仲間の和解

昨日、紹介した「ハマスの息子」の著者モサブ・ハッサン・ユーセフ氏ですが、つい最近、似たような背景を持っているワリド・シューバト氏から非難を受けて、大きな痛みを受けています。

SON OF HAMASのブログ
(May 11,2011の”The Walid Shoebat Article”まで下がってから順にお読みください。)

ワリド・シューバト(Walid Shoebat)氏はかつてPLOテロリストでしたが、アメリカに移住後、信仰を持ちました。彼はイエス・キリストの救いに預かっただけでなく、ユダヤ人とイスラエルに対する愛も与えられ、パレスチナ人であるにも関わらず、イスラエルに対する強い支持と主張をしています。

私は彼の著書を読んだことがないのですが、ワリドさんからは欧米という安全圏にいる言っても、危害や迫害などの恐れも顧みず、はっきりと自分の信仰や主張を述べているところに、頼もしさを感じます。そして私はモサブさんからは、何と言っても、政治的主張よりもキリストの命令に従うこと、どんな人でも愛していくというキリスト者としての姿勢を学んでいます。

ワリド・シューベト氏が、モサブ・ハッサン・ユーセフ氏のアラブ・クリスチャンの衛星放送での発言に対して楯突いて、それから起こったやり取りが上のブログ記事に記されています。

実に悲しいことですが、同時に、キリスト者の間でしばしば起こることであり、聖書的な希望がある議論です。

パレスチナ人クリスチャンとは?

私は以前、パレスチナ人クリスチャンの証しをブラザー・アンドリュー著の”Light Force“を読んで知りました。パレスチナ人クリスチャンと言っても、アラブ系キリスト教の中にある歴史的・文化的にそうだと言っている人たちが大勢いるなかで、真にイエス・キリストを信じて、御霊の新生の体験をした福音的なクリスチャンたちがいる話です。ベツレヘムに、その人たちが始めた聖書学校があります。すばらしい証しですが、彼らの多くはパレスチナ人たちの政治的主張は捨てることはありません。イスラエルが先祖の土地に侵略し、今でも抑圧を続けているという立場です。

私はこの政治的主張に違和感を覚えます。ちょうど、日本の文脈に直してみると、原爆反対、イラク戦争反対など言っている左翼系の人がクリスチャンになったと言っても、その政治活動は依然と続けている、というイメージを持ちました。

けれども、福音的なパレスチナ人クリスチャンには希望があります。それは、「敵をも愛す」という強い動機です。彼らにはイスラエル人やユダヤ人に対する敵愾心がありません。政治的主張は変わっていないのですが、パレスチナ人が過激化して、過激派になったり、支持している暗澹とした状況の中で、その雰囲気が立ち込めているパレスチナ社会の中で、キリストの愛に突き動かされているのです。私は、イスラエル・パレスチナ紛争が解決するとしたら、政治的・外交的解決ではなく、真の霊的和解であると思っています。

私が2010年のイスラエル旅行にて、ベツレヘムを訪問した時のパレスチナ人のガイドさんが、先にふれた聖書学校を卒業した人で、彼からも同じスピリットを感じました。イスラエルへの敵愾心がないのです。最後に、「エルサレムの平和のために祈りましょう」と仰っていました。

そして、モサブさんの出演したアラブ人クリスチャンの衛星放送ですが、そこも政治的にならぬよう細心の注意を払っていると同時に、イスラム教の教えに対しては大胆に反駁し、キリストの福音を伝えている伝道師も出演するなど、福音宣教に重点を置いています。

真に聖書的になる

それに対して、ワリドさんの優れているところは、そうしたパレスチナ人クリスチャンが克服することのできていない、民族性や政治性をも聖書的立場から克服していることです。

彼は自らを「パレスチナ人」と呼ぶことさえ嫌っています。「私はユダヤ地方出身のアラブ人だ」と言い直しています。私はこの発言を聞いてほっとします。非常に聖書的だからです。「パレスチナ」という言葉そのものが、近代アラブ民族主義に基づく政治的主張を含んでいるからです。(ちょうど韓国の人が北朝鮮を「北韓」と呼び、北朝鮮の人は「南朝鮮」と呼びますが、名称だけで政治性を帯びています。NHKは政治的中立を保つために「ハングル講座」と名付けいます。)

モサブさんは政治的になりたくないと言っていますが、私たちは政治や周辺社会から完全に抜け出せるものではありません。そして、聖書的に、神学的に純正になりたければ、やはり「神はユダヤ人にあの土地を与え、そこは「イスラエル」と呼ぶ。」という見地に立たないといけないのです。当のイスラエル人がたとえ悪いことをしていたとしても、神は一時的に彼らを退けこそすれ、彼らを見捨てることは決してなさいません。

そして、イスラエルの地も「地中海からヨルダン川まで」、さらに「ユーフラテスからエジプトの川まで」というのが、神が定められた境界線です。ガザ地区や西岸はすっぽりイスラエルの地として神は与えておられます。シナイ半島の一部と、レバノンとシリアの大半も含まれています。これを「大イスラエル主義」と呼ばれ政治右翼にされるのですが、そうではなく、事実聖書に書かれているのです。

問題は、それが実現される方法です。それが人の手によるものなのか、純粋に神がもたらされるものなのか?の違いが出てきます。人の手であっても、その背後に神がおられるという見方もあります。私は、「今のイスラエルは、主イエス・キリストが再臨される前の、エゼキエルが預言された前段階の状態」だと見ています。主が戻られるには、そこにイスラエルの国とエルサレムがなければいけません。主が戻られるには、そこに御霊の新生を受ける前のユダヤ人がいなければいけません。それにまさに現代イスラエルが当てはまるのです。

方法論の差異

私は、今回起こってしまっている悲しいことは、「方法論」の違いに拠るものだと思っています。私は、モサブ氏が極めてパレスチナ寄りに聞こえるような発言に深く同情しています。彼の初めの応答の記事によれば、「パレスチナ人がイスラエル当局に通報すれば、命そのものが危うくなる。」という切迫した状況の中で、「自分はそれを行ったけれども、一般の、しかも新しく信じたばかりのアラブ人クリスチャンの質問者に、そんなことを強いることはできない。」という思いから、「パレスチナ当局に通報すればいいです。」と案じていったこということが言っています。

パレスチナやアラブ圏で宣教をしているその言葉を、西洋という安全圏から「彼がパレスチナの闘争イデオロギーを捨てていない」というワリドさんの発言はあまりにも酷です。大胆になるのは、あくまでもその人の自由意志であり、信仰の量りによるのです。「安全」であるとか、そういったものの要素が多分に含まれているのです。信仰や表現の自由が制限されているところで行っている宣教をそのような形で断じてはいけません。

けれどもワリド氏のように、原則論を話す人も絶対に必要なのです。要はここで起こってしまったのは、「方法論の違い」なのです。

パウロとバルナバの確執

そこで私が思い出したのは、使徒の働き15章36節から始まる、パウロとバルナバの確執です。

幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。(使徒15:36-41)

同じ主の働き人で、しかも同じように異邦人に対する宣教において一致し、同労者であった者通しがこのような激しい反目になってまい、残念なことでした。ここで私は原因と、そこから生まれる善を考えてみたいと思います。

原因は、その直前の出来事です。15章にはエルサレムにおける会議があります。アンティオケの教会にユダヤ主義者が来ました。「モーセの律法にしたがって割礼を受けなければ、救われない。」と言った者たちが来たのです。それで激しい対立が起き、その問題をエルサレムの教会に持っていったのです。そこでは、パウロとバルナバは一緒です。「そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。(2節)」

その緊張が主の憐れみと聖霊の導きによって一気に解決しました。教会に一致があり、かつ主の恵みによる救いという真理が固辞されたからです。それは「福音真理の自由」という闘いでした。そしてその直後に反目が起こりました。その自由が反対もなく享受できる雰囲気になったところで、他の違いが見えてきたのです。マルコを一緒に連れて行くかどうかの方法論が見えてきたのです。

私たちは、「自由」のあるところには「肉の対立」という危険にいつも注意していなければいけません。自由が侵される懼れがあるところでは、対立という肉の働きは自ずと抑制されるのです。自由が与えられる時に、私たちは強い自制が必要になります。

民主主義圏では、表現の自由が許されていますが、それゆえに「言葉」が多くなります。神が働かれる領域に至るまで、言葉で解決しようとします。祈りによる御霊の一致と、神の主権的な働きを待たなければいけないのに、「言葉の表現」という自由が与えられているから、それを武器にして用いようとしてしまうのです。けれども、私たちは「愛」という鎖に縛られているのです。キリスト者の自由は、愛によって仕えるところに用いるのです。また、「言葉」よりも「行動」なのです。

対立から生まれる善

そして「対立から生まれる善」について話したいと思います。それは、パウロはヨーロッパ宣教をすることができ、バルナバは他のところで宣教することができ、福音を聞いた人々は倍増したことです。主がその反目をも用いられて、ご自分の働きを増やされました。

さらにすばらしいことに、パウロは後にマルコを受け入れています。彼は思いを変えたのです。このように「働きが増えた」という善と、さらに対立そのものも和解へと導くという神のすばらしい御業を聖書で読むことができます。

私は、ワリドさんとモサブさんの間でも、そのような御霊の働きが起こることを願ってやみません。そしてこれは私たち働き人の間でも現に起こっている問題であり、と同時に希望でもあります。同じように主を愛しています。同じような働きをしています。けれども、方法論が違います。その時に、私たちがどのように動けばよいのか、祈りと御言葉において奮闘しながら進んでいきたいものです。

(後記1)
英語の分かる方は次の記事をお読みください。互いに相手を偽者として非難してしまった口論ですが、両者の働きを評価し、かつ愛をもって勧めを行っている、ワリド氏の友人の記事です。「イスラム教のマーディ(メシヤ)が聖書の反キリストである」と主張している著者ジョエル・リチャードソンによるものです。

On the Shoebat-Yousef squabble

(後記2)
モサブ氏の友人、ジョエル・ローゼンバーグ氏も、特定の名前は言っていませんが、実にこの問題に当てはまる内容を話しています。ジョエル氏こそ、ヨエル3章2節にある神の御言葉「わたしの地を自分たちの間で分け取ったからだ」の警告を真剣に受け止め、現代の兆候を非常に案じている一人ですが、次の記事では多くの部分を、パレスチナ人クリスチャンの苦しみに敏感になり、愛を持って真理を語ることへの重要性を説いています。

A MESSAGE OF WARNING TO THE NATIONS: DO NOT DIVIDE THE LAND OF ISRAEL — Understanding the Book of Joel, Part 5

「ユダヤ人解読のキーワード」


二週間前、三冊のイスラエル・ユダヤ関係の本を図書館で借りていて、今日、返却日なので二冊は延長、一冊は返却
しようと考えています。それで大筋読み終わったのが、次の本です。

「ユダヤ人解読のキーワード」滝川義人著

<内容>
「解読」という言葉は、謎、不可解というイメージを連想させる。現在、人口千二百万人のユダヤ民族は、四千年の特異な歴史体験を有し偏見にさらされながらも、思想、芸術、科学等の分野で貢献してきた。日本人はその存在を知るようになって日まだ浅く、今なお身近ではないので、ユダヤ観には先入見や妄想の産物ともいえるものが多い。本書では、キーワードを通してユダヤ民族の抱える問題点を紹介していくが、それは妄想の構造を解読することでもある。

*************
これまで、いろいろなユダヤ・イスラエル関係の書籍をこのブログに紹介しましたが、一般の日本人ならこの本はとっつきやすいのではないかと思います。日本人が書いているので、日本人の視点からのものが多く、理解し易いです。

「ハマスの息子」(Son of Hamas)ついに出た日本語訳!!

このブログで何度となく紹介させてもらったモサブ・ハッサン・ユーセフ氏ですが、彼の著書Son of Hamasがついに邦訳されました!

ハマスの息子(アマゾン)


これは、1)イスラエルとパレスチナの相克、そして2)この問題におけるキリストの愛の所在を知りたければ、必読本です。

上のアマゾンのサイトに本の紹介がある他に、拙ブログの記事と菊池一徳さんのブログを紹介します。

SON OF HAMAS(ハマスの子)

SON oF HAMAS(ハマスの子)その2

All About ガザ ガザ支援船拿捕事件の真相 エゼキエル38章の中東戦争の預言成就 ハマスの息子の救い(ページの一番下から読みます)

恵比寿バイブルスタディのお知らせ 6月29日(水)

お元気ですか?

次回の恵比寿バイブルスタディのお知らせを致します。

日時:6月29日(水)19:00~
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:詩篇95篇以降
※ 食事は学びの前と後で持参ですることもできます。

お気軽においでください。平日のお仕事の半ばに、御言葉による安らぎの時が与えられればと願っています。ぜひご利用ください。

次々回は、7月6日(水)を予定しています。

トラビスの牛網・下二郷・月浜旅行記(6月20-22日)

今回は、主に三つのチームが三つの避難所で代わる代わる奉仕をしていたので、お互いのことを知らずに行っていました。トラビスが旅行記を書きました。英文ですが、宜しくお願いします。(時間があったら、訳すかな?)

Latest update on our trip up to Higashi Matsushima- 6/20-6/22


(トラビスが月浜海岸で泳ぎました)

第七回目 月浜・牛網旅行 6月22日

三日目の朝は、魯先生と私の妻が牛網に行き、水餃子の具の準備をしに行きました。そして残りの男性たちは、月浜海岸に向かいました。この日は晴天で、神様に感謝しました!

そしてなんと、他の二つのチーム全員がこちら月浜海岸に向かっているとのことです!そして着き浜地区長の小野さんもいらして、私たちの午前中の活動にいっしょにおられました。後でジュースも用意してくださいました。

私は今回の旅行は人数が多いので、正直、困っていましたが、海岸の掃除のような時には人海戦術が最適です。なんと残りの三分の二が、きれいに片付きました!ハレルヤ!!

さすがハワイ人、彼らはなんと服を着たまま海に入って、泳いでしまいました!トラビスによると、まだ水は冷たいとのこと。私は、この夏にバプテスマ式をここでやったら良いのでは、という祈りをし始めています。

それから私たちは、牛網に向かいました。水餃子の準備はできており、数人の避難民の方が皮包みに参加してくださいました。その中に斎藤さんがおられます。チャックの奥さんの由美さんから聞いたのですが、宜野湾の人たちは、牛網に住んでいる斎藤さんの家の改装を手伝ったとのこと。

彼女が第一回目の私たちの旅行のとき、トラビスが津波の瓦礫から拾ったピアノを弾いているのを見て、涙を流し、私が祈らせていただき、そして「これを一回だけにしないでほしい。」と懇願された方です。彼女から「もう牛網避難所の住人になってもいいですね。」という、本当にうれしいおほめの言葉をいただきました。

水餃子も食べ終わり、すべてのチームが牛網でお昼をゆっくり過ごしました。山東さんが残りものでスパゲッティと醤油チキンを作ってくださいました。宜野湾のチームは、これからさらに数日、東松島に残っておられます。どのような活動をすればよいかをみなさんと私で話し合いました。月浜避難所担当の小野さんの連絡先を渡し、また木村さんもさらに数日いらっしゃるので、ぜひ月浜避難所での活動を勧めました。

今日、木村さんから連絡が入りましたが、彼らが避難所でスパムおにぎりを提供し、清掃など他の活動もしたかったのですが、雨だったので、室内で避難所の人たちの話を聞いたりして時間をすごしたとのことでした!ハレルヤ!

宜野湾とCCBCの人たちは、この夏、チームを交替させながら東松島を中心に東北救援旅行に来られる計画です。その第一弾がチャック・由美ご夫婦率いるチームです。どうか、続けて彼らのためにもお祈りください。

私たちは、魯先生のリクエストで、松島で温泉に入って、それから塩崎さん、私たち二人が車に乗って東京に戻ってきました。

私が救援旅行で魅力を感じるのは、伝道の機会が至る所に生じること、そして仕えるクリスチャンの麗しい姿です。不平をもらさず、小さなことでも喜びと感謝を感じ、そして一度手伝ったところにまた行きたいと願うクリスチャン。それが、被災者の方々に大きな光となっています。さらに、私たち奉仕者の間でも、その喜びを味わっている人々の間には麗しい御霊の一致があり、主をほめたたえています。

次回はぜひ、再びLCFの人たちを連れて行きたいです。何人かは既に参加していて、そのすばらしい御霊の働きを見ることができました。教会のためにもこの活動は必要と感じています。

第七回目 月浜・牛網旅行 6月21日

20日の夜、私は仲間に五時半起床、六時朝食を告げました。早いのにびっくりしていた人がいましたが、私は、「避難所の人々は通常五時前に起きて、六時には活動を開始していている。就寝が八時だ。彼らの活動に合わせないといけない。」と話しました。

朝、前々回と同じように、宿の部屋で自炊をして、それからデボーションをしました。私は、先週土曜日に説教した出エジプト記2章から、モーセが神の民の苦しみを共にして、エジプトの富や地位を捨て、永遠の報いを求めたことを話しました。救援活動によって、私たちの快適な生活は犠牲を負いますが、けれども、苦しみを共にすることが神の報いの道であることを離しました。

それから、チームを二つに分けました。女性と、運転手の魯先生は昼食の水餃子の具とフルーツの準備を、男性は月浜海岸に向かいました。

水餃子は手軽に作れる料理であり、また皮を包むときに避難所の人たちと一緒にできるという利点があります。そしてフルーツは、前日、避難所の女性たちから、「スイカが食べたい」という声が上がったからです。つまり、水気のある果物(スイカ、メロン、ブドウ等)や野菜(トマト等)に飢えていたみたいです。それで私の妻と魯先生が前日、スーパーマーケットまで車を走らせて買い物をしたのです。

もう一つ、メニューの中に「水キムチ」があります。綾瀬東部教会が作ってくださいました。これは日本の人たちにはあまり知られていませんが、冷たい汁の中に漬物があるという感じのキムチで辛くなく、さっぱりしています。暑くなってきたので、いいんじゃないかと思ったのです。

私たち男性陣が月浜海岸に到着し、そして牛網に宿泊しているカルバリー・ホノルルのマッチョの四人と、宜野湾のチャックさんが到着しました。大木など、砂浜に漂着しているごみをどんどん片付けて行きました。私は、細かいごみを拾い始めました。まだキャップの空いていない炭酸水のペットボトルがたくさん流れ着いていたのに、一本ずつ開けて中身を出したりもしました。

すると二時間ぐらいで、見事に三分の一ぐらいがきれいになりました。私はこの夏いっぱい、ここの海岸の掃除がかかるかなと思っていたので、本当に驚きました。兄弟たちも、「ぜひ残りの部分も終わらせたい。」とやる気満々でした。

11時に月浜避難所に戻り、水餃子の準備をしました。包む作業を避難されている方々にお願いしたら、女性たちがエプロンをして次々と包んでいきます!担当の小野さんが教えてくれましたが、それもそのはず、彼女たちの多くが民宿を経営していた人たちです。宮戸島の人々は民宿と漁業で生計を立てています。私も幼い頃と大人になってから二回、月浜海岸に来ています。

水餃子、水キムチ、フルーツを食べた後に、そこを片付けて、同じテーブルで見城さんと望月さんが同じくカントリー&ゴスペル・コンサートをしてくださいました。そして、さらに木村さんが自宅の掃除に来た女性のボランティアのグループも招いておられました。

私たちが二度に渡って木村宅から刀や着物を取り出した後、木村さんは、残っているものを東松島市を通してボランティアに取り出してもらっていたみたいです。一度、男性のボランティアに来てもらったら整理が雑だったので女性たちを要請したとのこと。そして木村さんは見城さんの音楽がとても気に入っていたので、昼食もゴスペル・コンサートも全部参加させたのです。

私と塩崎さんは、続けてホノルルの人たちと月浜海岸で掃除をしに行こうとしましたが、あいにく雨が降り出しました。それで再び避難所に戻りましたが、見城さんたちによると、じっくり福音を語ったとこと、神に感謝です。そして、私たちはトラビスの要請を受けて牛網避難所に移動しました。

牛網避難所には、カルバリー所沢のマイケルとチャックが醤油チキンを作っていました。山東さんが大まかなのを作り、それから下二郷でも食事を作りに行ったそうです。そして、他の人たちは20日に牛網で奉仕をしていたので、下二郷に移動し、そこで夕食とコンサートをしに行きました。料理だけ作って、私たちがそれを避難所の人たちに出します。

千葉さんが顔を見せてくれましたが、いつもと違って笑顔がありませんでした。ぜひ彼のためにお祈りください!避難所生活がすでに三ヶ月を越しています。多くの避難所で、人々が長い避難生活でいろいろな意味で疲れを覚えています。

けれども、魯先生と私は、塩崎さんと木村さんと、神の救いについての質問応答の時間を過ごし、就寝が午前1時近くになってしまいました!

第七回目 月浜・下二郷・牛網旅行 6月20日

無事に昨夜、東松島から帰ってきました。これで、LCFとしては第六回目、全体としては第七回目の旅行の報告をさせていただきます。

19日の正午は、奥松島の木村さんと福島富岡町の植田さんを交えて、昼食を取りました。新井さんが、大きな消しゴムを彫って文字のスタンプを木村さんに作りました。そして二時から礼拝です。私は、新しい人々が来ることを意識して聖書箇所を少なくしましたが、それでもたっぷり一時間かかった説教を興味深く聞いておられました。その後も濃密なお話しの時を持つことができました。

そしてそのまま木村さんは私たちの家に宿泊です。そして次の日、7時半には綾瀬東部教会の魯牧師と、ボランティアの塩崎さんが到着しました。

塩崎さんはこのブログ記事では初めての方ですが、実は、この方がおられなかったら私たちの救援旅行は全然違っていたと言っても良い重要な人です。塩崎さんは針灸をされている方ですが、武道館内でボランティア活動ができないとのことで、その場所を探していた時に魯先生と出会うことによって、その教会の中で活動場所ができるようになりました。それで武道館に避難されている人々が教会に来るようになった、という経緯です。そして、私が4月10日にその教会で説教の奉仕をしたその夕方に、その避難者の一人である木村さんに出会いました。

20日は、罹災者証明書を持っている人は高速道路が無料になる開始日でしたが、私は首都高も無料になると思っていたところ、東北道だけであったことが分かりました。車二台で行ったのですが、結局、災害救援車両許可書を取っていた魯先生の自動車は全行程が無料、木村さんの車が首都高の分だけ料金を払いました。

私たちは前々回の旅と同じく、宮城県の菅生PAで静岡チームと落ち合い、そこから宿泊する松島の湯の原温泉に向かい、荷物を降ろして、そして奥松島の宮戸島にある月浜避難所に向かいました。そこで、すでに数度、牛網などでお手伝いに来てくださっている仙台在住の武田さんと合流しました。月浜避難所で明日の予定について担当の小野さんと話し合った後、私たちは下二郷の避難所で人が足りないとの知らせをトラビスから受けたので、明日、掃除する予定の月浜海岸を見学したあと、そこに向かいました。

そこは、東松島市の北隣にある遠田郡美里町にありますが、牛網の隣町の浜市住民が避難しています。私は担当の熊谷さんと話ながら、私たちの牛網での救援活動や、浜市小学校を見ながら家の掃除をしていたことなどをお話しました。中を覗くと、かなり若い人々がいます。子供たちも多いです。

そして台所では、カルバリー西東京の山東さんと、沖縄宜野湾からチャック・ロブさん、そしてCC Bible College卒業生の松原さん、在校生の中村さんが夕食の準備をしていました。ハワイ風醤油チキンです。牛網の千葉さんがトラビスにこれを作ったら良いと勧めていたそうです。

そして静岡教会の牧師、見城さんとスケットの望月さんが、イブニング・コンサートの準備をしました。塩崎さんは針灸の奉仕をされました。

食事は、初めあまり人が来なかったのですが、一度、醤油チキンを味わった人が「おいしい!」との声を上げると、取りに行く人々が出てきました。そして台所の隣の部屋で行ったイブニング・コンサートにも、人々が入り始めました。

見城さんと望月さんは、前々回と同じように、ギターでしっとりとした歌を奏でました。望月さんは自分が引きこもりの状態から主に出会った体験を詩にして歌いましたが、みんな感動しました。そして、その部屋に聖書やトラクトも机に置いて帰りに取っていってもらうようにしました。

そして私たちは牛網避難所に向かいました。そこで、牛網で奉仕していたハワイのチームやトラビスたちがいました。なんと、彼らは避難所の駐車場に大きなテントを張っています!山東さんが、「ホノルルからのメンバーに、マッチョがいて、力仕事をしたがっているから、ぜひ月浜海岸の掃除をさせたらいい。」と教えてくださったので、私はトラビスに男たちを月浜に送ってくれるよう頼みました。

宿に帰ったら午後10時を過ぎていました。

次の東北救援旅行(6月20-22日)

次の東北救援旅行についてのお知らせです。

先週の月曜日、奥松島の木村さんと連絡が取れました。奥松島の月浜海岸では彼の半壊の家から所持品を取り出す作業を行ったのですが、現地にいる彼に避難所の人たちが私たちボランティアのことを覚えていて、「来てくんねえがなー」と仰っていたそうです。それで、私たちは元々20-22日に東松島救援旅行を計画していたので、では行きますと申し上げました。

東松島の牛網避難所には、現在、カルバリー所沢のトラビスの家族が訪問しています。家族旅行と来週の旅行のための前準備のために行きました。次回は、奉仕する新しい避難所が二つ与えられました。

下二郷地区コミュニティーセンター

場所は東松島市の北隣の「遠田郡美里町」という所ですが、これは東松島市牛網の隣町である「浜市」の住民がおられます。そこは牛網よりさらに海岸沿いにあるため、家は土台だけの全壊状態です。したがって、家の掃除や修理のために自分の家に戻る必要がなく、遠くの避難所に住んでおられる、とのことです。人数は40人ぐらいとのこと。

避難所を訪れて・・・

上は、六月上旬にあるボランティア団体が下二郷コミュニティーセンターを訪れた日記です。トラビス・リッチ・山東さん・マイケルが訪れた時と同じ建物の入り口の写真も掲載されています。


そして、もう一つの月浜住民の避難所は、大きいのと小さいのに分かれます。大きいのは奥松島縄文村歴史博物館の隣にある「漁協宮戸西部支所」で、もう一つは月浜海岸の高台にある「民宿かみの家」です。活動は、主に月浜海岸の瓦礫除去と、炊き出しとゴスペル・コンサートです。この二箇所にお知らせの紙を貼りたいとの要請がありましたので、作成し、郵送しました!

「水餃子」の炊き出し(?)は、静岡教会からの見城さんチームに今回は在米の台湾人の方が来られるとのことで、皆で一緒に皮を包んで親睦を深められる中国式をやってもらおうということになりました。

こちらに掃除する月浜海岸の津波前のブログ記事がありました。そして、ここは「宮戸島」の中にありますが、現地の人が被災と救援の状況を克明に記録しているブログがあります。

東松島市 地震 津波 宮戸 野蒜 現地情報

今回は、カルバリーチャペル・ホノルルからチームが、そして沖縄のカルバリー宜野湾からのチームも来るという事で合計20名強になります。「こんなに人数が多くてどうしよう・・・」と思っていたところの新しい奉仕先です、主に感謝します。そして宜野湾のチームは交替でこの夏、チームを送り続ける予定にしています。

お祈りください。

「想定外」は私たち皆

昨夜、恵比寿バイブルスタディの帰りに兄弟たちと少し交わりましたが、みなが救援活動をしているので、少し福島の話題になりました。単に天災である地震と津波はある意味ですっきりしています。けれども原発事故は「人災」の要素もあるので、以前も記事に書きましたが非常に複雑です。放射性物質の数値さえ、専門家によって変わってしまうという状況で、福島県民の方々はいったいどういう思いをされているのかな、という話をしました。

ところで政府や東電が行っている一つ一つの挙動を、鬼の首をつかんだかのように怒り、責める姿に正直、辟易しています。私は東電に対するイメージは単純に「お役所みたいなところ」ということでした。巧妙な隠蔽工作などできる暇がなかっただろうし、東電の方々には申し訳ありませんが、そんな悪魔的に(?)頭脳明晰な人はそこにはいないと思います。

役所であれば、今の被災地でも本当に機能していない姿を見てきました。また個々の避難所においてでさえ、そこのリーダーの手腕によってまるで状況が変わってくるのです。

「なぜ、今頃メルトダウンが分かったのか?」という怒りの声はもちろん理解できますが、そのような杜撰な姿は、皆さんの身近な所でもこれまでいくらでも起こってきたと思うのです。役所のようなところに行けば、きちんと対応してくださる職員の方も大勢おられますが、2-3分で終わるような手続きで1時間ぐらいかかったり、相手に非があるのにこちらが悪いと逆に責めてくるとか・・・。小さなレベルでは沢山あるのです。

私たちも同罪

はたして私たちは今回の地震は「想定」していたでしょうか?また地震の事前防災はされていたでしょうか?水、食糧、避難場所がどこにあるかなど、分かっていた方はどれだけいたでしょうか?あれだけ買いだめしたのは、今回の地震が「想定外」だったからではないのでしょうか?

(私も、3月11日の二日前、沖縄カルバリーチャペルの水曜礼拝で説教の奉仕でした。ある方が、「仙台で震度4だったって。」と仰っていましたが、私は、「いつもの事だから。」と言って親に連絡しようとはしませんでした。だから、地震が起こって通信不能になった時に後悔しました。)

私たちでさえ混乱したのですから、人間の集まりである東電という企業もまた政府も混乱し、収拾がつかなくなったというのは容易に想像できます。

そして津波で死んだ方について言いますと、死んだ人々に鞭打つことになってしまいますが、被災地で生き残った方々の声を聞くと、多くの場合「そんな大きな津波ではないだろう」と思って、自分の家に戻ったり、混雑した道路にずっと止まっていたり、つまり「想定」していなかったからなのです。

そして、「福島県民のことを考えろ!」という怒号も聞こえます。けれども、福島県民こそ、長いこと原発推進の歴史をたどってきた人々であり、実に東電やその下請けで働いている人たちが大勢いるのです。県民の方のブログにはこう書いてあります。

原発事故の被害を受けている福島の人々は、「こんな被害を受けているのに、それでも原発をとめたくないという人は、私たちの気持ちがわからない」という気持ちでいっぱいのことだと思います。
しかし、私は、原因究明なしには、それを言える段階にはありません。確かに、自然とは共存しえないものだということは人間としてはわかるのですが、どうして想定外のことが、地球に何基もあるのにわざわざこの福島で起きてしまったのかということを知らなければ、これまで福島県が原発を誘致してきた意味がなくなってしまいます。今、原発とともに福島が歩んできたのがなぜか、わからなくなってしまいます。世の中で今、言われているように、「安全だから」という思考停止に陥ってしまったから、受け入れてきたというだけなのでしょうか。私にはなんとなく、そうは思えないのです。それを知らない以上、原発反対に足を踏み入れることはできません。
私が一番腹が立つのは、被害を受けていない人で、いきなり原発反対に目覚めた人たちです。微量たる放射性物質被害を受けているからそう感じているのか、それとも福島県民に同情せんがためにそう感じているのかは定かではありませんが、真に福島のことを思うのならば、そのように安易に原発反対に舵を切れることはないはずです。これこそ、思考停止の最たるものであり、私はそういう方々を軽蔑します。
http://blogs.yahoo.co.jp/iizakaumare/35372712.html

ここで言われているように、津波の被災者が「これだけの津波がなぜ三陸に、そしてこの時に起こったのか?」と言っているのと同様、「地球に原発が何基もあるのに、わざわざこの福島で起きてしまったのか」が大きな疑問であり、これはまさに霊的困惑である「神がおられるなら、なぜ・・・」という問いなのです。こちらに私たちキリスト者はもっともっと、心を使って祈っていくべきであり、その答えを聖書の神は持っておられることを、心を砕いて伝えていくべきではないかと思います。

そして反原発運動の中でも、誠実な心から行っている人々はいます。(私は反原発に反対しているのではなく、一連のブログ記事で、「恐れ」「混乱」「裁き」「怒り」などの霊的問題を取り扱っています。)例えば、次の記事を見つけました。

反原発のキャンドル・ジュン、意外な言葉「原発を推進した人を責めないでください」東京電力の職員を思いやる

やはり私は、今回の大震災で思わされているのは、「神が憐れみによって、このことが起こるのを許してくださった。ヨブと同じように、全てがそがれた後で、それでも残る「命」そのものへの根本的問いを人々がすることができるようになるためだ。」ということです。そして、原発事故のことで必要以上に不安になる、混乱する、怒る、責め立てるなどの反応は、まだ、「旧態依然の安定した、物にあふれて、どこかが病んでいる日本の姿」のままでいるからだな、と感じるのです。

曾野綾子氏の過激発言

カトリックの小説家、曽野綾子氏がかなり叩かれているようですが、以下のような発言をしています。

瓦礫を薪にして暖を取れ

曽野 「原発や被災者支援などに対するマスコミの質問もおかしかったですよ。「明日はどうなるんですか」「物資は公平に配られていますか」ですって。もうやめてもらいたいですね。この非常時に、予定どおりの明日がくるなんて誰にも分からない。
 そして、電気が消えた時点で、民主主義というものは停止するんです。公平も平等も機能しないんです。それがわかっていない。もっとひどいのは、「その委員会はいつ立ち上げたんですか」。緊急の時に過去のことなんか聞くな、でしたね。
 私は報道に関しては、あれだけの地震や津波の映像をきっちり記録してすぐに国民に知らせたり、原子力保安員や東電がきちんとぺーパーをつくって毎日現状報告をしていることは、すばらしいことだと思う。」

(中略)

曽野 「私は、未だに答えのない疑問を持っているんです。「避難所が寒くて凍えそうだ」「低体温症で体調を崩している」「温かいものが食べられない」という報道がありましたが、あれはなぜ? そこらじゅうにあんなに薪があるじゃないですか。瓦礫の処理が大変だと言っていますが、どうして木片は燃やさないんですか。
 同じ高さの石を三つ積めば竈(かまど)ができるんです。そこに、あれだけ燃やすものがあるんだから、あとはどこからか鍋を拾ってくればいい。私だったら、あそこで薪を集めて食事をつくります。」
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20110518/p1

 こうした一連の発言に対して激しい非難がありますが、コメントの中にはいくつか「一理ある」としてこういう意見を言っています。

「曽野綾子の念頭にあるのはアフリカとかの日々の食事もままならない所の話。これまでの取材の経験などから最悪の想定が常人とは少し違う。だから日本のこれまでのモノにあふれた日常が甘っちょろいのであって…と言う話。」

「電気がとまれば民主主義が停止する、は『アラブの心』という著作で言及されています。「瓦礫を薪に」というのもおそらく日本財団の関係で訪問した発展途上国で見た風景を二重写しにされているものと推測します。」

実は私もこれに同感なのです。まだ批判・非難が出来ているということは、本当に被災していないのです。本当に被災した人々は、ただ黙って動いています。

被災地を含めた今回の震災の日本と私が以前いたところでは、まだ前者の方が状況は良いのです。私も分刻みの東電や保安院の報告には驚かされました。国によっては、職員や労働者はすぐに逃げて放射能は垂れ流し、政府も一年後ぐらいに、どうしようもない報告を出すだけに留まるでしょう。(そうした発展途上国が今、ドイツのような先進国とは裏腹にどんどん原発を設置しようとしています。)

そういう所にいる人々は、どんなに政府が腐敗していようが、行政が全く機能しないであろうが、不平など言えないし、言ったところで変わらないし、下手をすると投獄されます。だから、ひらすら生きるだけです。ゆえに、たくましい。

だから、私も曽野さんのように「最悪の想定」がもっと違う変な日本人(?)かもしれません。「車が流された?まあ、わが奥さんも一時間ぐらいかけて、リュック背負って泥まみれになって買い出しに行ったしな。」停電も、「えっ計画?抜き打ちじゃないようにしてくれているんだ、すごい!」と驚いたし、放射能汚染の東京の水道水も「ものすごい厳格な基準値だね!この水のほうが、他の多くの国の通常の水より、ずっときれいじゃん。」と真面目に感じてしまいました。

ですから、私はこの基準の高い日本を神に感謝しているし、同時に、その感謝を忘れているから、不安とかストレスとか、怒りが生じて、日本人を精神的にそして霊的に摩耗させているのではないか、と感じます。