に核戦争の可能性
安定経済と核戦争危機

「中東 危機の震源を読む」

先ほど完読しました。「現代アラブの社会思想」を読んで以来、池内恵氏による著書は、アラブとイスラムに関わる情勢分析としてとても役に立っています。内容については、以下の書評から一部をご紹介します。

新潮社サイト

「イスラーム」を知るための必読書。
「論壇」を考えるための必読書。

本書は、中東・イスラームの「入門書」として最適の一冊です。
パレスチナ紛争・自爆テロ・イラク戦争・イラン核疑惑・新疆ウイグル・ソマリア海賊・ドバイ経済など、日本の読者が知りたいと思うであろう諸問題が、ほぼすべて網羅されています。
特に「イスラーム世界と西欧近代社会の価値観の衝突は回避できるのか?」というテーマについては、深く考察されています。日本の言説空間でまかり通っている「イスラーム教は他宗教に寛容」「テロの原因は格差と貧困」「すべてはイスラエルとアメリカが悪い」というような一面的な議論に満足できない読者にとって、本書は必読書です。

これは、「フォーサイト」という雑誌に2005年一月から2009年五月までに掲載された記事を編集したものですが、エジプトの国内事情を読むと、今年から起こっているアラブの民主化を容易に予測できそうな雰囲気です。事実さえ知っていれば、今回の出来事は不意に湧き上がった話ではないことがわかります。上の書評記事はこう続けています。

 また、本書の「むすびに」に書かれている、日本の論壇に対する鋭い批判にも要注目です。
著者は、論壇誌が次々と廃刊になるのは、空疎な「論争」の軸を提起して盛り上がり、乏しい事実認識からなされる短絡的で情緒的な主張を「想像力」ともてはやすばかりで、肝心の「事実」に到達するための営為を軽視しているからではないのか、と問います。

――「単なる事実」を求める「レポート」の価値を感じられない人は、何か大きなものへの怖れを失った人であると私は思う。――(349頁より)

その他、具体的記事の紹介については、次の書評が良いでしょう。

書評216:池内恵『中東 危機の震源を読む』その1
書評217:池内恵『中東 危機の震源を読む』その2

ただ、イスラエルについては、流布している論評に比べると、確かに政治的公平さと客観性に極めて優れていますが、イスラエル事情を追ってきた者としては、前提の事実が違うのでは疑問に思うものも結構あります。それでもやはり、「イスラム・アラブ研究者」という限界もあるでしょうし、そして単なる知的作業以上の、聖書信仰者であるからこそ見えてくる霊的ダイナミズムが見えない点もあるでしょう。

もう一冊、「イスラーム世界の論じ方」も図書館から借りています。

恵比寿バイブルスタディのお知らせ(9月14日)

みなさんへ

おはようございます。秋になりつつありますが、皆さんはどうお過ごしですか?私は読書の秋になっています。図書館から借りたり、アマゾンで古本を買ったり、そして自分の本棚にある本を久しぶりに取り出してみたりと、楽しくやっています。

次回の恵比寿バイブルスタディのお知らせをします。

日時:9月14日(水)19:00~
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:詩篇116篇以降
※ 食事は学びの前と後で持参ですることもできます。

次回は9月28日を予定しています。そして10月は、12,26日の仮予約をしました。
主に感謝。

LCF活動場所一部変更(9月10,11日)

次回のLCFの活動場所ですが、一部変更があります。いつも使っている「足立区 こども家庭支援センター」の部屋が10,11日は一切貸し出しをしていないため、足立区の私たちの自宅で行ないます。

10日(土)14:00 使徒の働き2章
11日(日)13:30 第二礼拝

住所は、こちらまで問い合わせてください。→ info@logos-ministries.org
(綾瀬駅から徒歩約12分です)

その他の活動(10日の祈り会と第一礼拝)は、いつもの通り、御茶ノ水クリスチャンセンター307号室で行ないます。

「疑問シリーズ」

「ナザレのイエスは神の子か?」の記事で書いたとおり、リー・ストロベル著の「それでも神は実在するのか?」を古本で購入してみました。少し読み始めましたが、ものすごく面白く、実に今日の多くの人が抱く疑問に答えています。

そして予告したとおり、「イエス様を知らない方へ」に、「疑問シリーズ」を始めてみました。キリスト教に対する疑問にお答えするコーナーです。第一弾として、次の題名で記事を書きました。

人はなぜ苦しむの?

その他これから

「宗教はなぜ戦争するの?」
「地獄の教えは恐い」
「一神教は排他的だ」
「『罪』というのが分からない」

なども取り上げてみたいと思います。もし未信者や求道者の方で、自分の質問に答えて欲しいと思われる方は、次のメールに連絡してください。 → info@logos-ministries.org

911と311

上の数字を見ていただければお分かりの通り、米同時多発テロの日と東日本大震災の日は同じです。日本では菅前首相がインタビューに応じ、ちょうど六か月になるということで当時の原発事故対応について話しましたが、ブッシュ前大統領も、ちょうど十年前に起きたことをふりかえってインタビューに答えています。

ビンラディン殺害に「喜びは感じず」 ブッシュ前大統領

原発事故は人災、説明も伝言ゲーム…菅前首相
(次の記事も参照「原発危機と日本」)

二人に共通しているしているのは、混乱の中で最終決断あるいは判断をしなければいけなかったという国の最高指導者としての苦悩です。

「戦争という霧の中を旅しているようだった」(ブッシュ前大統領)
「説明を求めても伝言ゲームのようで、誰の意見なのか分からなかった」(菅前首相)

そして911も311も、それぞれ世界を変え、また日本全体を変えてしまいました。

私はこのような惨劇について、キリスト者としての態度を再考しました。やはり、心は、「なぜそんなことをしでかしたのか?」という悔しい思いや怒りは出てきません。911であればブッシュ氏の政治倫理性を咎める人がいるでしょうし、様々な陰謀論や憶測が飛び交っています。菅氏であれば隠蔽や杜撰な危機管理と言って咎めるのでしょうが、私はお二人のインタビューを聞いて、そのような思いが出てきませんでした。

むしろ次のイエス様の言葉を考えます。

またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。(ヨハネ9:1-3)

主が、この苦しみと悲しみの中に入られて、そこから神の栄光につながることをしてくださる、という思いです。原因探しや粗探しではなく、事実、苦しんでいる人々のそばに行き、そこにいることによって神の愛を伝える、ということです。911が近づいているので、いろいろな教会指導者が意見を発表していますが、フランクリン・グラハム氏も父が911の直後に話した言葉を紹介しています。

十字架は、神が理解してくださっていることを教えています。というのも、この方は、イエス・キリストという人物の中で、ご自身の上に私たちの罪と苦しみを負ってくださったからです。十字架から神は「わたしはあなたを愛している。あなたの感じている心痛も、悲しみも、痛みも、知っているけれども、あなたを愛しているのだ。」と告げておられます。
( “Who can ever forget?” by Franklim Graham)

キリストの十字架こそが、神が私たちの痛みと苦しみを遠くから眺めているのではなく、むしろ一つになって苦しみ、痛み、悲しみ、泣いてくださっていることを証明するものです。

そして、ホライズン・クリスチャン・フェローシップ(カリフォルニア州サンディエゴ)の牧者、マイク・マッキントッシュ氏は、世界貿易センターが倒壊した直後に、心的・霊的ケアのチャプレンとして現場に赴いた時のことを思い出し、記事を書いていますが、まさに311を経験し、救援活動を行っているキリスト教団体の気持ちと重なります。

God’s Love Was at Ground Zero(神の愛が、グラウンド・ゼロにあった)

彼は、「遺体がくすぶり燃えている臭気よりも、そこには神の愛のかぐわしい香りがはるかにまさっていた。」と言っています。悲しみの中にいる人々に祈るとき、そこには神を信じている人もいない人も、だれもが祈りを必要としていた。そこには日本で言う「宗教アレルギー」は存在しなかったと言っています。そしてそこでは、改宗させようとか、説教を垂れようとするのではなく、ただ寄り添い、天の御国を代表する、必要に応じる奉仕者が大勢いたのであり、それが神の愛の芳しい香りになったのだ、とのことです。

そして、私がもう一つ思い出す惨劇に対するイエス様の御言葉は、上の記事にも触れられていますが、ルカによる福音書13章1-5節です。

ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。

津波で死んだ人々、ことさらに大きな罪を犯したからそうなったのでしょうか?いいえ、むしろ、生きている私たちに対する警告なのです。「なぜ、神は多くの人々を死なせるような酷いことを行なうのか?」という人には、はっきり、このように申し上げたい。「なぜ、神はあなたを含む数多くの人々を、今もこうやって生かしておられるのですか?」今、生きていて滅んでいないことが神の憐れみであるのに、そして自分はいつ滅び、死に、そして神の裁きを受けてもおかしくない存在なのに、それでもいま生きているという事実を感謝したことがあるでしょうか?

人は死に、死後に裁きを受けることが定められています。また生きていても、この地上にこれまでにない大患難を下されることを警告しておられます。けれども私たちが生きていて、そしてまだ大患難に遭っていないというのは、神があえて、それらの災いが起こらないようにし、私たちが悔い改めることができるように忍耐しておられるのです。それでも、心を脂のように鈍らせ、日本の安定と繁栄の生活の中で神などいないと言っている人々に、神は憐れみをもって、ご自分に注意を寄せてもらおうと、その災いのごくごく一部、その最小限度をお見せになったのです。

「けれども、津波で死んだ多くの人は、福音を聞く機会がなかったのでは?そのように早死にさせる神は何を考えているのか?」という人に対しては、「平和ボケするんじゃない!」と言いたい。津波でなくとも、何万人、何十万人の人々が毎年、病気、交通事故、事件、その他の要因で苦しみ、また死んで行っているのです。命というのは実にはかないのです。それをあたかも、健康と長寿が当たり前のように考えていること自体が傲慢です。人は必ず死にます。神のみが、その命の短さと長さを決めておられますが、全ての人が死ぬようにされています。それは最初に造られた人アダムが犯した罪のゆえです。この生きている間に、神はご自分の御子イエス・キリストを受け入れるように、全ての人々に招きを行なわれているのです。

そして、そのような苦しみと悲しみにいる人たちこそが、これまで「対人」関係で生きていたけれども、人の関係や社会との関係を超えたところにある「対神」関係を求めるようになります。

苦しみにあったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。(詩篇119:71)」「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。いま飢えている者は幸いです。あなたがたはやがて飽くことができますから。いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。(ルカ6:20-21)」そしてイエス様は、富んでいるあなたがたは哀れだ、食べ飽きているあなたがたは哀れだ、いま笑っているあなたがたは哀れだ、と仰っています。つまり、主イエスは徹底的に苦しみと涙の中に神の国が臨むようにされています。

ソウル・サーファー(Soul Surfer)

知る人ぞ知る、ハワイのプロサーファー「ベサニー・ハミルトン(Bethany Hamilton)」を描く映画です。DVDを観る機会にあずかりました。紹介サイトはたくさんありますが、一サイトから一部引用します。

感動の実話を豪華キャスティングで再現

 ハワイで暮らすベサミー・ハミルトンは、幼い時から両親と共に大好きなサーフィンをしながら育つ。13歳の時、巨大なサメに襲われ左腕を食いちぎられてしまう。片腕では大好きなサーフィンはできないとあきらめかけるが、退院から一ヶ月後、不屈の精神で再起を果たす。後に14歳で発表された彼女の伝記「soul surfer」は話題を呼び、「Heart of Soul Surfer」のタイトルでドキュメンタリー映画にもなった。
(http://www.yoseyama.jp/blog/2011/02/soul-surfer.html)

彼女の事を聞いたのは、私がカルバリーチャペル所沢で説教通訳の奉仕をしていた時だと思います。(牧者のトラビスさんは日系ハワイ人で、ハワイの生活の例えをよく出します。)そして次に彼女のことについて目にしたのは、立ち読みでしたが、彼女の伝記「ソウル・サーファー」です。

そして8月に行なわれた、アナハイムでのハーベスト・クルセードでも彼女が登場、当時の少女の姿からいっきにお姉さんになったという感じでした。

ベサニー・ハミルトンさんのブログより)

それで映画の内容ですが、信仰の軌跡を描くものはどうしても人間模様を描くドラマのようになってしまいがちです。「親分はイエス様」も、プロウィンドサーファー飯島夏樹さんの「Life 天国で君に遭えたら」もそうらしいですが、この映画はかなりしっかりしています。英語のウィキペディアによると既に出版された伝記には載っていない家族の苦悩も描いているそうで、さらに現実味が増しているとも言えるでしょう。

印象的な部分をかいつまんで話します。ビーチのそばにある教会に家族が参加する時に賛美していたのは、私たちLCFでもよく歌う、「ほむべきかな主の御名(Blessed Be Your Name)」でした。

主の御名をほめたたえます
   恵みとまことの満ちる御名
主の御名をほめたたえます
   試みの中を歩くとも

主の御名をほめたたえます
   変わりのない日々 過ぎるとも
主の御名をほめたたえます
   苦しみの中にあえぐとも

憐れみに触れるたび 主に立ち返り
暗闇に閉ざされても 私は歌う

主の御名をほめよ 主の御名を
主の御名をほめよ 主イエスの輝く御名

主は与え 主は取られる
主の御名は ほむべきかな

(音声はこちらで聞けます

そして、教会青年部のリーダーのサラさんが、メキシコへの短期宣教旅行の前に、さまざまな物を至近距離で撮った画像を見せ、間近で見るとそれが何であるか全然分からないことから、「私たちの人生も、その渦中にいると分からないことがあるけれども、神のご計画全体の中ではエレミヤ29章11節なのだ。」と教えます。

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。・・主の御告げ。・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

そして、この片腕が奪われる事件が起こるのです。ベサニーは苦悩しました。彼女が、どうして片腕がないということが神の計画の中にあるのかサラに訊ねた時に彼女はこう答えました。

酷いことが時に起こってしまうのがなぜだが、私には分からない。けれども、このことから良いものが出てくることを私は信じなければならない。

そして、一度青年部でメキシコ宣教旅行に行くのを断っていたベサニーは、スマトラ島沖地震で津波の被害を受けたタイのプーケットへの救援旅行に参加します。そこで、津波の衝撃で海に誰も入ろうとしない現地の人たちを、ベサニーが一人の子供にビーチボードにのることを誘い、そこから他の現地の人たちも海にまた入ることができるのだという希望を見出しました。

彼女は、「サーフィンが全てではない。もっと大事なのは愛であり、それはどんな津波よりも、どんな恐怖よりも大きいのだ。」ということに気付くのです。

それから彼女は、あきらめていたサーフィンの競技に再び果敢に取り組みます。

何か、日本の津波の被災者に対する希望の証しにもなりそうなのですが、どこか彼女の話を伝道冊子にしてくれるキリスト教出版社はいないかな、と密かに願います。

彼女のような、神のご計画と主権への信仰から出てくる強靭な精神力の証しとして思い出すのは、横田早紀江さん、リサ・ビーマーさんの「レッツ・ロール」(彼女は911でハイジャックされた飛行機の中で果敢にテロリストに闘った夫を持つ)、地震と津波だけでなく原発事故という災いを被った福島第一バプテスト教会の証しです。
以前、上のお二人の証しの伝道冊子は持っていきましたが、福島第一バプテスト教会のも出来たみたいです。取り寄せて次の救援旅行に持っていきたいと思います。

映画ソウル・サーファーの予告編

イスラエル大使に退去要求 トルコ

このごろ、連日のようにイスラエル周辺情勢をここに書き込んでいますが、めまぐるしく動いています。先ほど目にしたニュースを紹介します。

[イスラエル大使に退去要求 トルコ]
 トルコのダウトオール外相は2日記者会見し、昨年5月のガザ支援船急襲事件で正式な謝罪を拒否したイスラエルの駐トルコ大使に国外退去を要求した上で、外交関係を見直し、軍事面の協力関係を凍結すると発表した。
 事件で冷却化した両国関係は急速に悪化、中東全体の安定をも損ないかねない情勢だ。イスラエルのネタニヤフ首相は主要閣僚による緊急閣議を招集した。
 支援船事件をめぐり、国連の潘基文事務総長が任命した調査委員会は1日までに、イスラエル軍の武力行使は「過剰だった」としながらも、支援船側から「組織的、暴力的な抵抗」があったとし、イスラエルの主張を大幅に取り入れた報告書をまとめた。トルコは報告書提出までに謝罪するようイスラエルに要求していた。(共同)
(http://sankei.jp.msn.com/world/news/110902/mds11090220060008-n1.htm)

イスラエルが国交正常化している周辺諸国は、「エジプト」と「ヨルダン」、そして「トルコ」です。トルコとは軍事協定を結んでいたので、イスラエルの安全保障にとってはその関係が死活的になっています。

ところが、以前、下の二つの記事でご紹介したように、トルコがイランやイスラム諸国に急接近し、そしてイスラエルに対してあからさまな怒りを表明しています。

ガザ支援船(?)拿捕事件 - トルコの怒り
ガザ支援船(?)拿捕事件 その2 - We con the World

トルコとの関係が断絶すれば、イスラエルは上の記事の地図にあるような、敵対する周辺諸国に取り囲まれるようになります。エゼキエル38章の、イスラエルを攻撃する預言絵図です。ロシア(ゴグ、マゴグ)、ペルシャ(イラン)と並び、トルコは、ゴメルとベテ・トガルマとして登場します。

ところで周辺のアラブやイスラム諸国にある、イスラエルに対するあの怒りと憎しみ、そしてそしりは尋常ではありません。みなさんも「怒り」や「憎しみ」に満たされることのないよう、自分の心を見張りましょう!その背後には悪魔がいます。終わりの日は、私たちの心に寛容さと平和と、愛、慎み深さが要求されます。

(9月6日後記)
なんとトルコは、イスラエルとの外交・軍事関係に強い制限を課したと同時に、エジプトとガザに接近しています。
Turkey to sighn strategic alliance with Egypt

再び、8月の思い出

8月1-3日における救援旅行には、ハワイのカルバリーチャペルから大勢の人が来ていましたが、オアフ島のホノルルとウィンドワードのカルバリーの人たちの他に、ハワイ島にあるカルバリーチャペルの牧師の奥さん(キャンディーさん)と娘さん(ハンナさん)もおられました。(右写真)

ハワイ祭りの時は美しいフラを披露してくださり、8月6日のLCFの礼拝にも参加してくださいましたが、その歌声のきれいなこと!会衆讃美が一気に美しい歌声に包まれました。

ハンナさんが編集して、今回の日本宣教旅行のビデオを作ってくださいました。とてもきれいです!月浜海岸のバプテスマ式の他に、少しだけLCFの礼拝後の写真も出てきます。(ちなみに父親も出場、バプテスマの直後に「ハレルヤ-!」と大声で叫んでいます。)

ぜひご鑑賞ください。(画面の右下、拡大するマークを押すと最大画面で見ることができます。)

Japan 2011 from Jack Duggan on Vimeo.