「六日戦争」は1967年6月5-10日 その2

日々、入ってくる中東情勢ニュースのために、また私たちが生きている時代を知るためには、どうしても複雑極まりない中東事情を知る努力が必要です。1948年のイスラエル建国に伴う独立戦争、そしてエルサレム主権がイスラエルに移った1967年の六日戦争の把握は非常に重要です。

以下のサイトがおすすめです。

イスラエルの歴史 - 現代イスラエル(ミルトス)

第三次中東戦争(ウィキペディア)

五分でわかる戦史 第三次中東戦争

そして英文の分かる方は、ぜひ次の本をお読みください。

Six Days of War by Michael Oren

本書について、すでにブログ記事を書いています。
Six Days of War(戦争の六日間)」

六日戦争という非常に重要な出来事を包括的に説明している本が、なぜか和書あるいは邦訳本で実に少ないです。お奨めする本としては、「エルサレムに朝日が昇る」ウジ・ナルキス著「中東戦争全史」山崎雅弘著「イスラエル全史」マーチン・ギルバート等があります。

けれども、この第一流の六日戦争史であるSix Days of Warを紹介したく、Amazon.comにある書評を意訳してみました。(dougrhon “dougrhon”という人のレビューが原文です。)

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1967年6月の出来事は詳細に記述されてきたが、六日戦争そのものの記録のみならず、それに至る要因を記録したものは無かった。マイケル・オレン氏は、この紛争のすべての側面を包括的に回想している。

オレン氏は、この歴史を軍事・外交・政治・文化面で描き、公文書、公的報道、回顧録、まだ生存している当人たちへのインタビューなど、徹底的な調査を通して、イスラエル人からの見方のみならず、エジプト人、シリア人、ヨルダン人、そしてアメリカとソ連からの見地から、主要人物の役割を詳細に説明している。

オレン氏は、ナセルの一連の誤算が、彼が意図したよりも数年早まってエジプトを戦争に引き込んだことを描いている。シリアの好戦姿勢、また、パレスチナ・テロリストがイスラエル北部への襲撃したことを支持、また情緒不安定なアメル将軍に突かれたことが相まって、ナセルは国連を非武装地帯になっていたシナイ半島から追い出し、イスラエル船のチラン海峡封鎖を違法に行ない、事実上の宣戦布告を行った。オレン氏がはっきりと示しているように、エジプトとの戦争は、海峡が閉じられた瞬間に決定的なものとなったのだ。いかなる主権国も、航行の封鎖は座視することはできない。

さらに、イスラエルの政治指導者が、米国とソ連に対して、エジプトの挑発に対応する適切な軍事行動の許可を求める苦闘も記録している。エジプトによる明らかな戦争行為にも関わらず、時のジョンソン政権は、ベトナム戦争によって足枷をはめられており、またソ連との対立を恐れ、イスラエルに抑制を求めた。米国を疎遠にすることなく先制攻撃をどのように決定すればよいか、エシュコル首相とイスラエル政府の苦悩も描いている。あの有名な、アッバ・エバン外相とジョンソン大統領の会合にて、ジョンソン大統領は事実、第一撃を受けるよう促したのだ。あの忌まわしきシャルル・ド・ゴールが、あからさまにそれ要求したのだ。イスラエルの軍事ドクトリンによれば、敵の空軍を先制破壊することが必要だった。この緊張によって、ラビンは一時的に神経衰弱に陥り、エシュコルの寿命も何年か縮めたことだろう。

イスラエルはエジプト空軍に対する電撃攻撃を開始するや、続けてヨルダンが引き込まれ、それからシリアとイスラエルの軍事目標がしきりに変わっていく軌跡になっていく。事実、イスラエルは、直接、実際に迫っていた脅威を除去するという事以外に、特定の政治的目標は有していなかったのだ。イスラエルは、西岸に対して何ら具体的な計画を持っておらず、エルサレム旧市街でさえそうであった。皮肉にも、エルサレム旧市街を制圧する決定は、最後の最後まで、既に西岸がイスラエルの手に渡った後でさえ下されていなかったのだ。

アラブ側から、この戦争がなぜ災厄へと変わったのかも描いている。エジプト軍は、統一した司令系統の装いさえもきちんと取っていなかった。ナセルの将校らは、真実を彼に語るのを恐れていた。軍が全面撤退している時に、空軍が破壊した残骸が横たわっている時に、エジプトは、テルアビブに進軍しているという、実に浅ましいプロパガンダを流した。その間、フセイン(ヨルダン国王)は、ナセルとシリアの急進派に恐れをなし、エルサレムでイスラエルを攻撃するという罠に陥ったのだ。

さらに面白いのは、政治的・外交的配慮が、軍事戦略に影響を及ぼし、イスラエル側の被害を増加させたことである。例えば、エシュコルは、ゴラン高原を奪取する決定をあまりにも長く引き伸ばしたので、IDF(イスラエル国防軍)が、火砲砲撃、空爆、夜間攻撃などの適切な予防的措置を取ることができなかった。その代わりに、勇敢なIDFの兵士らが、殺人的なシリア軍の砲火の中に進んでいったのだ。エルサレム作戦においても、同じであった。

とどのつまり、本書の価値は、この戦争の文脈を提示したことにある。歴史修正主義者らは、イスラエルのゴラン高原と西岸の征服は必要ではなかったと言う。オレン氏は、エルサレムの場合を除き、イスラエルの攻勢はイスラエルの領土拡大が目的ではなく、純粋に地政学・外交的目的であったことを示している。一度、戦うことを強いられたら、イスラエルは、1948年の防衛不可能な休戦ラインに留まることを強いられないように決意した。イスラエルの戦争における基本的な目的は、敵側の攻勢能力を排除し、相手を交渉の席に着かせることであったことは疑いがない。不幸にも、その時のアラブの政権が平和的解決を不可能にさせ、さらなる流血をもたらしたのだ。

オレン氏は、エジプトとシリアの全体主義的政体と、イスラエルの耳障りな民主制を対比させている。イスラエルでは、あの有名な「穴(地下室)」にて、基本的戦略の決定が総意の下で採用された。将軍は、エシュコルの(ソ連とアメリカを敵に回すことへの恐れから生まれた)抑制に失望し、あからさまに嫌悪感を表したにも関わらず、一度たりとも首相の命令を軽視することはなかった。真の民主主義の特徴は、軍部が文民の司令に従属することである。これに対しナセルは、絶えず軍事クーデターを恐れていた。

オレン氏の私情を入れない分析によって、このドラマに出てくる主演者の肯定的・消極的役割を明らかにした。機知に富むモーシェ・ダヤンは、一般的に良く評価されるようには出てこない。彼の不可解な気質は、1973年(ヨム・キプール戦争)でイスラエルを危険に晒した。エシュコルはその責任が全く追及されていない。事実、全貌が明らかにされたら、無数の競合する懸案事項を取り組むのに相応しいイスラエルの指導者は、彼以外には見つけるのが難しいだろう。ナセルは、悪者というよりも、惑わされ、打ちのめされた者として出てくる。フセインは、自分で制御できない勢力の被害者のようだ。本書は、まさに「第一級作品」になる運命を持っている。「おお!エルサレム」が独立戦争の名作であれば、本書は六日戦争の名作だ。イスラエル史に興味をお持ちの方は、これは必須図書である。
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