「六日戦争」は1967年6月5-10日 その1

今日は、土曜日と日曜日の説教の準備をしていました。それで、合間に息抜きをしている時にふと、「そういえば、6月5日から10日までは、1967年の六日戦争ではなかったか。」と思い出しました。

今のイスラエルと周辺状況を報告します。先日、オバマ大統領がイ・パ和平交渉として「67年への境界線まで」と話して、ネタニヤフ首相が拒否した話をしました。(「イスラエルが67年の境界線から撤退できない訳」「ネタニヤフ首相の米議会演説」)これは、もちろんオバマ大統領がビン・ラディン殺害の成功の勢いとして、それを中東安定につながったのだから・・・という思惑で行っていました(ハーベストタイム)。

そして、中東全域で起こっているデモとその鎮圧があります(産経記事・解説)。シリアでは、自政府から目をそらさせるために、この6月5日に政府は、一人につき千ドルを与え、数百人のパレスチナ人をゴラン高原でイスラエル領に侵入させ、デモ隊とイスラエル国防軍が衝突しました(debka)。

シリアはレバノンの保護者であり、そしてそのさらなる保護者にはイランがいます。イランは、シリアに対してさらなる「デモ」による挑発をするよう圧力をかけています(WND)。そのイランが、二か月で核保有できるとの不穏なニュースも入っています(ynet news)。

そして、アフマディネジャドは、第12イマーム(イスラムシーア派版メシヤの到来を、これまで以上に声を上げています(pajamasmedia)。以前もお話ししたように、核開発と彼の狂信は一体になっています。

(ちなみにシリアは、既にイスラエルが原子炉を空爆したことによって、北朝鮮が協力した核開発は頓挫していますが、IAEAがその計画の可能性が大であると明らかにしました(産経記事)。

さらにイランは、紅海に潜水艦を派遣しました(ラジオイラン)。

そして、目をパレスチナ自治政府に移しますと、こともあろうに2000年の第二次インティファーダ(民衆蜂起?)のように、ファタハがシリア、レバノン国境、ガザ地区で起こった蜂起を利用してその規模を拡大させようと画策しています(WND)。

(私が2000年に、このインティファーダのことを書きました時(「きよきよの部屋」)、当時は掲示板を持っていたのですが、板に荒らし投稿が続きました。何かちょうど、イラク反戦や今の反原発の雰囲気と似ていまして、「平和」「不正義」と唱える人々がむしろ攻撃的であり陰湿でした。けれども、ハマス創始者の息子のモサブ氏が明かしているように、パレスチナ指導部で意図的に作り出されたものであることが確認されています。)

これが、六日戦争の記念日を起点にした中東情勢です。詩篇83篇をお読みください。ここには4-5節を引用します。

彼らは言っています。「さあ、彼らの国を消し去って、イスラエルの名がもはや覚えられないようにしよう。」彼らは心を一つにして悪だくみをし、あなたに逆らって、契約を結んでいます。