1月28,29日のLCF活動場所

みなさん、よろしかったらぜひ私たちの教会にいらしてください。次の活動場所をお知らせします。

1月28日(土)場所:足立区こども家庭支援センター別館
 14:00 聖書の学び(使徒の働き20章)
 16:00 祈り会

1月29日(日)場所:足立区綾瀬の明石宅(詳しい場所は、info @logos-ministries.orgにお問い合わせください。)
 11:00 午前礼拝(民数記20章2-13節)
 14:00 午後礼拝(民数記19-21章)

感謝。

映画の中にある「結婚」

1月12日にアメリカから日本に戻る飛行機の中で、The Debt(借り)という映画を観ました。

私は残虐さのみを前面に出す戦争映画はあまり好きではないのですが、心理戦や諜報活動の映画は好きで、特にイスラエルのモサド関係は書物も好きだし映画も好きです。上の映画は「モサドが、旧東ドイツ内でナチの犯罪人を拉致し、西側で連れてきて最終的に裁判にかける。」という、フィクションではありますが歴史と現実に即した良質な映画だ、と思っていました。

特に、女性の要員が作戦の中に組み込まれますが、それはその元ナチスの男は現在産婦人科医であり、彼から診療を受けるふりをするためです。彼女を診療している医者に向かい、毒の入った注射針を首に突き刺す場面は、圧巻でした。

けれども、がっかりしたのがモサド要員の仲間で恋に陥ることです。男性の要員二人とその女性とが三角関係になり、それが遠因となって、その国家をかけた作戦がおじゃんになります。これは、実にハリウッド的、アメリカ的な挿入であり、実際では絶対に起こらない愚かな行為です。この映画はイスラエルの映画のリメイクなのですが、オリジナルのイスラエル版では、その部分はさらっと流しているだけで強調していないそうです。(Wikipedia)

なんで、こんな映画の感想を書いているのかと言いますと、結婚や男女関係というものが、ハリウッドの中で、アメリカの中で、そして現代社会の中であまりにも軽々しく考えられている、という思いがずっとあるからです。映画の中でしばしば、会ったばかりの男女がすぐに肉体関係の中に入る姿に実にげんなりするのですが、アメリカに留学した経験の持つ私の友人によると、キャンパスではそれが当たり前だとのこと。まるでスポーツのように男女関係を変えていくのだそうです。

そして、さらに残念なことには、クリスチャンと言っている人々とそうではない人々の離婚率がそれほど変わらないという事実です。(参照記事)クリスチャンには、次の神からの命令があります。

「・・・『創造者は初めから人を男と女とに造られ、そして言われた、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」。」(マタイ19:4‐7)
「『それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。』この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。」(エペソ5:30,31)
「『わたしは、離婚を憎む』とイスラエルの神、主は仰せられる。・・・」(マラキ2:16)
「結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。・・・」(ヘブル13:4)

「結婚」というものが、元々、定められた意図とは全く異なる形でこの世では受け止められていて、そしてクリスチャンまでが、その価値観に影響されたまま結婚しているとしか思えません。

結婚というのは、上の御言葉にあるように神聖なものです。キリストと教会を具現している男女関係です。そこにあるのは「一心同体」です。今日、「権利」や「独立」という価値観が極めて強い中で、結婚は自らの意思や権利を、さらに高尚な価値観のゆえに放棄し、キリストのゆえに、配偶者のゆえに自らを捧げていく行為です。これができるのは、キリストに全てを捧げた者だからこそできることであり、一生、親密で成熟した関係を保っていく夫婦こそ、キリスト者であることの証しの一つになっていなければならないのです。

ですから、キリスト者は結婚を考える前に、「どんなことよりもキリストを主として、この方に仕え、従う。」という前提がなければいけません。そしてこの献身が出来ているからこそ、自分を捨てて相手に身を捧げる決意を抱くことができるのです。つまり、結婚はキリストの似姿に近づいていくことの聖化以外の何物でもありません。

男性と女性にそれぞれの弱さがありますが、男性はもちろん「目の欲」であり、肉体関係を視覚的に見ること、実際に行なうことに強い衝動を抱きます。映画にしろ何にしろ、そのような場面の出るものを避けたいと、聖さを求めるクリスチャンなら思います。女性ならその弱さは「恋愛」でしょう。私はロマンスの映画がどうも好きになれません。あまりにも非現実的であり、「白雪姫」や「美女と野獣」と同じレベルを地で行なっているようにしか見えません。男性の肉欲よりは刹那的ではないかもしれませんが、恋愛もあくまでも生理的現象の一つであり、感情の一つであり、数年経った後もそれが持続していることはあり得ないのです。

私の好きな映画に「明日の記憶」というのがあります。若年アルツハイマーにかかった中年男性を、妻が、彼が完全に彼女の記憶を失うところまで付き合っていく話になっています。私はやや年を取ったからなのでしょうか、このような最後まで続く成熟した夫婦愛、そして病身になっても献身する姿に真実の結婚愛を感じ取るのですが、これはあまりにも古臭い考えなのでしょうか??

夫婦愛をその肉体関係を含めて描いている書物が「雅歌」です。聖書の日本語訳を読んでもなかなか伝わりませんが、ここに牧師さんによる分かりやすい翻訳があります。ぜひ読んでみてください、実に官能的です。しかし、その雅歌にも夫婦の危機が描かれており、それを乗り越える姿とさらに夫婦関係が成熟する姿も描いています。(さらに詳しく学びたいか方は、ロゴスの学びに飛んでください。)こうした夫婦愛がまさに真実であり、たとえ性欲が多少減退していたとしても、むしろ幸福感はさらに増し加わるというのが実際であり、そうした面は映画では描かれることは極めて少なく(注:もちろんその場面を視覚的に出してはいけませんが)、初めの恋愛の話が大半を占めているところに、私は幻想があると見ています。

今、共和党の大統領立候補者の予備選が行なわれていますが、アメリカの私の友人である、ある兄弟が(彼は共和党支持者)、キングリッチ氏には決して投票しないことを明言していました。それは、もちろん彼の不倫経歴であります。他の候補者、ロムニー、ポール、サノトラムは、それぞれただ一人の女性に「合計117年の結婚があるのだ」と言っています!最後まで一人の女の人だけに捧げる、ということがどれだけ麗しく、すばらしく、光栄なことかと思います。

みなさん結婚を決して軽々しく考えないでください!それは、自らを主に捧げ、相手に捧げる神聖な行為です。そして「離婚をするな」というのは人を縛る言葉ではなく、その後にある悲しみと痛みを案じて主が語られていることであり、みなさんの益になることなのです。

最後に、恋愛、性、結婚について知りたい方は次のサイトをお勧めします。

小さないのちを守る会

特にその中にある「結婚、恋愛、性で悩んでいる」という欄、そして「ブログ」にある「聖書的恋愛論」の話題などが参考になります。

My Last Day(私の最後の日)

先ほど、すばらしいお知らせをいただきました。マンガ「メサイア」など日本の漫画家による聖書物語が出てきていますが、ついにアニメも登場!!

My Last Day(私の最後の日)

イエス様の十字架の横で磔にされた囚人の目から、イエス様の姿を描いています。歴史的、考古学的にも正確さに拘っている点もすごいです!日本語だけでなく16の言語も訳されているので、外国の人に伝道する時もこのYoutubeをシェアしてみましょう!

http://www.youtube.com/jesusfilm

日本語用専用サイト: MyLastDay.jp

恵比寿バイブルスタディ後の交わり

恵比寿バイブルスタディが昨夜ありましたが、まず2月の予定の変更をここでお知らせしたいと思います。

2月8日と29日です。当初22日にしていたものを29日に変更しました。21-23日辺りに東松島への救援旅行に行けそうになったからです。

昨日はサムエル記第一4-7章からでした。サムエルが預言者として立てられてからも、彼に与えられた神の言葉がイスラエルの民に変化をもたらしたのは二十年という期間が必要でした。真のリバイバル(霊的復興)とは何かを学ぶことができました。

1サムエル記4-7章(音声)

そしてその後の交わりの時も充実していました。「プロテスタントとカトリック」の違いから、プロテスタント教会にある諸問題を分かち合わせていただきました。

一つは「カルト化」です。ある兄弟が、「教会に疑問を持ったときに、『教会は聖霊が満ちているところだから、疑問が沸くのはまだ自分の肉から出てくると考えなさい。』と言われた。」というものです。私は、「プロテスタントが教会主義に陥ると、カトリックよりもたちが悪い。組織や指導者への従属が強く、個を破壊する。」という話をしました。

もう一つは「自分中心主義」です。「見える教会」と「目に見えない教会」のどちらもがあるにも関わらず、自分の心にあることが全てとなり、外側の目に見える教会組織をすべて否定する傾向です。これは超教派の聖書研究の集会に出て、既存の教会から離れるという問題に如実に表れています。また、インターネットで聖書メッセージを聞いてそれで自分は教会をしていると錯覚していることです。家の中で夫婦や家族だけで礼拝を守っている、あるいは牧者や長老など、賜物がキリストから与えられた指導者なしで行なっている、という場合もあります。

また「教会成長主義」です。兄弟を愛し、仕えることのない、つまり具体的な教会活動のない信仰は実体がないわけなのですが、今日の教会が米国式マーケティングの手法のような「数や規模による拡大」の考えが入り込んでいること。表向きの伝道や教会成長は強調しても、集っている兄弟姉妹が実際に互いに仕えて、互いに祈りあう弟子化がないがしろにされていることを指摘しました。新しく信じた人には幼子を育てる親のようにじっくり時間をかけるべきこと、そして弟子作りは建物の土台を敷くようなもので、目立たない地味な作業であるが、最も大切な働きであることを話しました。

・・・こんな感じで、奥の深い交わりも神様の恵みで守られています。ぜひ、恵比寿バイブルスタディにもいらしてください!次回は、再来週の2月8日です。

ロゴス・ミニストリー主催のイスラエル旅行

ずっとお祈りして、周りには話していたことをここでも分かち合わせていただきます。

イスラエル旅行記をお読みの方は、私が個人的にイスラエル旅行を主催して行ってみたいという思いをご存知だと思いますが、具体的に次のようにできたら、と思っています。

時期:来年2013年の冬か春
期間:二週間弱
場所:エルサレム、ガリラヤ、死海、(ネゲブ)
使用言語:日本語(日本人ツアーガイドによる説明)
出発地:成田のみならず日本各地、そして海外からの人は現地集合

先ほど、現地ツアー会社の人と話をして、具体的な見積もりを立てていただくつもりです。お願いがございます。

1.ぜひ、お祈りください!
2.興味のある方は、ぜひご連絡ください。人数によって値段も変わってきますし、希望時期によっても変わってきます。ご希望日時や期間を教えていただければ、考慮に入れさせていただきます。(Eメール:info @logos-ministries.org またはこの記事のコメント欄に書き記されても構いません。)

何卒、よろしくお願いします!

追記:先ほど現地旅行社に以下のメールを出しました(一部)。旅行の趣旨を知っていただければ幸いです。

希望日時:

① 2013年2月18日(月) - 3月1日(金)(日本3月2日着)
※2月から3月辺りであればどこでも良いと思っていますが、週初めに出発し週末に戻ってくるという旅程にしたいと思っています。期間は10-12日程度です。

② 2012年12月25日(火) - 1月4日(金)(日本1月5日着)
※年末年始が良い、という人の声もあるので、こちらの場合も考えていただけると幸いです。

発着: 成田を始めとする日本全国、またアメリカなど海外
※前回の旅行は大韓航空が便利でした。日本在住の人であれば、仁川国際空港で集合することができると思います。海外からの人は現地集合ということになります。けれども、大韓にこだわりません。(トルコも成田だけでなく関空から出ているので良いと思います。)旅行社をいくつかご紹介いただければ幸いです。

ホテル:申し上げましたように、四つ星と三つ星のホテルをご紹介いただけますか?

昼食:旅行者が各自出しますが、ファラフェルや典型的なイスラエル料理を食べられるお店に数回連れて行っていただければ嬉しいです。そしてガリラヤ湖では、聖ペテロの魚を食べたいです。

訪問したい場所

①エルサレム
新市街
イスラエル博物館(エルサレム模型 ・ 死海文書)ヤド・バシェム

周辺
オリーブ山 ・ ゲッセマネの園 ・ 園の墓 ・ 城壁周囲(各門やソロモンの石切り場等)

旧市街
キリスト教地区とムスリム地区(神殿の丘・ベテスダの池・エッケホモ教会・ビア・ドロローサ・聖墳墓教会)

ユダヤ地区(西壁・西壁トンネル・南壁の考古学公園・神殿再建財団(Temple Institute)・ヘロデ地区のウォール考古学博物館・カルド・ユダヤ教書店Moriahで買い物)
※ 西壁トンネルは予約が大変かと思いますが、ぜひよろしくお願いします。

シオン山の屋上の間(主の晩餐 ・ ダビデの墓)

② 死海
クムラン ・ エン・ゲディ ・ マサダ ・ 死海遊泳

③ ユダ山地
ベツレヘム(聖誕教会・羊飼いの野)

④ シェフェラ
エラの谷 ・ ベト・シェメシュ ・ (時間があれば)アドラムとラキシュ

⑤ 地中海沿岸
カイザリヤ

⑥ ガリラヤ
カルメル山 ・ メギド ・ ハロデの泉 ・ ベテ・シェアン ・ ナザレ(新ナザレから眺めるだけでも良いです。時間を使わなくて構いません)

ガリラヤ湖周辺(湖上遊覧 ・ クルシ ・ ベツサイダの遺跡 ・ カペナウム ・ コラジン ・ イエスの舟 ・ 山上の垂訓の丘 ・ タブガ ・ (時間があれば)アルベル山からガリラヤ湖鳥瞰 ・ ティベリヤのGalilee Experienceで映画鑑賞と買い物

⑦ ゴラン高原
ピリポ・カイザリヤ ・ テル・ダン ・ ベンダル山 ・ (時間があれば)カツリンのシアター ・ ガムラ

⑧ ネゲブ
ティムナ公園にある幕屋模型 ・ ベエル・シェバ

(⑨ペトラ - ネゲブに南下した際、もしヨルダン側にも入り、ペトラに行ったらどうなるかも教えてください。)

旅程順序
特にこだわりませんが、ガリラヤの後にエルサレムが良いかもしれません。

強調点:
- 聖書時代の地形と歴史を強調するツアーにしたいです。後世に建てられた建造物(教会堂等)には興味がありません。
- 訪問地において、要所で聖書からの短い話をしたいと思います(各回10分程)。けれども、なるべく多くの箇所を廻りたいので、一日に2‐4回程度に抑えたいと思います。
- 買い物のために時間をなるべく使いたくないと思っています。いくつかの地点(ユダヤ地区とガリラヤ湖など)等で買い物をしてもらうようにお願いします。

ちなみに、過去に行った旅行記がこちらにあります。そして、そこのサイト「ロゴス・ミニストリー」を通して聖書の学びをしている人々が主に集まってくると思います。

(続き:「暫定見積もり」)

今一番、世界が見ないもの その2

その1からの続き)

③ 暗闇の中にある光を伝える

私たちの主イエス・キリストは、むごたらしい死を遂げられた後、よみがえられました。暗闇の中に光を投じられました。この復活の命は、世の終わりに至るまで続きます。世は確かに悪くなっていく一方です。けれども同時に、その暗闇の中で主の御霊の力強い働きが同時進行で、同じ場所で起こっているのです。

それを知るのに良い書物は黙示録です。人々は黙示録は恐ろしいといいます。神の裁きの部分に衝撃を受けて、その他の部分や全体の流れを見失っているからそうなるのです。裁きの前に主は天における情景をはっきりとお見せになりました(4‐5章)。そして、裁きが行なわれている間も、天における讃美と礼拝を書き記しています。そして地上においては、そのような恐ろしい災いがあるにも関わらず、それでも救われる人々(注:教会ではなく、患難中に信仰を持つ聖徒たち)を神が起こしてくださっている姿を見ます。そして最後の呼びかけは、「渇いているものは、ただでいのちの水を飲みなさい」というものです。

ですから、地震による被害で今も苦しんでいるハイチで、驚くべき神の御業を見ることができるのです。(記事

昨日の報道で、エジプトにおける選挙の結果、ムスリム同胞団を始めとするイスラム党が70パーセントを占めたという暗いニュースがある一方で、以下のような報道があるのです。

想像を超えた希望
五千人から一万人のクリスチャンが、タハリール広場で大晦日に集会を開いたそうです。ちなみにリンク先のSAT7は、中東地域とイスラム圏に衛星放送で福音を届けている局であり、今、神が世界で行なわれている御業の最先端を報道していると言って良いでしょう。

確かにコプト教会は迫害を受けています。けれども、カイロ郊外のスラムで始まった「洞窟教会」は、今、このような礼拝賛美を捧げています。

この記事と、次の御言葉を重ね合わせてください。「それがエジプトの国で、万軍の主のしるしとなり、あかしとなる。彼らがしいたげられて主に叫ぶとき、主は、彼らのために戦って彼らを救い出す救い主を送られる。そのようにして主はエジプト人にご自身を示し、その日、エジプト人は主を知り、いけにえとささげ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。主はエジプト人を打ち、打って彼らをいやされる。彼らが主に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らをいやされる。(イザヤ19:20-22)」

イランも激しい人権弾圧が行なわれています。しかし、リバイバルが爆発的に起こっており、米国からはペルシヤ語による福音宣教放送が行なわれているのです。(Youtubeビデオ)これによって、毎週、イエス様を受け入れると反応している人が1000人もいるとのことです!

この国にも希望の預言があります。「わたしはエラム(イランの古代の国名)にわたしの王座を置き、王や首長たちをそこから滅ぼす。・・主の御告げ。・・しかし、終わりの日になると、わたしはエラムの捕われ人を帰らせる。・・主の御告げ。・・(エレミヤ49:38-39)」

これらが、私たちキリスト者が最も注目しなければいけない流れであり、同時に、世界がもっとも注目しない、あるいは報道しない出来事であります。私たちは世から一歩進み出て、この聖霊の流れの深みにまで潜らなければいけません!

④ 感謝と祈りを捧げる

ツイッターで、カルバリーチャペル西東京の牧師、再び山東さんが良いコメントを残しています。

原発や国政に意見を唱えると同じだけ、いやそれ以上、指導者を覚えて祈ることが求められている。そせて、神がそのことも支配し、運んでいる視野を忘れてはならない。1テモテ2:1から思う。
https://twitter.com/#!/Santou/status/160507559193739267

金曜の夜、健康ランドで教会の男性会を持ちましたが、そこで話題に上がったのが「日本には感謝が足りない。」ということでした、現代日本人は問題を指摘することには長けていますが、感謝すること、そして執り成しの祈りをすることには非常に後進的であります。モンスターペアレントのようになっています。

もしかしたら、教会の指導者に対してもモンスター信徒になってはいませんか?(参照:昨日説教「神の家の中にある反逆」(原稿 ・ 音声

けれども、そうした総国民モンスター化の状況で、感謝をささげ、執り成しの祈りをささげるところに、エジプトやイラン等にあるように、暗闇に光を投ずる神の驚くべき働きの一歩になると信じます。今日も、今週も聖霊に満たされましょう。主の愛に満たされて、少しでも周りの人々にイエス様のことを知っていただきましょう!

今一番、世界が見ないもの その1

昨日は、午後礼拝の終わりにみんなでサイゼリヤに行って、語り合いました。いろいろな話題が出てきましたが、興味深いのは池上彰氏のテレビ番組で、サウジアラビア取材とイスラムの説明が前面に出ていた、ということ(紹介 ・ 動画)。そして現地の人が、サウジがいかにすばらしい国かを宣伝していたかということでした。

私は、「池上さんは、いわゆる主流マスコミの人であり、リベラルの人だ。けれども、欧米が今、かなりイスラムが侵食している中、それを好意的に報道するという流れがあるので、それをそのまま日本の人たちにも啓蒙しようという意図があると思う。今、米国では公立学校で寛容を学ぶためにコーランを勉強する一方、聖書を一切禁じている。英国では何と、イスラム教徒に気を使って歴史でホロコーストそのものを教えることを控える動きが出てきている。」と話しました。

私が感じている問題点、そしてキリスト者が持つべき視点と祈りをお話したいと思います。

① イスラム諸国で起こっている現状を伝えない

池上彰さんの報道努力には敬意を表したいと思います。彼は「宗教」というものが世界情勢において大きな軸になっていることを、世界を廻っているがゆえに知っています。そして一般の視聴者の知識レベルを少しでも高めようとする努力が見えます。

けれども、マスコミというのは「左寄り」であることは確かです。私がしばしば紹介している、イスラム研究家である池内恵さんは、日本のイスラム研究家はイスラムを内在的に見ることなく、美化してきたという批判を繰り返しており、イスラムの現状をその内部から詳しく説明しています。そこに浮かびあってくるイスラムの暗闇は、西洋世界、自由社会にとって大きな警告となっています。

参照記事:「中東 危機の震源を読む

そして、キリスト教会もマスコミの一般知識レベルに留まっている所が多く、「イスラムとの対話」を挙げる人々がかなり多いです。聖書に従えば、イスラムは反キリストの霊そのものです。イエスが肉体をもって現れた神であり、神の御子であることを、明確に、信仰表明として否定しているからです(1ヨハネ4:2-3)。イスラム教徒に対しては、「愛による福音宣教」とそれによる「回心」が目標になるべきで、決して対話による共通項の発見ではありません!

② 現状を伝えるが、希望を伝えない

けれども、米国の保守メディアを始めとする、イスラムの脅威についての報道についても限界があります。確かにイスラムの暗闇を直視する必要があります。けれども、そこにあるまた別の流れを見ていません。イランについても、核脅威や人権抑圧については事実でありこそすれ、その中に生きている人々のダイナミズムを伝えることはしません。

中国についても同じで、家の教会に対する迫害や、民主活動家や独立運動への弾圧については報道しますが、けれども同時に、たとえ公認教会にも変化が出ており、極めて健全で、生き生きとしている諸教会があることや、家の教会において異端の教え入り込んでいるなどの現状は伝えない傾向にあります。独立運動も、インテリの人々が主導で行なっており、貧しい一般の人々は日々を生きることで精一杯であり、関心の薄いことについては伝えません。

北朝鮮も、そのおぞましい体制はその通りですが、そこに生きる人々はやはりそこが故郷だと思っており、その地を愛していることを見逃しています。その惨状を一番知っている脱北者でさえも、反北朝鮮報道に驚くときがあります。

リベラルも保守も根は同じで、「ステレオタイプ(固定観念)」を造り上げている点があります。民主・自由主義の世界に生きている人々には理解が難しいかもしれませんが、相反する出来事が同居しているという二面性を、そうした国々は持っているということを知る必要があるでしょう。

キリスト教会について言えば、私が好きではないのは、「聖書預言や人間の暗闇だけを強調して、神が預言を与えておられる意図を見失っている」という動きです。私自身、聖書預言を強調するものですが、それはあくまでも、「世という暗闇の中において、神は光として輝いておられる。神は救いをもたらすという情熱を持っている。」ということを伝えたいからです。世界や日本で起こっていることを並べ立てて、いかに世の中が悪くなり、そしてキリスト教会が背教に向かっているかを述べるにとどまり、自分自身はなんら行動に移していない姿。伝道もせず、宣教活動もせず、弱者や貧者に対する救済も行なわい姿には、辟易します。

その2に続く)

恵比寿バイブルスタディ(1月25日)

みなさん、おはようございます。今週の恵比寿BSのお知らせです。

日時:1月25日(水)午後7時から
場所:目黒区立 田道住区センター三田分室 / 2階 第一会議室
聖書箇所:サムエル記第一4章以降
※ 食事は学びの前と後で持参ですることもできます。

(2月の予定:8日と29日になります)

先週は、バーガーキングでの交わりもできてとても良かったです。今週も、御言葉に期待していらしてください!

ハイチにおける聖霊の御業 その3 - 主の与える教訓

その2からの続き)

これから教訓を話します。神の力ではなく人の力で行うと、神の栄光につながりません。お金をくれるという話を聞いたら、それはその寄付者はビル・ゲイツでした。私の心に恐怖が襲ってきました。もし受け取ったら、この働きはビル・ゲイツによって運営されているということになります。神の栄光が取り去られてしいまいます。断りました。

けれども肉は弱く、「この人に祈りのカードを送れば、醵金してくれるかもしれない。」と思ったり、そのたびに、「わたしになぜ頼まないのか?」と言われます。実際に行うと、12ドルだけ一度きり送ってきて、それでおしまいだったり。

私たちはラジオ番組と契約を結びましたが、月に9000ドル必要ですが、一年間、誰にも催促せずに続きました。ある月、五百ドルしかきませんでした。「あと8500ドル必要ではないか!どうしよう?」と悩みました。次の月は、2-300ドルしかきませんでした。計18000ドルをどう支払うのか!「主よ、もういやです。このラジオ番組、嫌いです!」と叫んでしまいました。

それで、パソコンに詳しい兄弟に、「うちらのウェブサイトに、献金を募る目立つボタンをつけよう。点滅させて!」と頼みました。なんと、一セントも献金が来ませんでした!それで、「取ってくれ!」と頼みました。その後に、主が備えてくださったのです。私は痛い教訓を得ました。

アサ王のことを思い出します。彼は百万のクシュ軍に、主に祈り立ち向かいましたが打ち破ることができました。けれども、イスラエルの王バシャがユダを攻めようとしているのを見て、彼はシリヤのベン・ハダデに頼みました。主が彼に言われたことを思い出します。預言者がこういいました。

「あのクシュ人とルブ人は大軍勢ではなかったでしょうか。戦車と騎兵は非常におびただしかったではありませんか。しかし、あなたが主に拠り頼んだとき、主は彼らをあなたの手に渡されたのです。主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。あなたは、このことについて愚かなことをしました。今から、あなたは数々の戦いに巻き込まれます。」(2歴代誌16:8-9)」肉の力に頼ろうとすると、神はそうさせるに任せられます。

時は短くなっています。機会を良く用いてください。だから、基本に戻ってください。神は言われます。「わたしが命じて、あなたは従う。そうしたら聖霊をわたしは注ぎ、わたしが行う。」このすばらしい御業を私たちが語り合う時、主はそれを記憶の書に書き記してくださいます(マラキ3:16)。

主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。わがたましいよ。主をほめたたえよ。(詩篇103:22)

ハイチにおける聖霊の御業 その2 - 主の導き

その1からの続き)

そこでブライアンは再び、その敷地を得るためにまたハイチに行きました。今度は独りです。「宣教はチームで行うんじゃなかったっけ。」という不安がよぎったり、またハリケーンがハイチを近づいているというニュースも入ってきます。そしてあいかわらず、暴動や略奪、誘拐のニュースが入ってきます。彼は、バプテスト宣教館に着きました。不動産広告はもちろんのこと、街路の名前さえなくなっている状況です、どこから手をつければよいかわからない状況でした。

コンピューターに詳しいクリスチャンの友人が、何年も前に削除された情報を入手、電話料金がわずかな中で手短に、あまりにも大雑把な情報のみを伝え聞きました。けれども、ある聖歌隊に属している人がメールで、出エジプト記23章をくださいました。

見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、あなたを道で守らせ、わたしが備えた所にあなたを導いて行かせよう。あなたは、その者に心を留め、御声に聞き従いなさい。(20-21節)

それで祈り求めたら、主が、「そこがその場所である」と教えてくださいました。けれども運転手に告げても自分自身あいまいなことしか言えず、いろいろなところに連れていってくれましたが、どこでも「違う」と応えました。

その所有者に電話することにしました、その運転手が電話で話してくれましたが「私はつれていかない。」というのです。「なぜなら、まるで誘拐の計画を立てている手法にそっくりだからだ。あなたのパスポートのコピーをくれ、と言っている。そして、よくわからないところで会ってくれ、と言う。」けれどもブライアンに主は「そこがその場所だ」と言われます。孤児院でも、「ハイチでは、絶対に知らない人の車に乗らないこと。」と強く言われていました。

所有者(の秘書)と話すと、「こちらに来る交通手段は?」私が「いいえ」と答えると、「車を出すから、それに乗りなさい」と言います!車が来ました、男が二人います。そして電話が所有者からまたあり、「その車に乗りなさい。」と言います。そして「パスポートあるわね。」と言うのです!でも乗ってしまいました!

・・・けれども、ヨシュアがヨルダン川を渡ろうとしていた時、水かさがもっとも増している時期でした。それでヨシュアに「恐れるな」と主は言われたのです。私も恐怖に満たされていました。けれども敷地に着いたとたん、主の強い臨在があり、そこがその場所だとはっきりしました。

実際の所有者に会おうとしましたが、人々がいろいろいて、結局会えず仕舞いでした。書類に必要なことを記入し、米国に戻り、送金をしました。

ところが二週間後、電話がありました。「深刻な事態です。お金が届いていません。送金が完了するには、所有者と直接話さないといけないようです。」そして、「その施設の所有者は、ハイチ大統領の側近です。一般人が話せるような人ではありません。でも送金を完了させるのは、話さなければいけません。」おまけに、この側近の方は蔓延したコレラ対策で極めて忙しくしています。

けれどもブライアンは、前に与えられていた出エジプト23章の御言葉を読み続けました。すると、「あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。(25節)」とあります。ついに電話で話すことができました。

「これからとても大切なことを話します。コレラ問題の解決策です。」「解決があるのですか?!」「ええ、聖なる書に、第二書の出エジプト記23章にあります。」「水の中の病気を取り除く、という約束です。主に仕えなさい(主に立ち返りなさい)と書いてあります。それは、ハイチの人々、そしてあなたから始まります。」「私から始まるのですか?」「はい、イエス様があなたのために死んでくださいました。」互いに叫びあいながらの電話越しの会話です!そして彼は、「分かった!聖書を入手して読むから。」と言って、彼は電話を切りました。

一週間後、ハイチで選挙がありました。夜十時に国際電話がありました。「ブライアン、聖書を入手したよ。出エジプト記23章を読んだよ。ハイチはあなたの祈りを必要としている。私のために、そしてハイチのために祈ってくれ。」ハレルヤ!

そしてブライアンは聖書訓練センターの幻について分かち合うようになりました。彼はついに信者になりました!ブライアンに会うたびに、”God bless you!”を連発します。

ブライアンに主が与えられた思いは「若い人たち」でした。アハブ王に対して預言者は、若い者たちによって戦うことを命じられたように(1列王20:14)、です。それでいろいろな地域の人たちを集めました。三日間、食べていない人もいました。聖書を教える教師たちも集まってきました。そして、30-40人から10人の子達を選び、いっしょに生活を共にし始めました。

そして施設が、孤児院や学校、食糧の調達などができる免許取得の思いが与えられたのですが、孤児院の院長に相談したところ、「絶対に無理だ!11年間、取得しようとしたがなしのつぶてだ。」とのこと。けれども、その側近に電話したところ、「会合を設けるから、そこに来るように。」とのこと。その政府官邸に行き、数人の高官に挨拶しましたが、実際の免許付与手続きの役人が、「三日間で免許交付します。」とのこと。「手数料は?」と聞くと、「無料です。これは政府の命令です、即座にしなければいけません!」とのこと!!

ネヘミヤがエルサレム帰還のことをペルシヤの王に打ち明けたところ、「快く私を送り出してくれた(2:6)」とあります。またエズラも、「彼の神、主の御手が彼の上にあったので、王は彼の願いをみなかなえた(7:6)」とあります。預言者サムエルは、「主にも、人にも愛された(1サムエル2:26)」とありますが、このように私たちは人々の好意を主によって得られなければなりません。

ブライアンたちは、どこにいっても福音を語りました。みな信じて救われていきました。神が彼らを遣わしたことをハイチの人たちは知っていたようです。彼らはイエスの御名によって悪霊も追い出しました。

福音の言葉を語れば、そこにはしるしと不思議が伴います。なぜなら、神がその人々を救いたいと願っておられるからです。フィラデルフィヤにある教会に対して、イエス様は「だれも閉じることのできない戸を開いた」と言われました。

その3に続く)