エジプト人キリスト者に広がる愛の御国

前記事の続きです。

兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに打ち勝った。彼らは死に至るまでいのちを惜しまなかった。(黙示12:11)」

私たちは悪いニュースを聞きますが、必ず良いニュース、福音がその裏側にあります。今、心が震えています。リビアにおいて、イスラム国のテロリストによって、斬首された二十一人のコプト教徒のエジプト人の内、二人の兄弟にあたる人が、アラビア語のキリスト教衛星放送の番組で、インタビューに答えました。次の動画を見ました。初代教会の聖徒たちの再現、また過去のキリシタンの二十六聖人のエジプト版ではないかと思いました。キリストの愛による神の御国が激しく攻め入っています。

番組進行者:「ベシールさんは、リビアで殺された被害者の一人の兄弟です。ベシールさん、今のお気持ちをお伝えください。あなたの兄弟、あなたの信仰、そして神から期待していることを教えてください。」
ベシール:「一人ではありません、二人いました。殉教者ビショイ・エスタファノス・カメルと、殉教者サムエル・エスタファノス・カメルです。彼らを誇りに思っています。ビショイは25歳、サムエルは23歳です。彼らはキリスト教の誇りです。彼らは私の誇りでもあります、誇りをもって頭を上げて歩かせています。」
進行者:「それは、なんという信仰でしょうか!あなたの信仰と誇りをもっと教えてください。もっと習いたいのです。」
ベシール:「ISISは私たちが期待する以上のことをしてくれました。彼らが自分の信仰を宣言し、イエス・キリストを呼び求める部分をそのまま残して、切り取らなかったのです。ISISは、私たちの信仰を強めました。信じてください、ISISが(人質が)自分の信仰を叫んだ部分の音声をカットしなかったのですから、感謝なのです。」
進行者:「ご家族はどうされているか教えてください。」
ベシール:「信じてください、ここの人々は幸せで、互いにお祝いしています。哀しみの中ではなく祝いの中にいます、なぜなら、私たちの村からこんなに多くの殉教者が出たのですから。彼らを誇りに思っています。」
進行者:「空爆が始まり、ISISのメンバーの死体をご覧になったとき、どうお感じになったか知りたいのですが。」
ベシール:「率直に申し上げますと、ローマ時代からキリスト者は殉教の標的にされましたが、こうした危機を耐え忍ぶのを手伝っているだけです。なぜなら、聖書は敵を愛しなさい、呪う者を祝福しなさいと教えていますから。けれども、政府は空爆によって正しい対応をしたと思います。私たちの兄弟が失踪して長いこと待っていて、どこにいるか分かりませんでした。けれども、もし捕えられてからすぐに殺されていたら、報復をしようとは思わなかったでしょう。けれども、彼らがどこにいるか分からなかった長い期間があったので、私たちのために空爆をする正当性を与えました。」
進行者:「あなたの信仰についてお尋ねしたいのですが、あなたの兄弟たちを殺した者たちを赦してくださいと請われたら、あなたやご家族は気分を害しますか。」
ベシール:「今日、母親と会話していた時、ISISのメンバーが道にいるのを見たらどうするか、尋ねました。彼女はこう言ったのです。彼は、私たちが天の御国に入るよう役だったのだから、彼を家に迎える、とのことです。これは母親の言葉でした。彼女は60歳以上の無学の女性ですが、ISISのメンバーが町を通りかかっているのをみたらどうするのか、あなたの息子を殺した本人だったらどうするのか、尋ねたのです。彼女は言いました、彼の目を神が開いてくださってくださいと祈り、彼を自分の家に来るように招きます。なぜなら、彼は私たちが神の御国に入るのを手助けしたからです。」
進行者:「どうか、ISISの人たちのためにお祈りしていただけますか?」
ベシール:「神様、どうか彼らの目を開いてくださり、彼らを救い、彼らの無知と、教えられてきた誤った教えをやめさせてくださいますように。」
進行者:「アーメン。お母様、ご兄弟、ご家族に、私たちと同じように哀しんでおられるご近所の方々お悔やみをお伝えください。」

私は信じられませんでした、イスラム国は過激であり、悪魔の手先と化していますが、キリストにある神の愛はさらに過激に押し迫ってきます。こんな愛は、正直、気違いです。イスラム国は気違いですが、敵を愛することにおいてエジプト人の兄弟たちはもっと気違いです!迫害は教会を清めるだけである、という歴代の教会指導者の言ってきた言葉は真実なのです。

天の御国は、激しく攻められる時に、かえって激しく攻め入ります。(マタイ11:12)

国の報復と、キリスト者の赦し

そしてもう一点、日本人のキリスト者が考えていただきたいのは、彼らはこれだけイスラム国の戦闘員への愛を示しているのに、同時に自国政府の空爆を強く支持していることです。罪の赦しは「罪の”許し”」ではありません。神は慈しみ深い方であり、同時に、海の深みのように公正に満ちた方です。そうでなければ、キリストは十字架において、身代わりの処罰を受ける必要はありませんでした。イエス様の隣に十字架にかけらえていた、今でいう「テロリスト(ローマに対する扇動者、殺人者)」は、「われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。(ルカ23:41)」と言ったのです。神は、キリストの再臨前までは、国に人を処罰する権威を与えておられ、キリスト教会に対しては神の前での罪を赦す大きな権威を与えています。この区別をしっかりしないと、私たちが迫害を受ける時、キリスト者の自由を保持する時に、しっかりとした証しができないのです。

私は日本国と、現政権がイスラム国に対峙していることは主にあって、正しいと信じています。平和的手段によって、イスラム国と戦っているヨルダン、エジプト、関連各国と足並みを揃えることを強く支持し、首相のために真剣な祈りを捧げたいと思います。「今は、安倍首相を批判するのではなく、真剣にとりなす時である。そして、この悪魔的な力に立ち向かえるただ一人のお方に目をむけ、助けを求める時である。」(クリスチャン新聞2月22日から 石堂ゆみさん寄稿)

「エジプト人キリスト者に広がる愛の御国」への10件のフィードバック

  1. この話を聞いて、映像を見返して、確かにイエスを告白しているか、ある牧師さんが確かめられたようです。

    「Ya Rabbi Yasou」(My Lord Jesus)

    この言葉は、「私の主イエスよ」という意味らしいです。そして、21人に尊敬を込めて、お一人一人の名前を記憶しておられます。ぜひ上のリンク先に行ってみてください。

  2. Ya rabbi Yasou’は、Rabはヘブライ語と同じ語源の「主」という意味です。「i」は名詞につくと「私の」という所有格の意味になります。「Ya」は「おお」とか「ああ」とか、感嘆を表す語句で、正確には「ああ、わが主イエスよ!」となります。ISの中でも、どうやら動きあるようですが、詳細はここでは控えます。(アルカイダやISは日本語が堪能なメンバーを使って、日本語で情報を集めている形跡があるので、私たちも気をつけたほうがいいでしょうね)

  3. こちらの記事に、詳しいエジプトのコプト教会の事情の記事がありました。少しは耳にしていましたが、とても力強く前進している教会のようで、若者にもしっかり信仰が継承されているようです。(一つ目のビデオは残酷なので注意)

    WATCH THE VIDEO: ISIS Savages Beheading Twenty One Coptic Christians (“AND I SAW THE MARTYRS WHO WERE BEHEADED IN THE NAME OF JESUS” IS BEING FULFILLED)

  4. 21人の殉教の後、友人や家族の驚くべき希望の証し:

  5. イスラム国から避難してキャンプで暮らす、イラク人クリスチャンの女の子の証し。「イスラム国の人々を神が赦してくださるように、祈っています。」

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