現代アラブの社会思想―終末論とイスラーム主義

エジプトに少し興味を持ったきよきよは、以前読んだ以下の本をまた読み返しました。

現代アラブの社会思想―終末論とイスラーム主義(池内恵著 講談社現代新書)

改めて読んでみて、こんな分かりやすい本だったのだと感心しました。イスラエル・アラブ紛争の書物を何冊か読んだので、その歴史の背景についての知識が増えたからかもしれません。

内容は、アラブ民族主義とイスラム主義が主ですが、彼の留学先と研究をした現地がエジプトのため、その国で起こっていることを機軸にして書かれています。他の人たちがたくさん書評を書いています。

1)全体の流れを知りたい方はこちら
世界的な流れでもありましたが、資本主義が崩壊するかと思っている時に社会主義・共産主義が台頭しましたが、日本では安保闘争などをしている時期に、アラブではエジプト革命が起こりました。そしてパレスチナ・ゲリラもこの流れです。

日本にとって大きな思想の転換は、①敗戦②安保闘争、そして後は③地下鉄サリン事件、を境にして起こったような気がしますが、アラブ社会も似ています。アラブにとっては、①1948年の独立戦争での敗戦、②1967年の六日戦争での大屈辱、そして③湾岸戦争、でしょう。①でアラブ版の社会主義革命的な動きが芽生え、②でその革命理論が衰え始め、代わりにイスラーム主義が台頭、③でイスラム教終末論に基づく陰謀論・オカルト関係に傾く、と言えると思います。

2)非常に共感する書評がありました、こちらです。

池内恵氏は1973年生まれで、僕と同じ世代です。だから感覚がとても似ています。彼の他の書物も好きなのですが、安保闘争とそれ以後の時代に生きていた50-60代の人々と私たちは少し感覚が違います(注:大雑把過ぎる類型化で申し訳ありません、当てはまらない人々もたくさんいるでしょう)。国や権力に対する生理的な嫌悪感があまりないのです。むしろそのような、権力に反発する人々の偽善性や嫌な部分を逆に見てきているので、きれいに権力・権威を批判する人々にきな臭さを感じるのです。

池内氏は、陰謀論を多く取り上げるのですが、上の書評では「しかし基本的に「資本家=悪」「労働者=善」という善悪二元論を採用するマルクス主義は陰謀論との親和性が高いのではないでしょうか。」とあります。学生闘争を上手に避けて生きてきた人々の中にも、上の権威を否定する傾向があり、それゆえ「自分自身」に対する自負心・信仰があり、それ以前の伝統的・保守的な世代の人にはない利己性を感じます。(その反発が、あの90年代に若者の間で起こった新興宗教ブームであったような気がしないでもありません。)

同じ方の書評で池内氏のもう一つの著作「アラブ政治の今を読む」にも、こう引用されていました。

国際政治の現状分析というものは、不確かな「機密情報」や裏話などに頼って行うべきものではない。公開情報を広く集め、現地調査で培った判断基準によって情報を選択し、解釈することによって生み出されるものである。

そして、

「権力」からの情報は端から疑ってかかり、逆に「批判勢力」を称する側の主張は検証なしに全面的に承認し、そこから断定的結論を導いていく議論は著しく公平さを欠く

とあります。最近読んだ本、例えばSix Days of Warは、公開された一次資料に基づくものであり、それで十分以上に国の指導者の思惑を読み解くことができます。そしてしかも、その指導者をありのままに見ることができ、たとい悪い指導者であっても、怒りや嫌悪感と同時に哀れむ心も生まれてくるので、安心して読めます。

3)あと、本書の一部を批判している記事があり、興味深いことが書かれていました。

エジプトでは首都カイロですら信号なんてほとんどないし、あっても完全に無視されています。圧倒的な車優先政策で、歩行者保護の観念はほぼ皆無です。交通マナーも道路事情も劣悪、保険制度も無いも同然で、交通事故の被害者は泣き寝入りするしかありません。警察は基本的に事故の捜査はしませんので、ひき逃げも日常茶飯事です。そんな道路が村を分断しているのですから、住民がどれだけ苦しめられてきたか、察するに余りあるところです。

これを、にやにやしながら読みました。私が去年経験したカイロそのものだったからです。そして、

エジプトはファラオの昔から、圧倒的多数の農民を、ほんの一握りの都市民が支配する専制国家で、今でもその構造は基本的に変わっていません。中央は農村の富と労働力をほぼ一方的に吸い上げるヤクザの親分みたいなもんで、しかも1952年までずーっと異民族が入れ替わり立ち替わり親分の地位に就いてきたわけなので、エジプト農民にとって彼らはよそ者。生き延びるために「お上」には徹底的に服従しへつらうが、そのかわり村落共同体という「内輪」のある領域については手出しさせない。お上といえどもここを犯したら命を張る、という絶対に譲れない「聖域」があるわけです。

私がエジプト博物館を訪れた時、「パロの時代と今のエジプト、もしかしてあんまり変わっていない?」と感じたその勘が当たっていたみたいです。

エジプト・・・一日いるだけでも大変な国ですが、一度は体験してみる価値のある面白い国です。