中国激動 “さまよえる”人民のこころ

何人かの人から、このNHKスペシャル番組の反響が届きました。

中国激動 “さまよえる”人民のこころ

番組紹介としては儒教の話しか出てきませんが、こちらの詳しい内容の紹介のように、中国の家の教会が、拝金主義による中国人民の渇いた心を満たす存在として、今や、共産党員をしのぐ人数(一億人!)になっている、ということまで報道しています。

NHKオンデマンド

私の思ったことを書きます。

中国政府の大きな変化

下の記事を熟読してください。NHKの社会面の報道以上に、霊的な側面での今の中国をしっかりと説明・報告しています。(今後の保存のため、こちらに全部引用します)

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中国政府、「家の教会」事実上黙認へ
社会との調和、不正問題解決への取り組み姿勢、引き続き注視

中国宣教の専門家らによると、中国政府は、これまで政府の認可を受けず「家の教会」として信仰活動を続け、信徒が急増している地下教会について、事実上黙認する見通しだという。11日付の米ゴスペルヘラルド紙が報じた。

中国国内のキリスト教徒数は、今後も急速に増加し続ける見込みだ。

 ミッション・イン・チャイナ・インターナショナル(MICI)創設者で牧師のスティーブン・レイ・チェン氏は、「地下教会が穏やかで、政府に対して中立で、注目を引くような活動をしない限り、政府当局によって抑圧されることはないだろう。中国本土のキリスト教会において、いわゆる『迫害』がこれ以上公に実施されることはなくなるだろう」と話す。地下教会の活動の安定と社会との調和が近年顕著となり、政府当局にも認知されるようになってきたからだと分析する。

中国政府に詳しいある専門家は、「政府当局はこれ以上地下教会を迫害することはないが、今後はキリスト教徒が善良な市民として社会と調和を保って暮らしていけるか、また社会の信用を得て、社会の腐敗を解決すべく努力する姿勢を見せるかを注視する方針だろう」と話す。

チェン氏は、「中国政府の新指導者は、中国の発展と社会の調和のためにキリスト教がよい影響を与えるよう促すだろう。今後はキリスト教に対する中国国内の環境はより開放的となり、緊張のほぐれた雰囲気が続くだろう」と話す。

ただチェン氏によると、地下教会の黙認は、政府当局の「方向性の結論」に限ったものだという。

中国国内ではこれまで、政府による地下教会に対する激しい迫害があった。チェン氏は、「地域当局が中国政府の見解に同調せず、地下教会に対して敵対的な姿勢を取り続ける可能性もある」と指摘する。また、「新疆(シンチアン)ウイグル自治区のような宗教活動や社会的な非政府活動を特に監視しなければならない地域では、今後も地下教会に対して厳しい監視があるだろう」と話す。一方で、「中国政府は、社会問題として長らく続く不正行為を問題視している。キリスト教に対する不正な見方もこのような社会的な摩擦を反映した結果であるとも私は見ている。中国は大国だ。どの分野においても不正が摘発されている」と指摘した。

中国の諸教会が立ち向かうべき今後の課題についてチェン氏は、「教会指導者と信徒の霊性を養うことにより注視していく必要があると感じている」と述べ、「地下教会の多くの信徒はまだ霊的に幼い段階にある。霊的な養育が必要だ。さらにその多くは名ばかりのキリスト教徒であって、まだ霊的に生まれ変わっていない。教会の牧師や指導者には体系立った訓練が必要だ」と指摘した。

中国の首都北京については、「地下教会がもっとも急速に成長している地域の一つとも言える。数百人規模の教会が次々に誕生しており、ここ数年で礼拝出席者数は指数関数的に上昇している。聖書教育を行うミニストリーが盛んで、大学生の信徒数が一般信徒数の4倍にもなっている。北京の大学に通う6割以上もの学生が聖書を学ぶことに興味を示している」と語った。

チェン氏は、中国の教会にとって今後10年間が重要だと指摘する。チェン氏は引き続き、中国国内の教会と海外の中国人教会のための祈りと支援を呼び掛けている。
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慎み深く、かつ熱く燃えて

いかがでしょうか?かなり、NHKの報道を重なる部分があったかと思います。私の気づいた点をお話しします。

一つは、「このような報道を聞いても、中国政府の宗教への監視がなくなった、ということではない。 」ということです。彼らが気にしているのは、「社会秩序の乱れ」「外国勢力の宗教を通した流入」です。したがって、このような活動を公にすればするほど、私たち自由主義国にいるキリスト教会が騒げば騒ぐほど、彼らは敏感になります。静かに、穏やかにやっている分には黙認しているのです。宗教による個々人の心の支配は良いけれども、社会を支配するのは許さない、という立場です。

ですから、私たちが中国などの信教の自由が制限されている所へ宣教を考える時は、常に二面性があることを知ってください。決して興味本位になってはいけません。宣教に携わっている人々の情報を、電話やインターネットなど、電子や電波による通信手段で伝えてはいけません。(私は、今回出てきた家の教会の人々の顔や一部の名前が公開されていましたが、たぶんその後の圧力や監視の目は強まったと見ています。)メールや電話で話す時は、宗教用語を使わない。なるべく直接話を聞き、電話、メール、SNSに頼らない、などが必要です。けれども恵みの報告は必要ですから、ある程度の公開は必要です。慎み深く、けれども熱く関わることをモットーとするのが良いでしょう。

もう一つは、「聖書教育がこんなに必要とされている時期はない」ということです。中国の家の教会は、とてつもない霊的大覚醒によって始まりました。使徒行伝並みの奇跡が起こりました。しかし持続的な霊的復興には、御言葉による信仰の確立が必要です。家の教会の人々は福音的です。ものすごく聖書を神の御言葉だと信じています。問題は、その肝心の聖書が何を言っているのか、その教えを体系的に学んでいないことです。番組の中にも出てきましたが、出稼ぎに来た若い女性が仕事がなくなったことが悪魔のせいであるとして、悪魔を追い出す祈りをしていていました。もしかしたらそうなのかもしれないし、また祈られることによって愛を感じたのかもしれませんが、悪魔ではなく、神が共におられることを強調すべきでしょう。もう一つの家の教会では、(NHKの報道のせいかもしれませんが)水に浸かればそれで信者になれる、ということが語られていました。これも間違いです。

したがって、聖書を運ばなければいけない時代は終わりました。もしかしたら、そうした田舎はあるかもしれませんが、そうすることによってかえって税関をぴりぴりさせます。そうではなく、その聖書を実際に開いて、教える時代に入ったのです。

さらにもう一つ、NHKの報道ではカトリックもプロテスタントも「キリスト教」と一括りにして報道していますが、中国では、また韓国でも、前者を「天主教」後者は「基督教」としており、はっきり区分けしています。これは信者ではない人も一般常識として知っています。(以前、国会の予算委員会で、当時の麻生首相に対して議員が「あなたクリスチャンでしょ?」と尋ねた時、「私はカトリックです」と返答したことにもあるように、カトリックの人が自分たちがクリスチャンだという意識よりも「カトリックなのだ」という意識が強いことは知っておくべきでしょう。カトリックの人たちに救われている人は一部にいるでしょうが、「カトリック=救われている」ことではないことは知っておくべきです。)

日本人の心もさまよっているのでは?

さらに、私たちを振り返りましょう。私たち日本のキリスト者には、二つの課題があると思います。一つは、「彼らはキリストにある兄弟姉妹である」ということです。日本のキリスト者が、マスコミの情報に左右されて、中国がいかに反日であるか議論しています。ちょっと待ってくれ!と言いたい。番組に出てきたように、彼らはキリストご自身を知ることができたそのすばらしさのゆえに、その他のことは塵あくただと思っているのです。キリストにあって、中国人であろうが日本人であろうが、まったく関係なく互いに熱く愛し合えるのです。反日デモによって自分を心の中で中国から距離を取るのはやめましょう。

もう一つは、「中国よりも日本は霊的状況が深刻だ」ということです。中国はその拝金主義によって心がさまよっていることに気づき始めています。日本は、心がさまよっているのに、未だに自分に頼る信仰、がんばり信仰から離れようとしません。まだ読んでいない方は、次のブログ記事をぜひお読み、できれば映画も時間を取って鑑賞してみてください。

映画「自殺者一万人を救う戦い」

今、日本では、東日本大震災でお亡くなりになった人数以上、三万人の人が毎年、自ら命を断って死んでいるのです!その背後にある社会的問題をこの映画は抉り出しています。私たちの身近でこのような人々がわんさといるのに、自分自身のことで忙しくしています。形は違いこそすれ、番組に出てきた車に引かれた二歳の女児を18名の人が通り過ぎることと同じことを、私たち日本人もしていると私は感じています。そこで私は日本にある最大の敵の一つは、「無関心・無感動」だと思っています。互いに表向きは優しくふるまうのですが心は通わせることはしない、自分が傷つけられたくないと思って行動するという自己中心です。これは、中国と韓国との関係の中で次のブログで論じました。

中韓の人と日本人の淵

マザーテレサは、「愛の反対は憎しみではない。無関心である」と言いました。そして、日本に訪問した時「憎む対象にすらならない無関心なのです。」と言い、精神的貧困を露わにしました。中国の病から日本も病を知って、私たちも霊的復興を願って祈っていかねばいけないと自分自身を見ながら思っています。

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