人質交渉から見える「ヨルダン」

高度な内部情報

先日ブログでも紹介し、少しずつ読み進めていた「イスラーム国の衝撃」を読了しました。よくまとめられており、2001年の米国同時多発テロ以降のアルカイダの動きから現在に至るまでの流れを上手に映し出しています。一章ずつ、勉強会みたいなのをしてもいいのかもしれません。

池内恵准教授の著作は、「現代アラブの社会思想―終末論とイスラーム主義」で知ることとなりました。私は、聖書預言とイスラエルへの関心から、アラブ社会とイスラムがどのように発展してきたのかに興味が出てきて、それで手にしたところ、これほど分かり易い書物はありませんでした。初めは「思想」という分野は、取っ付きにくいかもしれません。けれども、慣れてくるとキリスト者の聖書信仰に近づいた内容、関連のあるものなので分かりやすくなります。アラブ人はイシュマエルの子孫としての系統を持っていますし、イスラムはユダヤ・キリスト教から派生した宗教だからです。

本書も決して裏切りませんでした。上記の本の続編という感じでした。つくづく、私たちはとてつもない時代に生きていると思います。時代は、いや神ご自身が、私たち日本人を無関心でいさせないようにしている、と感じています。

ところで、皆さんもご存知の通り、人質交渉は痛々しい結果となりました。湯川さんがテロリストによって殺されたことはほぼ確実となりました。そして、後藤さんを通して新たに出していたイスラム国の要求は、深刻な内容を含んでいます。それは、後藤さんとの引き換えに、ヨルダンの死刑囚となっている、自爆未遂の女性テロリストの解放です。彼らは、巨額の身代金と比べたら簡単なことだと後藤さんの口を通して話していますが、いいえ、これは本格的なヨルダン国に対する挑戦であります。「女性の囚人の解放によるイメージアップ」という即効的効果もありますが、「日本とヨルダンの分断」を狙ったものであり、「ヨルダンの弱体化」、そして究極的には「ヨルダン王国の転覆」を意図しているものです。

専門家の多くが、イスラム国を支持する者たちがトルコにいるため、トルコからシリアへのルートを見つけて、人質救出への交渉を行なえばよいという意見でしたが、実際はおそらく、人質はイラクにあるイスラム国中枢に移っているという見方があります。イスラム国中枢というのはヨルダン王国打倒のために動いていたイスラム国の前身「イラク・アルカイダ」の指導者ザルカウィ(2006年死亡)でありました。

聖書預言にあるヨルダン

そしてヨルダン王政を転覆させるなら、イスラム国が一気にイスラエルに近づき、中東一帯は大混乱に陥ります。これこそ最悪のシナリオですが、聖書ではエレミヤ書48-49章にかけて、今のヨルダンにあたる「アモン」「モアブ」「エドム」に対する裁きが書かれています。預言されている荒廃は、ヨルダン国王が除去され、イスラム国のような勢力が来たのであれば、あり得るシナリオではないのか?という見立てを、ジョエル・ローゼンバーグ著の「The Third Target(第三の標的)」は言っております。

実は、この「第三の標的」のほうが今、刻々と進んでいるヨルダン政府のぎりぎりの交渉の背景になる情報を与えてくれるのではないかと思います。私はこの本に感化されて、邦人人質の目的は、身代金が目的ではなく「ヨルダンを弱体化させる」ために「安倍首相が、ヨルダンに対イスラム国対策としての難民・人道支援」のところに目をつけたのだろう、ということを話していました。

このことを昨日、池内恵氏もフェイスブックの中で認めておられました。とても大事な情報が入っていますので、難しいかもしれませんが、ぜひ読んでみてください。

覚書1 ・ 覚書2

その他、新たな脅迫・要求についての以上の展開についてブログ記事で説明しておられます。これも読まれることをおすすめします。

「イスラーム国」による人質殺害声明の基礎情報:さらに情報があればフェイスブックで発信します
「イスラーム国」による日本人人質殺害と新たな要求について

悪を断じながら、悪者を受け入れる

ところで、先のブログ記事で言及しましたように、私は安倍外交の「積極的平和主義」を評価している一人です。下の記事はこのことついて良い示唆を与えてくれます。以前書きました「日本人の考える平和」に通じるものです。

テロと自由と日本社会(2)―捕虜交換にひそむ倫理的葛藤

私が特に心打ったのは、次の言葉です。「日本の平和主義は、敵であることと向き合えない幼児的思考ではなく、敵であると認めたうえで、それでも、その敵とともに生きていかなければならないという大人の、試練を経た思考であるべきなのではないでしょうか。」

少し内容は違いますが、霊的にも通じることだと思います。今日、礼拝で学んだ詩篇85篇には、「まことと恵みが口づけする」という言葉があります。真理を受け入れながら、なおのこと恵み深くいられるのか?悪を悪として断じながら、なおのこと悪者を愛し、受け入れることはできるのか?これができるとき、キリストの十字架の奥義であり、成熟した愛なんだと思います。

心が試されている時

今進行中の出来事を通して、私たち一人一人の心が試されているのだと思います。「日本国民こぞって、イスラム国に相対している」と言えるでしょう。最後に、イスラーム国の衝撃の出版社サイトにおける、池内氏のインタビュー記事をご紹介します。

日本人人質事件に寄せて――「日本人の心の内」こそ、彼らの標的だ

「人質交渉から見える「ヨルダン」」への3件のフィードバック

  1. イスラム国拘束:「現地の惨状知って」Aプレスの玉本さん

    本ブログでは、かなり前からシリア内戦のことについて書いていました。アラブの春によって波及したその地域の政治不安は、シリアでは現時点で二十万を超えるの死者、百万を超える難民が出ています。その惨状は凄まじいものです。イスラム国というのは、こうした凄まじい内戦の中に入り組んで発生している問題の一部であります。その現状を訴えているサイトがありますが、惨殺の写真が数多くありますので、注意してご覧ください。

    Genoside in Syria

    私たちがいかに、他者の窮状に想いを寄せられるか、身近な人はもちろんのこと、遠くにいる人々にも目を向けられるかが、今、何が起こっているかを知るための鍵になります。

  2. 日本人だけ帰してとは…自国民も人質、悩むヨルダン

    池内恵氏が、先にリンクした本記事でこう書いていました。「ムアーズ中尉の釈放と、そのカードとしてのサージダの扱いは、現地ではきわめて関心の高い、デリケートな問題であることを理解した上で、国際的な発信をする必要があることに、日本の皆様はご留意ください。日本政府によるイスラーム国周辺国への難民支援への拠出が「イスラーム国の気に障った」ことを問題視した多くの日本の論客が、ヨルダン国民の多数を占めると思われるムアーズ中尉釈放を求める声も、決して、無視されないことを、私は強く要求します。それは日本人の他者に対する顧慮の念、異なる社会への理解力の程度を示すことになるからです。」

    同感です、今回の人質事件ははたして日本人が、どれだけ人のことを思い、感じられているのか、その想像力が試されている試金石です。

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