映画「自殺者一万人を救う戦い」

今週はゴールデンウィーク。金曜日と土曜日には、日本カルバリーチャペルのカンファレンスを控え、私は数多くの聖書説教の準備でぶっ倒れそうになっています。(笑)そんなことをやっていながら、なおやはり心に残っていることをここに書き記したいと思います。

「自殺者一万人を救う戦い」(映画紹介サイト)

アイルランド人の監督による、一時間弱のドキュメンタリー映画です。上のサイトの【作品概要】から一部を抜粋します。

自殺との戦いにおいて、「敵」はいったい誰なのか。映画『Saving 10,000 – 自殺者1万人を救う戦い』は、日本の高い自殺率の真の原因究明に挑む一人のアイルランド人の物語である。作品を通じて、日本のマスコミによる自殺報道のあり方、経済的圧力、うまく機能していない精神医療制度などの重要な問題が浮かび上がってくる。第一線で­活躍する専門家から一般人まで、約100人へ取材し、日本がどうすれば自殺との戦いに­勝利できるのか、具体的な方策を提示している。しかし、自殺の話題がタブー視されてい­る日本で、一体どのくらいの人が耳を傾けてくれるのだろうか。 

私はこれを見て、自分の目の前にある、周囲で起こっていることにあまりにも鈍感だったことに恥ずかしい思いをしました。出てくるインタビューに答えている人は、多くが日本人の関係者、またこの問題に実際に取り組んでいる専門家です。彼らの言葉を聞いていると、事実を淡々と語っているけれども、マスコミが報じず、臭いものに蓋をしているものばかりです。日本人の間で暗黙の了解、つまりタブーを作り、問題に目をつぶりあまりにも現実から離れた夢想に近いイメージを持ち、それらに対して、キリスト者として、世の光、地の塩としてしっかりと語っていなかった、と反省しました。

私にも親戚で自殺した人が、私に知らされている限りで二人います。そして説教でも自殺の話題に取り組んだことがあります。私自身、救われる前に抑鬱状態の時、自殺願望が出てきました。けれども、この“怨霊”と言ったら異教的ですが、悪の霊の力は、きちんと目を覚ましていなければ、平穏に見える教会生活の中でさえ忘れさせようとする巧妙さを持っています。

いつまで、「神、キリストは要らない」と言うのか?

まず一般の日本の人、キリスト者ではない人に言いたい、怒りにも近い感情があります。それは、「いつまで、真理と呼ばれるもの、自分を超えた存在、こういったものから目を背けるのですか?」ということです。実に、すでに三万人が年間自殺しているという状態なのに、「今の生活が良ければ、私には神や救いは必要ない。」などと、どうして言えるのですか?

私は、信仰をもって出てきた感情として、実は「怒り」がありました。クリスチャンらしからぬ感情と見られがちですが、健常な怒りさえ発することなく黙々と生きている姿には恐ろしささえ感じます。その怒りとは、自分が何のために生きているのか、それを教わってこなかったという漠然とした怒りです。自分が生きるために必要な善悪の判断を、親も、学校も、国も提供しなかった。すべてが曖昧にされたままで行かされていく。自分が何をもって生きて、何を信じ、希望を持っているのかが分からない。このような、宙ぶらりんの状態で人はどうして生きられるのか?と思ったものです。

けれども、こんなことを言っている私でさえが、上に書きましたように、「もうこの問題は仕方がない。」というあきらめ感があったことを告白せねばなりません。

わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。・・・あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。(ルカ12:49,51)

日本人の間には、真実を覆い隠す霊が強く働いています。それを「平和」という名によって、むしろ覆い隠すという欺きさえあります。これを、愛とへりくだりによって、かつ、はっきりと真実をもって伝えていく心の整えが、信仰者を始めとし、一般の人々に必要になってくるのではないかと感じます。その過程で、一時的に分裂あるいは喧嘩のようになったとしても、それは真実な平和をもたらすには必要なことであるのでは?と感じています。

真理を語らない怠慢

自殺に関連することを調べていたら、クリスチャンの自殺者に関して、信仰を捨てたと言っている人が教会を批判している記事がありました。こんな文があります。

ところが、教会でのクリスチャンの葬儀に行くと、例外なく故人が天国に行けたことになっているのです。不思議なことではありませんか?「あの人は罪ばかり犯していたから天国に行けなかった」「あの人はお金持ちなのにあまり献金しなかったから地獄に行った」などという話を一度も聞いたことがありません。ある時は道徳的に良くない死に方をした人の葬儀(注:自殺したクリスチャンのこと)に行ったこともありますが、やはりそこでも「(故人が)天国に召された」ことになっているのです。

ひどい例を挙げると、死の直前に洗礼を受け(させられ)た男性がいて、その葬儀でもやはり「天に召された」ことになっていました。その方は大変な宗教嫌いで、離婚騒動になったほどです。が、熱心なクリスチャンの奥様の希望で、本人の意識が朦朧としている間に病床の洗礼を受けさせられたのです。あんなに頑なに神を否定していたのに、死の直前に洗礼を受ければ簡単に天国に行けるとは便利な宗教ですね。実話です。
exchristian.blog80.fc2.com/blog-entry-87.html

この人は、信仰を捨てたと言っていますが、他の記事の文章を読んでいると福音についての理解がないまま教会を出たことが分かります。地獄の恐怖が植えつけられただけで、救い主としてのキリストについては話していない。十字架における、その恐怖からの解放の部分は一つも語っていません。この人自身は、福音の真理の前で悔い改める必要があるでしょう。けれども、キリスト教会の中における偽善の問題は十分に的を射ています。

それは、普段から福音を伝えていない、ということです。伝えずに、問題を持っている人々に腫れ物に障るようにそれとなく距離をもって接する。つまり、真実な意味で寄り添っていない。そして、それが愛の配慮だと思っている。しかしイエス様の福音は、上にあるように、分裂さえ時にもたらすような火のような愛である。そのくせに、その人には天国に行ってほしい。だから、死んだ人についてその人が天国に行っているかのような言葉を発する。それに確証を与えるべく、洗礼(洗礼によっては救われないのに)を受けさせる、ということでしょう。

福音の真理を伝えない対価が、上のような評価なのです。未信者に“配慮”しているようで、結果として、まるで仏式の葬儀のように「生きているときは大した世話をしないけれども、死んでから良い言葉をかける」「法事ならず洗礼で補完」という、キリスト教の日本化が起こっており、そこにある一貫性の欠如を未信者は見るのです。

けれども、このように酷評をしている私も、同じような責めを受けるかもしれません。それに、実際に教会で何が起こったのかこの人の記事だけでは判断できません。ですから、この件について判断は下せませんが、全体の雰囲気としては、日本の教会を覆っていることは間違いないでしょう。

話は長くなりましたが、上のドキュメンタリーはお勧めします。そこで、私たちキリスト者の使命がはっきりしていること。危急性があること。自らを主にあって奮い立たせるリバイバルが必要であることを感じ取っていただければ幸いです。

その他の参考リンク:映画についての記事(その1 ・ その2

「映画「自殺者一万人を救う戦い」」への8件のフィードバック

  1. そのとうりです。臭いものに蓋を、現在 精神科の病院で13年間、バイブル スタッデイ、
    月に二回、患者4人ないし5人です。
    患者の方々の受け入れる教会、または、牧師が自分達の羊が可愛いから、受け入れが日本の教会は殆どなく、今は患者の中に牧師がいて、牧師自身が鬱の方で伴に仕えています。日本はこれから、どう受け入れるか、本当に祈らされています。
                             主に在って。

  2. そうですね、人々全体の意識が高まらないと、教会も受け入れ態勢を整えられないでしょう。精神的病を持っておられる方は重荷を持っていますが、それだけでなくすでに教会に属している人々自身も重荷を持っており、それゆえ受け皿が小さいのだと思います。教会の人数が少ないというのも、一つの課題です。大きな必要があるのにそれを教会につなげられない、そのお気持ちが伝わってきました。ふんばって、その置かれているところで主を待ち望みながら、神に仕えていきましょう。

  3. プロテスタントのクリスチャンです。信仰歴20年位です。子供が5人います。けど、毎日死にたいと思っています。その後の子供たちのこと、妻のこと、他の家族のこと、また、自分は地獄に行くのか?とか考えると死に切れず、誰にもそういった気持ちをきづかれないようにして生きています。多分このメールを見る人は殆どいないでしょう。苦しい気持ちを日記につけると少し痛みが和らぐのと同様の理由で書いています。結局のところ生まれてこなければ良かったのかな?と思ってしまいます。勿論親にそんな事いったことはありません。ひかりはくるのか?実に情け無く残念だけど、神様に殺して欲しいきもちがあります。

  4. かれはさんのために、お祈りしました。

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