エジプトの預言(イザヤ19章)

エジプト情勢の近況報告。同胞団がさらなるデモを呼びかけたけれども、軍が最高幹部を逮捕した時から、勢いを失った様子。とりあえず、騒然とした暴力事件が少なくなり、国民も少しほっとしているのではないか、と思われます。

少し勉強になった記事が下です。

元防衛駐在官が分析するエジプト情勢
エジプト国防軍とその国民

(ムスリム同胞団とは何か?という疑問もあるかと思いますが、それは次の過去記事に委ねます。→「現代アラブの社会思想―終末論とイスラーム主義」今回、エジプト人タレントのフィフィという人の言説を取り上げましたが、そこに同胞団支持派が何を考えているのか、一般日本人が手に取るようにして分かる、貴重な資料と言ってもよいかも。)

弱さの中にある強さ

上の軍部の歴史と近況についての記事から、私は六日戦争ヨム・キプール戦争で戦ったエジプト軍のことを思い出しました。ナセル大統領のクーデターによって王政から共和政に代わったエジプトがあり、そこから軍部が国を動かす基盤ができました。六日戦争では大敗、その屈辱をアラブはどう解消すればよいか悩んでいましたが、その恨みを晴らしたのはサダト大統領でした。

ヨム・キプール戦争にて、彼は現実的戦略を立てました。シナイ半島の一部だけでも取り返せばよい、それを交換条件にして失ったシナイ半島を奪還する、という戦略です。戦争自体はイスラエルが勝利です。元イスラエル首相、シャロンが指揮官を務めたスエズ渡河作戦により、エジプト軍をかえって包囲して、米ソ戦争の危機を迎え、それで収束に向かいましたが、ゴラン高原のイスラエル軍が巻き返しでダマスカスに突入することもできたのと同じように、こちらもカイロにも突入することができました。けれども米ソまた国連の介入で、政治的理由でそれをやめました。

しかしサダトは、そこから急展開、当時の首相ゴルダ・メイア氏に平和条約を持ちかけ、次のベギン首相の時に平和条約を結び、シナイ半島の返還を成し遂げました。軍事的には負けても、政治的勝利を収めたその自尊心の回復が、エジプト軍の基盤になっています。したがってエジプト軍は冒険主義を取らず、イスラエル軍との協力も含めた安定こそが、自分たちの威信を保つことのできる理由にもなっています。

そのサダト氏を暗殺したのがイスラム急進派でした。したがって徴兵制を取っているエジプトですが、職業軍人については、ムスリム同胞団やイスラム原理主義運動に加担している受験生は排除してきました。この安定を崩す一番大きな要因になっていたのです。

イスラエルの力というものを、嫌が応にも見せつけられ、それに対抗してはならないという「弱さの中にある強さ」を保持しているのがエジプト軍です。

兄弟の相逆らい

そこでイザヤ19章の預言に入ります。

エジプトに対する主の裁きが書かれています。その裁きとは何か?一言でいうと、「エジプトの力の誇りを取り除く」裁きです。彼らの誇りとは、古代エジプトの黄金時代にある知恵と富であります。ナイルも彼らの文明そのものであります。これらを取り除きます。

1節から4節は、今のエジプト争乱をまさに言い当てた言葉です。2節が重要です。「わたしは、エジプト人を駆り立てて、エジプト人にはむかわせる。兄弟は兄弟と、友人は友人と、町は町と、王国は王国と、相逆らって争う。」この内紛によって国は弱体化し、きびしい主人の手に渡される(4節)という結末に至ります。かつては、アッシリヤの王に支配される前に、エジプト人同士の戦いがありましたが、今もまた当事者同士で戦うことによって、エジプト軍部や欧米諸国等の強い力をもって抑えられているのです。

エジプトの誇りの喪失

そして5-10節がナイル川が枯れる預言があります。これはアスワン・ハイ・ダムの工事によって大きな環境破壊が行われたところで、ある程度の成就をみました。それから、次に10‐15節でエジプトの知恵がまったく役に立たないことを教えています。エジプトの知恵は魔術などのオカルトでしたが、イスラム主義の終末論に見受けられる陰謀論やオカルトは、その傾向をよく示しています。

そして軍部に関わる預言が16-17節です。「その日、エジプト人は、女のようになり、万軍の主が自分たちに向かって振り上げる御手を見て、恐れおののく。ユダの地はエジプトにとっては恐れとなる。これを思い出す者はみな、万軍の主がエジプトに対して計るはかりごとのためにおののく。」アラブの中の大国であるエジプトが、中東戦争の全てにおいて、独立戦争、シナイ作戦、六日戦争、ヨム・キプールの全てにおいて惨敗しました。イスラエルにとっては奇跡として思えない電撃的勝利でありましたが、エジプト軍においては、単なる物量や軍事作戦以上の恐れとなったのです。イスラエルの背後におられる万軍の主がおられることを、嫌がおうにも見せつけられました。

エジプトの霊的復興

そして18-22節は、エジプトの霊的復興です。なんとエジプトがイスラエルの約束の地と同じように、国土を挙げてヤハウェなる神をあがめるようになります。「それがエジプトの国で、万軍の主のしるしとなり、あかしとなる。彼らがしいたげられて主に叫ぶとき、主は、彼らのために戦って彼らを救い出す救い主を送られる。そのようにして主はエジプト人にご自身を示し、その日、エジプト人は主を知り、いけにえとささげ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。主はエジプト人を打ち、打って彼らをいやされる。彼らが主に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らをいやされる。 」これの成就はもちろんイエス様が再臨されてからのことですが、その傾向が、今のエジプトのキリスト教会の霊的大覚醒によってその前触れを見ているのです。

エデンの園のような神の国の拡がり

MiddleEastsatelliteそしてイザヤ書19章は、イスラエルを礼拝地とした中東全域一帯の霊的大復興で締めくくられています。「その日、エジプトからアッシリヤへの大路ができ、アッシリヤ人はエジプトに、エジプト人はアッシリヤに行き、エジプト人はアッシリヤ人とともに主に仕える。その日、イスラエルはエジプトとアッシリヤと並んで、第三のものとなり、大地の真中で祝福を受ける。万軍の主は祝福して言われる。「わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。」(23-25節)」

創世記2章を見ますと、かつてのエデンの園はユーフラテス流域からエジプトとエチオピヤの川に至るまでの、今でいうとイラク・イラク辺りからアフリカ中部までの一帯に広がっていた大きな園であったと考えられます。(もちろんその後、地殻変動等でその地形も大きく変化しているでしょうが。)そしてその地域に、南はエジプト文明があり北はメソポタミア文明があり、サンドウィッチのように挟まれるようにしてイスラエルがありました。しかし、主の再臨後、そこは全世界の中で主を礼拝する民の中心区域となるのです。

今の、エジプトでのデモと軍部の鎮圧、という事件をこうした聖書的視野の中で見つけることは、とても大事です。キリスト者は、だから今、主から命じられていることを忠実に行い、またエジプト人の兄弟姉妹の苦しみのための祈りを捧げる、という必要があります。

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