「感謝」の力 - ③アメリカに感謝している訳

数年アメリカに住んだ者として、私は、アメリカの世界における関与は、非常にその国民性を表したものであり、面倒くさい面もあるが、それ自体を否定すると、もっと大変なことになると感じています。

アメリカは曲がりなりにも、ユダヤ・キリスト教価値観を有する建国精神によって成り立っています。そして、個々人の責任において働くという「自由」の精神を強固に持っている人たちです。それゆえ、彼らが関与するところに小さな規模で不条理や不正義があったとしても、全体的に見ると良い物が生まれています。

例えば、お近くの韓国をご覧ください。今では信じられないかもしれませんが、20年数年前までそこは軍事政権であり、独裁でした。当時の世論は「独裁の韓国、そしてそれを後押しする米国」というものが主流でした。キリスト教会もおそらくそうだったでしょう。でも、アメリカが見据えていたのは、反共への防波堤であり、同じく自由民主主義を掲げる韓国を支援することでした。

たとえ独裁が間違っていたとしても、そこで指導者らは現実的な経済開発を推進し、植民地支配を最近まで受けていたのにも関わらず、日本からの経済協力を惜しみなく受けていた彼らがいたからこそ、今の豊かな韓国があるのです。したがって、独裁制よりも、もっともっと恐ろしい、共産主義・全体主義に対する歯止めを、アメリカは自ら意識しているか、していないかにしろ、実際上行なっていったのです。

そして幸いなことに、韓国民たちが、自らの力で民主化を成し遂げ、かつアメリカとの関係も断ち切ることなくその国を守り続けているのですから、大したものです。

そして日本に、膨大な数の韓国人が来て、交流を深め、日本の教会も多大の恩恵を受けています。もし韓国軍があの朝鮮戦争で血を流していなかったら、米兵が命を捨てていなかったら、どうなっていたか想像してみてください。今、北朝鮮は数年に渡って、世界で信仰の自由が蹂躙されている国として第一位なのです。そこでは信仰者が強制収容所に入れられ、言語に絶する仕打ちを受け、死んでいっているのです。

日本のキリスト教会では「平和論」を掲げ、あらゆる形の戦争を不正義だと断じる傾向がありますが、アメリカ人に聞かなくてよいでしょう、年配の韓国の人々に同じように朝鮮戦争にも適用させて語ってください。顔を真っ赤にして怒られるでしょう。彼らこそ、共産主義の恐ろしさを身をもって味わった人たちですから。

私は戦争は、決して軽々しく起こすものではないと思っています。最大限回避すべきものです。戦争は負けるほうはもちろんのこと、勝つ側にも深い傷を残す悲惨なものだからです。けれども、実際に戦争が起こるときに、それを悪だと断じることは私にはできません。なぜなら、その背景に戦争と同じぐらい、継続的に苦しみを受けている人々が大勢いることが多いからです。

ですから、今の時代にアメリカという国が存在していることを、神に感謝しています。今となってはリベラル左派が幅を利かせていますが、それでも保守派が抵抗して、拮抗している状態です。カナダや欧州では、公共の電波機関を使ったキリスト教放送が禁じられているのです。なぜなら、「同性愛者の権利を守っていない」という根拠です!(ある意味、日本より自由がないのです。)ですから、西洋で唯一、そのユダヤ・キリスト教伝統を残存させているのはアメリカであり、それゆえ私は貴重な国だと思っています。

そして良く考えてみれば(「はげ」がどうして感謝できるのかを良く考えるのと同じように!)、アメリカが私たちを助けこそすれ、何か敵対したでしょうか?多大の経済支援をしてくれました。また思想的にも自由や民主主義の概念を日本の敗戦後教えてくれました。そして一般市民のキリスト者は、何とかして福音を伝えたいと思い、世界中に宣教師を送り出しています。

彼らの世界的視野や「人々に無償で分け与える」という精神的基盤がなければ、今の世界は、そして日本はどうなっていたでしょうか?今の日本人のキリスト者に、経済的に、そして霊的に世界に貢献したいという情熱を持っている人々がどれだけいるでしょうか?「受ける側」で考えずに「与える側」で考えてみたらどうでしょうか?

あれだけ世界が批判したイラク戦争も、民主化された政権下で宣教師が国内に入ることができるようになりました。それでも絶対的に悪であったと断じることができるのでしょうか?その戦争が正しくなかったとしても、神がすべてを善に変えてくださる、という信仰でどうして見ないのでしょうか?

「アメリカが正しいか、間違っているか」という視点ではなく、「神がこの状況を通して、何を行なっておられるのか」「神が、世界に対して魂の救いをどのようにして行なわれるのか」という視点でご覧になられたらいかがでしょうか?

アメリカ人の宣教に、また韓国人の宣教もそうですが、問題がないということではありません。いや、数多くあります。けれども、「もし彼らが情熱をもって福音を伝えてくれなかったら、いったい日本は、世界はどうなっていたのか?」と問い直せばよいのです。どれだけ感謝すべきか分かりません!

アメリカについて神に感謝すべきことは、まだまだあります。

ですから、アメリカの諸問題は問題として捉えますが「感謝しています」という前提をもって発言するのです。

「感謝」の力 - ②私が保守的な訳

そして政治的な見方についてですが、私は日本キリスト教会では少数派の保守的な考えを持っています。米国でその多くを学びましたが、キリスト教的価値観に基づく保守主義です。

それは、本質は「政府」という機関にあるのではない、という考えです。何か社会的な問題が起こると、必ず「政府がいけない」「このような教育を行なっているからだ」という話になっていきます。そして政府や公的機関にさらに積極的な関与を求める考えを多くの人が持ちます。おそらく日本のキリスト教の関係者も大半がそうでしょう。

けれども、私は本質は「神と個人の関係にある」と信じています。政府は神ではありません。政府が何かしてくれるのではありません。神が政府を置いてくださり、その政府が果たすべき役割はありますが、政府にできることはごく限られたものだと考えています。

政府に対して過度に非を訴えることは、言い換えると政府にそれだけ大きな役割を期待しているということです。政府が人を治めるという考えです。けれども、神ではなく「人」が他の人を治める時に、そこには神が生来与えておられる自由と人権を蹂躙するようになる、と感じています。

ですから私は、まず第一に、今の政府、また行政に感謝する立場を取りたいと思います。以前、民主党政権について一連の批判記事を書きましたが、それでも、彼らがマスコミには出てこない地道な努力をされているのだろう、という思いを決して忘れることなく、感謝の気持ちを表したいと思います。

それでもって、政治家に訴え、意見を投稿し、選挙時には深く考えて投票するという姿勢が正しいのだと思います。

そして第二に、問題を専ら政府のせいにしないことです。「自分たちが変わらないで、どうしてその自分を代表する国が変わりえるのか?」という考えです。この個人的責務において自由が与えられたら、それこそ真の民主主義であり、またその国の一市民となることができる、という考えです。

この考えを大きく拡げますと、世界情勢にも同じことが言えます。9・11の米同時多発テロ以降、世界に軍事的・経済的関与を行なっているアメリカに対する世界中からも猛烈な反発が起こりました。イラク戦争においては、堰を切ったように米国を憎む空気が流れました。これは日本のキリスト教会においても同じでした。

けれども、ここにも大きな矛盾があります。それは、世界で起こっている多くの事象をすべてアメリカに結びつけるということは、逆に言うと、世界の中心はアメリカであることを認めていることになります。そして、世界を動かしているのは神ではなく、アメリカなのだと暗に宣言しているに過ぎません。

違います、世界の中心は神ご自身であられ、その神に私たちが礼拝を捧げているのです。アメリカは所詮、世界の一国にしか過ぎず、その果たせる役割はごく一部に限られているのです。そして世界で起こっている問題は、本質的に、それを起こしている当事者の責任であり、彼らがその問題を克服することこそが、真の解決につながります。

今回のエジプトの問題に当てはめるなら、エジプトの次期政権を誰に委ねるかをエジプト人国民が決めることによって、民主化になるかイスラム化されるかが決まるのです。

「感謝」の力 - ①「はげ」を感謝する?

私たちが海外にいた時に、教会の伝道師さんが礼拝で、1テサロニケ5章にある「すべての事において、感謝しなさい」という御言葉から説教をされた時のことを、今でもよく覚えています。

出だしが、ある牧師さんが「自分がはげであることを、どのようにして神に感謝すべきか。」と悩んで、いくつかの項目を挙げたという例話でした。私も30代に入った後で少しずつおでこが広がっていたので(笑)、興味深く聞きました。

その後で、聖書全体から感謝することについて説き明かされたのですが、「感謝」というものをこれまでいかに軽く考えていたかを思わされました。「感謝することは、まさに神の前にへりくだる行為であり、そこから神の力が自分から湧き上がり、神への献身を新たにできる」という悟りです。

その礼拝の帰りに、妻に「今の日本に足りないのは、もしかしたら『感謝する』ことかもしれない。」と話しました。それに関連する記事を「今の政治(そして福音宣教)に必要なのは」という題名で書いています。

このことは、私がキリスト者として政治的なことを考える時、世界情勢を考える時でも同じことが言えるし、また個人的、霊的な側面においても同じことが言えます。

例えば、先に書いた「キリスト者が祈るべき『エジプト』」で、今の混乱のエジプトの現場からの声で、「エジプトで神がいま行なわれていることで、賛美しています。エジプトがニュースで取り扱われることによって、この国の歴史の中で、これほど多くの人がエジプトのために祈っていることはなかったと思いませんか?」という発言がありましたね?日本と比べて桁外れに大きな問題を抱えているその国において、こうした見方を持っているのです。この、神への感謝と賛美に、どれだけ生きた力が働くか知れません。

要は、環境や周囲のせいにしないことです。全てのことが神から来ているという主権を受け入れて、神の前に出ていく時に、試練の中の知恵が与えられます(ヤコブ1:2‐8)。周囲の変化に左右されない、不動の神の見方で物事を見ることができることです。

私は日本の宣教の状況に感謝しています。非常に小さい教会が点々と存在し、しかも働き人が足りないため、教会の戸が閉じられていっていると聞きます。何を始めるにおいても、不足した状態です。

けれども、まず福音を語る自由が与えられています。政治的にはもちろんのこと、霊的にも、先に「韓国の宣教報告」で書きましたが、教会文化が存在しないために、かえって純粋に聖書から福音を聞く耳を持っておられます。

キリスト者が祈るべき「エジプト」 - ③魂の救い

そして、②の聖書預言の前兆とも呼べるような良い知らせが、現在進行形で私たちに伝わってきています。

Is There Any Good News in Egypt?
Yes, there is, so let’s keep praying for our brothers and sisters

(エジプトに良いニュースはあるのか? - ある、だからそこの兄弟姉妹たちのために祈り続けよう。)

一部を意訳いたします。

(意訳開始)
・・・一ヶ月前にエジプトに行ったばかりですが、カイロの南にある村落の貧困は、インド、アフガニスタン、レバノン南部のパレスチナ難民キャンプよりも酷い、これまでに見たことのない程の最悪のものでした。けれども、イエス様に献身している人々が生活の助けを得ているのです。その礼拝は情熱あふれるものであり、彼らのイエス様への愛には圧倒されます。

聖書に登場する所での奉仕の働きにおいて、近年、非常に力強く神の動きを見ることができます。エジプト人は次々とキリストを信じ、その信仰は成長し、牧師たちは訓練と励ましを受け、教会全体が成長しています。例えば、あるミニストリーでは、3100人がキリストを受け入れる祈りをし、2010年だけでも数多くの教会が始まりました。これらの若きエジプト人の信者たちは、辺境の村落にまで福音を届け、その後、信者を弟子にしていく命溢れる教会が起こされています。神は確かに、このパロの地で力強く働かれているのです。・・・

この政治的、経済的危機において、エジプトにいる友や仲間と連絡を取り続けていますが、世界中の信者が彼らのために祈っていることを感謝しています。彼らの家族のため、また、これらの優れた若き指導者たちのためにお祈りください。去年、福音を伝えたという廉で、9人の信者が投獄されました。けれども、神の恵みと聖徒の祈りによって、すぐに釈放され、その後も主に深く献身しています。彼らはこう言って、神に感謝しています。「私たち信者は迫害を受ける時、地下に潜ります。そして、私たちの根はさらに強くなり、健全なものとなります。そして、さらにキリストの大使としてふさわしい姿で表に出てくるようになり、さらに迫害の渦中で堅く立つ心の用意ができるのです。」・・・

このような困難な時に、エジプト人の信者はみなさんに愛の言葉を返しています。そして私たちの偉大な神に栄光を帰しています。Hという方が先ほど電話でこう仰いました。「エジプトで神がいま行なわれていることで、賛美しています。エジプトがニュースで取り扱われることによって、この国の歴史の中で、これほど多くの人がエジプトのために祈っていることはなかったと思いませんか?私たちは確信を持って、神がこれらの祈りを聞かれて、エジプトの教会を建て上げてくださると言えます。そして神が、不満を抱き、宗教に嫌気をさしている人々を、まっすぐイエス様の御腕の中に導かれるのです。」注目に値する視点ですね!
(意訳終わり)

このような、ものすごい速さで神がご自分の救いの業を、とてつもない困難な状況の中で行なわれていること自体が、今、私たちが終わりの日に生きていることを示す大きな徴なのです!日本にいる私たちが、目を覚まさずしてただ毎日を生きていていてはいけないのです。主が行なわれる御業に期待しましょう。そして、自分たちだけでなく、エジプトの兄弟姉妹のように、世界の他の地域にあるキリストの体のためにも祈りましょう。

キリスト者が考えるべき「エジプト」 - ②聖書預言

それでは、聖書を信じる者たちが、またキリスト者たちが、今のエジプトの混沌とした状態をどのように見ていけばよいのか、神の御言葉と御霊の働きから、希望を得たいと思います。

エジプトは、創世記10章の「ミツライム」から出てくる聖書において重要な国です。この国の行く末を、かつて預言者イザヤが語りました。イザヤ書19章です。

エジプトに対する宣告。見よ。主は速い雲に乗ってエジプトに来る。エジプトの偽りの神々はその前にわななき、エジプト人の心も真底からしなえる。わたしは、エジプト人を駆り立ててエジプト人にはむかわせる。兄弟は兄弟と、友人は友人と、町は町と、王国は王国と、相逆らって争う。エジプトの霊はその中で衰える。わたしがその計画をかき乱す。彼らは偽りの神々や死霊、霊媒や口寄せに伺いを立てる。わたしは、エジプト人をきびしい主人の手に引き渡す。力ある王が彼らを治める。・・万軍の主、主の御告げ。・・

1節から4節の言葉です。これは、当時イザヤがいた時の、アッシリヤ帝国によってエジプトが侵略されるまでの経緯を表している箇所ですが、けれども聖書預言にあるように、この出来事を型として終わりの日に向かうその国の特徴や流れを表しています。

エジプト人同士の間で立ち向かわせる状態は、当時のエジプトを表しているだけでなく、まさに今の状態も暗示しています。

そして4節にある「きびしい主人」また「力ある王」は、ムバラク大統領が辞退してもさらにイスラムによる圧制を強いるムスリム同胞団に移り変わる可能性にも見えてきます。そして終わりの日には、反キリストがエジプトにまで進出します(ダニエル11:42)

そして、5節から15節までもお読みください。5節から7節にナイル川が干上がる神の裁きがありますが、アスワン・ハイ・ダムの建設により、下流地域で灌漑による塩害の発生や土砂の流出の問題が発生していています。

さらに、エジプト人たちが誇ってきた指導者や知者たちの知恵は、これらの出来事の前でむなしいものになります(8-15節)。08年の私たちのエジプト旅行記にも書きましたが、近年のエジプトも、古代エジプトの過去の栄光によりすがる末期エジプトのように、実質を伴わないのに中東の大国としての自信を過剰に持っている姿を見ました。これを神が取り除かれる姿にも見えてきます。

そして16節以降から、このように弱くされたエジプトに対する神の救いの預言が始まります。20節には、こう書いてあります。

彼らがしいたげられて主に叫ぶとき、主は、彼らのために戦って彼らを救い出す救い主を送られる。

これは、紛れもなく再臨のイエス・キリストご自身です。

そしてエジプトはアッシリヤと共に、イスラエルを中心にして主を礼拝する、神の国の姿が最後に描かれています。

したがって、エジプトは主の厳しい御手の中で試みに会いますが、けれども、その試みの中で、イスラエルの神に拠り頼むようになる御霊の流れがあり、そして主の来臨の時には、国民的な回心を果たすという希望を持っているのです!

英語の分かる方は、ぜひ、ジョエル・ローゼンバーグ氏によるショート・メッセージをご覧ください。
What Bible Prophecy Say about the Future of Egypt?

キリスト者が考えるべき「エジプト」 - ①情勢分析

昨日と今日、無事にLCFの初回の礼拝を終えました。さらに新しい方々が来られて、主の新鮮な御霊の働きを感じました。

ところで、続けてエジプトの事についてお話したいと思います。日本人の牧師さんで、この問題について次のようにまとめておられる方がいました。

(1) アメリカ、イスラエル、欧米諸国はこれまで、エジプト国民から見れば「独裁者」の印象が強いムバラク大統領を、「中東の盟主」として支持し、莫大な軍事的・財政的援助を行ってきた。

(2) エジプトにおける反政府デモの参加者は、アメリカ発の Facebook に代表されるようなオープンな通信手段を用い、これも従来アメリカが中東政策に関与する大義名分としてきた「自由」を要求した。それ故に、アメリカは表だっての反対はしにくい。

(3) その反政府デモを支持しているグループの一つに、イスラム原理主義の立場を堅守し、もし政権を取るならばイスラエルとの平和条約を破棄すると言明している「ムスリム同胞団」が加わっている。 もしその通りになれば中東のパワーバランスは一気に変化し、イスラエルは窮地に立たされ、アメリカの中東政策は崩壊する。
http://nobsplace.cocolog-nifty.com/hamuranokaze/2011/02/post-3b85.html

アメリカを中心軸にし、問題の原因としているところが私と視点が違うのですが、よく要点を簡略にまとめておられると思います。(私の見方 - 問題はエジプト国内にある、という自覚が真の民主化をもたらす。)

恵比寿バイブル・スタディのお知らせ 2月9日

恵比寿BSの皆様、

2月9日(水)の学びを以下ご案内申し上げます。
皆様のご参集を心よりお待ち申し上げます。

日時:2月9日(水)19:00~
場所:場所:目黒区立田道住区センター三田分室 / 2階桜の間(1階掲示板で
確認をお願いします)
(恵比寿駅または目黒駅から徒歩約10分、日の丸自動車教習所の向かい)
住所:目黒区三田2丁目10-33 電話:3791-7901

内容:詩篇68篇~(学び)
持ち物:聖書

以上、宜しくお願いします。

エジプトの騒乱 - 危険な振り子

無事に韓国から戻ってきました。
旅行中も目を離せなかったニュースは、エジプトの騒乱です。

エジプトは、私たちが2008年のエジプト・イスラエル旅行でたった数日だけれども、強烈な経験をした所です。

http://www.logos-ministries.org/israel/israel+egypt08_09.html
http://www.logos-ministries.org/israel/israel+egypt08_10.html

そこに書いていたことの一部を引用します。

確かにエジプトには、とてつもなくたくさんの観光客がいました。そしてイスラエルにも多いですが、エジプトには適いません。でも私はあえて、エジプトの気候や人々、土地の過酷さ強調しました。そしてイスラエルの美しさを強調します。この評価は普通の一般のとは、正反対でしょう。

そのとき、(モーセは)自分の同胞のひとりのヘブル人を、あるエジプト人が打っているのを見た。(出エジプト3:7)この打っている姿は、エジプトで起こった単なる一場面ではなく、その国の統治の性質を代表していたようです。エジプトという国の過酷さをよく表しています。

私はエジプトの現在の政治についての前知識は持っていなかったのですが、その感じたことがそのまま今回のデモによって「やはり、そうだったのか。」と確認した気分です。

アラブ諸国について、今のデモがそのまま民主化になるかというと決してそうではありません。イランのイスラム革命にあるように、初めは民主化の群れであったものが、イスラム勢力がその動きを乗っ取り、イスラム原理主義国にしていく危険が大いにあります。レバノンのヒズボラ、ガザ地区のハマスがその代表的な例です。

そして今、イスラム過激派のムスリム同胞団が、この国を乗っ取ろうとしています。

Middle East up for grabs(早い者勝ちの中東)Son of Hamas著者のヨセフ氏によるブログ記事)

そして、デモ行進の中で現れたエルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長は、リンク先の朝日新聞の記事にあるように、ムバラクの次の指導者として前に出てきています。

けれども、この人物を「羊の毛皮をまとった狼」として呼んでいるのが、Inside the Revolutionの著者であるジョエル・C・ローゼンバーグ氏です。

WHO IS MOHAMED ELBARADEI? A wolf in sheep’s clothing.(モハメド・エルバラダイとは誰か? 羊の毛皮をまとった狼)
ジョエルの主張する要点は、次のとおりです。

1)イラン核兵器開発の擁護者である
2)反イスラエルの姿勢を貫いている
3)ムスリム同胞団の擁護者である

エルバライ氏はノーベル平和賞を取っています。世間はこの賞に弱いですが、金正日に金銭を渡して南北首脳会議を実現させ、この賞を獲得した金大中、近代テロリズムの父祖であるアラファトPLO議長など、まったくあてにならない賞であることは確かです。

「彼らは、わたしの民の傷を手軽にいやし、平安がないのに、『平安、平安だ。』と言っている。(エレミヤ6:14)」

イスラム化ではなく、真の民主化に振り子が動くよう祈らざるを得ません。