究極のプロ・ライフ(生命尊重)

今、明日の恵比寿バイブルスタディのために詩篇の学びの準備をしていますが、本当に詩篇139篇は心に深い安息と慰めを与えます。一度、10分でも20分でも、この詩篇の箇所を読んで思い巡らす時間を持たれると良いと思います。

米国の大統領選において、しばしば争点として挙げられるのが中絶の合法化問題です。日本の人は、なぜこれが政治の争点になるのか分からない、と思われるかもしれません。けれども、これは社会を構成するあらゆる分野に集約される大切なことです。

なぜ中絶をするのか?望まぬ妊娠をするからです。なぜ妊娠をするのでしょうか?大抵の場合、婚前交渉または婚外交渉をするからです。つまり、中絶の是非を問うことは、そのものに対する価値観を問うことに他なりません。性の悦びは結婚においてこそ絶頂に達するという真実に目を向けるかどうかに関わります。性病やエイズも中絶と共に、性の捉え方の歪みによって出てくる問題です。

そして中絶問題を取り扱うことは、その後に生まれた子をしっかりと育てるという責任が問われており、家族の価値観が問われています。健全な家族こそが、健全な社会を形成し、そして国そのものの基盤となっています。

そして中絶問題を取り扱うことは、生命そのものの価値観を問うことです。人の選択によって人の命を取ることが、果たして許されることなのかどうか。障害者、老齢者、その他の弱者がなぜその生命が尊ばれなければいけなのか?動物の命と人間の命にはどんな違いがあるのか。中絶問題を取り組むことによって、真剣に生命そのものの価値観に気づくことができます。

前置きが長くなりましたが、詩篇139篇には次の言葉があります。

それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。(13-16節)」

この御言葉に、神が私たちをどれほど気にかけてくださっているのか、実に胎児の時にすべての思いを前もって定めておられるという究極の生命尊重を見ることができます。下のビデオをご覧ください。私はこれを見て、いかに現代社会が性を商品化しているのか、その愚かさと魔術性を痛感しました(黙示録18:13;23参照、13節の「奴隷」は肉体のこと)。そして夫婦間の性行為がいかに高尚で、神聖な営みなのかを実感しました。

生命の価値観についてもっとお知りになりたい方は次のサイトをおすすめします。「小さないのちを守る会

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