東松島復興支援旅行(8月7‐9日)

盆の時期を越えましたが、これからは残暑との戦いですね。みなさん体にお気をつけください。

8月のニュースは、もちろんLCFの礼拝場所が日暮里に移動したことがありますが、二つのイベントがありました。一つは東松島復興支援旅行で、もう一つは昨日帰ってきました、マラナサ・バイブル・フェローシップのファミリー・キャンプです。

東京日暮里国際教会の朴樹民宣教師が、神学校時代に親友となった、今は教会の副牧師をされている方が日本へ短期宣教チームとして来ました。朴宣教師ご自身は去年の12月に既に月浜に行かれていたので、そこに行くことになりました。

私たちは付き添い、というか、韓国語の通訳を初めとする奉仕とその他のお手伝いです。三月以降行っていなかった月浜ですから、とても久しぶりです。

韓国の兄弟姉妹と時間を共に過ごせたのは、とても楽しく、また休息となりました。旅行というと必ず「温泉」に入りたがる人々が多かったですが、例外にもれず、何と行きと帰りの二回入りました!そして韓国チームは、夕食会に出す料理だけでなく、自分たちで食べるものは基本的にすべて持ってきました。(宿泊先となったチャックさんと由美さんの家で、お二人は、朝からキムチの出る、そしてまたたく間に大人数の朝食を作り、また後片付けをする婦人たちの姿を、関心を持って見ていました!)その中で私たちも久しぶりに、韓国文化と生活に触れることができ、そしてその中にイエス様の愛がブレンドされていて、癒される思いでした。

東松島は大きく変わっていました。復興の早さに驚かされます。月浜には、以前紹介させていただいた海苔の産業復興グループの月光さんが活躍していました。私たちは、たいしたお手伝いはできませんでしたが、海苔の養育に使う綱を整えるお仕事をさせていただきました。この頃は、ボランティアに単純な作業を任せることができている反面、複雑な作業がしわよせになってしまっている、ということでした。

舟巡りもボランティア向けに始めてくださり、私たちも乗りました。私個人は、小学校の時にこの砂浜から舟巡りをしたことがあり、あまりにも美しかったので原体験のような追憶となりましたが、まさか三十数年後にこのような形で乗れるとは思ってもみませんでした。

一日目の晩は、公民館で日本宣教の講義を任されていたので、行ないました。私は、率直に一般に日本宣教で言われている言葉を否定しながら話していきました。例えば、「日本は宣教師の墓場だ」という言葉があるが、それはキリストの愛について何も知らない言葉である、など。一般の短期宣教とは異なる方法を話していきましたが、みなさん心を柔らかにして聞いてくださいました。

二日目の朝のデボーションの時間に、チャックさんが救いの証しと月浜に導かれた話をされました。午前中は、由美さんが毎週持っている「お茶っこかふぇ」で、ご婦人の一人が救いを証しを分かち合ってくださいました。DVDはイエス様の復活の話まで言っているそうです。

そして二日目の晩は、プルゴギ、チャプチェ、チヂミ、キムチを夕食に出し、談話室の外で、チームがテコンドー(韓国式空手)の踊り、日本語の歌を含めた唱歌、それから牧師さんによる証しの時間を持ちました。みなさん最後まで聞いてくださり、「自分が世界で最も悪い罪人」だということを悟れば、それが真の救いになるというしめくくりでした。

そして、もう一つ、会えるかどうか分からなかった牛網の千葉さんに、今回は会うことができたのもとても嬉しかったです。彼の実家の畑は津波の被害を受けたけれども、三日目にそこを立ち寄ったら、見違えるように実りある畑に変わっていました!彼からいろいろな話を聞くことができましたが、避難所の生活よりも今のほうがある意味で辛い、とのこと。仮設住宅という個別の生活、大勢の人が死んだけれども、醜い遺産相続の争いが多発、学校の吸収合併などなど、精神的な負担は今までになく重く圧し掛かっているそうです。けれども、マスコミには目に見えない姿はあまり取り上げられません。私たちのミニストリー(働きかけ)は、まだまだ続けなければいけないと強く思わされた次第です。

チャックさんと由美さんは、根気よく福音の種まきをしておられます。ぜひ芽が出て実が結ばれるまで、神が守り、それを成長させてくださるようにお祈りください!